蒐集型魔道書『夜天の書』。
作成時期は不明。製作者も不明。
ただわかっていることは一つ。
此れは、主を求めて次元を旅する。それだけだ。
オレの、古代ベルカ諸王時代、この書の主はその力の強大さ、従える守護騎士から、『夜天の王』『騎士王』と呼ばれていた。
目の前の紅い騎士甲冑に身を包む騎士に目を向ける。その容姿は幼女と見紛うほど幼いが、身に纏う闘気は一級品。幾度となく死線を乗り越えてきた戦士のものだ。
だが、今気になるのはその奥にいる、戦闘用でない柔らかな雰囲気の私服の茶髪の女性。
八神はやて。いま、オレが危険だと訴えかける夜天の書の今代の主。
「ごめんな、ヴィータ。ミウラのセコンド終わって直ぐに呼んでまって」
「いいよ。ヴィヴィオはちょっと気にかかるけど、はやての頼みの方が大切だ」
「うふふ、ありがとう」
この場から逃げ去る手段を模索する。
──結界破壊。
困難。魔力を込めた拳撃ならば破れるかもしれんが、時間が足りない。
──圏境発動。
困難。完璧に発動すれば逃げ去ることは可能かもしれないが、体の調子がいつもと違う。
──戦闘。
ヴィータとの近接のみの格闘戦ならば遅れはとらない。
しかし、八神はやてにはきっと勝てない。
もう、泣きたくなるほどに光は見えない。
しかし、其れでも自分は退くことはできない。
だってオレは、『魔拳士』なのだから。
がしゃん、と心の有り様が切り替わる金属質な幻聴が耳に響く。
「──っ、変わったな」
ヴィータが目を細め、そのやもすれば愛くるしいとすらとれるその表情を厳しいものに変える。
「
「武を極めるには才が足りなかった。だから、別の所で補った。それだけだ」
出し惜しみは無し。
相手は過去に『ベルカの英雄』の栄光を授けられた騎士の一人。其れがたとえ今生にて忘れ去られていようとその実力は変わらない。
「
足元に血より紅い三角形の魔法陣が出現する。真正古代ベルカ式と呼ばれる最早骨董品と化した魔法形態。
「武装形態」
身を包む衣服の繊維が魔力を通して形を変えて、苛烈な赤の戦闘服へと変わる。あくまでも強化の延長上。防護服の全てを魔力で作り出すのは、自分には不可能。
亀裂が走るほどに足を踏みしめ一歩で己が最速すらも超える。狙うはヴィータの胸部。拳撃で内部から破壊し、昏倒させた後、八神はやての意識を刈り取る。此方を舐めているのか知らないが、未だ騎士甲冑ではない奴ならば何とかなるかもしれぬ。
「させっかこのヤロォ!シュワルヘフリーゲン!」
『Schwalbe fliegt』
魔力の奔流が拳大の鉄球を三つ創り出し、此方へと飛来する。其れと同時にヴィータは空へと飛び上がり、此方を伺う。
最高速の速度を断念し、速度を緩めて鉄球を迎撃する。
──この攻撃を知っている。
これは誘導射撃。かわしても回り込まれ術者の意識続く限り追尾し続ける。かと言って防御するためこの身で受ければ、炸裂し辺りを焼き尽くす。
「ざあっ!」
右手を地面に叩きつけ地面を叩き割ると、数個の礫を拾って目標を見定める。
「そ、らあっ!」
礫と鉄球がぶつかり合い、三つのうちの二つが火炎とともに消滅する。残り一つは直前でヴィータが操作したため、外したようだが上出来だ。
一瞬、瞬きより短き刹那、八神はやてが視界に入る。その姿は、相も変わらず微笑みを浮かべて、先ほどと変わらぬ様子で此方を伺っていた。
「は、や、て、を!」
頭上から怒声が聞こえるのと同時に、その場を飛び退く。
「見てんじゃねぇ!」
鉄槌が振り下ろされる。同時に、自分と八神はやてとの視界の直線上を塞ぐように残った誘導弾の一発が炸裂し土煙で八神はやてを覆い隠す。
地を蹴り、地に降り立ち僅かに隙の生まれたヴィータへと拳を振るう。歴戦の勇士とは思えぬ、明らかな隙。
この一撃は必至。避けれぬ、と予想した。
「見えてんだよ!」
