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オフィス街を抜けてから見えてくる駅。
その駅のすぐ近くに、ひっそりと息を潜ませるかのようにしてある、一軒の珈琲店がある。
誰かの目についたとしても、そこに放置されている空き家か何かと見間違えられてもおかしくはない外装をしている。
この辺りでは非常に珍しい木造建てのこじんまりとしたもの。周りは手入れをされていてまだ人が住んでいるのかもしれないという可能性を僅かながらに残している感はある。だが、蔦が絡んでいるなど森の中にあるかのような様子からして、ドアを開けて中に入ればそこには魔女が住んでいると噂立っても何らおかしくはないだろう。
しかし、そこはすでに畳まれてしまっており、珈琲店としてはもう機能していない――表向きは、だ。
以前ならば、開店している時にほのかな明かりを灯してお客を誘っていた電気看板も役目を放棄しているように、そのままの状態で置かれている。差込口の見当たらないコンセントは路面に投げ出されている。
ドアを開けると、静かなお店特有のカランカランッ、という音が暗闇の住む店内に響き渡る。
店内の様子は十人と少しがようやく入れるようなけっして広くはない面積。そこにはきれいに手入れの行き届いている木製のテーブルと椅子が置かれている。天井には眠っている状態のランプが吊り下げられ、奥にあるカウンター席の向こうには調理場が見える。
そこには今日も一人の男性が、同棲している静寂とともにコーヒー豆を挽くためにハンドミルをゆっくりと回している。
重低音のような豆の挽かれる音だけが、静寂が支配するこの店内に響き渡っている。
だが、そんな静寂に皹を入れる来客を伝える呼び鈴が鳴った。
男性のハンドミルを回す手が、その音に反応してピタリッ、と止まる。
「いらっしゃいませ」
再び辺りを包み込むかのようにする静寂に溶け込んでしまうかのような声が、男性の口から出る。
視線の先で、ゆっくりと開いていたドアが閉まるのが見えた。
だが、そこには店内に入ったはずの来客の姿は見えなかった。それでも、男性は特に反応を見せず、薄く微笑を浮かべる。
ハンドミルから、挽かれたばかりの豆を専用の容器に移す。
それから人数分のカップ――デミタスカップ――を三つだけ戸棚から取り出す。
来客は二人、それに自分を合わせての数だ。
それから店の外、内装、雰囲気に見合わないエスプレッソマシンの前に立ってから、手馴れたように準備を始める。
その間にも、店内に入っていた来客の二人はこそこそと店内を這うように移動している。
店内が静かだからこそ、余計に不自然さが際立つのが。彼女たちはどうやら気付いていないようであるが。
マシンにカップを置いて、抽出を始める。白く立つ湯気とともに、店内には香ばしさが漂い始める。
「わあっ!」
「やっほー、兄ちゃんっ!」
ちょうど抽出が終わったところでカウンター席の下から声をあげて飛び出してきた二つの人影――765プロダクションに所属している双子のアイドルである双海真美と亜美だ。
双子と言うこともあってか、二人の容姿は似すぎているにもほどがある。普段着も色違いだけのものであるから出会った当初はまったく区別がつかず、それをよくネタにされたものだ。
今はもう見分けられるようになったが、彼女たちはそれが面白くないからかあの手この手を使って間違わせようとしてくる。天真爛漫で、無邪気というように子どもらしく、悪戯好きというのにも、それが強く出ているように思う。
今の行動も彼女たちの望んだリアクションを見せない自分に対する挑戦だろうというのは、容易に理解できた。
しかし、申し訳ないかな。この仕事柄、大げさなリアクションを取るのは苦手だった。だから、驚いたとしても目を大きく見開くくらいだろうか。
この手のやり口は容易に予想できたので、それほど驚きはない。
「むっー、何だか兄ちゃんの反応が芳しくありませんなー、亜美隊員」
「そうですなーっ、むしろ亜美たちを憐れんでいるようにも見えますなー、真美隊員」
永い眠りについていたランプたちが一斉に目覚めたかのように明かりを灯し、ぼんやりとしていながら、とても温かな光が店内を照らしだす。
明かりを浴びる二人の表情がはっきりと見える。案の定、悔しさが色濃くある視線を向けてきている。
「相変わらずよくやるよね、二人は」
苦笑いを浮かべながらカウンター席に夜しょよしょと座るようにする二人の前に、入れ立てのエスプレッソをミルクと角砂糖を添えて差し出す。
「むっふっふっふ。それは愚問というものだYOー、兄ちゃん」
「真美の言う通りだYOー。楽しまなきゃつまらないじゃん」
事務所でも自分以外、つまり彼女たちと同じ所属アイドルたちに対しても悪戯を仕掛けることがある。仕掛けるといっても、妹が姉に構ってほしいという思いからするような、端から見れば愛嬌のあるものだ。
とはいえ、時折オッサン臭い言動があるのはどうなのだろうか。
まだ十代前半とはいえ、彼女たちも思春期という難しい時期に入っている。
