其の八極に   作:世嗣

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ねえ、もっと更新は遅いと思ってたでしょっ?!
私も思ってたわ!

今回はほのぼの回です




鉄腕夢想

 

 

頭の上を、斧槍が薙いだ。

 

空気が裂ける音を耳に感じながら、軽く後ろへとステップして、ヴィクトーリアから距離をとった。

 

対面が、体に纏った紫電を弾けさせながら斧槍を自分へと向ける。

 

──来る。

 

そう感じるや否や、瞬間的に圏境を発動させて己の存在を揺らがせてヴィクトーリアの視界から消えた。

もちろん本当に消えただけではなく、今の浅い圏境ではせいぜい視界を誤魔化すのが精一杯。

だが、今はそれで構わない。欲しいのは、ヴィクトーリアが自分を認識できなくなったこの一瞬だ。

 

「雷帝九十一式────」

 

ヴィクトーリアが斧槍を振りかぶり、その刀身に魔力から返還された雷を眩いばかりに収束する。

 

「────破軍斬滅ッ!」

 

そして、臨界点を迎えた電気が、弾けるように辺りに殺到した。

 

ごう、と襲いかかる雷を震脚と活歩を混ぜ合わせた歩法で滑るようにヴィクトーリアの懐へと潜り込み、そして腰だめに構える。

 

「川掌」

 

斧槍を振り切ったままの無防備な体勢の腹に、拳が炸裂する。鈍い音ともに、確かに感じる通ったという感触。

 

しかし、それにほとんど時をおかずヴィクトーリアが自分の頭を掴んだ。効いていないということはないだろう、指の間から見える彼女の顔は痛みに歪んでいる。

 

それでも、ヴィクトーリアは折れない。

 

「雷帝六十五式──」

 

次にどのような技が来るか察知した自分は、素早く腕に組みついて十字腕ひしぎを仕掛けようとした。

 

しかし、それよりも遥かに早くヴィクトーリアの腕が仄かに青く輝いた。

 

──悪手を引いたな。

 

「兜砕っ!!」

 

電撃の青白い閃光と共に地面へと頭が叩きつけられた。鍛え上げられた筋肉と、魔法で強化された腕力によって自分の体は笑えるほどたやすく叩きつけられ、そのまま地面を砕いた。

 

叩きつけられた痛みに加えて、脳みそが揺れたせいで意識が朦朧とし始める。

 

飛んでいきそうな意識の中、体が今までの鍛錬のおかげか自然に動き、ヴィクトーリアの肘に蹴りを叩き込む。

 

「ぐっ……」

 

そして緩んだ握力の隙を逃さずに、手首から捻りを加えながら力を生み出し、ヴィクトーリアの背後へと飛んだ。

 

そして、空中で体を捻りながら回し蹴りを放とうとして、ヴィクトーリアの方もそれに合わせるように斧槍を振るった。

 

「せ、アッ!」

「噴ッ!」

 

ズ、と空気を震わせるように互いの攻撃がうち合わさった。

 

どちらもそのまま押し切ることはできず、自分は蹴りの力で生じた勢いでそのまま後ろへと宙返り。ヴィクトーリアは、斧槍を一度引いて、構え直す。

 

「──」

 

息を一瞬だけ吐いて、活歩と震脚でヴィクトーリアへと肉薄していく。

もちろん、それをやすやすと許すようなヴィクトーリアではなかったが、それよりも早く自分は手首のスナップで投石用の小石を顔面へと向けて弾いた。

 

「痛ッ」

 

ヴィクトーリアから小さく声が上がり、ほんの一瞬だけ目が細まった。

そして、それだけあれば自分にとっては十分だった。

 

今まさに突かれようとしていた斧槍の穂先を強化した指で掴んで、そのままぐるりと捻る。ヴィクトーリアの右手が、斧槍から離れた。

 

「しま────」

「往くぞ」

 

一言、そう言ってぐるりと体を半回転させながらヴィクトーリアの懐へと潜り込み、彼女の身に纏う鎧の内側、装甲のない肘の部分に頂肘を叩き込んだ。

ヴィクトーリアの顔が、苦痛に歪む。

 

「猛虎、硬爬山」

 

