下ネタという概念が存在しない退屈な文明開化   作:Z-Laugh

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第二話

拝啓 母さんへ

 

 横濱は人も物も大変多く、その流れも極めて慌ただしく季節の移ろいにも気付かない日々が続いておりますが村はどんな様子ですか?そして母さんは変わらずに元気でしょうか?

 僕はと言えば先日の手紙でお知らせした様に本居さんの地本問屋が商売替えをするのに伴い本居さんの紹介で横濱の名門女学校である時岡学園に住み込みで働く事になり、先日その為の引っ越しを済ませたところです。時岡学園はソフィア・錦ノ宮さんが理事長を務める学園でソフィアさんは勿論、その愛娘であるアンナさんにも大変よくしていただいており僕自身、ささやかではありますが学園の発展の為に力を注いでおります。また一方では学園の図書室を放課後に自由に閲覧出来ることから本を読み漁り、学園の女学生と文学談義などをして趣味の面でも充実した日々を過ごしております。

 同封したお金はわずかではありますが、どうか村での生活にお役立て下さい。それでは、次の便りまで筆を置かせていただきます。お体にはくれぐれもお気を付け下さい。

 

                           狸吉より 敬具

 

 

 

 時岡学園に転職してから最初の給金を貰った直後の日曜日、僕は官設の郵便取扱所に来ていた。目的は勿論、故郷の母さん宛ての手紙と仕送りを送る為である。明治政府が行った施策の中でこの郵便取扱所の制度は僕と母さんにとっては大変有り難いモノだった。江戸の頃から続く飛脚問屋の飛脚人足が手紙を運ぶのと違い官庁務めの役人が全国に配置され、更に小さな村々では名主や庄屋といった村の有力者が特定郵便取扱所という役割を政府より任された事により、従来よりも安価で手軽に手紙のやり取りが出来る様になり、横濱から七日も掛かる僕の故郷がグッと近くにやって来た様に思えるほどに便利な制度だ。卑猥な創造物の取り締まりをする一方で、これ程までに便利な制度も行っている明治政府。その存在感は実のところとても頼もしくさえ感じている。これ程の短期間でこんなに便利な制度を日本の隅々までいきわたらせる事が出来るのだから、これなら西洋列強と正面から競争しても負けない国を作る事が出来るのではないか、そんな期待感すら抱いてしまい、僕の小さな希望なんて我慢すればいいとさえ思えてしまう。

 

 

 しかし・・・現実は残酷だ!何がどう廻り合わせるとこんなおかしな事になるのだろうか?と思ってしまう程の窮地に僕は立たされている。自らを《雪原の青》と名乗り卑猥な創造物の復興を企む活動家・華城綾女に協力する様に脅され、それを拒み切れなかった。時岡学園に引っ越してきて早々に《雪原の青》に絡め取られた僕は逃げ出す事も出来ず、その翌日から学園での仕事を開始したのである。掃除、小間使い等々重要な仕事は無いものの細々とした仕事が数多くあり中々に忙しいのであるが要領さえ覚えてしまえば、しっかり食事を摂る時間も確保出来るし、授業時間中にのんびりとお茶を呑む事も出来る、本居さんの地本問屋の仕事よりメリハリがあって楽な位だった。そして放課後には学園議会本部に顔を出し卑猥な創造物の取り締まりに関する打ち合わせを行なっているのだが、勿論そこには《雪原の青》こと華城綾女・学園議会・副議長の姿もある。アンナさんが取り締まりに関して熱を帯びた議論を展開して、ふっと会話が途切れ視線が本部の脇にそれた瞬間などに華城さんは僕に向かってニヤリと無言で笑い掛けてくる。その二つの顔を使い分ける技術はきっと女ならではのものであり、男には出来ない本能的に持ち合わせた様なずる賢さなのだろう。頭でそう理解していて拒絶しようとするが何やら微笑ましい物を感じてしまっていたりする。

 

 

 くやしい、でも感じちゃう!そうして最初の給金を貰った日、まるで学園の仕事の報酬と華城さんから受ける圧力の我慢の代金を一緒に受け取ったような錯覚に陥りながらも、その額の多さに有り難さを覚えた。これほどの給金を得られる仕事は故郷には存在しない、ならば僕はこの仕事を絶対に辞める訳にはいかない。そう思えば思う程、《雪原の青》から逃れられない矛盾に陥ってしまう。そうして迎えた日曜日、僕は郵便取扱所での用事を済ませると学園に程近いカフェへと足を運んだ。木造の建物ではあるが西洋建築を模した作りで、その入口も引き戸ではなくドアで、それを開けるとドアの上に付いている小さな鐘が可愛らしい音をさせて店への来客を店員に知らせていた。