双子とはいえ、少しずつ違いが見え隠れしているのを見ることもある。
また、子どもらしい悪戯をするとともに、変に大人びようと背伸びをするような言動を取ることもある。そういう時期なのだから当然かと思い、納得している。
「でも、兄ちゃんは全然面白い反応してくれないからつまらないよー」
不貞腐れるように、席の下で床に届かない足をブラブラとしながら亜美が言う。
「そうだ、今度は亜美たちのセクチーな身体で抱きついてみよっかなー、どうしよっかなー」
わざとらしく亜美は間延びした言い方をする。
僕は少しお淑やかさを持ちなさい――と、軽く釘を刺すように言う。
「……そ、そうだねー。そうしたら、兄ちゃんもメロメロでいちころだねー」
不意に間を置いてから、ハッとした様子で真美が続く。
時々心なしか照れを含んだ様子で言うことがある。
この辺りが二人の間に見られる違いだろうか。
「ふんふんっ、相変わらずいい香りですなー、亜美隊員」
「すんすんっ、そうですなー、真美隊員。兄ちゃん相変わらずイイ腕をしていますなー」
僕はそんな二人の言葉に空笑いで答える。
まだまだコーヒーについては初心者である二人に、それの違いなど分かるはずもないのに。
彼女たちがスカウトされ、初めてみんなにコーヒーを振舞った時、彼女たちだけミルク、砂糖たっぷりのカフェオレを出した――他のアイドルたちも個々人で味の調節をしていたが。さすがにブラックで飲める娘はまだいなかった。
しかし、二人は自分たちだけ子ども扱いされたことにひどくご立腹になり、ならばとブラックを要求してきたのだ。周りからはよした方が良いと忠告されたが、二人は『真美(亜美)はもう立派なレディー』なのだと言って聞かず、ブラックのまま飲んでそのまま盛大に吹き出した過去がある。
それからは最初に出したカフェオレに収まったが、それから数ヶ月が経った今、彼女たちは再びブラックに挑戦しようとしている気構えを見せる。
「今日こそは、真美たちが大人だってことを証明して見せるYOー」
「亜美たちが、身体だけじゃなく、心も舌も大人になってること教えてあげるよ、兄ちゃん」
彼女たちが成長しているのはバリスタではなく、プロデューサーとしての仕事上二人のことを見ているので理解しているつもりだ。
航空力学的にもなだらかであった胸のシルエットが、今では可愛らしく自己主張しつつある――と、こんなことを考えていると彼女たちにからかわれかねない。表面上では薄い笑みを浮かべているようにする。
二人はそれぞれ主張して見せてから、目の前に置かれたデミタスカップに手を添える。
まるで仇敵を見るかのような視線を向けてから、ゆっくりと手を添えたそれを持ち上げ、口に付ける。
だが、申し訳ないかな。今日のコーヒーはただのコーヒーではなく、エスプレッソというものなのだ。
僕はその行為を止めようと一瞬考えたが――言葉が出かかったところでやめる。こういうコーヒーもあるのだというのを、身を持って知ってほしいというちょっとした悪戯心が生まれたからだ。
一口――彼女たちがストレートのエスプレッソに口を付けた。
そして案の定――
「――っ!? ブハァ!?」
「――っ!? ウヘェ!?」
――眉間に深いしわを寄せ、口からは舌をベエッ、と出すようにしている。相当苦かったようだったのが、二人の様子から分かる。
「クックック、レディーたち? それはエスプレッソと言って、とてもストレートで飲むようなものじゃないんですよ。
本場イタリアでは、それの中にたっぷりの砂糖を入れてから、数口でさらっと飲んでしまうのが通なんです。
ダイエットをしている人が、そのように飲むことはありますが……、あまりオススメしませんよ」
からかいを含みながら、僕は二人に対してエスプレッソについて簡単に解説してやる。
二人が反論しようとするのに釘を刺す意味も込めて、皿に添えられたミルクと角砂糖指差しながら言う。
二人は悔しそうに、ムムムッ、と唸り声を漏らしながら睨みつけてくる。
体格差もあってか、上目遣いでそうされても可愛らしく見える他にはない。
歳の差があるからか、彼女たちのことは妹というよりも娘のように見てしまう。
結婚――という言葉に、未だ無縁である自分には自分の子どもとはどんな存在なのかというのはまだ分からないが、きっと彼女たちに向けている思いとそう変わらないのではないかと思う。
そう考えると、エスプレッソにミルクと角砂糖を余分に添えてしまうのは、必死に大人びようとしている二人に、まだまだ子どもらしくいてほしいという願いからなのかもしれない。
「くっ。やってくれますなー、兄ちゃん」
「ぬっ。不覚であります、真美隊員」
「この借りは絶対に返すでありますぞ、亜美隊員」
「了解であります」
どうやら、後日二人からの仕返しは決定事項らしい。
なら、受けて立とうじゃないか。
まだまだ、可愛さ真っ只中の娘(アイドル)のために――。
まだまだ、その甘さを味わっていたいから――。
いつか味わうだろう、苦いエスプレッソに泣かないために――。