何度も、何度もミノフスキー粒子の濃度を確認する。
ヘルメットの狭い視界の中、スラスターの残光がモニターの一面に散っていく。
全身の熱が鳩尾のあたりに集中している。どくどくと脈動を繰り返す鼓動に促されるようにそのままスロットルを大きく開いた。
骨の芯から揺さぶっていくようなGが全身に纏いつく。こういう時は生身の体がひどく、重たい。
人間の体はどこまでも飛んでいこうとする巨人の枷となって機体を縛り付けていた。
フットペダルを幾度か踏み込み、傾こうとした針路を細かく調整する。脳裏に浮かび上がっては消えていく雑念が鬱陶しい。
まるで些細な煩わしさに囚われているような、そんな観念的な思考が頭の隅を捉えて離さない。
もしかしたらパイロットは機体の邪魔にしかなっていないんじゃないか、そんなことを一瞬真剣に思ってしまう。
この血肉を纏った体さえなければ何処までも遠くに飛んでいけるのに。
そう思わせるくらい加速が効いていた。宇宙空間では初速さえ与えてやれば全てが事足りる。MS-06FザクⅡが、思い描いていた軌道そのままに飛翔していく。
レーダーの感知域を広げ、頭の中で反芻する。障害はない。星の煌めきが心を掻き乱す。みんな宇宙の深淵に吸い込まれていったようだ。
暴れ回る呼吸音がやけに五月蠅い。馬鹿な思考と、自分自身に苛ついてスロットル把柄を軽く叩いた。何度も確認した速度計をもう一度だけ横目で見遣る。
Record Time 289.83。必要以上に消費している推進剤の残量。ゴールまでの残り距離―――――余計な考えだ。
省みるのは全ては終わってからでいい。
鋭く警告音が鳴る。モニターに障害物が映った。指定コース上に漂っている小さい瓦礫群。
機体と同程度の大きさのそれが、視界の隅、暗黒の虚空から現れる。
そう認識した矢先に自分の射撃成績と120mm弾の初速が頭にちらりと浮かんで消えた。
いけるかもしれない、という思いこそが思い違いである。
射撃はセンスだ。基本的射撃能力の話に限っては持てない者は持つ者を羨むしかない。
全ては一瞬の判断力だ。対象との距離を読み切ってトリガを引く決断をする力。それは瞬きほどの刹那だからこそ容易に伸ばしようがない分野でもある。
努力や研鑽などといった言葉の誤魔化しでは追いつけない向こうに天性の素養というものがある。そして俺にはその素養がないことをここ最近痛感させられていた。
この状況は俺には無理だ。距離が近すぎる。それに太陽を正面にした射撃は分が悪い。
迂回すると決めた。
フットペダルを踵で大きく蹴り付け、ディスプレイに表示された第二次迂回コースへと操縦桿を動かした。
上昇に転じた機体に一層の負荷がかかる。重水素とヘリウム3を燃料として消費した熱核融合炉が一層低い唸り声を上げる。唇を噛みしめ、振動を伝える操縦桿を強く握り締めた。
接近する小惑星がモニターに映る。心臓が跳ねた。あともう少しでそれが脚部と接触するかどうか、といった所をギリギリで回避していく。
避けきれない細やかな瓦礫が機体に衝突する音が断続的に響く。これが正しい。出来る限り近づいて回避するのが教本で教えられる理想の機動だ。
ザクの足元の光景をモノアイがしっかりと捉えていた。反射的にその行く末を見遣る。銀粉をまき散らしたような星々の向こうに暗礁宙域が加速して通り過ぎっていった。下へ。下へ。
地上より宇宙の方が自由が効く。単純に移動の選択肢が多くなるのは有り難い。
――――いつからだろう。宙域戦闘シミュレーションが多くなったのは。
第2次降下作戦が展開された頃か。それとも連邦がモビルスーツの開発をしているって噂になった頃か。
漠然としていた暗い不安が、宇宙の暗闇に誘い出されたかのように浮かび上がる。いいや、違う。これは不安なんかじゃない。