「いらっしゃいませ」

 黒のズボンと黒の皮靴、白のシャツに黒のチョッキと蝶ネクタイをした紳士然とした老人が僕を出迎えてくれた。

「あの・・・待ち合わせなんですけど」

「・・・華城様との?」

「はい」

「承っております。こちらへどうぞ」

 老紳士に案内されるままに店の奥の個室の前に来ると老紳士はその分厚く重たそうなドアをゆっくりを開けた。そこには西洋風の椅子と食卓・・・え~と、だいにんぐちぇあとだいにんぐてーぶるだったかな・・・が配置されており、丸いだいにんぐてーぶるの上にはそれを覆い尽くす様な大きく真っ白な布が掛けられ、その中央には花飾りがしてある。周囲を見回せば上品な洋画が壁に掛かっており、目新しくも落ち着いた佇まいの室礼だった。靴を脱ぐ事なく部屋に入り老紳士が引いてくれた椅子に座ると老紳士が

「お飲み物は?」

「あ、えと・・・ほうじ茶を」

 西洋風のカフェにそんな物があるのか?と注文をした直後に恥ずかしくなったのだが老紳士はうろたえる事なく

「かしこまりました。少々お待ちを」

 軽く頭を下げて部屋から出て行ってしまった。一人部屋に取り残された僕はキョロキョロと部屋を見回し続けたのだが一つの大きな事実を発見した。この部屋には窓が無い。唯一の出入り口には重く分厚いドアがあり良く見ればドアの取手の下に鍵がある。これが西洋風の室礼なのか?しかしこれからこの部屋にやって来るのがあの《雪原の青》かと思うとどうしてもそういう風には思えなかった。ひょっとして僕は今、囚われの身なのではないだろうか?そんな疑問が湧き起こった瞬間だった。ガチャ!っとドアの丸い取手が捻られ、分厚いドアがゆっくりと開くと、そこには・・・ほっ、老紳士がほうじ茶を持ってやってきてくれた。しかしそんな溜息が油断となってしまったのはその後ろのまるで隠れる様について来ていた華城綾女の存在せいだった。老紳士が淀みない動きで僕の目の前にほうじ茶を置く。三つ編みではなく髪をほどいた状態の華城さんはだいにんぐちぇあに座ろうともせずにドアの横でニヤニヤしている。まさか老紳士が出て行った後に僕を閉じ込める気なのか?思わず僕は老紳士に

「た、助けて下さい。あの女は卑猥な活動家なんです」

「はい、存じております」

 え?僕は事態を呑みこめずに固まっていると老紳士は部屋を出て行き、華城さんは僕の予想通りに部屋に鍵を掛けてから僕の正面に座った。

「あの人も私の後援者の一人なのよ」

 特に隠し立てする様子もなく澄ました顔で僕に一言説明をすると

「ではエロ活動組織《S○X》の立ち上げをしましょうか」

「そっくす?それどういう意味の言葉なんですか。それと、この間も言ってましたけど、えろってなんですか?」

「狸吉は西洋の、英吉利の言葉のイングリッシュを知らないのかしら」

「田舎者の僕がそんなモン知っている訳ないじゃないですか」

「そのわりには学園の図書室から漢文の辞書を借りて何やら熱心に本を読んでいる様だけど」

「そんな事まで知ってるんですか」

「清国の卑猥は捗るのかしら。国の名前に清と付くのだから清々しい程、捗るのでしょうね」

「謝れ!清国の人に謝れ」

「それに清国の最初のしの字をちに変えたら、ちんこく。ち●こ国なんて、それともちん●コク、それって捗り過ぎてコキ過ぎたりしないのかしら」

「清国の人達に死んで詫びろ!」

「まあ冗談は『抜き』として、狸吉には少しイングリッシュを教えてあげるわ。お姉さんが教えてあ・げ・る。けど、いくら淫具という言葉が最初に入っていても期待し過ぎないでね、」

「清国だけじゃない、英吉利の人にも謝れ。それにあんた別なモノ抜こうとしてるだろ」

「ふふふ、こんな細かいネタにまで突っ込んでくれるなんてエロ活動家冥利に尽きるってものよ。さすがは奥間狸吉ね」

「・・・で、そのイングリッシュが何なんですか」

「まず、エロという言葉なのだけど。これはイングリッシュのエロティックの略語よ」

「えろてぃっく、どういう意味なんですか?」

「まあ簡単に言えば卑猥という意味ね。正確には性的な喜びを与えるって意味なのだけれど」

「卑猥って、なんでわざわざイングリッシュを使うんですか。普通に卑猥活動家と名乗った方が解かり易いと思うんですけど」

「言った筈よ。私達の最初の目標は世間に卑猥な知識を流布する事だと。その為には大衆が食い付き易そうな名前を付けた方がいいのよ」

「なるほど世は並べて西洋・西洋って感じですもんね。けど意外ですね、華城さんは日本の昔の艶と粋を復興させたいと言っていたから西洋文化を嫌っているのかと思いましたよ」

