妖世界の半人半妖   作:九戸政景

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政実「どうも、片倉政実です」
龍己「どうも、稲荷龍己です」
政実「ふぅ……江戸っ子口調って、難しいね……」
龍己「まあ、そうだろうな。というか、慣れない事をするからそうなるんだろ?」
政実「まあね。でもそのお陰で色々な事が知れたから、良かったとは思ってるよ」
龍己「それなら良いけどな」
政実「尚、この作品内では日本銀行金融研究所貨幣博物館の資料に基づき一文=32.5円としています。そしてこの作品内での瓦版屋などの描写については下調べはしていますが、所々作者の想像で補った描写が含まれています。その点については予め御了承下さい」
龍己「まあ確かにそれらの注釈は必要だな。さて、そろそろ始めてくか」
政実「うん」
政実・龍己「それでは第2話をどうぞ」


第2話 妖怪街を巡る狐と鼬

「……ん」

微かに聞こえてくる鳥のようなモノの声を聞きつつ、俺は静かに目を開けた。

この明るい感じ……つまり、今は……。

「……朝か」

布団からゆっくり起き上がり、俺は部屋の中を見回した。

えっと、ここは……。

その瞬間、俺は昨日あった出来事を全て思い出した。

「あ、そうだった……俺は昨日からここにお世話になってるんだった……」

ここ――狐雨福屋はこの妖達が住む世界に存在する呉服屋で、俺はこの狐雨福屋で表向きは住み込みの小僧見習い、その実は客人兼住人として過ごす事にしたんだったな。

そこまで思い出した時、俺は現在の自分の記憶力に少しだけ不安を覚えた。

危ない危ない……寝起きだったせいか、一瞬自分の事を忘れそうになってた。

これからはこれが普通になるんだから、少しずつでも慣れていかないとな。

「……よし、少し外でも歩いてみるか」

少し歩いてみれば目も覚めるかもしれないし、気分だって変わるかもしれないな。

自分の考えに頷いた後、俺は布団の横に畳んで置いていた青い着流しに着替え、離れの縁側に置いてある草履に足を通した。

そして、店の外まで歩いていこうとしたその時、ある事を思い出し立ち止まった。

「……っと、そうだった。ここは妖怪達が住む世界だから、人間の姿のままよりはこっちにしとくか」

俺はすぐに丹田の辺りに力を入れ、半人半妖としての姿になった。

……うん、やっぱりまだこの耳と尻尾は慣れないな。

「まあ……その内慣れるか」

これからはこの姿だって俺なんだし、自然に慣れてくだろうしな。

そう思い気持ちを切り替えた後、俺は再び店の外の方へと向かった。すると、近くから穏やかな声がした。

「おや……早起きですね、龍己君」

「あ、おはようございます、龍三郎さん」

そこにいたのは、この店――狐雨福屋の主で妖狐の龍三郎さんだった。龍三郎さんはニッコリと微笑むと、ゆっくりとこちらへ歩いてきながら静かに声を掛けてきた。

「昨夜はよく眠れましたか?」

「はい。ただ……まだこの環境に慣れてないせいか、ちょっと早く目が覚めてしまって……

それで目覚ましと気分転換を兼ねて、少しだけ外を歩いてみようかなと思ったんです」

「なるほど。それでしたら、少し待ってみてください。そろそろアレが鳴る頃ですから」

「アレ、ですか?」

アレ、って何だろう……?

