少し意識しはじめる長谷部と、分かってない伊織。
後半最早一次創作レベルで刀剣組が出てこないという恐ろしさ。
外は薄暗く、空に広がる青藍と、その中にぽつりと浮かぶ消えそうな一点の白が、まだ夜が明けきっていないことを教えている。
本丸内の仄暗い廊下に影が映る。痩躯の男が歩いていた。少し乱れた煤色の髪が、歩くリズムに合わせてふわふわと揺れる。
そこに居たのは長谷部だった。彼は、普段から規則正しい生活を心がけている。朝は日の出とほぼ同じ時刻に起きて、光忠を中心とした台所係が行っている朝食の準備を手伝い、その日の仕事の準備(自分の分だけでなく、伊織の分もできる範囲でやっているらしい)をして、時間になっても彼が起きてこなければ起こしに行く。夜は伊織が寝るまで常に執務室で待機し、寝室に行ったのを確認した上で自らの就寝の準備をする。
しかしまだ夜も明けていないこの時間から彼が行動を始めるのは珍しかった。―寝つきが悪かったのである。
『多分、伊織も同じだと思うよ』
昨夜聞いた、翡翠の声を頭の中で反芻させる。あの言葉がもし本当ならと、願わずにはいられない。
翡翠に指摘されるまでもなく、長谷部には自覚があった。自分が、伊織に、主に対して、特別な感情を抱いていることも、叶うなら主君と臣下という関係を超えてしまいたいと思っていたことも。勿論それが叶うことのない願いだと分かっていた。身分も種族も違う上、伊織は男性として生きる身だ。自分と恋仲になどなれるはずがない。
だからせめて、せめて伊織の一番の臣下でありたいと願った。近侍として傍で働かせてもらえている事が彼にとっては何よりの幸福だったのだ。そんな中で、あんな事を言われてしまったら。期待してしまう。翡翠とて本人の口から聞いた訳では無いから、確証がある訳では無いのだが、同じ女性で、自分達よりも伊織との付き合いが長い彼女の言葉だから、どうしても―――――
「随分早起きだな」
耳に入る、聞き覚えのある凛とした声。はっとして長谷部が振り返ると、そこには伊織が立っていた。少し着崩れた寝巻きに、所々跳ねた白磁の髪。それは彼が先程起きたばかりだということを示しているようだった。その目にはまだ眠気が残っている。
「主こそ…どうなされたのですか?こんな時間に」
「目が覚めてな…台所で水でも飲んでもう一眠りするかと思って降りてきたんだが…真逆お前も起きていたとは」
くぁ、と小さく欠伸をしながら伊織が呟く。なんだかあまり寝付けなくて、と長谷部が苦笑いして返す。
「なんだ、体調でも悪いのか?…無理はするなよ、何かあってからでは遅い」
寝起きだからか、その声に抑揚はあまりなかったが、その言葉からは確実に長谷部の事を心配している事が伺い知れた。
ではな、と言って伊織が廊下の奥へ消えていく。はい、おやすみなさいませ、と言い、恭しく一礼をすると、長谷部は少し深呼吸をしてから奥の階段を上がり、自分の寝室へと戻った。同室の者達はまだすやすやと寝息をたてている。話しているあいだは意識していなかったが、心臓が五月蝿い。そっと胸に手を当てると、とくとく、とくとく、と鼓動が聞こえる。
ああ、これほどにまで自分は、彼の方を。
布団に潜り、目を瞑る。眠れはしないかもしれないが、少しでも体を休めなくては。心配はかけられない。
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「………………」
主がペンを動かす音だけが聞こえる。今日と明日は出陣がないらしく、代わりに書類仕事に追われている。ただただ黙々と、筆を走らせることだけに集中しておられる。こうなるとこの方は誰かが止めるか余程疲れない限り仕事を止めようとなさらない。……だからと思って、茶を持ってきてみたのだが…俺に気づいておられないのか何も喋らない。手も止めない。邪魔しては拙いだろうから声をかけるのも躊躇われる…
と。
「…いつまでそこに立っているんだ。足が疲れるだろう」
ぽつりとそう呟くのが聞こえた。ああ、気づいてはいらっしゃったのか…
「あ、主、お茶をお持ちしました、よろしければ少しお休みになられては……朝の連絡後、すぐに執務室に向かわれていましたが…ずっと机に向かわれていると体にも負担がかかりますよ」
「ずっとと言ってもまだ11時過ぎだろう、まだ2時間程しか続けてないぞ?」
「…そういう事を仰るから翡翠殿がですね……」
「…彼女はお前に負けず劣らず心配症だからな……いや、心配してもらえるだけ有難いな。…頂こう」
主が俺の持つ盆から茶を受け取る。一口啜ってふぅ、と息を吐く。そんな何気ない仕草を傍で眺めているだけだが、何となく、こころがあたたかい。
「どうかしたか?」
不思議そうな顔をして主がこちらを見ている。その灰青に映る俺は、今どんな顔をしているのでしょうか。
「…いえ、何でも」
「そうか」