「そんな事はないわ。洋の東西を問わず、良い物は良い、悪い物は悪い。それだけの話よ。それに西洋の卑猥も中々趣深いわよ」

「そうなんですか?」

「狸吉と会った地本問屋で話したでしょ。この国にも西洋に負けない物が沢山あると」

「そんな事言ってましたね」

「それって逆に言えば西洋にもこの国に負けない物が沢山あるという事でしょ。私はこの国の文芸復興に役に立つものなら洋の東西の区別をするつもりはないわ」

「なるほど、そこまで考えた事は有りませんでしたよ」

「私が女学校に入って最初に感心した西洋文化は制服の下に着る下着だったわ」

「下着?」

「この国の女性用下着は当然、着物を前提に作られているから腰巻とかフンドシとかでしょ」

「そうですね、けどソレのどこが感心する所なんですか」

「西洋の女性用下着は上半身用と下半身用に別々に作られているの」

「え?上半身用の下着なんてものがあるんですか」

「この国では考えられない物よね。まず西洋の下半身用下着はズロースと言って小さな提灯を横に二つくっつけた様な形をした短い袴なのよ」

「提灯みたいに丸みを帯びた袴なんですか」

「ええ、裾の長さも足首まである様な物ではなくて太ももと途中までの短い物なのよ」

「へ~変わった形をしてるんですね。まるで祭りの時に履く半ダコだ」

「そうね。形としては半ダコに近いわ。しかしあんな風にぴったりした物じゃなくて履いてみると確かに動き易いんだけど、履いた姿を鏡で見るとダボついててガッカリなのよね。あれでは勃つ物も勃たないと思うわ」

「・・・見た事ないので何とも言えませんが・・・」

「その点、フンドシは体にピッタリと張り付く様に締めるでしょ。鏡に映った姿はフンドシの方が遥かに美しいわ。それになにより肌の露出も多いしね」

「それなら西洋の下着に感心する必要ないじゃないですか」

「これは下半身だけの話。私が感心したのは上半身用の下着なの」

「どんな物なんですか?サラシみたいに巻く物じゃないんですか」

「それが全然違う物なのよ。狸吉は女性のオッパイを見た事ある?」

「直に見たのは・・・母さん以外では数回程度で・・・」

「まあ、あなたのお父さんの事だから女性のオッパイを描いた絵なんか沢山持っていたのでしょうけど、女性のオッパイって丸みを帯びててとても柔らかい物なのよ」

「それくらいは知ってますよ」

「その上、敏感で乱暴にされると痛い位なのよ」

「まあ女は男と違って胸を強く叩かれると痛がりますもんね」

「そうそう、だから走ったりするだけでも痛かったりするのよ」

「そう考えると女も大変ですね」

「そんな女性の悩みを解決したのが西洋の女性用上半身下着のブラジャーなのよ」

「ぶらじゃー?」

「ええ、元は英吉利じゃなくて仏蘭西(フランス)の物らしいんだけど、その形というのが布でお椀の様な形の物を二つを作って、それを肩紐と脇紐で固定する物なのよ」

「へ~、じゃあその布製のお椀の中にオッパイをしまって肩紐と脇紐を結んで身に付けるんですか。随分手の込んだ下着ですね」

「ええ、これには驚かされたわ。実際に身に付けてみて本当にオッパイが揺れなくて動き易いのよ。それにブラジャーを外す時のオッパイがこぼれ出す様子は何とも言えない卑猥さよ」

「結局、そこに辿り着くんですか」

「当然でしょ。だから私は上半身はブラジャー、下半身はフンドシを身に付けているのよ」

「和洋折衷ですね」

「ええ、私的には日本と西洋、一勝一敗といった感じね。あ!オッパイに関する話だし一勝一パイかしら」

「ナニ訳の分かんない事を言ってるんですか」

「まあ要するに私達の活動は世の中に卑猥な知識を流布する事であって西洋文化を排除する事ではないの。使える物は西洋の物でも使う、たってる物はち●こでも使う、当然よね」

「ちん●はそうやって使うもんじゃありません」

「ごめんなさい。狸吉はまだ自分でこすって使う方法しか知らなかったのよね」

「そういう話じゃねえよ」

「とにかく、これで私の活動の趣旨は伝わったわね」

「凄く不本意ですが伝わってしまいました」

「では次は、私達の組織名《S○X》のお勉強よ」

 すると部屋の出入口からノックをする音と共に鍵を開ける音がした。先程の老紳士がなにやら物凄くいい香りのするモノを運んできた。香ばしくて甘い様な苦い様な今迄に嗅いだ事のない芳香。見れば老紳士が持っているお盆の上に二つの西洋カップが小匙を添えてそれぞれに小皿の乗せてあり、その中には真っ黒な液体が湯気を立てていた。華城さんと僕の前にカップを皿ごと一つずつ置くと更にお盆に乗っていた白い粉の入った小匙が刺さった蓋付きのずん胴なガラス瓶を置いてくれた。