首を傾げながら龍三郎さんに訊いた瞬間、近くから大きな鐘の音が聴こえてきた。

「これは……鐘の音?」

「はい。これは時の鐘といって、一刻毎(いっこくごと)に鐘を鳴らす事で、我々に時間を教えてくれているのです。

そして、今は……ちょうど明け六ツですね」

「そうなんですね。

それで……ちょっと待った方が良いのは、これのためなんですか?」

「それもありますが、後はですね……」

龍三郎さんが何かを言いかけた時、通りの方から様々な声が聞こえ始めた。

ん……何だか通りの方が騒がしくなってきたな。

俺がその声に耳を澄ませていると、龍三郎さんはクスクスと笑いながら話し掛けてきた。

「ふふ、どうやら街の人達も起き出してきたようですね。

さて龍己君、我々も早速通りへ出てみましょうか」

「あ、はい」

返事をした後、俺は龍三郎さんと一緒に、木戸を通って通りの方へと出てみた。

するとそこには、昨日見た時よりも多い妖達の姿があった。

「これは、スゴい数ですね……」

「ふふ、この街――『妖街(あやかしがい)不忍(しのばず)』には様々な妖達が住んでいますから。

それに、お祭りの際には更に色々な妖達が各地から参加しに来ますから、もっと賑わいますよ」

「そうなんですね……」

何だかだいぶスケールの大きい話だけど、一度見てみたいなそのお祭りの光景、そして各地から集まったさまざまな妖怪達の姿を。

不忍の住人達を見ながらそんな事を考えていると、近くからとても元気な声が聞こえてきた。

「読売っ、読売だよー! 河童の 青悟(しょうご)親分が向こうの 蟒蛇屋(うわばみや)で大食いならぬ酒の大呑みに挑戦だ!

そして、その結果が気になるってぇ奴は、この読売を読んでおくれーっ!!」

声の方にいたのは、首から何枚もの板のような物を乗せた大きめの板を掛けた編み傘を被った人の形をした妖、そしてその妖の肩に二本足で乗りながら声を張り上げている小さな鼬のような妖――鎌鼬の二匹だった。

もしかして、あれは……

「あれって……瓦版屋ですか?」

「ええ、その通りです。

彼らは毎日、この時間とお昼と夕方になると、あのような形で読売を売っているんですよ」

「そうなんですね」

それにしても瓦版屋か……この街の様子からも何となく分かるけど、この世界って人間世界の江戸時代を思わせるような世界だよなぁ……

そんな事を感じつつ龍三郎さんと話している間にも、瓦版屋のコンビはどんどん読売を売り上げていった。

そして、その様子を見ると、龍三郎さんが穏やかに微笑みながら俺に話し掛けてきた。

「さて、それでは私達も行きましょうか」

「はい」

コクンと頷きながら答えた後、俺達は瓦版屋コンビへと近付いた。

すると、瓦版屋コンビの鎌鼬の方が俺達の姿に気付き、顔をぱあっと輝かせながら龍三郎さんに声を掛けた。

「おはようさんです、龍三郎の旦那!

本日もおてんとさんの機嫌が良いみてぇで、読売もそこらの鳥公達みてぇにどんどん飛ぶように売れてますよ!」

「ふふ、それは良かったです。

いつも楽しみにさせて頂いてるので、自分の事のように嬉しいですよ」

「へへっ、不忍でも名高ぇ狐雨福屋の主、龍三郎の旦那にそう言ってもらえて、俺達も嬉しいですよ!」

鎌鼬は、心の底から嬉しそうな表情を浮かべた後、俺の存在に気付くと、目を丸くしながら興味深そうに声を上げた。

「……おや? そちらさんは、お初にお目にかかりやすねぇ……?」

「ええ、そうだと思います。

彼は狐雨福屋の新しい小僧見習いでして、名前は鈴蘭といいます」

「ほうほう、鈴蘭ったぁ中々綺麗な名前ですねぃ。

もしや、どこかのお家の出とかなんですかぃ?」

「ふふ、まあ、そんなところです。

……さあ、鈴蘭さん。君も彼らに自己紹介をしてください」

龍三郎さんが俺の方を見ながら、ニコッと笑いつつそう言った。

鈴蘭……っと、鈴蘭は俺だったな。

心の中で苦笑いを浮かべた後、俺は龍三郎さんに返事をした。

「はい、旦那様。

初めまして、鈴蘭と申します。この不忍の街には昨日来たばかりなため、まだまだ分からない事ばかりですので、色々お教え頂けたらありがたいです。

これからどうぞよろしくお願いいたします」

「これはこれはどうもご丁寧に。

俺は 風之助(かざのすけ)、見ての通り鎌鼬でさぁ。

そいでこっちが 草吉(そうきち)と言いやして、今はこの網傘で隠れてやすが、中身は旦那方と同じ妖狐でさぁ」

風之助さんがそう言葉を締め括ると、風之助さん達は共にペコリと頭を下げた。

鎌鼬の風之助さんに妖狐の草吉さんか……ん、そういえば……

「もしかして、草吉さんは無口な方なのですか?」

「いやぁ、実はそうでしてね。

こいつぁ必要な事やちょっと気乗りした時以外は、あまり喋ろうとしねぇタチなもんで、逆に口から生まれたなんてぇ言われてる俺が組んで、こうして読売を売ってるって訳なんです」