そして、生じた隙にねじり込むように攻撃を打ち込む。

利き腕より把子拳、寸勁、頂肘を瞬時に繰り出す高速三連撃。

 

全ての攻撃が寸分違わず川掌を叩き込んだ腹部へと打ち込まれる。

 

これで、常人ならば膝をついて勝敗が決するほどのダメージとなるが、まさかヴィクトーリアがそれだけで終わるはずがなかった。

 

「ま、だ、まだ……!」

「……嗚呼、其方はそういう奴だよ」

 

ヴィクトーリアが、震える体で拳を握り、魔力を収束した。一発逆転の、全力全開。

 

其れをみて、自分の口が三日月を描いた。本当に、ヴィクトーリアのこういう負けん気だけは、信頼に値する。

 

「雷帝、七十四──」

「寸勁」

 

自分の掌底が、鎧に守られぬ顎を素早く殴り抜いた。

ぱぁん、と乾いた音ともに、ヴィクトーリアが数歩後ろへたたらを踏んで、耐えきれなくなったようにゆっくりと倒れた。

 

「勝負あり、であるな」

 

自分のその声と共に、ヴィクトーリアの武装が溶けて、私服の少女が現れる。

 

「そこまで〜」

 

遠くの方で黒髪の少女の声を聞きながら、自分も武装を解除した。

 

そして、青すぎる空を見上げて、小さく息を吐いた。

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

「今日の模擬戦で通算十七戦十七勝無敗という結果になった。エレミアと自分の戦績は五分五分。故にこの中で最弱は其方だ。おめでとうヴィクトーリア」

「野郎ぶっ殺してやりますわッ!」

「なんちゅうお嬢様らしからぬ言葉遣いッ?!」

「いや流石にヴィクトーリアにぶち殺される未来は見えない」

「この脳筋がァァァッ!」

「エデルもヴィクターを煽らんで欲しいんよ!」

 

くつくつと笑う自分に向かって襲いかかろうとするヴィクトーリアを抑えるエレミア、という割といつも通りの図が出来上がった。

 

まあ平常運転である。

 

ヴィクトーリアの相手はエレミアに任せて自分は執事殿の持ってきてくれた、くっきーを摘んだ。

いつも通りやたらと美味いそれを特に遠慮する事なくぼりぼりと食べ進める。おそらく自分の一日のバイト代より高いのだろうが、ヴィクトーリアはそこの辺はあまり気にしていなさそうだ。

 

「私は雷帝の血を継ぐ者私は雷帝の血を継ぐ者私は雷帝の血を継ぐ者私は雷帝の血を継ぐ者私は雷帝の血を継ぐ者私は雷帝の血を継ぐ者」

 

そうこうしてるとヴィクトーリアが、小さい深呼吸を何度も繰り返し、ヴィクトーリアはぶつぶつと同じ言葉を呟きながら怒りを鎮めていた。

 

チラリとその横を見てみると、エレミアがむすっとした様子で自分のことを睨んでいた。

流石に少し煽りすぎたかもしれない。

 

とりあえずエレミアには謝罪の意味も込めてくっきーを差し出しておく。

 

「さも自分のもののように差し出しましたけど、それ私がお出ししたものなんですが」

「む、バレたか」

「いやー、当たり前やと思うんやけどなぁ」

 

と、ここでようやくヴィクトーリアが口を挟んだ。ようやく怒りを抑えるのに成功したようだった。

未だ少し怒りが尾を引いてるのか、頰はほんのりとした赤みを帯びていたが正常の範囲内だ。

 

エレミアが安心したように息を吐くのが見えた。

 

「まあ私が負け続きなのは遺憾ながら事実ですし認めます。誠に遺憾なのですけれど」

「此奴二回言ったぞ」

「よっぽど悔しかったんやろなぁ。(ウチ)もよーわかる」

「ですよねジーク。エデルに負けると悔しさに加えて、屈辱感が凄いですわよね」

「うんうん、なんか情けない気分になってくるんよー」

「凄い言われようだな、自分」

 

はあ、とため息をついて見せる。

一々の模擬戦でこう言われていてはこっちの方も身がもたない。命を取り合う実戦ではないのだから、もっと気楽に楽しめば良いのに、と心の中だけで呟いた。

 

そこでふと疑問が浮かぶ。

 

「なあ、ヴィクトーリア」

「…………何ですか?」

 