「本日は《S○X》の創立を祝して私の奢りです。どうぞご賞味ください」

「ありがとう」

 僕は得体の知れない真っ黒な良い香りの液体を前に固まっていたけど華城さんはこの液体を見た事、いや飲んだ事があるのか嬉しそうに老紳士にお礼を言っていた。老紳士が部屋から出て行くと最早、約束事の様にドアに鍵を掛けていく。もう驚きもせずにその状況を受け入れていると

「せっかくの御主人の心遣いだし、熱いうちに飲みましょう」

「・・・これって飲み物なんですか?香りはとても良いですけど真っ黒ですよ」

「ふふ、私も最初に見た時はそう思ったわ。これは可否、最近ではこの店の品書きにも書いてある珈琲という字が充てられる飲み物よ」

「こーひー?」

「ええ、なんでもカフェの語源になった飲み物だそうよ」

「珈琲を飲む茶屋だからカフェですか。茶を飲むから茶屋というのと同じですね」

「そういう事ね。」

「けど、こんな真っ黒なモノを飲んで腹を壊したりしないんですか」

「大丈夫よ。これは珈琲という植物の実を真っ黒に炒った物を細かく砕いて煮出した汁なの。だから体に毒ではないわ」

「茶も炒って飲んだりしますもんね」

「そう、狸吉が注文したほうじ茶がそういう物でしょ」

「ほうじ茶は茶葉を茶色くなるまで炒りますが、これは真っ黒になるまで炒ってるんですよね」

「ええ、だからこのまま飲むと、とても苦いからそこにある砂糖を入れて飲むのよ。けど入れ過ぎるとあなたの白くて苦い液まで甘くなってしまうから注意してね」

「飲み食いする前に生臭い冗談言わないで下さい」

「甘い精子を飲ませたがるなんてトンデモナイ変態ね、狸吉」

「誰がどうやってあんなもん飲むんだよ」

「もちろん下の口で」

「口は上にしかねえ!」

 下品極まりない冗談を言うと華城さんが先んじてガラス瓶の砂糖を突き刺さっていた小匙を使って三杯、珈琲に入れてカップに添えてあった小匙で珈琲をかき混ぜる。僕もそれに倣う様に砂糖を三杯入れて小匙でかき混ぜてから・・カップの取手も持って珈琲を口に近づけた。どうも真っ黒な液体を口に入れるのが躊われるが華城さんは平然と、しかも美味そうに飲んでいる。ならばと思い、思い切って少しばかりの珈琲を口に入れてみると、その香ばしい芳香が口一杯に広がり苦さと砂糖の甘さが合わさって何とも言えない美味さだった。

「美味しい!」

「でしょ。世の中にはこんな飲み物もあるのね」

「これは西洋文化に一本取られた気分ですよ」

「考える事は同じね。私もだけどこの店の御主人も初めて珈琲を飲んだ時そう思ったそうよ」

「・・・これっていくら位するモンなんですか?」

「ここでは珈琲が一杯で五銭よ」

「五銭、うどんや蕎麦が三・四杯食える値段ですね」

「そうね、飲み物にしては高価なモノだわ。けど私はその価値があるモノだと思う」

 なるほど、こりゃ本居さんの娘が地本問屋をカフェに商売替えしたくなる訳だ。こんな美味い飲み物、しかも小さなカップ一杯で五銭も取るっていうんだから儲かりそうだよな。

「僕が働いていた地本問屋が代替わりで商売替えをしてカフェになるんですが、最初はなんで商売替えなんてするんだって思ってましたけど、これはそうしたくなるのも無理ないですね」