胸の奥で疼きを訴えるような確かな予感がある。きっとみんな口には出さないだけで、確信しているのだ。
同時に。加速する反応炉のざわめきが僅かに大きくなり、それが宇宙の向こうから迫り来る何かの音のように聞こえた。
「俺たちは宇宙で戦うことになるんだろうな」
モニターの上で小さくなっていく障害物に向けて、口の中で呟いた。
エアロックが解かれるスムーズな音がして、それに続いて自動ドアが開く機械音が響いた。
暑苦しい。疲労と緊張感が体を包んでいた。だが、どうにか集中を途切れさせずに最後までいけた。ヘルメットを脱ぐ。汗で張り付いた前髪が鬱陶しい。
毛先から汗が滑り落ちるのを首から下げたタオルで拭き取った。まるで雨の中を駆け抜けたかのような有様だ。
子供の頃に霧雨の農業ブロックを走り抜けたことを思い出す。確かコロニー公社が気象コントロールをしくじったか時だったか。
どうしても霧が見たかったその頃の俺は学校の授業をサボって見に行ったのだ。水浸しになりながらも一日中走り回っていたのをよく覚えている。
そのまま過去の思い出に浸って手に持ったヘルメットをしばらく眺めていたが、やがてシミュレーション結果のことを思い出して広間に向かった。
疑似重力のコロニーと違って宇宙で歩くにはコツがいる。体の倦怠感を意図的に無視しながら床を軽く蹴ると、靴裏のマグネットが掴んでいた鉄面を放してくれた。
僅かな間だけ体が無重力に漂って、やがて磁力に捕まって地面へと落ちる。それの繰り返し。俺は一息つきたい一心で気持ちだけ足を速めた。
狭い廊下を通り抜け、訓練生待機室というプレートがかかった扉をくぐり抜けると、緊張感の抜けた陽気な声が耳に飛び込んでくる。
天井から刺してくる橙色の照明がやけに目にちらつくようで、俺は何度か指で視界を擦った。
直径15メートルほどの大きな広間に十数人かのノーマルスーツを着た人間が屯していた。
訓練生待機室。壁面いっぱいに映る巨大モニターのすぐ隣には成績用紙であろうものを挟んだバインダーを手に掲げるライカー教官の姿もあった。
あちらには出来る限り近づきたくない。俺は見慣れたルームメイトの姿を見つけて教官の反対側へと足を向けた。
立っている傍まで行くと、ジョンはお疲れ様とでもいうかのように右手を上げてひらひらと動かした。
「どうだ?」
彼はライカー教官の横に表示されている幾つかの数字を見て行った。
「君は15人中8位、なかなかの成績だと想うよ」
どこが好成績なんだ?と、視線を向けている間にも更新され続けるレコードランキングを見ながら思った。
AからDまでの各部位に分けられたコースベストタイムが表示されている。ローレン、マーク、ミシェル、デヴィッド。
当然ながら何処にも俺の名前はかかっていない。特別誰かの成績が急激にあがってたりするわけでもなく、良い成績を出しているやつは普段から同じような奴だった。
そうしてる間に自分の順位が表示された。Record Time 324.71。五分三十秒あるかないか。なんとも言い難い、平凡な物だった。
続けて全員の名前が並ぶ総合評価の欄、ジョンの言う通り真ん中より少し下に俺の名前が表示されている。
なんとなく見ていられない気分になって、俺は数値を伝えてくるモニターから眼を逸らした。
「平均以下なのになかなかかよ……」
「途中でコース変更したろ。それにしてはって意味さ」
「いつも通りだな」と小さく肩を竦めながら俺は言った。
自分自身の言葉にどことなく諦めたような響きが混ざっていて、俺はなんだか少し居心地が悪い気持ちになった。
たぶんあのコース変更は間違っていたのだろう。教官からまた小言が飛んでくるかもしれない。くそったれ、って。
「ジョニィは何位だった?」