自分が呼びかけるとヴィクトーリアは眉を寄せて、物凄い怪訝な表情を浮かべた。そこまで嫌な表情を浮かべることはないのではないか。流石の自分でも傷つきかねない。

 

まあいいと割り切って口を開く。

 

「其方、どうしてそこまで勝利に拘る」

「どうして、ですか?」

「うむ。別に、負けても死ぬわけではない。ならば、何故そこまで悔しがるのだ?」

「……そんなの、貴方に話す理由はありません」

「あーそれ(ウチ)も気になってた。なんか理由があるん?」

「じ、ジークまで……」

 

こてんとジークが首をかしげるのを見て、ヴィクトーリアの話さないという確固たる意志はブレてしまったようで、目線がふらふらと泳ぎ始める。

因みに確認するのはジークだけで自分の方はちらりとも確認しない。本当に立ち位置がブレない。

 

ヴィクトーリアはしばらく言い澱むように、口の中でもにょもにょ言っていたが、やがて諦めたように大きなため息をついた。そして、そっぽを向いてぼそりと呟いた。

 

「…………です」

「ん? なんて?」

 

思わずエレミアが聞き返すと、ヴィクトーリアは頰に僅かな赤色を加えて、エレミアと自分の顔を順番に見た。

 

「対等で、ありたいんです。ジークと…………エデルと」

 

最後の自分の名前を凄く苦々しげな表情で付け加えて、ヴィクトーリアはなおも言葉を続ける。

 

「私が二人に比べて実力が劣っているのは承知しています。それでも、私は貴女たちと対等な関係でありたい。多分それは、私の願望(ユメ)なのかもしれないわね」

 

ヴィクトーリアが紅茶を一口口に運んで、ふっと自嘲するように鼻を鳴らした。とても悔しげに。

 

「だから、そんな二人に負け続ければ悔しがりもするわ……って、何なのその顔はっ!」

「いや、しかし、なぁ?」

「なー?」

「な、何ですかっ!」

 

エレミアと自分が顔を見合わせて、意地悪げに笑う。エレミアが行ってええ?と目だけで訴えてくるので自分も笑いをこらえながらうなずいた。

 

エレミアがにっこりと向日葵のように笑った。

 

「ヴィクターって、(ウチ)らのことだーいすきなんやなぁ」

「いやはや、可愛いところもあるではないか」

 

途端、ヴィクトーリアの顔が林檎のように赤く染まった。

 

「な、な、な……!」

 

縁日の金魚の如く口をぱくぱくさせているのをニヤニヤと見てくっきーを一つ口に放り込んだ。うむ、美味い。

 

「ち、ちが今のは」

「いや、いいユメだと思うぞ。友と対等でありたい、か。動機も純なものだ」

「えへへ、(ウチ)もヴィクターのこと好きやよ〜」

「も、もうからかうのはやめて頂戴ッ!」

 

わしっと抱きついてきたエレミアにヴィクトーリアはなおいっそう顔を赤くした。だが、やがて低く唸り始め、今度はびしっとエレミアを指差した。

 

「ぐぬぬ、じゃあジーク! 貴女はどうなんです、貴女の夢はなんなんなの?」

「ウ、(ウチ)?」

「ええ、ええ、貴女ですとも! 私の事を散々からかってくれたのですから、自分の夢くらい話すのが筋ではなくて?」

「で、でも(ウチ)は……」

「もう二度と飢えていても何も食べさせないわよ」

「うぐ、わかった言えばええんやろ……」

 

エレミアはヴィクトーリアから食事をもらえなくなるのは相当痛かったらしく、渋々といった様子でうなずいた。

 

(ウチ)の夢、なぁ……」

 

エレミアは最初こそ恥ずかしそうにしていたが、いざ話そうとすると思い浮かぶものも大してなかったのか、うーん、とうなり始める。

 

「ご飯をいっぱい食べること……は、夢ってほどやあらへんな。なら、今度のDSAAで勝つこと、これもイマイチしっくりけえへんなぁ」

 

そして、腕を組んでまたもや深く唸った。

 

「今のとこは、エレミアン・クラッツを次の世代に向けて突き詰めていくこと、になるんかなぁ……」

 