ことり、と湯呑みを置いてまたペンを取る。相変わらず勤勉なお方だ…と思いながら、何となくそれを眺めていた。少しでも長くここに居たくて。邪魔だと言われたら出ていくつもりで居た。……のだが、彼女は一言も俺に邪魔だとは言わなかった。時々俺に話しかけながら、ただただ、書類を片付けていた。
ああ、なんと心地よい時間だろう。こんなひとときがずっと続いてくれたら良いのに。
今日は短刀達が翡翠殿と一緒に甘味を食べに行っているためか、本丸内がしんとしていた。出陣が無いので、遠征に行く一部の刀剣以外は此処に居るはずなのだが、執務室に来るような輩は少ない。だから、今だけは俺が、主を独り占めできる。仕事中なのでそうそう話し込むことができるわけでもないが、俺は傍に居られるだけで、それだけで良かった。
過ぎた幸福を望んではいけない。
俺と彼女は、"そう"あることは出来ない。
はじめからわかっていたことだから。
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「二日目にして随分と馴染んでいるな、流石というかなんと言うか」
感心したような声で伊織が私に話しかけてくる。今日、私が粟田口?の皆と加州さんと甘いものを食べに行った事を指しているんだろうか。乱ちゃんに誘われたんだけど、それに他の皆が乗ってきて、大人数で甘味屋さんでパフェを食べてきた。美味しかったなぁ。
「お褒めいただき光栄です」
「なんだそれは」
「ふふ」
一応まだ"相棒"としての関係は続いてるし、時々は"こっち"で一緒に仕事もする。だから別に話さないという訳では無いのだけど、他愛もない話をする時間は意外となくて、だから少し胸が躍った。なんでもない話を伊織としてる時はすごく楽しくて。
ここに来たのは本当にただ純粋に、彼女が今共に働く仲間達を見てみたかったこともある。上手くやっていけてるのか気になってたし。だけどそれだけじゃなくて、たまには時間をとって、ゆっくり話をしたかったから。どうしてもこちらの仕事がある以上うちの職場ではそんなに時間を取れないから。
だけど私はまだ、一番話したかったことを話せていない。今日、話してみようかな。余計なお世話なのかもしれない。だけど、私はどうしてもこの子の幸せを願わずにはいられなくて。
関係上は相棒だけど、私にとって伊織は妹のような存在でもあるから。
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夜も更けて、本丸はしんと静まり返っている。もうほとんどの刀剣は眠ってしまっただろう。寝室にある時計が間もなく日付が変わることを教えている。
並べた布団に横になって、伊織と翡翠はとりとめのない話をしていた。今日食べた件のパフェの感想、短刀達が本当に伊織を好いていると教えられたこと、明日で帰ってしまうから、皆がささやかな送別会を開いてくれると言ってくれたこと。殆ど一方的に翡翠が話す形となったが、元来伊織は自分から話をするのが左程得意ではない。むしろこうした形の方が有難いと思うほどだった。
「……楽しんでいただけたようで何より。短刀達のことも…有難う」
「ううん、私も凄く楽しかったから全然良いわ。…また来たくなっちゃうな」
「そう何度も許可が下ろせるものなのか?」
「さあ。多分無理でしょうね…私は審神者でもなんでもないもの。関係者といえば関係者だけど」
翡翠が肩を竦めて笑ってみせる。そうして少し低い声で、年に一度でも良いから来れたら良いんだけどな、と呟いた。
「あ、そういえば」
思い出したように翡翠が切り出す。
「ん?」
「昨日ね、みんながトランプしてる間に、長谷部さんと話をしたの」
「長谷部と?なんでまた」
「"こっち"での伊織の相棒みたいなものでしょ?いつも話してくれるし、一度ちゃんと話してみたくて」
「ふぅん……何か失礼な事をしなかったか?頼りになるいい奴ではあるんだが…初対面の者には気難しい印象を与えがちだから…」
心配そうに伊織が聞く。大丈夫よ、と翡翠がころころと笑う。
「伊織は私のこと心配症って言うけど、貴方も相当だと思うよ?私は」
「そうか?」
心做しか少し目が見開かれた。意外だったのだろうか。
「…………」
ふと、翡翠が黙り込む。あの話をしてもいいものか、と葛藤していた。言わなければこの子はこのままずっと気づかないかもしれない。だけど、言ったところでそれが自分の勘違いだったら?彼女はそういった感情を抜きにして純粋に、部下として、仲間として大事にしているだけかもしれない。彼の事を。
言うことが伊織の幸せに繋がるのかと言われても答えが出ない。もしかしたら真逆の結果を生み出すかもしれない。ただ自分が伊織と付き合ってきた中で見てきた彼女の性格と、女の勘と呼ばれるもので、そうではないかと感じたから。
「―――ねえ、伊織」
「ん?どうした?」
「………伊織は、彼の事どう思ってるのかな」
もう戻れない。
✱
「彼?」
「…長谷部さんのこと」
「長谷部のこと?…どうも何も、頼りになる…………大事な奴だよ。それ以上もそれ以下もない」