「そういう人が多いみたいね。けど本当に商売として上手く行くのかしら」

「どういう事です」

「別に文明開化になったからと言って商売の難しさは変わらないはずだし、浅はかに流行りに飛び付くのはとても危険な様に感じるわ」

「そっか。明治政府が援助してくれる訳じゃなし、商売の難しさは変わらないですよね」

「こういう部分からも今の日本人が浮足立っているのが良く解かるわ。だからこそ文芸復興が必要なのよ。」

「温故知新とも言いますもんね」

「違うでしょ。狸吉は、ち●こ新品じゃない」

「そんな事言ってねえ!」

 そうして僕は初めて飲んだ珈琲のあっという間に飲み干し幸せな気分に浸っていると

「なら話を戻すわよ。私達の組織名《S○X》のお勉強よ」

 台無しだ・・・折角の気分が台無しだ。僕が恨みがましく華城さんを見ると彼女はそれに応える様に一枚の紙に何やら書き始めて、あっという間に書き終えて僕に見せて来た。

「なんですかソレ?蛇がのたくったような印とマルとバツ」

「イングリッシュを知らない狸吉にとってはそう見えるのでしょうね。これはイングリッシュで使う文字、アルファベットというものよ」

「これが文字なんですか」

「ええ、まず一番上の狸吉が蛇がのたくったような形と言ったの文字はエスという文字よ」

「えす・・・えすと読むのに何故ソックスの頭文字なんですか?」

「アルファベットには文字そのものの発音とは別に一文字ずつ名前が付いているのよ」

「発音と名前が別にあるんですか。やっぱり外国の言葉って変わってますね」

「狸吉、あなたはどうやって文字を覚えたのかしら。五十音図?それともいろは歌?」

「僕はいろは歌で覚えましたね。どうも五十音図というのは覚え辛くて」

「そうでしょうね、いろは歌は文字を覚える為に同じ文字を二度使う事のない様に造られた歌でそれを覚える事で文字を覚える事が出来る便利なものよ」

「そうですよね。あの五十音図ていうのはどうも苦手で・・・」

「けど五十音図というのはアレはアレでとても論理的なモノなのよ」

「それは解かってます。縦に母音、横に子音の順に並べたモノですよね」

「母音と子音の組み合わせ、実はイングリッシュのアルファベットも同じ理屈なのよ」

「そうなんですか?」

「今、私が狸吉に教えたエスはサ行の音を司る子音の文字なの」

「サ行の子音・・・という事はこの単語はソックスと読むんだから二文字目が母音のオを示す文字なんですか」

「ええ、アルファベットの文字の中でオを示す文字の名前はオーと言って、その形は丸なのよ」

「そうするとアルファベットのオーは名前と発音が同じなんですか?」

「その通り。呑み込みが早くて助かるわ。しかし、そこに書いてある二文字目はただの丸よ」

「どういう事ですか?」

「それは後で説明するわ。では最後の三文字目のバッテンだけど、それはエックスという名前の文字」

「どんな発音なんですか?」

「エックスの最初のエの発音を抜いた音よ」

「エックスからエを抜いた発音・・・ックス・・・これだけだと凄く発音し辛いですね」

「そうね、けどエックスを使ったイングリッシュの単語は沢山あるのよ」

「へ~外国の言葉って難しいんですね」

「このエックスは交わるという意味を含んだ単語に多く使われるのよ」

「バッテンで交わっているからですかね・・・そう考えると簡単なのかな?」

「だからこの三文字を合わせてソックスと発音するのよ」

「なるほど、けど二文字目はオーじゃなくて丸だって言ってたじゃないですか」

「ふふ、それがこの組織名の肝よ。実はその二文字目にはアルファベットのイーという名前の文字を入れたいのよ」

「イーという名前の文字・・・発音は何ていうんですか?」

「母音のエよ」

「じゃあ最初のエスとイーとエックスだと・・・せっくすですか?」

 この言葉を言った瞬間だった。華城さんは色めき立つような笑顔を浮かべ僕の手を握ってきた。何がそんなに嬉しいのだろうか。

「さすがだわ。やっぱりあなたは私の相棒になり得る人材よ。あ!あいぼうと言っても愛する棒じゃないわよ」

「そんな事はどうでもいいです。何がさすがなんですか」

「もろちん、セックスとハッキリ発音した事よ」

「ワザとらしく間違えるな。セックスって発音したのが何だって言うんですか」

「セックスと言うはイングリッシュの単語で、その意味は『まぐわい』よ」

「ま!」

「エロ活動組織にはふさわしい名前でしょ。しかしそれでは露骨過ぎて粋じゃないわ。だから二文字目に丸を当てることで伏字にしたのよ」

「二文字目を丸い伏字に・・・そうする事でセックスと言う露骨な呼び名をソックスに読み変えさせているんですね。」

「そう、知っている人だけが知っている本当の組織名。知らない人も西洋の文字と単語に関心を持ってくれるに違いないわ」

「隠語の様な組織名ですね」

「そうね・・・けど狸吉、あなたもこういうのは嫌いじゃないでしょ」

 確かに露骨に丸出しなんて野暮もいい所だ。知る人ぞ知る!なんて好奇心をくすぐる言葉だ。もし僕たちの組織に興味を持ち始めた人が本当の組織名を知っている人と席を並べたら、興味を持ち始めた人はソックスと連呼する。しかし真の組織名を知る人はそれを聞いて優越感に浸れる。その心理が僕たちの組織への信頼感や依存心をくすぐり、より強力な支持が得られるのかもしれない。

