下ネタという概念が存在しない退屈な文明開化 作:Z-Laugh
―米問屋襲撃サル―
過ノ前土曜日、帝都ニ於イテ良ク商売セシメタル米問屋ニ多数ナル民主化運動家ガ来襲セリ。ソノ被害タルヤ散々ナルモノデアリ、シバシノ間、商売セシハ難シキ様子也。過激化ノ一途ヲ辿ル民権運動ニ対シ官憲曰ク断固タル措置ニテ臨ムトノ事。動乱セシ時代ニ於ケル帝都ノ安寧ガ明治政府ノ双肩ニ掛カカリシ事ハ明白ナル現実也。由々シキ状況ヲ収拾スベク早急ナル対策ガ望マレル。
日曜日の午前十時、学園近くのカフェに口開けと同時に飛びん込んで珈琲を飲みながら店の中に置いてあった新聞を読み始めると、こんな物騒な記事が目に飛び込んで来た。民主化と言われながら士農工商の身分制度が撤廃されたものの、その実、世の実権を握ったのは貴族・華族と呼ばれる上流階級と薩長出身の武家崩れの人間ばかりだった。文明開化の恩恵に浸る機会も多いが、その一方で急激な変化が世の中に歪を生み出しその不満が旧・町人層の人達から民主化運動と言う形で爆発し始めてしまっていた。国の中も外も動乱だらけ、文明開化をしてまだ十年そこそこであるにも拘らず早くも世の中には閉塞感が現われ始めている。僕達の文芸復興活動はこんな雰囲気に風穴を開ける事が出来るのではないだろうか。その為にも世の人に昔の艶と粋を思い出して欲しい。そんな思いで新聞を眺めていると正面に座る作務衣姿の子供の様な女学生が口の周りを汚したまま大きく息を付いてお腹をこれまた子供の様にポンポンと叩いて満足気な表情をしている。彼女の前には空の洋食器の鉄板と使用済みの西洋の食器・ナイフとフォークが置かれていた。
「もう食べちゃったんですか。あんなにでかいハンバーグ」
「あの程度どうという事はない。わしの田舎では怪我をして働けなくなった牛の肉を味噌漬にして食っておったからな。久しぶりの牛肉で嬉しかったぞ。店主には礼を言わなくてはな」
「へ~牛の肉を味噌漬にして食べてたんですか。僕の村ではしてませんでしたね」
「かなり美味い物だから、かつては藩を代表する品であって昔は将軍、今はそれこそ明治政府の要人にまで送られる物なのじゃぞ」
「高級品なんですね」
「わしなどは牛肉を食べたいばかりに早く牛が怪我をせんか祈った程じゃ」
「牛に生まれなくて良かった」
「お主などそれ程、食い応えが無さそうじゃがな」
早乙女さんを最早《S○X》のアジトと呼んでいい学園近くのカフェに呼び出したのは良かったが絵の調子が戻らない彼女はイラ立ち紛れにカフェの御主人に好物の牛肉の味噌漬けを注文したのだが、さすがに洋風のカフェにそんな物は置いておらず、その代わりとして同じ牛肉でも細かく挽いた牛肉を西洋野菜のみじん切りと混ぜ合わせて丸めてから鉄板で焼くハンバーグと言う食べ物を薦めてきた。御主人も早乙女さんの体を見て小さめの物を作ろうかと聞いて来たのだが、以外にも彼女は自身を大食漢だと言い張り自分の顔と同じ大きさのハンバーグを御主人に作らせた。そうして早乙女さんはその顔面大のハンバーグをナイフとフォークを使って六つに切り分けると顔の半分が口になるみたいな大口を開けて、その一切れずつを一口で頬張り、僅か六口で食べ終えてしまった。
「しかし、そんな大きな肉の塊、さぞ高いんでしょうね」
「なに、金の心配ならいらんぞ。わしはこう見えて結構な金持ちじゃからな」
「そうなんですか」
「わしの絵を譲ってくれと言う金持ちが大勢いての。高い物になれば一枚百円で買って貰えたのじゃ」
「一枚百円・・・北の流刑地にいる父さんと田舎の母さんに聞かせてやりたいですよ」
「まあ、その代わり今の様に絵を描かんと、なんの収入も無いがな。それでもこの程度の料理の代金なら払うのには困らん程度に金は持っておる。心配するな」
「それでもやはり、出来るだけ早く絵を描く調子を取り戻さないとマズイですよね。僕の父さんもそうでしたが一度調子を落とすと二・三カ月は絵を描けませんでしたからね」
「全くじゃ。もっと強い性根が欲しいのじゃがそれもままならん。早いトコ、不調を抜け出すきっかけを掴みたいものじゃ」
「なら、みんなで早乙女先輩がアンナの絵を上手く描けなかった理由を考えましょう」