ヴィータの足で引っ掛け持ち上げられた瓦礫によって視界をふさがれたが、気にせず殴り砕く。
「テートリヒ・シュラーク!」
『Tetorihi Shuraku』
ヴィータの手の中の鉄槌が低い男性の声を発すのと同時に魔法による強化が行われる。此方に肉薄する鉄槌を拳で僅かに逸らし、ヴィータからさらに距離をとる。
「シュラァァァァァァクッ!」
『Tetorihi Shuraku!』
自分を追うように再び打撃魔法が展開される。なけなしの魔力を拳に収束し、コースを僅かにずらしたが、力が足りなかったのか頬をかすめ、頰が裂けた。
鮮血が飛び散り、辺りに散った鮮血の赤い花が咲く。
「──ク」
距離を取れば相手の独壇場。
ならば臆するな。
退くな、下がるな、拳を振るえ。
地を踏みしめる。震脚の動作で行われた踏み込みは、地面に蜘蛛の巣状の亀裂を走らせた。
「テートリヒ────」
力を循環。
集めるは一点。研ぎ澄まされた一撃で、才能も、魔力も、想いも凌駕するために。
「────シュラーク!」
「頂肘!」
鉄槌と自分の肘とがぶつかり合う。
寸勁を放つには溜めの時間と距離が悪かったため、頂肘を使ったが、これは失敗だったかもしれない。
ミシ、と肘が軋む音がする。力を込めてなお、魔力の強度の差がありありと現れる。
後悔の念がほんの一瞬浮かんだ。しかし、手遅れだった。
容易く鉄槌が自分の肘を押し返し、そのまま壁際まで自分を吹き飛ばす。
鍛え上げ、どんな武芸者ともやり合えると信じたこの身が壁に叩きつけられた。
腹に響くような衝撃が体に走る。硬いコンクリートを粉へと変えるほどの攻撃が身を襲った。
肘の骨はもしかすると
「────!」
──遠くで懐かしい声が聞こえる。
そんな事を他人事の様に思うと無数の鉄球が自分の身に次々と突き刺さる。
「──ごほっ」
血反吐がこぼれた。
立ち上がる間など与えず鉄球は自分をうちのめすと、示し合わせた様に火炎を伴って炸裂した。
目の前が橙の火炎に染められ、耐え難い熱さが身を焦がした。
「────は、はは」
嗤いが漏れた。
いや、それは嗤いなどではない。
それは自分の心の叫びだ。うちのめされ、どうしようもなくなった心が悲鳴をあげたのだ。
「カートリッジロードォ!」
『Kartusche Last』
ガコン、と耳元で炎が燃える遠くで機械的な音が聞こえる。ついで耳に届くのは薬莢が地面に落ちる甲高い音。
「フランメ────!」
世界から色が失われ、意識が何時もの何十倍に引き伸ばされる。
戦闘中に時々起こる自分の意思とは別に引き起こされる極限の状態だった。
鉄槌から感じる脅威は今まで最大。
オレの記憶が正しければ『フランメ・シュラーク』は攻撃が当たるのと同時に着弾点焼夷の効果を持つ、炎の一撃。
ならば、どのような防御も不可能。
障壁を張れば砕かれ、避けても燃やされ、迎撃しても威力で負ける。
──嗚呼、届かない。
──今の自分じゃまだ足りない。
──さっさと
ばちん、と最後の何かが切れる音がした。
それと同時に世界が色づき意識の速度が通常に戻った。
「────シュラァァァァァァク!」
地獄を見た。
最早、生きていけぬとすら感じた。
そんな地獄を生きた、
こんなものなど脅威でも障壁でも何でもない。
ヴィータの瞳が驚愕に見開かれる。
「て、てめぇ、コッチはカートリッジ使ってんだぞ!その、攻撃を……」
手の中にずしりと鉄の重さが伝わる。カートリッジシステムによって一時的に底上げされた魔力の胎動がてから伝わり、放出熱が自分の手を少しずつ焼く。
「
防御も迎撃も不可能ならば、攻撃自体を中断させる。
発動中であった魔法を腕力で無理やりねじ伏せる。
「これで、ようやく、自分の間合い、だ……!」
思わず笑みがこぼれた。
「
拳を腰に構える。体は横を向け、神経この一瞬、一撃のために研ぎ澄ます。
八極拳は体を
その拳の前に防護服など無いものも同然である──!