「なるほど……」

風之助さんの説明を聞き、俺は静かに納得した。

瓦版屋は元々二人組だったって聞いたことあるから、あまり違和感は覚えないし、寡黙(かもく)と話し上手のコンビなんてスゴくピッタリだよな。

俺がそんな事を考えていると、龍三郎さんが思い出したように声を上げつつ、財布を懐から取り出した。

「……っと、忘れるところでした。

風之助さん、私にも読売を頂けますか? 代金はこちらですので」

「勿論でさぁ! それじゃ代金を頂いて……っと、それでこちらが今朝の読売です、龍三郎の旦那!」

「ありがとうございます、風之助さん。

それではそろそろ戻りましょうか、鈴蘭君」

「はい、旦那様」

風之助さんと草吉さんに別れを告げた後、俺と龍三郎さんは店の方へと歩き始めた。

そして、少し歩いたところで、俺は小さく息をついた。

「……ふぅ、やっぱり畏まった言い方にはまだ慣れないですね」

「ふふ、そうかもしれませんね」

「はい。

でも、狐雨福屋にお世話になっているわけですから、今回のような時のために慣れておかないとですね」

「そうですね、苦労をお掛けしますが、よろしくお願い致します」

「わかりました」

そんな事を話しながら俺達が店まで戻ってくると、店の台所の方からとても美味しそうな匂いが漂ってきた。

う……朝の空きっ腹にこんな良い匂いを嗅がされると、腹の虫が煩くなりそうだな……

「おや、この匂いは……ほう、今日の朝御飯には焼き魚があるみたいですね」

そう一人ごちた後、龍三郎さんは俺の方を振り向いてから、優しく微笑みつつ声を掛けてきた。

「今日からの事について話し合おうと思いましたが、まずは朝御飯にしましょうか。

何をするにも腹ごしらえは必要ですからね」

「確かにそうですね。

実は……この匂いを嗅いだ時に、ちょっと腹の虫が鳴きそうだったんです……」

「ふふ、そうかなと思いましたよ。

さあ、朝御飯を食べに行きましょうか、龍己君」

「はい!」

大きな声で返事をした後、俺は龍三郎さんと一緒に店の中へと入っていった。

 

 

 

 

龍三郎さん達と一緒に朝食を済ませた後、俺と龍三郎さんはそのまま龍三郎さんの部屋に行き、今日からの行動についての話し合いを始めた。

「さて、今日からの事についてなのですが、龍己君にはまずこの街の事について知ってもらおうと思っています」

「この街について……ですか?」

「ええ。私達の仕事を手伝って頂く前に、この街がどういう街なのかなどを知ってもらう事が必要だと思いましてね。

この街には様々な方がいらっしゃいますし、この狐雨福屋にも様々なお客様がいらっしゃいます。

そのお客様の対応の際に初めて会うのと一度どこかでお会いした状態で会うのではだいぶ違いがありますからね」

「確かに……妖には色んな種類がいますからね。

さっきの瓦版屋コンビだけではなく、中には驚くような見た目の妖だっていますし」

「その通りです。

ですので、今日からしばらくの間は、この街について知る事と不忍などの街の方々の事を知る事が龍己君の仕事になります」

「この街について知る事、そして不忍などの街の妖達の事を知るのが仕事……」

俺は静かに龍三郎さんの言葉を繰り返した。

これがこの世界での俺の初仕事か……!

さてさて、どんな風にこの仕事をこなしていこうかな……!

これからの事についてワクワクしながら、自分の中でどの様にこの街などについて知っていけば良いのかなど、俺は頭の中であれこれと考えを巡らせた。

すると、俺のそんな様子を見て、龍三郎さんは微笑みながら静かに話し掛けてきた。

「ふふ、あまり深く考えなくても大丈夫ですよ。

龍己君が一番やり易いと思った方法でこの街について知っていけば大丈夫ですよ」

「俺がやりやすいと思った方法……か」

龍三郎さんのその言葉を聞き、ワクワクすると同時に入ってしまっていた肩の力が抜けた気がした。

……それもそうだ。たしかにこれは仕事の一環だけど、この世界の住人達は、言ってしまえばこれから過ごす上での大切な仲間なんだし、少しは気楽に構えてみるのも良いかもしれない。