「13位。オーケイ。ああ、たぶん言いたいことはわかってる。あんまり僕をいじめないでくれ」
やれやれ、と俺は思った。首を傾げて広間の壁にかけられた一際巨大なデータ処理画に向き直る。
たぶんまた何か間抜けたことをやらかしたのだろう。お互いに難儀なものだと言い合って同情することも吝かではない。
表示されているモニターの一つではバーニア噴射の光彩が輝き、次のパイロットのザクが加速機動を続けていた。
うまいものだ。一つ一つの動きに柔らかさと鋭さ、つまりメリハリがある。ふと頭の中で自分と比べてしまったせいでなんとも言えないもどかしさを感じた。
俺は接近戦で物を壊すことしかうまく出来ない。なんだかこんな言い方をしてしまうとまるっきり粗野な男みたいに思える。
「1位は?」
「ミシェルだよ。2位以下のタイムを大きく引き離してライカー教官のタイムにあと少しで迫ろうかってところ。うーん、やっぱり彼女は凄いよ。ホント」
「それもいつも通りだな」
「いやホント凄いよ、機体の動き出しに全然無駄がないんだ。やっぱり小型ワーカーの免許を持ってるからかな」
ジョンは心底憧れるような起伏の大きい声で言った。
つくづく分かりやすい男だと思った。ちょっとした感情の変化で声のトーンもがらりと変わる。
「免許?」
「なんて言ったっけ、SP-W03だったかな。ここに来る前から実家の手伝いでコロニーの補修や点検やってたんだって。聞いてない?」
「それほど仲が良いってわけじゃないからな」
探せばその姿はすぐに見つかった。彼女はやや距離の離れた場所で一人きりのまま立っている。
ミシェルは無口な質で、その赤茶けた短髪の下から覗く瞳が俺にはどうにも神経質そうに感じてあまり話しかけたことがない。
最初見た時はただ小さな女だと思った。だがそんな感想を抱けたのははじめての訓練が終わるまでだった。
俺にはその時の光景を今でもありありと思い浮かべることが出来る。だが勿論そんなことはしたくない。ただ一言で言ってしまえば彼女は教官をも唸らせる凄いやつだったということだ。
ミシェルは何処までも無愛想で、意見を求められたときには簡単な言葉とわかりやすい論理を使って的確な意見を述べていた。
そしてどことなくその雰囲気は教官達にも似ていた。
プレッシャーや苦痛を友として、目の前までやってきた危機をなんでもない風に乗り越えていく男の雰囲気である。
つまり既にモビルスーツパイロットとしての風格みたいなものがあった。ごく平均的な士官候補生の俺にはそんな物は醸し出せない。
仲が悪いってほどでもないが、基本的にジョンほど人付き合いをしない俺にとっては同期の一人という括りの中に止まる。きっと向こうからしてもそうだろう。
話す機会がまったくなかったということはなかったが、俺はそのような機会に特に追求をしなかった。
「お前とは仲いいよな。付き合ってるんだろ?」
そういえばそんな話を聞いたことがあったような、と言いながら思った。
色恋沙汰は誰にとっても話の種になる。万国共通のネタだ。いくら俺がそういうことに疎いといっても勝手に耳に飛び込んでくる言葉くらいは覚えている。
この前も二人並んで歩いているのを見かけたからてっきりもうそういうことなんだと思っていた。
「いやいや!違うよ!僕と彼女はそういうのじゃなくてさ。その、なんというか……僕の片思いなんだ」
「へぇ」と俺は続けた。「お似合いだと思ったんだが」
「そ、そうかい?本当にそう思う!?」
俺は自分の成績を映し出すモニターを見た。数秒前に見たばかりだったので、あえて見る必要もなかったが、なんとなく見ることにした。
成績はやはり15人中8位だった。
「ああ、なんとなくだけど思うよ」
「どうして?君はどうしてそう思ったんだい?!」
「いやどうしてって……」