通常とは異なる掌による突きの衝撃ががヴィータの防護服を通り越し、内部に突き刺さる。
骨が軋む感触が掌に伝わる。
「な、ばりあ、ジャケット、が……?」
鉄槌を握る手を強く引いてヴィータが怯んでいるうちに、床に組み伏せた。
武器を奪取できれば最善だったが、そこは歴戦の騎士。己の命を預ける相棒をそう簡単に手放さなかった。
鉄槌を握る右腕に足を絡める。途中で形成される、その型の脅威に気づいたヴィータがなお一層激しく抵抗してきたが、もう手遅れである。
腕十字ひしぎ。
一度掛かれば脱出は困難と呼ばれる、肘の破壊を目的とした、エグい固め技。
「ぐ、がああああああ!」
ヴィータが苦悶の叫びをあげる。
実際は自分より年上だが、幼子の様な容姿の相手にこの技を掛けるのは、躊躇われる。
──はずもない。
相手は
故に、容赦しない。躊躇しない。
この技で絶対に相手の武器の一つを殺す。
外そうと抗う力を万力の力で押さえ込み、着実に肘を痛めつけていく。ここまでくれば折れるのは時間の問題。
ミシリ、とこれまでで一番大きな軋みを上げた瞬間、ヴィータが絶叫した。
「カートリッジ、ロォォォォォォド!」
がしゃんがしゃんとヴィータの手の中のグラーフ・アイゼンが薬莢を吐き出し、急速に形を変えていく。
「ラケーテンハンマー!」
その名の通り
その自分を超える強引な力技に耐え切れず締めが緩む隙を見逃さず、ヴィータが
「喰らいやがれぇ!」
「──く、まずったか」
炎の放出が止まらないまま、鉄槌が自分の腹部に激突する。
体が吹き飛ばされ地に堕ちる。なんとか着地で受け身を取れたが、肋骨にひきつるような痛みを感じる。
「一、二本持って行かれたか……。代わりに肘はヒビくらい入れてやったが……痛み分けか」
口に溜まった唾を吐き出したが、血で真っ赤に染まっていた。
アレだけ攻撃を食らったのだ、口だって切れるし、喉だって、内蔵だってやられるだろう。
体は痛むが、闘志は折れていない。
問題ない、戦える。
ヴィータがこちらに向けて地面スレスレを飛んで来るのを見て、ギアを入れ替える。
次々と振るわれるグラーフアイゼンを拳で弾き、いなし、避けていく。
奏でられるは、拳と鉄槌の凶悪な二重奏。
音は絶え間なく続き、その激しさを増していく。
無限に続くかと思われたその曲も、ヴィータの変則的に放たれた誘導弾により終わりを迎える。
命中と同時に火炎を放った弾丸は自分を怯ませ、数歩後ろへと下がらせた。
(──此処ッ!)