「ほんとに?」
「…何が言いたい」
怪訝そうに伊織が翡翠を見つめる。
「私の勘違いだったら申し訳ないんだけど、なんか、違う気がして」
「違う、とは」
その目には、僅かばかりではあるが動揺が見られた。伊織なりに隠し通しているようだが、付き合いの長い翡翠の目には確かにそれが写った。
「他のみんなより…特別に思ってるっていうか、何だろう…ただ近侍にしてるから、とかじゃないと思うの」
「…………流石というか………なんというか」
数秒ほど黙って伊織が声を出す。
「特別というか、その……確かに、彼奴が特別大事に思える時はある。他の者も勿論大事だ。誰1人欠けてはならないが………彼奴は、長谷部は…」
こんなわたしをひつようとしてくれるから。消え入るような声で、ぽつり。しかし翡翠には確かに聞こえた。
「…それは、長谷部さんのことが好きってこと…?」
「…確かに好きだが」
「純粋に仲間として、とかじゃなくて、…恋愛的な意味でよ」
翡翠は半ば呆れたような顔をする。伊織は昔からこうした話題に疎い。まあ、性別を偽っている以上誰かと恋仲になれるわけではないのだから、仕方が無いと言えば仕方が無いのかもしれないが。
「恋愛的な意味と言われても私には分からん…」
「んん、例えば、いつも一緒に居たいと思うとか、離れると寂しくなるとか、何かあった時すぐ報告したくなるとか……伊織はそんなことしないか。とにかく、そういう気持ちが強くて…」
「………分かるかもしれない」
考え込む伊織。少しだけ、翡翠の言うことに心当たりがあった。
この本丸ではたとえ一軍に居ても遠征に向かうことがある。近侍とはいえ長谷部も例外ではなく、遠征に出る時があるのだが、長時間出ていると、どこかで寂しさを感じることがあった。誰が傷を負っても玄関先まで駆けつけて即座に手入れ部屋に引っ張って連れていくが、長谷部の時は心做しかそのスピードが他より速い。
それに、時々ではあるが長谷部と二人でいる時に少しだけ、心が温かくなる気がしていた。少しだけ心音が早くなって、いつも優しい音を立てているのに、跳ねるように、少しだけ速くなるのを感じていた。
これが恋だと言うのなら、私は長谷部に恋をしているのだろうか。よく分からないが…翡翠が言うならそうなのだろう、と思う。
「…成程、君の言う通り私は彼奴を…好きなのかもしれない。だけど、」
「………私には、愛される資格がない。まだ全然弱くて、それに」
「伊織」
「………わたしは、あいされない、から」
いつもの凛々しい彼からは想像もつかない、弱々しい声で、紡ぐ言葉。
伊織は昔、虐待を受けていた。父親が自らの思い通りに伊織を育てようと、暴力を使って恐怖を植え付けることで言う事を聞かせていたのである。その為伊織は、ただ父親に怒られないように、役に立てるように強くならなくては、という気持ちが強い。それゆえ誰かを愛したり、誰かに愛されることに極端に臆病になる。
翡翠はそれを伊織本人から聞いて知っていた。だからこの話をすることが伊織を追い詰めることになるのではないかと、少し悩んでいた。それでもしようと思ったのは、少しでも伊織に自信をつけてほしかったことと、もっと自分を愛せる人になってほしいという思いからだった。
「伊織、聞いて」
「…なんだ」
「大丈夫よ、此処にいる皆、伊織のことを大事に思ってくれてる。昔のことが辛いのは分かる。だけど……皆が皆、貴方のお父さんみたいな人じゃないよ。強くなくても、必死になって守らなくても、役に立たなきゃって躍起にならなくても、みんな側に居てくれる。…少なくとも、此処にいる皆と私はそうだと思うから」
そう言って、微かに震える細い体を抱きしめる。大丈夫だよ、と声をかけて、ぽんぽん、と背中を叩く。速くなっていた伊織の鼓動が、とく、とく、と落ち着いていくのを感じた。
「………翡翠」
「なに?」
「みんなは…長谷部は、私のことをほんとに、愛してくれるかな」
今にも泣いてしまいそうな、震える声。普段は皆の手前、気丈に振る舞っているものの、そのせいで抱え込むものも多い。プライドなのか恥ずかしいのか、人前で弱いところを見せるのを伊織は大層嫌っている。だが信頼度の高さからか、翡翠にだけはそうした一面を垣間見せることもある。
翡翠は抱きしめる力を少し強くしながら、ふわり、と頭を撫でる。それはまるで、小さな子を慰める母親のようで。
「うん。大丈夫。私が保証する。だから、あんまり抱えすぎちゃ駄目よ。もっと…頼っていいんだから。私にも、皆にも、ね」
「………わかった」
伊織は力無く頷いて、それから、ありがとう、と呟いた。翡翠からは見えなかったが、その顔はとても穏やかだった。
「じゃ、明日も早いしそろそろ寝ようか。ごめんね、夜更かしさせちゃった」
抱きしめていた手を離して、布団に潜る。そうだな、と言って伊織も同様に布団に入った。
「おやすみ」
枕元の明かりを消して、2人は眠りについた。
月が空高く昇っている。明日も晴れるだろうか。