「なんでもいいよ。君がなんでそう思ったか聞きたいんだ。俺に少しの勇気をくれ、頼むよ!」
「頼むって言われてもな」
「本当になんでもいいんだ。直感とか相性占いとかそういうのでもいい。なんでもいいんだ。友人を助けると思ってさ。素直に思ったこと言ってくれよ」
「いや、彼女みたいな無口、あー……寡黙?そういう人にはお前みたいな男が似合うかなと思ったんだよ」
正直なところ恋愛経験が豊富とは口が裂けても言えない俺の保証なんてなんの当てにもならないと自分でも思った。
でも俺には「ああ」としか答えようがなかった。
その俺の言葉を聞くと、ジョンは慌てたように部屋の隅のテーブルに設置されている清涼飲料水の紙パックを二つ素早く手にとって歩き出した。
俺はどう反応したらいいのかわからないまま、その場にじっと立っていた。
どうしたものか、と眺め続けるこちらの視線を気にしたそぶりもなくそのまま彼はミシェルに話しかけていた。
なんて行動力だ。ジョンは時々他人をひどく驚かせるような行動を取る。
これまでのちっぽけな人生の過程において、俺は彼ほどたびたび人を驚かせてくれる人物を他に知らない。
ルームメイトとしてそれなりに仲良くやってきて、ジョン・ハーモンという人間の性格をおそらくかなり正確に把握しているというのに俺も未だに驚かされることが多い。
こういうことをさらっとやってしまうからドラマの俳優みたいに思えるのだ。
「すげぇ……」
もはやそれ以上言うべき言葉はなかった。あとはただ単に友人の努力が実るのを祈るべきかもしれない。
しばらくすると、ミシェルと向かい合ったジョンが笑う横顔が見えた。それに合わせてミシェルも小さく微笑んだ。短い赤茶けた髪の間から耳が見えた。
その耳には銀のイヤリングが付いていた。飾りっ気のないイヤリングだった。だが俺には彼女がイヤリングをしているということそのものに小さな衝撃を覚えた。
歴戦のモビルスーツパイロットの雰囲気を醸し出している彼女も、自分達と同じ年の女の子だという驚くべき事実に今更ながら気付いたのだ。
いや、たぶん俺だけじゃないだろう。なんでも完璧にこなす彼女のことは同期全員が特別扱いしていた。
教官でさえも気を抜くふとした瞬間にそういう素振りを見せることがある。
そしていつも彼女は一人でいた。訓練の時も自由時間の時も、いつも一人だった。だから俺はミシェルはそういう人間なんだと思っていた。孤独と静謐を好んでいるものだと、すっかり思いこんでいた。
だからこうして訓練生待機室の中で一人立ち尽くしていても誰も不自然に思わず、話しかけにもいかない。
ただ一人ジョンという男を除いて。
飛び交う雑音の中、シミュレーター計測終了を示す電子音が聞こえた。
モニターに16人目の順位が映し出される。
俺は少しだけ歩いて、テーブルの上に置いてある紙パックに触れた。
その動きがまるでスローモーションのように思えた。殊更慌てることもなく紙パックを掴み上げた。
しかしこうして二人がうまくいくのを横で祈って見ているという事実の奇妙さが何とも面白く感じる。自然と笑い出したくなった。
ハイスクールを卒業したばかりの俺が軍へ志願したのはこういった光景を守りたいと思ったからだ。
青臭い考えだと今では思う。だけどそう願う気持ちだけは今も変わらない。
母国は戦争をしている。宇宙移民の大儀を賭けたとても大きな戦争だ。だけどスペースノイドの独立と自治のため、などという大層な気持ちは俺の何処を探しても見つからなかった。そんな軍人がいるのはムービーの中だけでいい。
俺が守りたかったのは日常だった。
だから二人が笑うこんな日々が続けばいい。軍人という駒の一つになりかけている今だからこそ改めて思うのかもしれない。
喉を通っていく清涼飲料水を飲み込みながら、そんなことを考えた。