「カートリッジロード!」
グラーフ・アイゼンが激しい機械音を奏で、三つの薬莢を輩出した。
感じる魔力の胎動は先ほどのラケーテン以上。通常の一つのカートリッジでなく、三つのカートリッジによるさらなる魔力を注ぎ込んだ、最大の一撃。
ならば、此方も放つは此の身における、最強を。
「我が八極に二の打ち要らず!」
紡ぐは、その一撃がその名を冠するに至った、伝承の一節。『魔拳』の恐怖を世に知らしめた、その言葉。
「ラケーテンハンマー!」
鉄槌の排出部分が激しい炎を噴出し、爆発的な勢いを得て加速する。先端のドリル部分が、全てを破壊するべく回り出す。
恐怖はすでに捨てた。
此の身に残るのは、ある一つの目的に対する怨讐のみ。
ならば、もう感情も人並みの幸福も必要ない。
唯、唯、武をひたすらに極めよう。
「
凡百の戦士であれば一撃で三度殺せる程の一撃。
其れが、『魔拳』の
まず感じたのは鉄槌のドリル部分に拳を削られる拷問のような痛み。拳の骨が砕ける。折れた骨が皮膚を突き破り、血にまみれた白い骨と裂けた肉が傷口から覗いた。
「と、おれぇぇぇぇ!」
そして、その拳の痛みで脳が染め上げられるなかで、次に感じたのは確かに
无二打の威力が鉄槌からヴィータまで
その名の通り二発目の要らぬ攻撃が減衰することなく鉄槌を伝って、ヴィータの体を流れ、逃げ場のなくなった肩で爆発した。
「肩、が……?!鎧通しの原理、か……?」
古代ベルカ、『聖王女』『覇王』『鉄腕』『雷帝』『冥王』『騎士王』『魔女』『無銘』『剣』、そして『魔拳』の生きた地獄の時代。
右を見ても左を見ても才能の塊であり得ない魔力を持つ相手と渡り合うには、『魔拳』には
それは、魔力でもあったし、技術の事でもあった。
威力では覇王には敵わず、技術では鉄腕には劣り、魔力では魔女と比べるまでもなく、才能では聖王女と並び立つのすら
鍛えても敵わぬ、そう気づいた時『魔拳』は求めるものを変えた。
正面から相手に打ち勝つのではなく、相手が気付くよりも早く決着を。その為に己の気配を消す技術を。
相手の堅い防御を突破する為に、防護服を突き抜ける為だけの技術を。
乏しい才能をかき集め、唯、一つの魔法を使う為だけの体へ。
つまるところ、无二打は並み居る化け物たちの防護服を突き抜けることのみを目的とした
「……此れで最後だ」
ヴィータは両手が潰れた。
右の肘はヒビが、左の方は砕けた。おそらく、身の丈以上の鉄槌を振るうのもあと一度が限界であろう。
かくいう自分は右拳が砕け、肋骨が一、二本イき、体は火傷だらけ。
長時間の戦闘には耐え切れない。
ヴィータ以上の死に体に鞭打ち、此れが最後だと言い聞かせる。
右拳が砕けたため今回は左手であるため不完全であるが、此れは正真正銘、『魔拳』の最後の切り札である。
「行くぞォ──ッ、紅の鉄騎ィ!」
「──ッ!てめ、何処でその名をッ!」
ヴィータが何か言ったようだったが、もはや自分の耳には入らない。
見きわめるは、三点。瞬時に放つその一撃、否三撃の為に見きわめる。
「
利き腕より把子拳、寸勁、頂肘を瞬時に繰り出す高速三連撃。
(やはり自分には荷が勝ちすぎるな……)
ぶちぶちと筋繊維が引きちぎれていく、足で踏み込む度に悲鳴をあげる。
出し惜しみをしていたわけではない。
ただ、体が耐え切れないというだけ。魔力が『魔拳』より低い自分では身体強化の度合いが僅かに足りないのだ。
「アイゼン──!」
『ja』
グラーフ・アイゼンが魔力の光を浴び、ヴィータが砕ける寸前の肘で振るう。
「くらええぇぇッ!」
「はぁ────ッ!」
一撃目、把子拳。
鉄槌に弾かれる。
二撃目、寸勁。
鉄槌とぶつかり、弾き飛ばす。
ヴィータが遠くに転がっていくグラーフ・アイゼンをみて、闘志の消えぬ瞳をこちらに向けた。
「今日の所は、アタシの負けだ」
「この勝利を、
三撃目、頂肘がヴィータに炸裂した。
◆◇◆◇◆◇
「あ、シャマル?今仕事?」
「あ、違う?ミウラの祝勝会の料理中?」
「今すぐ料理をやめてこっち来てくれへん?」
「え?いや、別にシャマルの料理食べたくないわけやないんやで?元気になるし、
「ちょーっと怪我人がおってなぁ、二人ほどお願いできへん?」
此れまでの研鑽が正しかったと、
『英雄』にすら届きうると、少年は知る。