「美波、入るよ」
『……うん』
明久は病室のドアをノックすると、少しして返事が返ってきたので入室した。
見舞いの花と、毎回持ってきているフルーツを枕元の台に置く。
今回持ってきたフルーツはリンゴである。
明久は持参したフルーツナイフでリンゴを剥きつつ、彼を見ようとせず顔を背ける美波へと話し掛ける。
「最近、抜き打ちテストがあったんだけどさ。散々な結果だったよ」
「…………」
明久は美波が入院してから、こうしてほぼ毎日のように顔を出している。
彼女が傷付いた顔を見られたくないと涙したあの日、明久は何となく『これから先彼女の見舞いに行かなければ、何か大切なモノを失う』、そんな思いを抱いた。
それ故明久は敢えて、何度拒絶されようとも顔だけは出しに行った。
「ホント、鉄人って厳しいよね。一所懸命に回答したのにさ、容赦なく減点するんだもん。おまけで1点くらいくれても良いのにね」
「……そうね」
器用に皮を剥きながら明久が話し掛けてゆくが、美波は素っ気ない返事しかしない。
その顔は一体どんな表情をしているのか、顔を背けられている明久には分からない。
だが、これでも少しは進展したのだ。
最初辺りは病室前で入って良いかと聞いただけで泣かれ、帰ってと言われていたのだ。
それが今では、入室を許されるまでにはなった。
単に諦められた、という可能性も捨てきれないが。
だから、明久はめげずに話し掛け続けた。
「あ、そう言えばさ──」
「……ねぇ、アキ」
「──ん?」
話題を変えようとした所で、美波から話し掛けてきた。
入院してからは、珍しいことである。
「……未確認って、いつか居なくなるのかな?」
「…………」
その問い掛けは、明久には咄嗟に答えることが出来なかった。
「……どうやったら、居なくなるのかな」
「それは……きっと、4号が倒してくれるよ」
気の利いた返しが出来ないなと思いながらも、それだけ言った。
明久のその言葉を聞くと、美波はこの日初めて目を合わせてきた。
「──あの“化け物”が?」
その瞳は──虚ろ。
「っ──」
針でチクリと刺されたように、痛む心。
だが、仕方のないことである。
彼女にとって未確認とは、等しく憎い存在である。
人間に味方していることは重要ではない、“化け物”かどうかだ。
仮に4号が全ての未確認を倒したとしても、彼女にとって残った4号も同じ未確認なのだ。
最終的に4号も死ななければ、彼女が安心して過ごすことは出来ないであろう。
……問題は、4号が明久だということだけである。
「──大丈夫、きっと未確認は居なくなるよ」
それでも明久は、言葉を続けた。
困ったように眉をハの字にしながら、笑みを作って。
「…………」
しかし、美波がそれに対し何か反応を返すことはなかった。
そのまま互いに無言でいて、数分が過ぎた。
明久がリンゴを剥く音だけが病室で鳴り続ける。
何となく気まずい空気をかき消すように、明久が努めて明るく振る舞いながら、切り終えたリンゴを差し出した。
「はい、出来たよ美波」
「……ウサギ」
皿に乗せられた、真っ赤な皮をウサギの耳に似せて切られたリンゴ。
彼女は一つ摘まむと、少しだけ頬を緩めてから頬張った。
咀嚼したものを飲み込むと、美波はかじりかけのリンゴを眺めながら、ポツリと呟く。
「……アキ」
「ん?」
「……ありがと」
「……うん」
その後、後片付けを済ませてから明久は病室を出た。
またね、という挨拶を置いて。
美波は、小さく……よく見なければ分からないほど小さく、笑みを浮かべて見送った。
△▼△▼△▼△▼
──某廃墟
そこでは、特徴的な服装をした、荒々しい雰囲気を持つ男女がたむろしていた。
全員、身体のどこかに何かしらをモチーフにした入れ墨が入っている。
その中で、一人のライダースーツを着た痩せ型の男が、バラの入れ墨が入った女──バルバに話し掛けていた。
男はモジャリと爆発した頭髪を掻き払い、茶色のマフラーを揺らしながら言う。
「ヅギパ・ザセグ・ジャスンザ?」
その男の言葉に、バルバは挑発的な笑みを浮かべて返す。
「ゴラゲグ・ジャシダギン・ザソグ?」
しかしその男は、バルバの挑発的な笑みを受けても、余裕を持って切り返した。
「ズ……ゴセパ・ギヅゼロ・ギギゼ」
そして、ニヤリと口を歪めて、言う。