僕と早乙女さんが話している所に華城さんが到着した。水色の友禅に黒の帯、帯締めが金色で何やら上流のお嬢様に見える格好をして、その胸元には風呂敷き包みを抱えていた。
「早乙女さんがアンナさんの絵を上手く描けなかった理由。そんなモノがここにいる人間だけで解かるんでしょうか」
「そうじゃ、そうじゃ、絵師の不調の原因はそれこそ数限りなくあるのじゃからな。そう容易い事ではないぞ」
「それでも不調を抜け出すのきっかけ作りは諦める訳にはいかないわ。一歩でも半歩でも原因に近づく努力をしてみましょう」
そうして僕達の当面の問題である早乙女さんの絵を描く調子を如何にして取り戻すかを話し合い始めた。とは言うものの僕と華城さんが思い付く様な事は既に早乙女さんは試しており、新たに試す事は何も思い付かなかった。そんな状態の時、華城さんが
「早乙女先輩、この間から聞きたかったんですけど先輩はアンナの絵の何が気に入らなかったんですか?私は絵に関しては素人なのでアレコレ言う事は控えますが少なくとも素人目には大変綺麗な絵だと思いましたよ」
「そんなに綺麗な絵だったんですか。僕も見てみたかったな~」
「こんなモンでよければ、いくらでも見るがいい」
そう言って自分の脇に置いてあった大きな筒から丸めた紙を取り出し、僕に手渡してきた。
「これって・・・」
そこには木炭で描かれた白黒のアンナさんが描かれていた。その線は極めて細かく指先でぼかした跡などもあり少なくとも手を抜いて描いた様に見える絵ではなかった。絵その物も高い品質で誰が見ても、それこそ絵を見た百人が百人とも綺麗な絵と答えるだろう。
「綺麗な絵ですね」
「それがどうした。綺麗などクソ喰らえじゃ」
「絵師の人ってみんな同じ事言うんですね」
「どういう事、狸吉?」
「父さんもよく似た様な事を言ってました。僕は小さい頃、父さんに当時の名主さんが飼っていた犬の絵を描いて欲しいってねだった事があったんですけど、その絵と言うのが浮世絵の様に敢えて調子を崩した感じの絵だったんです。全然可愛くなくて僕は泣いて父さんに抗議したんですよ」
「それで狸吉のお父さんは何て言ったの」
「それが・・・これがこの犬の個性だって、家に帰ってから母さんにその事を話したら父さん、夕飯抜きにされてましたよ」
「犬の個性ね~、そんなモノあるのかしら」
「ある!この世のありとあらゆるものに個性は存在する。それを剥き出しにして表現する事が真の芸術なのじゃ」
「そうそう、そんな感じなんですよ。だから父さん曰くの個性の弱い物は絵にしたくないってよく言ってました」
「そうじゃろ、そうじゃろ。お主の父親は中々分かっておるな」
「と言う事は早乙女先輩はアンナの個性を掴み切れてないから不満なんですか」
「まあ、そんなトコじゃな。実のところ二日に渡ってアンナを描かせて貰ったのだが、描いて行く内に、あやつの中に何か得体の知れないモノが眠っている様に感じての。その正体が解からず終いだったので腹立っておったのじゃ」
「アンナさんの中に得体の知れない物?何なんでしょうね」
「アンナとの付き合いは長いけど、あの子は裏表がある子じゃないわよ」
「そう言う人間の多面性の話ではないのだ。こう・・・人間の性と言うか本性と言うかそう言うモノが掴み切れんでの」
「じゃあ逆に言えば、それさえ分かればアンナさんの事が満足いく様に描けるんですね」
「そう言う事じゃな。ただ、いつになる事やら」
「それでは困るわ。私達は出来るだけ早く早乙女先輩が描く卑猥な絵が必要なんです」
「そう言う無神経な督促は絵師のやる気を削ぐだけじゃぞ」
「督促しなければ描こうとしないからでしょ」
「・・・あの~、ちょっと思ったんですけど二人の言ってる事って噛み合ってませんよね」
「どういう事、狸吉」
「早乙女さんはアンナさんの本性を描きたい、華城さんは卑猥な絵を描いて欲しい。求めてる
物が違うと思うんですけど」
「・・・」
「・・・」
華城さんと早乙女さんが無言でにらみ合う。この様子じゃ二人とも自分の要求を取り下げるつもりは無さそうだ。これは少し頭に昇った血を下げる為に別な話題を振った方が良さそうだな。