そう言って自分自身でもしっくり来ないのか首を傾げた。となりのヴィクトーリアは少し面白くなさそうな顔をしていた。

 

「なるんかなぁ、とは随分と曖昧だな」

「だって(ウチ)夢とか考えた事あらへんもん。いきなり言われてもなぁ」

「別に大したことで無くても、本当に些細なことでも構わないのよ?」

「うーん……」

 

ヴィクトーリアの言葉に、エレミアが眉を寄せて幼子のように必死に頭を絞り始めた。そして、突然何かを思いついたかのように顔を上げた。

 

「ええと、笑わへんって約束して欲しいんやけど……」

 

エレミアがゆっくりとヴィクトーリアと自分を見る。その目はほんの少しの恥ずかしさを感じているのか、不安にゆらゆらと揺れているようにも感じる。

一瞬だけヴィクトーリアと視線を交わして頷きあった。

 

「ああ、自分を信じろ」

「ええ、約束します。だからジーク、話してもらえる?」

 

自分たちの自信に満ちた返答に安心したのか、エレミアの表情が緩んだ。

そしてはにかんだような笑みを浮かべながら、指先をいじいじと突き合わせる。

 

「まあ、(ウチ)も女の子やから、その……」

 

エレミアが上目遣いで上げた視線が、ほんの一瞬だけ自分とぶつかった。

 

 

「お、お嫁さん、とか……?」

 

 

「ーーー」

「…………」

「あのー、二人ともなんかいうて欲しいんやけど……」

 

エレミアが少し慌てたような様子を見て、ついに自分たちが耐えきれなくなる。

 

「「ぷっ」」

 

吹き出したのは殆ど同時。そして一度漏れ出せば後は自然と流れるだけだ。

 

「ふ、ふふふ、ジークがお嫁、さん……ふふ」

「く、くく、まあヴィクトーリア、そう笑ってやるな、ふふ、エレミアも、真面目に話したのだから」

「ちょ、二人とも約束がちゃうんやけどっ!」

「だってジークが予想外のこと言うから……」

「ああ、八神はやてがお見合いサイトへの登録の相談を確認して来た時よりも予想外だったな」

「…………むん!」

「は、腹を殴るのは駄目であろう……」

「エデルがいつまでも笑うからや! ん、今凄い情報が流れたような……?」

 

自分が腹を抑えて崩れ落ちるのを見て、ヴィクトーリアは大きく深呼吸をして止まらない笑いを止めた。そして、エレミアの方へ聖母の如き優しげな笑みを浮かべた。

 

襲って来たプレッシャーにエレミアが少しだけ後ろに下がった。

 

「ねえ、ジークお嫁さんになりたいの、私はいいと思うわ」

「え、いやアレはちょっとした気の迷いっちゅうか……」

「ねえ、お嫁さんになりたいならそれ相応の格好をすべきだと思わない? スカートとか」

「……(ウチ)用事があった気がするわすまへんヴィクターそれじゃあっ!」

「エドガー」

「心得ました」

 

踵を返して逃げ出そうとしたエレミアを背後から突然現れた執事殿が羽交い締めにした。エレミアは抜け出そうと必死に腕をじたばたと動かしていたが、執事殿の腕は見事なもので綺麗に関節を極めていた。

 

「……なかなかの腕だな、執事殿」

「執事の嗜みですよ、エデル君」

「其奴仮にも次元世界最強十代女子なのだろう?」

「執事の嗜みです」

「先程突然背後から現れたな」

「執事の嗜みです」

「まさかいつも隠れて此方を伺っていたのか?」

「執事の嗜みです」

「其方が思うほど執事の嗜みという言葉は便利ではないと思う」

 

にこり、と爽やかな笑みを此方に見せた。朝露に濡れた朝顔のように爽やかな美しさを持つその笑顔は、並みの女子ならそれだけで一晩は頭から離れなくなりそうだ。

自分が男でよかった。

 

「ふふふ、ようやく巡って来たチャンス。ジーク、貴女にお洒落というものを骨の髄まで叩き込んでやりますわ……!」

「いややー、着せ替え人形はいややー!」

「では、エデル君、お嬢様達のお戯れがひと段落するまでしばしお待ちを」

「……応。くっきーでも齧りながら待たせてもらう」

 