「ええ、嫌いじゃありません」

「実はイングリッシュでソックスとは靴下の事なのよ」

「靴下?西洋足袋の事ですか」

「ええ、なんて事ない単語でしょ。だからいいのよ、官憲や学園関係者や学園議会の取り締まり協力者、誰がこれを聞いても卑猥な文芸復興を目指す組織とは思わないわ」

「隠れ蓑にもなるんですね。お見事です」

 ああ、ダメだ。感心なんかしちゃダメだ。なのにどうしても感心してしまう。そして面白くて楽しいと思ってしまう。カフェに来た事も珈琲を飲んだ事も英語を教わった事も、それらが全部が下ネタに繋がる事も愉快でならない。ハッキリ言って痛快だ。こんな高揚感を感じたのは故郷で父さんに初めての卑猥なモノの話を聞かされた時以来だ。未知なる知識を身に付ける事の楽しさ、しかも僕が人より多く知っている知識の幅を広げてくれる様な会話の一つ一つの楽しさは地本問屋を閉める直前の本居さんとの会話と同類のものだ。僕はこの華城綾女と言う女性に出会ってはいけないのに出会ってしまったと言えるのかもしれない。この人は僕にとって禁断の果実を差し出す蛇に違いない。

「ありがとう。では今度の活動方針だけど、狸吉、あなたには卑猥な春画を描いて欲しいの」

「え、僕がですか?」

「ええ、奥間善十郎の息子ですもの。そんなのお茶の子さいさいでしょ」

「待って下さい。確かに僕は父さんから卑猥な知識を沢山教授されましたが絵の描き方は教わってません」

「え!あなた絵が描けないの」

「はい。ひょっとして華城さんはそれを当てにしてたんですか?」

「当然でしょ、後援者たちもあの奥間善十郎の息子ならきっと素晴らしい春画を描けるに違いないって期待してるのよ」

「そんなの無理ですって、確かに父さんは僕に絵の手ほどきをしてくれようとした時期もありました。しかしそれは母さんから厳しく止められましたし、僕が絵筆を持つと母さんがとても悲しそうな顔をしたので出来ませんでした」

「なんて野暮な母親なの」

「そんな言い方しないで下さい。確かに卑猥なモノには拒絶反応がきつかった母ですが、父さんに随分苦労を掛けられましたし、僕を育てるにも苦労をした人なんですから」

「・・・ごめんなさい。そうよね、あの奥間善十郎の女房が苦労をしてない訳ないわよね。しかし困ったわね、私はすっかりあなたが絵を描けるものだと算段していたから・・・」

「なら、僕はもうこの組織に必要ないんじゃないんですか」

「そんな訳ないでしょ。狸吉には絵を描く技術以上の知識があるし何より私と同じ卑猥好きの匂いがする人間ですもの。こんな事では逃がしてあげないわよ」

「やっぱりダメか・・・そう言えば華城さんは学舎の屋上からバラまいた浮世絵をどこで手に入れたんですか。あれだけの数となるとそう簡単には入手出来ない筈ですが」

「あれは自分で刷ったのよ」

「え、自分でですか?」

「ええ、ほらコレの事でしょ」

 そう言うと華城さんは風呂敷に包んであった浮世絵を五枚をだいにんぐてーぶるに広げて見せてくれた。

「これです。あの時はじっくり見る事が出来ませんでしたけど改めて見ると凄い品質ですね」

「そりゃそうよ。なんたって十三色刷りですもの」

「十三色!まだ、それを刷れる人がいるんですか」

「ええ、刷り師の人に付いて教わったのよ。それでも一番簡単な図柄の物しか刷れないけど」

「いや、それでも大したものですよ。父さんが複雑な版画を彫れる彫り師、そしてそれを刷る事が出来る刷り師が江戸でもどんどん減っていると言ってました」

「嘆かわしい事なのだけれど、その通りよ。私の活動を後援してくれる人の中にも浮世絵を制作する仕事に関わった人がいるのだけれど残念ながら刷り師や彫り師はいないのよ」

「世間は版画なんて染料を板に塗って紙を乗せるだけと思っている人が大半ですからね」

「ホントよね。実はこの技術は西洋や清国にも存在しない日本だけの技術なのよ」

「そうなんですか?」

「アンナの母親が言っていたの。英吉利に渡航した時に英吉利の貴族で日本の浮世絵を収集している人がいたらしいんだけど、西洋には十三色はおろか十色の印刷物すら無いそうよ」

「西洋って日本より進んでるんでしょ」

「どうやら絵の発達過程が日本と西洋では違うらしいの」

「絵の発達過程?」

「西洋では油絵という技法が中心になっているでしょ。まるで漆喰に色を付けて細かく塗り込んだ様な絵よ」

「そうですよね。ただ凄く細かい筆致でやたら正確に人間や花や風景が描かれてますよね」

「ああいう絵は一点物で同じものを複数作る事が出来ないのよ。作るにしても同じ絵師が同じ図案で別に絵を描くしかないらしいの」

「・・・それじゃあ・・・大勢の人が絵を見れないじゃないですか」

「展覧会を開いて大勢の人が見る事は出来るのでしょうけど所有する事は簡単ではないわよね」

「大勢の人が所有できない・・・それって金持ちだけが絵を楽しめるって事ですか」

「そうなの。良い絵を描ける絵師は金持ちに保護されて一層の技術の研鑽を積み上げる。そういう積み重ねが西洋の絵の発達過程なの」

「それはつまらないですね。確かにこの国でもタニマチが付いて画業に専念できる絵師がいますが、そんなのごく一部で普通は絵が売れてそれで食って行くもんですよ。僕の父さんだってそうでした」