「早乙女さんが絵を描く調子を取り戻した時の話なんですけど、華城さんはその絵をどうやって量産するつもりなんですか?」
「それは・・・考えてなかったわ」
「それじゃあ僕達の活動に使えないじゃないですか。華城さんが版画にするんじゃないんですか」
「それは無理。私は刷り師であって、彫り師じゃないもの」
「そうですよね。絵師、彫り師、刷り師、全部別の仕事ですもんね」
「早乙女先輩、木炭画って一枚描くのにどれくらい時間が掛かるものなんですか」
「う~ん、そうじゃのう・・・描く題材にもよるが一枚二時間は欲しいところじゃな」
「仮に一日八時間絵を描いたとして、一日四枚、月で最大、百二十枚。活動に使う数には程遠いですね」
「やはり版画よね。二人は彫り師や刷り師に心当たりはないかしら。私の技術じゃ複雑過ぎる絵は刷れないから早乙女先輩に相当我慢を強いる事になって思い切り絵が描けないわ」
「それは困るのう。不調を脱しても思い切り絵が描けんとなれば、わしがお主らと組む必然が無くなってしまう」
「とは言っても、東京に出て来て数カ月の僕にそんな伝手は有りませ・・・あ!」
「なに狸吉。何か思い付いたの」
「本居さん」
「本居・・・地本問屋の御主人で狸吉に絵や本を譲ってくれた人?」
「はい、娘さんが店を継ぐにあたって商売替えをするからって本居さん随分寂しそうで僕が時岡学園に引っ越す時に遊びに来る様に言われてたんですけど・・・その時に艶や粋の話を聞かせて貰うのは勿論、本居さんの友達も紹介してくれるって言ってくれたんです」
「本居さんの友達、それって」
「話の流れからして、そう言う話が出来る人達じゃないかなって。本居さんって凄く顔が広いですし元々、僕があの店で働き始めたのも父さんの絵を扱っていたっていう伝手があったからなんです。それに僕を時岡学園に紹介してくれたのも本居さんですからね」
「それは期待の出来る人物じゃな」
「なら狸吉、善は急げよ。本居さんの居所はわかっているの」
「はい、店の後片付けを手伝う時に本居さんの生活道具を新居に運ぶ手伝いをしましたから、それは大丈夫です」
「なら、まだ昼前だし、今から行ってみましょう。絵の準備が出来ないうちから量産の準備を始めても問題はないわ」
「そうですね、じゃあ行きましょう」
そうしてやってきた横濱の下町、ごちゃごちゃとして時岡学園や本居さんの店の近所の様な大通りが少ない町であったが三人は僕の先導で目指す本居さんの家に辿り着いた。
「御免下さい、狸吉です、奥間狸吉です」
昔ながら引き戸の玄関を少し開けてから家の中に声を掛けると、家の奥から本居さんが出て来てくれた。
「やあ狸吉君。よく来たね。さあ上がって上がって・・・そちらのお二人は?」
本居さんの視線を受けて華城さんと早乙女さんが本居さんに挨拶をする。
「はじめまして。私は時岡学園二年の華城綾女と申します。学園では学園議会・副議長を務める関係から狸吉さんには色々とお世話になっております」
「わしは早乙女乙女じゃ。時岡学園の絵画特待生で三年じゃ」
「華城さんと早乙女さんですか。所謂、狸吉君のがーるふれんどというヤツですかな」
「ち、違います」//////
「わしの様な天才がこんな馬の骨に惚れる訳なかろうが」
「がーるふれんど?なんですかそれは」
「狸吉君、勉強が足りてない様だね。学園の図書室でちゃんと本を読んでいるかい」
「は、はぁ、それなりに・・・」
「まあいい。さあ、三人とも上がりなさい」
そうして通された本居さんの家の客間。八畳の畳敷きの部屋に丸い卓袱台(ちゃぶだい)が置かれており本居さんが僕達三人に座布団とお茶、そして茶菓子の大福を用意してくれてから
話を切り出してきた。
「狸吉君、今日の様子では遊びに来たという感じではないね」
「はい、今日は本居さんにお願いがあってやってきました」
「私にお願い。何かね?言ってごらん」
「実は本居さんの知り合いに浮世絵の彫り師と刷り師はいらっしゃらないかと思いまして」
「絵の彫り師と刷り師・・・狸吉君、君は絵を描かないんじゃなかったのかね」
すると早速と言った感で大福を頬張り、食い千切ろうとしている早乙女さんが
「絵を描くのはワシじゃ」
「ほお、君が。時岡学園の早乙女・・・そう言えば聞いた事があるな。数々の美術展で入賞を