いーやーやー! というエレミアの断末魔を聞きながら静かに目をそらした。犠牲者に、敬礼。

 

ぼり、と少し硬めのくっきーを齧って、空を見上げる。

未だ頂点近い太陽からの光に、思わず目を細める。

 

夢想(ユメ)、な……」

 

右手を空にかざすと、自分の手の形の影が自分の顔をおおむね覆い隠したが、指の間から漏れ出た光がちらちらと目に入って煩わしかった。

 

「そんなもの、自分は……」

 

──やらなければならない事があるからな。

 

 

額の奥に、薄い痛みが走ったような気がした。

 

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 

月明かりの下、ざくざくと草を踏み分けながら二人の男女が生い茂る森の中を歩き続ける。

女性の手の中には大きなキャンピングセット一式。男性の方はビックサイズのリュックサック二つを担いでいた。

パンパンに膨らんだリュックサックから鉄製の取っ手がのぞいているため、おそらく料理器具でも入れているらしかった。

 

「あの子、元気そうでしたね〜」

 

隣の水色の髪の女、アイセアが、赤髪の巨漢、エデルの父へと声をかけた。

 

「そうだなァ、身長(タッパ)も随分伸びていたしな」

「あなたに勝つかもしれませんね〜」

「そりゃどうだろうな、あいつは根性が足りんから俺ほどにはならんだろ」

「負けず嫌いなんだから〜」

 

うるせい、とエデルの父が言うとアイセアがくすくすと楽しそうに笑った。

よっぽど何か言い返してやろうかと考えたが、どうせほんわりした調子で、虫取り網から逃げる蝶々のようにかわされることは見えていたので口をつぐむ。

 

「でも女の子を連れてくるのはびっくりしたわ〜。しかもヴィヴィオちゃんみたいな可愛い子〜」

「ふ、あいつも俺の息子だったと言う事だ」

「へえ〜、どう言う事です〜?」

「俺もこのワイルドな見た目と雰囲気で数多の女を泣かせて来たもんさ。この前の『チキュウ』ってとこでも、俺の年の半分くらいの嬢ちゃんからだな……」

「へえ〜、初耳です〜」

 

エデルの父が、「やべ、口が滑った」と思った時には時すでに遅く、アイセアはにこにことした表情で隣の男を見上げていた。

 

身長160ほどのアイセアに見つめられて、エデルの父の額から汗が流れ始める。表情は笑顔から全く変わらないにもかかわらずやたらと凄みと威圧感が強かった。

 

「あー、あれは違うくてだな……」

「ん? 何が違うんです? お話はききますよぉ〜?」

「それはだなァ……」

 

いかに自らの妻を宥めようかという言い訳を考えているエデルの父が、突然表情を固いものへと変えた。

 

「アイセア、手を空けろ」

「何ですか〜、握手でも……むぐ」

「冗談じゃない。何かが、俺たちを狙ってる」

「……わかったわ」

 

アイセアは掴まれた頰をさすりながら両手に持っていたキャンピンググッズ一式を投げ捨てると、瞬間的に強化魔法を発動させた。

 

そして、それ以上は互いに何も言わずに背中を合わせて、拳を握った。

 

そして、ここでようやくアイセアも彼女の旦那が言っていた気配を感じ取る。

魔法で感覚を強化したからわかる、ここからそう遠くない地点から自分たちを狙う、粘つくような視線。

 

「そこに居るんだろう?良いから出てこいよ」

 

エデルの父が、茂みの奥、気配のある方向へと声をかけた。すると、気配がゆっくりと二人の方へと近づいてくるのを感じ取る。

 

がさり、がさり、と草の根をかき分ける音が規則正しく二人の耳に届く。

 

「……あなた、この気配」

「あァ、かなり強いなァ」

──コイツは、俺と同じ、いいや()()()()()かもなァ。

 

気配が、茂みのぎりぎり、アイセアとエデルの父の二人に姿が見えないところまで歩いてきて、止まった。

 

そして、その方向から赤黒いものが放られた。

 

反射的にかわしそうになるが、その投げられたスピードと空中で見えた物体が、ただの布だという事から、自分に渡す事が目的だと判断した。

故に、空中で掴み取った。

 

「…………こいつは驚きだなァ」

 

