気がつくと倒れている
苦しむ
そして眠れない
小4の夏
それは突然やってきた
グラグラと世界が揺れる
崩れるように倒れる
そんなことが頻発するようになった
電車に乗り大きな病院へ
検査の結果、極度の貧血と診断された
通常の3分の1ほどしかヘモグロビンがない
ホルモンバランスのせいかもしれないですねと言われて
鉄剤を処方される
通院生活のはじまり・・・10歳
ほどなくして毎日のように激しい咳が出るようになる
漢方を飲んだりしたが治らず
医者に診断を受ける
喘息
お母さんがたまに点滴してるやつだ
「お母さんも喘息もちなら遺伝かもしれないですね」
それからは月に2度、電車に乗って病院に行くことになる
学校を休むことも多くなっていく
貧血は半年薬を飲めば治るという話だったが
それから結局10年薬を飲み続けることとなる
喘息はすでに10歳という年齢から小児性喘息ではなく
成人性の喘息のため治らないだろうと言われてしまった
そしてしばらくしてお母さんも貧血で倒れた
喘息は夜中にひどくなることが多い
「苦しい」
ぜぇぜぇと苦しい呼吸をしながら
お母さんのところへ
「夜は病院やってないから我慢しなさい」
我慢、朝まで我慢
何度かそうやっていると夜に訴えると怒鳴られるようになる
だから我慢、朝まで我慢
横になると辛いから
ベッドの上で壁を背もたれにして
布団をかけて耐える
少しでも眠ろうとするけど眠れない
朝、8時ごろ布団から出て
「喘息ひどい」
と息も絶え絶えに伝える
決まって答えは同じなのに
「お父さんが会社行ってから」
いつも病院へ連れて行ってもらえるのは
妹を幼稚園に送ってお母さんが一服してから
11時が最速
それまで我慢
病院へは自転車をこいで行く
苦しいけど
一番近い病院でも2㎞以上あった
だから点滴して帰宅すると元通り
それでも薬をもらえるから行く
「大丈夫?」
そんな優しい言葉をかけてもらったことはなかった
喘息でも死ぬことがあるってお医者さんに言われたことがあって
夜我慢しなくちゃいけない時
このまま死なないかな
何度もそう思いながら朝を待つ
鍛え方が足りないからだとお父さんは言う
だから運動は減らしてもらえなかった
さすがに喘息で点滴してきた日はやらされないけど
トマトジュースを買いに行く日というのが追加になった
ロジャースへ
結構遠い
自転車の荷台に1箱ずつ紐でしばる
坂道もたくさんあるから大変
お母さんとあたしの分のトマトジュース
貧血だから
トマトジュースを飲まないとダメだとお父さんが決めた
冬休みにはスイミングの冬期講習に行くことになる
喘息に水泳はよいからとお父さんが決めた
冬休み明けにはスイミングに入ることになってた
でも
病気はよくなるどころか
どんどん頻発するようになっていった。。。
1日に飲む薬は13錠