「ええ、日本の場合、絵は大勢の人が楽しめる娯楽という位置づけだから大勢の人の手元に絵を届ける為に大量に同じ絵を制作する必要があったの。だから版画を中心に絵が発達したのよ。日本の絵画は言わば大衆の目によって鍛え抜かれた絵画なの」

「全く逆の発達過程ですね。どちらが優れているとかじゃなくて面白い考察だと思います」

「しかし、洋画の流入で複雑な色合いの絵を見る機会が出来た人達は浮世絵を軽く見る様になってしまったのよ。おかしな話よね、英吉利の貴族が浮世絵を有り難がって日本人が洋画を有り難がるなんて」

「それだけに華城さんの技術は貴重なモノですね。もっと色々な絵を刷ってみて下さいよ」

「それは無理。当たり前の話だけど十三色刷りの版画には十三枚の版木が必要なのよ。今ここに持ってきた五種類分だけでも全部で六十五枚の版木を部屋にしまってあるのよ」

「六十五枚!普通の家ならちょっと置いておく場所に困る枚数ですね」

「私も故郷を離れて東京で一人暮らしをしていて運良く安い一軒家を借りる事が出来たからなんとかなっているけど広い家ではないし、これ以上の家に画材を置く事は出来ないのよ」

「版木だけでも大変なのに染料、刷毛、馬簾なんかの道具類もあるでしょうし紙だって大量に必要だから確かに無理っぽいですね」

「だからこそあなたの絵を当てにしていたのよ」

「じゃあ、これからどうするんですか?」

「う~ん・・・実はもう一人絵を描ける人間には当てがあるのだけれど・・・」

「どんな人なんですか?」

「学園の三年生よ。絵を描くのが上手でその能力を買われて特待生で学園に在籍しているの」

「学園の女学生ですか。下手に接触すれば活動の事が明るみになってしまいますもんね」

「そうなのよ。ただ、私は案外イケると思っているの。その生徒は絵を描く事が生き甲斐みたいな所がある子だから新しい絵を描けると知れば簡単に乗って来そうな感じなのよ」

「じゃあ絵をバラまくより、その人を仲間にするのが先ですね。性知識の流布にはこの五枚の浮世絵だけじゃ足りませんもん」

「そうなるわね。じゃあ狸吉、明日学園でその生徒の事を教えてあげるから手込めにしてしまいなさい」

「嫌ですよ。なんですかその犯罪をそそのかす発言は。」

「犯罪!とんでもないわ。これは聖戦、聖なる戦いなの。だからって狸吉、その溜まり過ぎた精を出し過ぎてその子を妊娠させちゃダメよ」

「だからそれは犯罪だって言ってるだろ。そんなの聖戦でも何でもない」

「あら狸吉ならお父さんから教わった手管で女の一人や二人簡単にモノに出来るんじゃないの」

「そんな訳ないでしょ、父さんは絵に描かれた女が専門で本物にはからきしだったんです」

「よくあなたが生まれたわね」

「余計な詮索しないで下さい」

「とにかく彼女に接近する為にも狸吉、あなたもう少し身なりを整えなさい。そんな汚らしい着物姿では女学校で女学生に良く見て貰えないわよ」

「う!そういうモンですかね」

「女学校だから学園内に十代の若い男がいないのは分かっているでしょ。それだけに生徒の間では噂になり易いのよ。汚らしい着物姿の小僧なんて見向きもして貰えないわ。せめて小奇麗な若い男と言われる程度にはしておきなさい」

「汚らしい着物姿の小僧・・・僕ってそんな風に噂されてたんですか。けど身なりを整えるにも金が要ります。そんな持ち合わせは有りませんよ」

「・・・しょうがないわね。ちょっと待ってなさい」

 そう言うと華城さんは僕を置いてドアに鍵も掛けずに部屋から出て行ってしまった。一人にされた僕は逃げ出そうともせずにだいにんぐてーぶるの上に置かれた浮世絵を手にとってシゲシゲと見ながらほうじ茶をすすって時間を過ごしていると再び部屋のドアが開き、華城さんが僕に手招きをしてきた。それに従い、付いて行くと華城さんは僕を店の事務所に連れて来た。そこには先の程の老紳士がいて、その手には老紳士が着ているのと同じ物であろう服が持たれていた。僕が来た事に気付いた老紳士は服を持ったまま僕に近づいて来るとそのチョッキやズボンを僕の体に当てて、ふむふむと何やら思案していた。何をされているのかさっぱり分からずにいると華城さんが