「ゲギボグ・ガゲス・バサバ」
「ダギギダ・ジギン・ザ」
バルバは肩をすくめると、その男に近付き腹部に手を伸ばした。
男はそれに答えるように、身体を戦闘用のものに作り替えていった。
すぐに変化は終わり、男の身体は黄土色の肌をした、どこかバッタを思わせる風貌へと変わった。
男だった怪物の腹部にある赤銅色のバックルに、バルバは鉤爪のような何かを差し込む。
そして、言った。
「バサダ・ヅギン・ムセギジャジャパ・ゴラゲザ・バヅー」
「ギギザソグ」
カチャリ、と回される鉤爪のようなもの。
それはまるで、何かの鍵を開けたようであった。
男だった怪物は、人間体であった時のように髪を掻き上げる動作をすると、宣言するように声を張り上げた。
「ヅギン・ムセギジャジャパ・キョグギン・ジャンママ・ズ・バヅー・バザ!」
△▼△▼△▼△▼
次の日、早朝。
「はっ、はっ、はっ、はっ」
明久は自宅周辺でランニングしていた。
もちろん、基礎体力を作る為である。
元々体力はある方であったが、それでも未確認と戦うには現状では足りないと痛感したのだ。
今では、朝と夜に格闘技の型の素振りとランニングをすることが日課になっている。
「はぁ、ふぅ……こんな、所かな……はぁ……」
息を切らせながら、アパートの自宅へと帰宅する。
それから支払い滞納のせいで水しか出ないシャワーを浴びて、汗を落とす。
「冷たい……これからはゲームはやめて、ちゃんと支払いに回そう」
皮肉かな、明久は未確認との闘いに備えての意識改善によって、少しずつだが自堕落な生活から脱却しつつあった。
さて、シャワーを浴びた後は登校する準備に取り掛かる。
未確認の出没に備えてトライチェイサーで登校したい所であるが、まだ運転免許を所得しておらず、加えて警察側からは未確認出没時以外での使用を固く禁じられているので止めておいた。
ついでに、学校側からのバイク通学も許可されていない。
というより、まだバイク通学許可の申請をしていない。
その為、近い内に申請しておかなければならない。
通学の用意が済んだ所で、明久はすぐさま家を出た。
道中、免許所得試験の予習をしながら通学する。
明日の夕方から、遂に教習所でのバイクの講習が始まる。
一発で受かる為にも、事前の予習は必要である。
明久は、以前の自分なら予習や早起きなど有り得ないなと思い、自嘲気味に鼻を鳴らす。
だがその思考もすぐに隅に追いやり、手に持つ教本に視線を落とす。
そしてまた教本を読みつつ、歩き出した。
△▼△▼△▼△▼
──試験召喚戦争、というものがある。
それを簡単に説明すると、デフォルメされた自分自身を召喚し、戦わせるというものだ。
ルールは、各々のクラスのクラス長を代表とし、相手クラスの代表を落とせた方の勝ち……これが基本になる。
他にも細かい規定はあるが、普通に戦闘している分にはあまり関係のないことだ。
試験召喚戦争とは、明久の通う文月学園の最大の特色である。
その特色が、本日行われていた。
試験召喚戦争を起こしたのは、学力上位のBクラス。
そしてそのBクラスからの宣戦布告を叩きつけられたのは、明久の所属するFクラスだ。
成績底辺のFクラスと成績上位のBクラスでは、全く勝負にならない。
そしてBクラスが勝ったとしても、勝者に与えられる権利はクラス設備の交換のみ。
元から十分以上に良い設備から、わざわざちゃぶ台と腐りかけの畳に取り換えるなど意味がない。
つまり、BクラスがFクラスに戦争を仕掛けるメリットは全く以てないということだ。
にもかかわらず戦争を仕掛けたのには、理由がある。
その理由を一言で説明するとすれば、報復、であろうか。
実は以前、Fクラスはより良い設備を手に入れるという名目で、様々なクラスに試験召喚戦争を仕掛けていた。
Bクラスへも然り、である。
ただ、Fクラスがまともにやり合って勝てるはずはないのだが、当時は姫路 瑞希がいた。
彼女は本来学年次席レベルの学力を有しているのだが、クラス振り分け試験当日に高熱を出し、途中退席で零点扱いになり、底辺のFクラス所属となってしまったのだ。
つまりはダークホース。
Fクラスは底辺クラスでありながら、学年次席という強力無比な戦力を駆使し、二番目に強いBクラスをも討ち破ったのだ。
だがそれも以前の話。