手の中の赤黒い布をしばらく見て、ポツリと呟いた。

エデルの父の手の中のもの、これは、赤黒く変色した血のこびりついた赤い服、その一部である。

その端々には黒の糸を用いて龍の姿があしらわれており、すぐ近くにはある名前が刺繍されていた。

 

「おう、お前さんコイツをどこで手に入れたまだ耄碌はしてねえはずなんだがな」

「……貴方は阿呆? 倒して奪った。説明が必要?」

「……その倒すのが難しいんだが、まあ()()()()()あり得る話か」

 

最後に見たのは十年以上前、手の中のものは、しかし其れでも忘れられないものであった。

エデルの父が、手の中の刺繍に目を向ける。

 

其処には、『Edel(エデル)』と、ベルカ文字の筆記体で書かれていた。

 

この布を投げた相手は倒して奪ったと言っていた。虚言という可能性もあったが、エデルの父はその可能性をほとんど捨て去っていた。

茂みの奥の相手ならば、きっと嘘ではないと『エデル』ならば、直感的に感じ取れる。

ならば、この布の血が誰のものかなど語る必要はない。

 

茂みの奥の気配が一歩足を踏み出して、月光の下、姿を晒した。

 

「……前のは老いぼれ。貴方は、薄い。エデルじゃ、ない」

「おう、そりゃ悪かったな」

「じゃあ、聖王は? 何か、知らない?」

「あー、聖王ゥ?」

「知らない、はずない。魔力の残滓が、こびりついてる」

「んなもん知らねえよ、ポンコツ」

 

エデルの父が苦々しげに吐き捨てると、背中を軽く叩かれるのを感じた。言うまでもなくアイセアだ。

 

「エデルの連れた女の子、ヴィヴィオちゃん、覚えてるかしら?」

「あァ? んなもん覚えてるに……オイオイつまりそう言う事なのか?」

「詳しい事はわからないわ」

 

息子の連れの髪の色と異なった色の虹彩を思い出してエデルの父は顔を歪めた。

あいつなんてもん拾ってやがる、と心の中だけで悪態をついた。

 

「話は、ついた? 聖王、知ってる?」

 

エデルの父が目の前の気配に、小馬鹿にするように鼻だけで笑ってみせる。

 

「バーカ、知ってても教えねえよォ!」

「…………そう。なら、いい」

 

目の前に立つ存在から、膨大な魔力が溢れ出した。そもそもの魔力量が少ない『エデル』として見れば、どう考えてもひねり出せない魔力。

 

背筋に冷たいものが流れた。

 

男が、振り返る事なく声をかけた。

 

「アイセア、死んでくれるなよ」

「貴方が──グランツァが死なない限り死なないわ」

「カカ、なら死ねねえなぁ」

 

エデルの父が笑って、震脚とよく似た、しかし確かに異なった歩法で踏み込んで、一瞬で最高速へと至った。

 

一此処二極マレリ(NOTHING)ッ!!」

 

无二打によく似た、しかし決定的に違う攻撃が拳の先だけ亜音速に近づき、目の前の存在の顔へと突き刺さる。

手応え十分、人間ならば脳が縦に揺れて、下手すれば一発で後遺症が残るレベルの一撃。

 

しかし、相手は倒れない。

 

それどころか、そのまま殴り抜いた腕を握ってぐい、と自分の方へと強く引いた。

 

「…………カコとも、老いぼれとも、違う。興味、深い」

 

腕を握っていない方の右手が、エデルの父に見えるようにかざされる。

 

アイセアがその腕を脅威に感じたのか、エデルの父の背中の死角から踊り出して、跳躍、空中で一回転ともに踵落としを叩き込む。

 

「……邪魔」

 

エデルの父の視界から右手が消えた。そして、次の瞬間には女の悲鳴が聞こえていた。

 

「アイセアッ!」

「だ、大丈、夫……」

 

アイセアが、踵落としを叩き込もうとしていた右足を強く抑えていた。そのふくらはぎには、抉れたような傷が残っている。

 

エデルの父の対面の存在が、その体から漏れ出す魔力を一層強くした。

 

 

「──さァ、終わりを、始めよう」

 

 

右手が、漆黒に染まった。

 

 

 

 

 

 

 

その日、二つの血の華が咲いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





静かに、歯車は回り出す。

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