「龍三郎さん……ありがとうございます」

「ふふ、どういたしまして」

俺達がそうやって笑いあっていた時、部屋の襖をコンコンとノックする音がした。

そして、戸がスーッと開くと、そこには手代の羅紗さんがいた。

「失礼いたします、旦那様」

「おや、羅紗。どうかしたのかい?」

「仕立屋の方へお客様がいらっしゃいまして、旦那様とお話したいとの事でしたので、お呼びに参りました」

「分かったよ、ありがとう。

今から行くから、お茶などの準備をお願いできるかい?」

「承知致しました。それでは失礼いたします」

羅紗さんは静かに答えながら恭しく礼をした後、襖を静かに閉めた。

そして、それを見届けると、龍三郎さんはニコリと笑いながら話し掛けてきた。

「それでは、龍己君。この街について色々な物を楽しみながら見てきて下さいね」

「わかりました。では、早速―」

そう言って俺が静かに立ち上がろうとしたその時、

「あ、それと……こちらを受け取ってください」

そう言いながら龍三郎さんは戸棚へと近付くと、何かを取り出した。

見てみると、それは綺麗な青色をした四角い財布であり、それには紐の付いた五円玉のような物が付いていた。

「これは……財布ですか?」

「はい。街を見て回る時にはお金が必要になることもありますから。

中には一応、5匁と40文が入っていますが、これはお支払するお給金とは別ですので、安心してくださいね」

「えっと……それはありがたいですけど、本当に良いんですか?」

「はい。貴方は覚えていませんが、碧葉がお世話になりましたから。

それに何も無しに街を見て回ってもらうのも申し訳無いですからね」

「龍三郎さん……本当にありがとうございます」

「いえいえ。それでは行きましょうか、龍己君」

「はい!」

元気良く返事をした後、俺と龍三郎さんは一緒に部屋を出た。

そして、龍三郎さんは接客のために仕立屋の方に行き、俺は呉服屋の裏口の方へと歩き始めた。

 

 

 

 

「……さてと、どうやって見て回ろうかな?」

呉服屋の裏口から外に出た後、どうやって見て回るかを決めていなかった事を思いだし、俺はそう独りごちた。

「今日からしばらくの間は……って言われたから、ゆっくりでも良いとは思うんだけど、早めに色々見ておいて地図みたいなのを作ってから、もう一回見て回るのも捨てがたい……」

さてさて、本当にどうしたもんかな……?

腕を組みながら考えていたその時、

「……おや? もしや、そこにいるのは鈴蘭の旦那ですかぃ?」

「……え?」

近くからそんな声が聞こえたため、声が聞こえた呉服屋の屋根の方へ視線を向けた。

すると、そこには屋根の上から俺の事を見ている風之助さんの姿があった。

屋根の上にいるなんて……流石は鎌鼬だな。

そんな事を思いつつ、俺は風之助さんに声を掛けた。

「風之助さん、そんなところで何をしているんですか?」

「もちろん、読売の記事になりそうなモノを探しているんでさぁ。読売の記事ってのは、新鮮さが命ですからね」

風之助さんは答えながら屋根から飛び立つと、そのまま俺の肩に着地した。

「鈴蘭の旦那こそ、こんなところでどうしたんです?」

「私は今度からここで働くことになっているので、今日はこの街を見て回ろうと思い、今から街の中を色々と巡ろうとしていた所なんです」

「なるほどねぇ……そういう事なら、俺と一緒に行きやすかぃ?

俺は記事になりそうなモノを探すために色々な場所を巡りやすから、少なからずこの街には中々詳しいですぜ?」

「それは助かりますけど、良いんですか?」

「もちろん。それに鈴蘭の旦那とも話をしてみたいと思ってたやしたから、俺としても好都合ってね」

「分かりました、それではよろしくお願いします」

「こちらこそ。それじゃあ行きやしょうか」

「はい」

静かに返事をした後、俺は風之助さんを肩に乗せたまま、住人達で賑わう不忍の街の中へと歩いて行った。

 

 

 

 

歩き始めてから数分後、俺達は一軒の店の前に立っていた。

店の看板には、筆で書かれた店名の他に、本の絵が描かれていた。

「まずここが書物屋の『虫本堂(ちゅうほんどう)』でさぁ!」

「虫本堂……もしかして、この名前は本の虫から採っているんですか?」

「その通りで。

ここの主が大の本好きで、自分の他にも本の虫を増やしたいと思って、この名前にしたとか」

「なるほど……」

風之助さんの解説に対して、俺は静かに答えたものの、実はかなりうずうずしていた。

本って聞いた瞬間にこうなるって事は、たぶん前の俺は本を読むのが好きだったんだろうな……

そんな事を思いつつ、虫本堂の看板を眺めていた時、風之助さんが苦笑いを浮かべながら声を掛けてきた。

「そんなに気になるってぇなら、ちっと寄ってみますかぃ?」

「は、はい! 是非!」

こうして俺と風之助さんは、書物屋の虫本堂の中へと入っていった。

 