重ねている画壇の期待の新星がいると」
「そうなんです。早乙女さんはその画力を買われて時岡学園に特待生として在籍しているんですが、この度、僕達の為に絵を描いてくれる事になったんです」
「僕達・・・それは狸吉君と華城さんの為と言う事かね」
「そこからは私が説明をさせていただきます」
華城さんが一段と正座をする姿勢を正し、神妙な顔つきで《S○X》とその活動について説明を始めた。最初こそ驚いていた本居さんであったが華城さんの話が進むにつれて徐々に前のめりになりながら華城さんの話に聞き入っていた。
「いかがでしょうか、何とかご協力いただけませんか」
「文芸復興運動か・・・狸吉君もこれに参加するのだね」
「はい、具体的な活動方法については華城さんと調整はして行くつもりですが僕としても昔の艶と粋を取り戻す活動をしたいと思っています」
「蛙の子は蛙だね。君のお父さんも文明開化と共に浮世絵がもう一段進化するべきだと熱く語っていた事があったからね」
「私の父と同じですね」
「華城さんのお父さんですか」
「まだ話してなかったわよね。私の父親は遠藤正志。」
「遠藤正志・・・どこかで聞いた事がある名前ですね」
「遠藤正志、元帝国議会・衆議院議員よ。婦女暴行の濡れ衣を着せられて今は監獄暮らしをしているわ」
「あの遠藤正志議員のお嬢さんなのかね、君は」
「はい、私の父も今の世の表現規制に危惧を抱いた人間です。しかし政敵の罠にはまり婦女暴行の濡れ衣を着せられてしまって、その地位を失うばかりか監獄送りになってしまったんです」
「そうだったんですか。僕の村であの出来事が噂された時には、これだから成り上がりはダメだなんて声まで上がったんですが、そう言う事だったんですね」
「そうでしょうね、どの新聞もお父さんに対して批判的な内容だったもの。けど私はお父さんが力づくで女性をどうこうしたりしないって確信しているわ」
「華城さんはお父さんの事を信じてるんですね」
「お父さんは受け専門なの。自分から、まして力づくなんて有り得ないわ」
「・・・そう言う理由ですか」
「すみません、話が逸れてしまって。今の世に文芸復興は必要なモノだと私達《S○X》は考えております。何卒、お力添えをお願い出来ませんでしょうか」
すると本居さんはアゴに手をやり目を閉じて考え込み始めた。やっぱりエロ活動家には協力出来ないのだろうか?それともひょっとして官憲へ通報する事でも考えているのだろうか?しかし本居さんも昔の艶と粋がないがしろにされる今の世を嘆いていた人物だ。可能性はゼロじゃないはず。
「わかった。他ならぬ狸吉君の頼みだ、協力させて貰おうか。しかし、それには条件がある」
「どんな条件でしょうか?」
「私にそっくすとやらで使っていた絵と早乙女さん絵のを見せて欲しい。これでも長年、地本問屋を商ってきて友人達の間では絵を見る眼力には定評があるんだよ」
「本居さんのお眼鏡にかなえば協力して下さるんですね」
「そう言う事だ。下手くそな絵をバラまく様な野暮な連中には力を貸せんからね」
本居さんにそう言われると華城さんは風呂敷包みから、早乙女さんは筒から自分の絵を取り出し本居さんに差し出した。それらを受け取ってから眼鏡の位置を直してからシゲシゲと見る本居さん。
「この版画は華城さんが描いたのかね?」
「いえ、私はそれを刷っただけです。絵と彫りは別な人で、版木は元々、父が所有していた物です」
「君がこれを刷ったのか。その若さで大したモノだ。少々の荒は目につくがその若さで十三色を刷るなんて中々出来る事じゃない・・・しかし、こちらの絵はいただけないね」
華城さんを褒めていた本居さんが渋い顔をする。それ以上に、それを聞かされた早乙女さんの表情が曇天と言っていい程に曇る。
「これでは瀬戸物の人形だ。艶と粋、人を驚かせるだけじゃない心に残る絵と言うのは姿形を上手に描く事を越えた、その向こう側にある境地の為せる技なんだ」
本居さんの言葉にぐうの音も出ない早乙女さん。元々、アンナさんの絵を自身でもダメ出ししていた位だから反論するつもりはないのであろうが初対面の人にこうも的確に批判されては言葉も無い様だ。