現在、瑞希は未確認への恐怖から不登校となっている。
Bクラスは彼女が不在の隙を突いて報復活動に出た、ということだ。
明久を始めとしたFクラスのメンバーは、ルール上戦争の拒否は出来ない為、勝てないと分かっていながらも応戦するしかなかった。
既に戦争開始から数時間が経っているが、未だに勝敗が決していないのは一重に彼らの戦闘経験の豊富さによる所が大きいだろう。
だが、所詮それも付け焼き刃。
いくら戦い方が上手いと言っても、圧倒的なまでに開いた地の戦力差を覆すほどではない。
精々が時間稼ぎにしかならないであろう。
1人、また1人とやられてゆくFクラスメンバー。
そんな中、明久は苦い顔をしながら複数人を相手取っていた。
「く……またやられたか」
『よそ見は厳禁だぜ!』
「おっと。危ないね」
『くそっ、吉井のくせに、ちょこまか避けやがって!』
「簡単にはやられないよ。隙あり!」
『しまっ!? やられた!』
一瞬の隙を突き、相手召喚獣を叩き伏せる、明久の召喚獣。
基本的にFクラスメンバーが戦っても時間稼ぎにしかならないが、こと明久に限っては違った。
彼は召喚獣を使った雑用を常日頃から教師に頼まれていた為、他の生徒と比べて圧倒的に召喚獣の操作が上手いのだ。
召喚獣の操作というものは、実はとても難しい。
並みの生徒ならば、単に移動して武器を振るうだけで精一杯なのだ。
そんな中、明久だけが複雑な動きを可能とし、アクロバティックで変則的な動きを駆使して戦闘力の差と数の差を覆す事が出来る。
『このぉ!』
「動きが素直過ぎるよ!」
『キャア!?』
『攻撃してる今なら……!』
「残念、当たらないよ」
『んなっ……すばしっこ過ぎるだろ!?』
明久の基本戦術はヒット&アウェイ。
素早い身のこなしで攻撃を避け、確実に……可能なら急所に一撃当てる。
防御力と攻撃力がとても低い明久の召喚獣が得意とする……というより、そうせざるを得ない為に習得した戦い方だ。
明久が戦っている区域に関してだけ言えば、善戦していると言って良いだろう。
しかし、これは個人戦ではなく団体戦。
代表が討ち取られればそれで終わりだ。
明久は頑張ったが、残念ながら一人で戦況を動かすこと叶わず、先に代表である雄二を討ち取られてしまった。
かくして、FクラスはBクラスの報復活動に屈することとなった。
試験召喚戦争が終わり、戦後。
Bクラス代表の男子生徒、根本 恭二がFクラスへと足を運んでいた。
彼の顔には、ニタニタとした粘着質な嘲笑が浮かんでいる。
対して、雄二や明久などのFクラスメンバーは悔しそうに歯を喰い縛っている。
雄二は根本の癇に障る笑みに苛立ちを込めて睨むと、彼はおどけるように肩をすくめて言った。
「おお怖い。そう睨まないでくれよ。お前らが負けたのは、弱くて頭が足りなかったからだぜ? 俺らBクラスが悪いみたいに思われちゃ困るなぁ」
「根本、てめぇ……」
「何だよ坂本。姫路がいないと何にも出来ないポンコツ指揮官が文句を言えるとでも思ってるのか?」
「……チッ」
雄二は目を釣り上げつつも、具体的な文句を上げることなく顔を反らした。
「へっ、前は散々やってくれたからな。意趣返しが出来て気分が良いぜ」
根本は心底楽しそうに嗤いながら言う。
ひとしきり嗤った後、彼は雄二達に指を突きつけ、
「じゃあ、ルールに則ってFクラスの設備をランクダウンさせて貰うぜ。テメーらクズ野郎どもにはミカン箱の机とゴザの座布団がお似合いだ」
と言い放った。
勝ったクラスには負けたクラスの設備を入れ換える権利が与えられるが、入れ換えなかった場合はどうなるか。
その場合、負けたクラスへのペナルティという形で、設備のランクダウンとなる。
Fクラスの場合だと、元からちゃぶ台に腐った畳という酷い設備が更に酷くなり、ちゃぶ台はミカン箱に、腐った畳はゴザに変更となる。
そう、根本は以前負けた意趣返しの為に、それ以外メリットのない試験召喚戦争を仕掛けたのだ。
再び嗤い始めた根本を、明久は顔をしかめながら見つつ、呟く。
「……趣味が悪いね」
「全くじゃのう」
明久の独白に同調する形で秀吉が相づちを打つ。
秀吉の顔からも、不快感が見てとれた。
「ははっ! こりゃ本当に気分が良いぜ! また今度戦争仕掛けて設備を下げてやろうかな?」