 

 

 

虫本堂を出た後、再び街中を歩き始めた俺の手を見ながら風之助さんが小さく苦笑いを浮かべた。

「鈴蘭の旦那……ずいぶん買いやしたね……」

「あはは……本を見てたらついつい増えちゃって……」

苦笑いを浮かべながら答える俺の手には、本が詰まった風呂敷包みが二つ握られていた。

でも後悔はしていない、その分これから読むのが楽しみだからな。

手の中の風呂敷包みの中にある戦利品とも言える本達を見ながら、俺が再び静かにワクワクしていると、風之助さんが何かを思い出したような表情を浮かべながら声を掛けてきた。

「そういや……虫本堂の店主とも仲良くなってやしたね」

「はい。これからもここにはお世話になりそうです」

俺達がそんな事を話しながら歩いていると、辺りに時の鐘の音が鳴り響き、それを聞いた風之助さんが体を伸ばしながら声を掛けてきた。

「おや、もう昼九ツのようですねぇ。

そんじゃあ、そろそろ何か食べに行きやしょうか」

「そうですね……えっと、この辺りにはどの様なお店がありますか?」

「この辺りってぇと……不忍の中では一番と言われている蕎麦屋がありやすよ」

「それでは、そこに行ってみましょうか。

……ただ、混んでないと良いんですけど……」

俺が少し不安そうに言うと、風之助さんはクスリと笑いながら答えた。

「たぶん大丈夫だと思いやすけどね。

さてと……それじゃあ行きやしょうか」

「はい」

俺は風之助さんの案内に従い、不忍で一番の蕎麦屋へと向かって歩き始めた。

 

 

 

 

歩き始めてから十数分後、俺達は美味しそうな出汁の匂いなどが漂ってくる店の前に立っていた。

「着きやしたよ。ここが件の蕎麦屋、 『越野庵(こしのあん)』でさぁ!」

「越野庵……こしあん?」

店名を少しだけ略しながら言うと、風之助さんは小さく苦笑いを浮かべた。

「あー……やっぱりこの名前だとそう言いたくなりやすよねぇ。

因みにこの名前のせいか、ここが蕎麦屋って知らねぇお人達からは、名前だけで菓子司みてぇに思われることが多いらしいんでさぁ」

「あ、そうなんですね……」

「まあ、そんな事はさておいて……早速入りやしょうか、鈴蘭の旦那」

「あ、はい」

返事をした後、俺は風之助さんと一緒に越野庵の暖簾をくぐった。

すると、店内はかなりの人数のお客さんで賑わっており、お客さん達は楽しそうに話をしながら蕎麦に舌鼓を打っていた。

そして、その様子をボンヤリと見ていると、厨房にいた店主らしき妖が俺達の方へと顔を向けた。

「へい、いらっしゃい!

……って風之助じゃねぇか。おめぇ、仕事は良いのかぃ?」

「へっ、昼休憩ってやつだよ、昼休憩!

それに、今日は俺だけじゃなく新しいお客を連れてきたんだぜ?」

風之助さんの言葉に続けて、俺は店主に挨拶をした。

「初めまして、鈴蘭と申します」

「ほう、鈴蘭ったぁ中々綺麗な名前じゃねぇか。

もしや、どこかのお家の出かぃ?」

「……旦那、朝の俺と同じ事を言ってるぜ?」

「へっ、そうかぃ!

まあ、こんなに礼儀のなった奴ぁ、この辺じゃあまり見かけねぇから、そう思っちまってもしょうがねぇだろ?」

「へへっ、違いねぇや。さてと、空いてる席は……」

そう言いながら風之助さんは周囲を見回した。

そして、空いている席を見つけると、俺の顔を見ながら席がある方を指差した。

「おっ、あったあった。鈴蘭の旦那、こっちでさぁ!」

「あ、はい」

風之助さんが見つけてくれた席に座り、風呂敷包みを膝の上へと置くと、店主が二人分の水を置きながら声を掛けてきた。

「さぁて、おめぇらは何にするんだ?」

「そうですね……何かおすすめはありますか?」

「おすすめつったら全部だ、全部!