「御主人に話しを付けて、ここの店員の制服を貸して貰う事にしたわ。汚しちゃダメよ」

「制服って」

 僕がまだ自体を飲み込み切れてない事を察してくれた老紳士が僕に向かって

「私と同じ服です。店員にも同じ物を着せておりますので予備の制服がいくらか余っております。どうぞお役立て下さい」

「じゃあ狸吉、早速着てみなさい。寸法が合うか確認するから」

「え!華城さんの前で着替えるんですか?」

「!」

 不意を突かれた様な表情をした途端顔を真っ赤にして事務所から出て行く華城さん。僕は店の御主人の手ほどきで初めての洋服に袖を通した。着物より体に密着した感じだが決して窮屈という物ではない。両手を上げ下げしたり体を捻ったり足を動かしてみても生地がまとわりつく様な感じはなく、これなら学園での仕事にも差し障らないなと安心していると店の御主人がシャツの一番上のボタンを止める様に言ってきた。言われたとおりに喉仏に近い位置のボタンを悪戦苦闘しながら止めると少々息苦しい様な窮屈な感じがした。しかし店の御主人はそんな僕に追い打ちを掛ける様に襟に蝶ネクタイを付けてくれた。襟元に指を差し入れ首とシャツの間に空間を作ろうとシャツの襟をしごいていると店の御主人は最後の仕上げとして僕に草鞋を脱いで靴下・・・ソックスを履いて黒の皮靴を履く様に言ってきた。足の裏を滑るソックスのこそばゆい感触を感じながらソックスを履き終え、革靴を履いてみると結構、窮屈な感じだった。店の御主人は靴の皮の伸び具合を見てから別な靴を持ってきてくれて、それも試し履きをしてみる様にと言ってくれた。そちらの靴に履き替えてみると少し寸法が大きいのだろうか?窮屈な感じが消えて、つい足踏みをしてしまった。しかしどうやら靴を試し履きする時には足踏みなどをして感じを確認するのが一番良いらしく御主人は笑顔のまま先に履いた靴を棚にしまった。そうして店の御主人は棚から事務所のドアへと歩き出し、ドアを開けて外で待っていた華城さんを招き入れた。

「へぇ・・・」

「変ですかね?襟元が少々窮屈なんですけど・・・」

 僕の姿を見た華城さん、華城さんに見られてる僕、二人して言葉を漏らした後、沈黙してしまうと店の御主人が間を埋める様に

「お似合いですよ。これなら裾を詰める必要も無いようですし、このまま使う事が出来るでしょう。残念です、これ程に当店の制服が似合うのなら当店で働いて欲しい位ですよ」

「あ、ありがとうございます」

「服と靴の手入れの仕方はこの紙に書いておきましたから今日はこの服はこのまま着て帰って下さい。それとシャツと靴下は汗を吸ってすぐ汚れてしまうので替えにもう二枚ずつ同じ物をお渡ししておきましょう」

「何から何まですみません」

「いえいえ、これも後援者たる人間の務めですよ。それに華城様もあなたという仲間が出来た事が大変、嬉しい御様子でしたし」

「え、そうなんですか」

「はい、今日の為にあの部屋の予約をした時の華城様と言ったら・・」

「ハイハイ!服の目処が立ったら、さっさと部屋に戻るわよ。ボヤボヤしないで狸吉」

 突然、店の御主人との会話に大きな音がする様に両手を叩き合わせながら割り込んで来た華城さんは僕の手を摂って僕を事務所から連れ出そうとする。そんな僕たちの様子を見て御主人は嬉しそうに微笑みながら小さく何度も頷き、事務所から出て行く僕らを見送ってくれた。僕の手を握る柔らかい手。その感触は母さんとも村の女の子とも、ましてやアンナさんとも違う不思議な暖かさを感じるモノだった。視線を握られた手から僕の手を引く華城さんの頭に移すとたなびく髪からチラチラと見える耳は真っ赤に染まっていて不自然な速足の理由が理解出来た。部屋に戻ると顔の赤みを残す華城さんは鍵はおろかドアを閉める事も忘れ僕を席につかせると

「べ、別に仲間が増えるなんて事は活動過程において当然の事なんだから・・・」

「ええ、仲間が増えるのは当然のことです。そして仲間の世話を焼くのも当然だと思いますよ」

「そうでしょ。そう思うわよね。それでいいのよ。では明日からはその制服で学園の用務員の仕事をしなさい。それと・・・事のついでみたいに被っていたあのくたびれた鳥打帽子は出来ればやめておきなさい。真新しい制服とでは釣り合いが取れないわ」

「そうですね。もし被るのなら自分の稼ぎで新しい物を買う様にします」

「それでいいわ」

 華城さんがいつもの調子の笑顔に戻った矢先、僕が脱いだまま事務所に置いてきてしまった着物と草履と鳥打帽子を持って店の御主人が嬉しそうにドアが開いたままの部屋の前に立っているのに気が付いた。そのせいで再び華城さんの顔が真っ赤になったのは言うまでも無い事だった。

 

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