「待って下さい。早乙女さんは今、絵を描く調子を落としています。その絵はその不調脱出のきっかけになればと学園一の美女を見本に描いたものなんです」
「なら、これは習作と言う事だね・・・それならまだ期待が出来そうだ」
「僕は今の早乙女さんが産みの苦しみを味わっているだけだと信じています。彼女ならきっと本居さんを満足させる事が出来る絵を描く事が出来ます」
「狸吉、お主・・・」
「少々、期待薄だが絵の目処は立っている。そしてそれを扱う組織の構成員もその品質にはこだわっているし素養もある様だ・・・よかろう、私の友人の刷り師と彫り師を紹介してあげよう」
「ホントですか」
「ただ、報酬はどうなるのかね。彼らも仕事をするのだからタダと言う訳にはいかないよ」
「報酬は有りません。これはあくまで非営利かつ非合法の活動です。言わば時間と手間を寄付していただく事になります。しかし版画を作るのに必要な費用は私の後援者達からの寄付で賄えますのでご安心ください」
「そういう事かね。まあ話すだけ話してみよう。彫り師や刷り師の連中も最近はすっかり商売あがったりだからな。暇を持て余しているに違いないから結構いい返事が聞けるかも知れない。返事があったら狸吉君に連絡するから楽しみに待ってなさい」
「ありがとうございます。狸吉、連絡係頼んだわよ」
「わかりました」
そうして用件を済ませた僕達は玄関へと向かい家を出ようとすると本居さんが
「くれぐれの慎重にな。狸吉君は故郷のお母さんに心配を掛ける様な事は出来るだけ控えるんだよ」
「・・・はい」
僕達三人は本居さんの家を出て、学園近くのカフェに戻ると
「狸吉、今日はお主に助けられたな」
「そうね。あそこで言葉を切らさずに本居さんに意見を言い続けたのは上出来だったわ」
「いや、もう無我夢中で」
「これでワシは何がなんでもアンナの内面を描かなくてはいけなくなってしまったのう」
「当てにしてますから、よろしくお願いしますね早乙女先輩」
「じゃあ、早乙女さんが不調脱出を図っている間、僕達はどうしましょうか」
「そうね、私の方でも手持ちの版木で浮世絵を二百枚ほど刷ってあるから、それを使って何か仕掛けましょう」
「そう言えば華城さんってなんで学園であんな活動をするんですか?横濱には他にも人が多い所はいくらでもあるのに」
「卑猥な知識の流布には当たり前だけど目立つ事が必要なの。何しろ平たく言えば広報活動ですもん」
「そりゃそうでしょうけど、それなら尚の事、余所でやった方がいいんじゃないんですか。学園で活動をするって事は僕達の正体がバレる可能性が高くなるように思えるんですけど」
「確かに、その危険性は学外で活動するより高いのでしょうね。しかし、この間も言ったけど時岡学園は卑猥の真空地帯なの。だからこそ卑猥の広報活動が目立ち易くて、その場にいる人達それがに染み込み易いのよ」
「まあ確かに遊郭みたいな場所で卑猥な浮世絵をバラまいても意味ないですもんね」
「そういう事、それと私達の主な狙いは若い世代なの。行き過ぎた卑猥の取り締まりで結婚してから子供の作れない様な人が増えてしまったんじゃ、本当にこの国が滅んでしまうもの」
「そっか、だからアンナさんや理事長は近隣の学校と《雪原の青》対策をしてるんですね」
「ええ、私は主に十代の人間が通う学校を狙って活動してきたのよ。ただね~・・・」
「ただ、なんですか?」
「五種類の浮世絵だけじゃ卑猥な知識の流布には程遠いのよ。もっと色々な、そしてもっと強烈な広報をしないと若い世代が卑猥に興味を持ってくれないわ」
「華城さんのやり方は十分強烈だと思うんですけど」
「私が目立っても意味はないの。あくまで若い世代に性知識を身に付けて貰う、興味を持って貰うのが第一義なのよ」
「そうなると何か別な事もやらないとマズイですね」
「そうなの。早乙女先輩の絵についてはもう先輩に任せるしかないけど、それ以外にも何か新しい試みをしてみたいのよ。」
「そういう試みをワシが目の当たりにする事で不調を脱出できるかも知れんし、卑猥とは何であるかが掴めるかもしれん。やれる事は全てやって見せて欲しいのう」
「新しい事と言われても、そう簡単には・・・」