……まあ、そんなかでも一番頼まれるのはやっぱ盛りだな」

「それじゃあ盛りでお願いします」

「俺は盛りの極少だ、旦那」

「あいよ。ちょっとだけ待っとくれ!」

店主は大きく返事をした後、厨房へと戻っていった。

そして、それから数分後、盛りと盛りの極少が俺達の机に置かれた。

「盛りと盛りの極少、お待ちどう!」

「ありがとうございます。

それにしても……盛りの極少なんてあるんですね」

俺がそう言うと、風之助さんがそれに答えてくれた。

「あー……それは俺みたいなやつ専用でさぁ。

俺とかは普通の小ですら多いってんで、この特別な盛りが出来たんでさぁ」

「なるほど……」

風之助さんの答えを聞き、俺はこの不忍の住人達の仲間意識の高さみたいな物を感じた。

ふふ、色々考えられてるんだな……でもこれは、やっぱりこの街に住む仲間を思っての気遣いみたいなものなんだろう。

……まだ、この街に来て2日目だけど、何だかこの街に住める事が幸せな事な気がするな……

そんな小さな幸福感を噛み締めていると、風之助さんがニッと笑いながら声を掛けてきた。

「さて、鈴蘭の旦那。いただきやしょうか」

「そうですね。それでは――」

『いただきます』

声を揃えて言った後、俺と風之助さんは一緒に蕎麦を食べ始めた。

 

 

 

 

「さぁて、今日は色々巡りやしたねぇ……」

夕暮れ頃、俺の肩の上で風之助さんが体を伸ばしながらのんびりとした様子で話し掛けてきた。

腹ごしらえを済ませた後にも、俺達は様々な場所を巡っていたため、周りはもうだいぶ薄暗くなってきていた。

「そうですね。

……そういえば記事になるモノは見つかりましたか?」

俺が風之助さんにそう訊くと、風之助さんは楽しそうに笑いながら答えた。

「ああ、それなら草吉の奴がやってくれてるんで、問題はありやせんよ。

まあ、新しい街の仲間と話して楽しめた分、実は俺的にも大収穫なんですぜ?」

「ふふ、それなら良かったで――」

その時、俺は何かの臭いを感じ取った。

「……あれ? 何か臭いませんか?」

「こいつぁ……間違いねぇ、火事の臭いでさぁ!

こうしちゃいられねぇや、早く火事の場所へと行かねぇと!」

急いで飛び立とうする風之助さんの声を聞きつつ、俺は軽くストレッチをした。

そして準備が出来た後、臭いがする方を見ながら、風之助さんに声を掛けた。

「……風之助さん、少しだけ捕まっててもらって良いですか?」

「……え? 鈴蘭の旦那、いってぇ何を――」

「なぁに、少し揺れるだけですから!」

俺は風之助さんの言葉に被せながら言った後、火事の臭いがする場所へ向かって走りだした。

 

 

 

 

「……ここみたいですね」

「こいつぁ、思ってたよりも燃えてやすねぇ……!」

着いた所にあったのは一棟の納屋だった。

納屋を燃やしている火の勢いはかなり強く、近寄ることすら難しいものだった。

「これは火消しを待つしか――」

その時、俺の耳に何かが聞こえてきた。

「……風之助さん、何か聞こえませんか?」

「え? 俺には何にも……」

風之助さんは不思議そうに答えたが、俺の耳には変わらず何かが聞こえ続けていた。

「……いや、やっぱり聞こえる」

くっ……もっとだ! もっと聴力を高めて……!

必死になりながらその何かを聞き取った瞬間、その何かの正体がハッキリと分かった。

「これは……声だ! もしかしたらこの中に誰かが……!」

「な、何だって!? そいつぁ大変だ! 早く何とかしねぇと!」

焦る風之助さんの声を聞きつつ、俺は頭の中で考えを巡らせた。

何か……良い方法は……!

その時、俺の中にある考えが浮かんだ。

……だいぶ分の悪い掛けになるけど、今はこれしかない……!