「調子乗りやがってこの野郎……!」
「んー? 負け犬の遠吠えが聞こえるなぁ」
「んだとッ──」
「雄二、暴力はいかんのじゃ」
根本がこれでもかと雄二を挑発すると、十分に屈辱を感じていた雄二が拳を振り上げた。
しかし、それはFクラスにとって悪い結果しか招かない為、秀吉が止める。
止められたことで少し頭が冷えたのか、秀吉に小さく謝ると拳を降ろし、睨むだけに留めた。
根本はと言うと、雄二が暴力に訴えようとしたことに驚いたのか、軽く顔を引き吊らせている。
しかしそれもすぐに引っ込め、再び嘲る姿勢に入った。
「ふ、ふん。坂本が暴力を振るった後のことも考えられないような馬鹿だったとはな。流石の俺も予想外だぜ」
「……ふん」
雄二自身、とっさに暴力を振るおうとしたことに思う所があるのか、言い返すことはしなかった。
それが根本には愉快に映ったのだろう。
すぐにまた上機嫌になり、煽りはエスカレートして行った。
ここぞとばかりにFクラスを馬鹿にする根本。
その顔は高揚し、愉悦の絶頂と言った様子だ。
やがて根本の標的はショックによる不登校の瑞希、そして入院中の美波にまで移った。
「姫路は未確認に襲われて不登校、島田は入院してるんだってな? ははっ! 姫路は当然だが、島田も一部の教科は強いからなぁ。あいつらが居ないお陰で都合が良いぜ! 次も簡単に勝てるだろうからなぁ!」
──そして遂に、根本は越えてはいけない一線を越えてしまった。
「──どうせなら、もう戻って来なくても良いのにな!」
「──ッ!!」
その発言は当然Fクラスメンバー……そして、明久の怒りを買った。
明久は根本の言った言葉を理解したとたん、鬼のような恐ろしい表情を浮かべ、ずんずんと近寄って行く。
あわや暴動かと秀吉が慌てて止めようとするが、明久のあまりの剣幕に思わず身をすくめてしまった。
そして雄二の横を通りすぎ、根本の眼前へと歩を進めた。
根本は突然前に出てきた明久に向けて、怪訝な表情を浮かべる。
「ん? 何だ吉井。……ははーん、さてはお前キレた──」
そこまで言った根本の襟首を、明久は思いきり掴み上げた。
「ぐあっ!?」
「明久!?」
戦士クウガへとなった影響か、はたまた筋力トレーニングの成果が良く出たのか、根本の身体は軽々と宙に浮いた。
その明久の突然の暴挙に、雄二達は驚きの声を上げる。
だが当の明久は、それを無視して根本に言う。
「……謝って」
「は、はぁ!?」
「美波と姫路さんに謝れ!!」
「ひっ──!?」
学校中に響くのでは、というほどに張り詰めた大声で叫んだ明久。
その表情は、憤怒に染まっている。
初めて明久の凄まじい形相を視界に捉えた根本は、豹変した彼の雰囲気に呑まれ、思わず悲鳴を挙げてしまった。
明久が言葉を続ける。
「美波と姫路さんがどれだけ怖い思いをしたか知ってるの!? 目の前で人が殺されてて! 自分が殺されそうになって! 運良く生きてても、美波は顔に大怪我を負ったんだよ!? 女の子なのに!! それがどれだけ怖かったか、どれだけ辛いか、少し考えたら分かるでしょ!!」
怒濤の勢いで紡がれる言葉に、根本は怯みながらもどうにか言葉を返すことが出来た。
だが、その口から出たのは反省でも謝罪でもなく、捻れ曲がった根性と、格下と認識している人間に言い負かされたくないというプライドから来る嫌味だった。
「へっ、俺が知るかよ! 何で優等生の俺が不登校の不良生徒と成績底辺の女を気に掛けなきゃならないんだ。別に来なくても良いだろ。ゴミが学校に来ても汚れるだけなんだからさぁ!」
明久は我慢した。
雄二がクラスの為に暴力を振るわなかった為、自分も暴力を振るってはならないと。
だが、それも無意味なこととなってしまった。
自分の言葉が分かって貰えないことに、そして瑞希と美波をゴミと言われたことに……明久はついに我慢の限界を迎えた。
「何で──何で人の気持ちが分からないんだぁ!!」
「うわっ、やめ──」
拳を固く握り、腕を振り上げ、限界まで引き絞る。
──今まさに明久は、未確認と戦う為の拳を、人に向けようとしていた。
周囲の焦りが含まれた制止の声が、妙にゆっくりと、遠くに聞こえる。
だがそれも間に合いそうにない。
そして──
感想、誤字脱字報告受け付けております。