「狸吉も考えてみて頂戴。前回の活動から既に三週間以上経過してしまっているし出来れば来週中に一度仕掛けておきたいわね」
「間隔が空くのは単純にマズイですもんね」
「そうよ、御無沙汰し過ぎると浮気されちゃうわ」
「他の言い方して下さい」
「膜が再生しちゃう」
「余計分からんわ!」
「けど膜が再生したら、それこそ一穴で二度オイシイわね。想像してごらんなさい狸吉。自分の恋人や女房から二度処女を奪えるのよ」
「そんな事は考えたくありません」
「そういう意味では女はつまらないわね。だって男は時間を置いても童貞に戻らないでしょ」
「戻る訳ないでしょ」
「いえ、あなたなら出来るわ。狸吉」
「どんな魔法使いだよ!」
「オスの魔法使いよ」
「いねーよ!そんな魔法使い」
「なら賢者はどうかしら。狸吉は毎晩なっているのでしょ」
「そんな転職するか!」
「あら、二足のワラジ?やるわね狸吉」
「どっちもやりません。とにかく新しい活動については僕も考えますから華城さんも考えておいて下さいね。あと早乙女さんも試してみたい事を思い付いたら教えて下さい」
そうして僕達の文芸復興活動はわずかではあるが前進を見たのである。しかし不確定要因が多過ぎて、このままで大丈夫だろうかと言う気持ちが無い訳ではない。組織の長は文芸復興活動と言うより単なる下ネタ好きで、それを垂れ流してるだけだし、早乙女さんも絵を描く人間らしいと言えば、らしいのだが限りなく変人だし、かく言う僕自身、今でもこんな事は辞められるなら辞めてしまいたいという気持ちがあるのだから実は《S○X》は崩壊寸前と言っても過言ではない状態だ。あの二人と僕自身がこの活動を続けていく為には強烈な推進力とも言える動機付けがなくてはならない。今は華城さんの力がモノを言っているが残り二人が力をいかんなく発揮する事がこの先、絶対に必要な筈だ。そんな事を考えながら解散、僕は一度宿舎に帰ってからアレコレ家事を済ませていると、あっという間に外は暗くなり夕食に蕎麦でも手繰ろうと思い街に出た。
夜の横濱は月明かりと提灯だけではなくガス灯の明かりが灯されていて、夜だというのにとても明るく歩いているだけで何やら心が弾む感じだ。そんな町中を歩いている時だった。宵の口と言う言葉も当てはまらない程の早い時間でありながら酒に酔った男が何やらわめいて女性に絡んでいる。その周囲を数人の人間が取り囲んでいるので僕もつい興味本位で近づいてみると
「姉ちゃん、飼い犬の世話くらいちゃんとしろよ。それが出来ないなら犬なんか飼ってんじゃねえよ」
「す、すみません。コラッ!ぺス離れなさい」
近づいて見てみたら酔っ払ってる男は足元に柴犬が絡み付いて身動きが取れない状態、と言うよりも二本足で立った柴犬が酔っ払いの足に下半身を擦りつけている状態だった。こりゃ文句も言いたくなるわ。そんな風に他人事を決め込もうとした時だった。その柴犬がハッとした様に酔っ払いから離れ僕に近寄って来ると酔っ払いにしていた様に前足で僕の太ももに捕まり二本足で立って下半身を脛のあたりに擦りつけて来た。
「こ、こら、離れろバカ犬」
「ああもう、コラ!ぺス、いい加減にしなさい・・・って奥間さん?」
「はい・・・あ、不破さん。ひょっとしてこの犬、不破さんの犬なんですか」
「ええ、うちの犬でペスと言います。ちなみにこの名前はイングリッシュで男性器を意味するペニスにちなんでいます」
「そんな余分な知識要らないから、さっさとこの犬どけて下さいよ」
「見知らぬ人ならともかく、奥間さんならぺスの童貞を差し上げても差し支えないのですが」
「いるか、そんなモン!」
「そうですか、やはり飼い主の私が貰うべきですよね。」
「いや、それも変だから。と言うか何でそういう発想しちゃうの」
「無論、子作りの真理に辿り着く為です。オス犬は発情するとこうやってむやみやたらに下半身を擦り付けたがりますが、こういう状態のオス犬にメス犬をあてがうと子犬が産まれてきます。ひょっとしたら人間も同じなのではないかと思って」
間違いじゃないけど間違ってるね。せっかく知的好奇心が旺盛で名門・時岡学園に入学出来る程の優秀さを持っているのに明らかに変な方向に暴走しちゃってるよ。