俺は覚悟を決めた後、風之助さんに声を掛けた。

「風之助さん、この近くに川はありますか?」

「へ? 川ならすぐのとこにありやすが……?」

「ありがとうございます」

俺はお礼を言った後、火から少し遠いところに荷物を置き、懐からもう一枚の風呂敷を取りだした。

その様子を見て、風之助さんが不思議そうに訊いてきた。

「いったい何を……?」

「……前に何かで読んだ事があるんです。

水を被ってたり水を含んだ布で顔とかを覆っておくと、火事現場に飛び込んでも少しは持つ、と」

……といっても実際にはやったこと無いから、どのくらい持つかは分からない。

もしかしたら俺まで死ぬかもしれないな……

最悪の事態を想定しながら準備を進めていると、風之助さんが大きな声を上げた。

「そ、そんなの無茶でさぁ! いくらそんな方法があっても気休めにしか――」

「それでも。誰かが死にそうになっているのを、ただ指を咥えて見てるなんて出来ませんから」

「鈴蘭の旦那……」

風之助さんが心配そうな顔をしていたが、俺は静かに微笑みながら風之助さんに話し掛けた。

「大丈夫ですよ。絶対に戻ってきますから」

心配そうな風之助さんの視線を感じつつ、俺は納屋の近くに転がっていた桶を拾い、川へと急いで走った。

そして、桶に水を汲み、持っていた風呂敷にも水を含ませた後、俺は火事現場に戻ってきた。

すると、さっきまでいなかった筈の野次馬達が燃え盛る納屋を見ながら騒ぎ立てていた。

……まあ、流石に気付くよな、こんなに火も強いわけだし。

「さて……まずは水を被って、その次に水を含ませた風呂敷で口を覆ってと……よし、これで良いな」

これで準備は出来た。後はどうなるか……やってみなくちゃ分からないな。

俺は燃え盛る納屋を見詰めながら、再び覚悟を決めた。

「よし、行こう!」

そして、燃え盛る納屋の中へと勢い良く飛び込んだ。

 

 

 

 

「……(臭いとかはしないな。でもあまり広くは無いから、早く見つけられれば何とかなりそうだ)」

炎の熱と視界を遮ってくる煙に耐えながら中を探っていた時、前方に苦しそうな表情を浮かべながら倒れている少年の姿を見つけた。

「……!(いた!)」

俺はすぐに少年へと近付き、少年の様子を窺った。

「……!(息は……まだありそうだ。早く外へ連れ出さないと……!)」

そして、倒れている少年を抱き上げた後、俺は納屋の入り口へ向けて走った。

「……あ! 来た、鈴蘭の旦那だ!」

外に出た瞬間に、風之助さんの大きな声が聞こえた。

そして、周りの野次馬からの拍手の音を聞きつつ、俺は少年を静かに地面へと下ろした。

……何とかなったんだな、俺の力、でも……

そう思った瞬間、俺の意識は徐々に途切れ始め、体がグラリと揺れたかと思うと、俺の意識は完全に失われた。

 

 

 

 

「調子はどうです? 鈴蘭の旦那」

「お陰さまで。明日辺りにはまた出歩けそうです」

あの日から3日後の今日、俺は読んでいた本を閉じた後、目の前に座っている風之助さんに微笑みながら答えた。

さっきまで心配そうな顔をしていたけど、今の言葉を聞いて少しだけ顔が明るくなったみたいだ。因みに読んでいた本はあの時買った物の内の一冊だ。

あ、そうだ……

「そういえば読みましたよ、あの時の火事の読売。実際にあの火事を見ていない人にも伝わるような書き方でしたので、私はとても良いと思いましたよ」

「へへっ、そいつぁ良かった。あの時の事をどうにか伝えたいと思って必死だったもんで」

「ふふ、それに加えて私の事が一切書いてなかったのも助かりました」

俺が微笑みながら言うと、風之助さんは少しだけ不満そうに答えた。

「……本当はしっかりと書きたかったんですがね。

ただ……鈴蘭の旦那は、そういう事を書かれるのは苦手かなと思いやしてね」

「まあ、そうですね。あんな事をやっておいてアレですけど、目立つのは好きじゃないかもしれないです」

それに……俺はただ、あの少年を助けたいと思っただけだったしな。だから、そういう事で目立っても全然嬉しくない。

あ、そういえば……あの少年はどうなったのかな?

少年のその後が気になり、俺はその事について訊いてみる事にした。

「風之助さん、あの少年は大丈夫でしたか?」

「ええ、勿論でさぁ。俺の聞いたところでは火傷もだいぶ引いたみたいで、もうすっかり元気らしいですぜ?」

「それは良かった……」

少年の無事を知り、俺が心の底から安堵していると、風之助さんが何かを思い出したように声を上げた。

「あ、それとなんですがね?