「それは、いくら何でも無理だから。って言うかご両親が泣くよ」
「なら奥間さんが私に子作りの真理を教えて下さい。そうすれば私はぺスの童貞を普通にメス犬で捨てさせますし、ぺスを奥間さんから引き剥がします」
「あ!」
「なんですか奥間さん?」
「いや、何でもない。とにかく、そんなおかしな交渉には乗れないから飼い主の責任として、この犬を僕から引き剥がしてくれるかな」
「う・・・そう言われてしまっては。止むを得ませんね」
そう言うと不破さんは不服そうな顔をしつつもぺスの事を抱え上げて僕から引き離してくれた。このバカ犬、宙釣りにされても、まだ腰振ってるよ。そんな事してると不破さんに食われちまうぞ、食欲以外に理由で。僕は不破さんがぺスを抱えたまま雑踏の中に消えて行くのを確認してから再び蕎麦屋へと向かって歩き出す・・・記念すべき僕の初めての卑猥流布活動の計画を検証しながら。
翌日の月曜日、いつも通りに朝の正門前の掃除を始める前に僕は学舎の昇降口へと向かい華城さんの下駄箱に手紙を入れて置いたのだが、それを見た彼女は放課後の学園議会の仕事が済んでから僕を訪ねて宿舎まで来てくれて、その第一声に
「やるじゃない!これは凄い計画だわ」
「ありがとうございます。昨夜、蕎麦を食べに街に出た時に盛っている犬を見て思い付いたんですよ」
「狸吉と言う名前なのにタヌキ意外ともするのね」
「タヌキと何したって言うんだよ!僕が犬と何をするって言うんだよ」
「もう狸吉ってば。ケ・ダ・モ・ノ♪」
「可愛く言ってもダメ!」
「獣姦話休題!それより狸吉、あなたはこの計画をいつ実行するつもりなの」
色々ツッコミたいのは山々であったが時間を無駄にしたくなかったので
「それは、来週中くらいにはと思っていたんですが、具体的な日程までは考えてませんでした」
「なら良かったわ。実はこの計画を実施したい日があるのよ」
「いつですか?」
「三日後、今週の木曜日の朝よ」
「木曜日の朝・・・週一の学園朝礼のある日ですね」
「そう!全校生徒が揃っているところで仕掛けたいの。だから私がもう少し計画を詰めるから狸吉もそのつもりでね」
「そのつもりでねと言われても、どうしてればいいんですか」
「それは明日の放課後に分かるわ。明日仕事が済んだら学園議会本部に来て。アンナから狸吉に話があるから出来るだけ早く来て頂戴ね」
「アンナさんから?」
「忘れずに来るのよ」
華城さんに言われるままに翌・火曜日の放課後、仕事を早めに済ませた僕は学園議会本部を訪ねた。するとドアを開けるなりアンナさんが立ち上がって僕を歓迎してくれた。何かあったのだろうか。普段の清楚な笑顔とは違い何か楽しくてしょうがないと言った感じの表情だ。
「狸吉さん、ようそこお出で下さいました」
「はあ、華城さんからお話を伺ってきたのですが、何かご用でしょうか」
「実は明日、抜き打ちで生徒の持ち物検査をいたしますの。そこで以前お願いした通り狸吉さんにご協力いただいて検査に立ち会って欲しいのです」
「抜き打ち検査をやるんですか」
僕のその質問に答えたのはアンナさんではなく黙って座っていた華城さんでもない三人目の人物だった。
「その通りだ奥間。これには各学級の担任教師にもご協力いただき、朝の教室での朝礼時に一斉に行われる取り締まりだ」
「轟力先生・・・各学級の担任教師にもご協力いただくんですか?」
「ああ、今回の持ち物検査の手順は朝礼時、教室に全生徒が集まっているのを確認出来たら担任教師が検査をする事を伝え生徒を教室の外に出さない様にする、その後に俺達が各教室を回り、持ち物検査を実施、最初はアンナお嬢様と華城が持ち物検査をやって不審なモノが出てきたら奥間に確認をして貰う事になった」
「最初はアンナさんと華城さんが検査をするんですか。なるほど、いくら生徒相手とは言え女性の持ち物をいきなり男性が見る訳に行かないですもんね」
「その通りだ、さすがは理事長が見込んだ男だ。俺は生徒会顧問担当教師として各教室を回るのに随行するから、よろしく頼むぞ奥間」
「轟力先生、アンナさん、華城さんそして僕の四人で教室を回るんですね」
この質問には今迄沈黙をしていた華城さんが答えてくれた。
「ええ、この時岡学園でこういった持ち物検査をするは初めての事なの。だから出来るだけ秘密裏に事を進めて行きたいから生徒の協力者は必要最低限のアンナと私の二人だけなのよ」
「初めての持ち物検査ですか。しかし、学級は三学年全部合わせて六つ、生徒数にしたら百名を越えますから検査には結構時間が掛かって一時間目を開始するのが遅れてしまう可能性が高いですが、それは良いんですか」
「それについては理事長を始め、職員・教員の皆さんに昨日の段階で了解を取り付けているから大丈夫。なにしろ初めての形の取り締まりだから多少の不格好は止むを得ないわ」
「では生徒達に悟られない様にする為にも僕はいつも通り朝の正門掃除をしてないと駄目ですね」
「そうね、今日の様子では生徒の間に持ち物検査の噂は上がってない様だし職員・教員による情報封鎖は上手く行っているわ。万が一、明日の朝までに取り締まりの事が生徒に漏えいしたら、それは奥間君が犯人と言う事になるから、くれぐれも注意してね」
「狸吉さんなら、そんな心配要りませんわ。狸吉さんにとっては初めての取り締まりで緊張もされるでしょうが遺憾なく持てる力を発揮して下さいね。期待してますわ」
「まあ、お手並み拝見と言ったところね。奥間君」
「皆さん、明日は頑張りましょう」
学園議会・副議長の顔をした華城さんが轟力先生とアンナさんの前で僕に注意を促し、アンナさんが取り締まりの効果が上がるであろう事を期待している。更に轟力先生も無言で頷いている。けど華城さんも案外意地が悪いな。よりによって初めての持ち物検査の翌日の朝に《S○X》の活動をする事ないのに・・・いや、だからこそか。生徒達が《雪原の青》がバラまいた浮世絵を始めとする卑猥な創造物を取り締まりで取り上げられた直後だから、生徒達は卑猥を渇望している筈だ。そこに僕が発案して華城さんが詰めの作業をしている作戦が実行出来れば、かなりの効果が期待出来る。
そうしてその場は解散、僕は一日の仕事を終えて宿舎に戻ると、ほとんど間をおかずにドアの郵便受けからカタンと何かが投函された音がしたので見てみると、それは華城さんからの呼び出し状ですぐに学園近くのカフェに来る様にと書いてあった。背広を着替える事も忘れ大急ぎでカフェに向かうと、カフェは仕事帰りの人間で結構な賑わいだったが僕が店に到着すると店の御主人は僕に目配せをして、いつもの奥の部屋に行く様に指示してくれた。
「すみません、お待たせしました」
「それほど待ってないから安心しなさい」
「わしは待ちくたびれたぞ」
「それは早乙女先輩が勝手に早くここに来たのが悪いんだから私達に当たらないで下さい」
「そうは言ってもわしが《S○X》に加入してから初めての広報活動じゃ、大人しく待っておれと言うのが無理な話じゃ」
「それは僕も同じですよ早乙女さん。で華城さん明後日はどうするんですか」
「ええ、それは・・・」
・・・・・
「これをやるというのか。お主らも中々えげつないのう」
「発案は狸吉です。私はこんなオゲレツな事、微塵も考えた事ありません」
「サラッと嘘を言わないで下さい」
「さすがの私も獣姦は守備範囲外よ」
「俺だってそうだよ」
「これは普段の学園ではお目に掛かれないモノが沢山見れそうで楽しみじゃな。一部始終を見せて貰うからヨロシク頼んだぞ」
「ええ、それもあっての朝の学園朝礼の時間を狙っての活動です。楽しみにしてて下さい。狸吉は野良犬の確保をしておいて頂戴ね。間違っても噛まれて明後日動けませんなんて事が無い様にね」
「任せて下さい。村では犬はおろか猿だって捕まえた事があるんですから、こんな町中の野良犬なんて簡単に捕まえられます」
「やっぱり狸吉はメス犬の扱いが上手いのね。余りオス犬に恨まれない様にしなさい」
「うむ、人と犬、それはそれで描いた事がない題材じゃな。あの葛飾北斎の『蛸と海女』は
衝撃的な絵じゃったからな」
「いつぞハいつぞハとねらいすましてゐたかいがあつて(Wikipedia『蛸と海女』より抜粋)・・・って、しないから!僕そんな事しないから」
その晩、僕は下半身がタコになった華城さんに絡まれ、口が犬になった早乙女さんに噛みつかれた夢を見たのは誰にも言えない秘密だ。