あの火事はどうやら、あの子供が明かりをつけようとしたところ、誤って他の物に火が付いたことで起きたものだとか」

「なるほど……」

……やっぱりそういう事だったのか。火付けにしては被害者の数が少ない気がしたから、何となくそうかなとは思ってたけど。

俺がそんな事を考えていると、風之助さんが思い出したように訊いてきた。

「そういえば……あの後、狐雨福屋の旦那には何か言われたりはしやしたか?」

「……ええ、一人の命を助けられたのは凄いけど、これからはあまりこういうことはしないで欲しいと言われました」

「あー……龍三郎の旦那は、自分とこの奉公人を家族みてぇに思ってやすからねぇ……」

「そうですね。それに……あの時の龍三郎さんとお嬢さんの心配そうな顔を見た時、心の底から申し訳なくなりましたからね……

だから、これからはこういう事は出来る限り慎みますよ」

……まあ、それだけじゃなく、折角取り戻した命をむやみやたらに投げ出すのは、生き返らせてくれた龍三郎さん達に申し訳ないしな。

今もトクントクンと鼓動を打っている心臓の辺りに手を当てながらそんな事を考えていると、風之助さんが少し不思議そうに声を掛けてきた。

「……鈴蘭の旦那。一つだけ訊いても良いですかぃ?」

「はい、何ですか?」

「鈴蘭の旦那の耳と尻尾が無いのは、何故なんです?」

「……ああ、その事ですね」

俺は穏やかに微笑みながら風之助さんの言葉に答えた。

そう、俺は今、鈴蘭としての姿ではなく、稲荷龍己としての姿で風之助さんと会っているのだ。

そして、俺は真剣な表情を浮かべた後、静かに言葉を続けた。

「実は、私は……いや、やっぱり畏まった言い方じゃない方が良いかな?」

「んー……そこは、鈴蘭の旦那にお任せしやすよ」

「ん、分かった。さて風之助さん、実は……俺は妖は妖でも具体的には半人半妖なんだ」

「半人半妖……ですかぃ? そいつぁ一体何なんです?」

俺は再び微笑んだ後、風之助さんに半人半妖について、そしてなぜそうなったのかを話した。

話を終えると、風之助さんは興味深そうな様子を見せた。

「……なぁるほどねぇ、つまり……それが旦那の本当の姿ってわけだ」

「その通り。

……といっても、鈴蘭としての姿も今となっては本当の姿ではあるんだけどな」

「まあ、半人半妖ですからねぇ。

……にしても、どうして俺にそれを話してくれたんで?」

「んー……風之助さんには話しても問題無いかなと思って。

それに……友達に隠し事はあまりしたくないからさ」

俺がニッと笑いながら言うと、風之助さんは驚いた顔をした後に、大きな声で笑い始めた。

「あっはっは! まさか、旦那にそう言ってもらえるとはねぇ!」

「あの日、風之助さんが心配してくれたのは本当に嬉しかったし、一緒に街中を回ってた時は本当に楽しかったから、風之助さんとは末永く仲良くやっていけそうだと心の底から思ったしな」

「へへっ、そいつぁ俺もでさぁ!

あ、それと……さん付けはしなくて良いですぜ?

そう呼ばれっと何かむず痒くてしょうがねぇもんで」

「うん、分かったよ。それじゃあ改めて――」

俺はそう言いながら風之助に手を差し出した。

「これからよろしくな、風之助」

「こちらこそよろしく頼みやすぜ? 龍己の旦那」

風之助の小さな手と握手を交わしながら、俺は風之助に対して笑いかけた。

この新しい友人とのこれからは一日一日大事にしていこう。

まだ春の陽気が残り、桜の花びらがひらひらと舞い散る中で、俺はそう心に誓った。




政実「第2話いかがでしたでしょうか」
龍己「第2話目にして、もう一度命を奪われかけたんだが?」
政実「うん……その点については本当にごめん。風之助に正体をばらす方法を考えていたら、こんなことに……」
龍己「それに作中でも風之助が言ってるけど、あの方法は気休めにしかならないからな」
政実「色々調べてみたら一分くらいがリミットみたいだからね」
龍己「今回はまあ良いとするよ。責めたところで何も変わらないから」
政実「うん、ありがとう」
龍己「さてと、次はいつになりそうだ?」
政実「出来る限り一週間で上げたいと思ってるよ」
龍己「了解した。
そして最後に、この作品についての感想や意見、評価などもお待ちしています」
政実「さてと、それじゃあそろそろ締めよっか」
龍己「ああ」
政実・龍己「それではまた次回」
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