Black sheep,s fable 作:ししゃもじ
ダンジョンにはすべてがあると嘯く者が居る。
実際に地下空間とは思えないほど幻想的な光景を目にすることも出来る上に、深い階層まで至れば純度の高い鉱石資源に加え霊薬の素材となる稀少な薬草に泉水まで採取することが可能だ。
その価値は人々を惹きつけて止まず、足を踏み入れる者達の胸に期待を膨らませる。
しかしすべて、という言葉が指し示すのはそんな希望に満ちたものばかりではなかった。
未だ解明されない数多くの謎がダンジョンにはあり、その内の一つである――ダンジョンから生まれ出でるモンスター達。
地上にもモンスターは生息するが、ダンジョンに由来するそれらの脅威は階層が深まるにつれ比べ物にならない程に増していく。
獰猛な彼らは侵入者に容赦なく牙を剥き力足りず、あるいは運無く命を落としてしまう冒険者の例は枚挙に暇がない、希望と等しく絶望もまたダンジョンには満ちている。
そして――冒険者達に絶望をもたらす存在は決してモンスターの脅威のみに限らないのだった。
◆
地下十四階層、その一帯は薄暗く洞窟のような岩肌に覆われ、湿り気を帯びた重い空気がたちこめる。
湧き出すモンスターにも凶悪な種が多くなり、
ダンジョンは下の階層ほどより面積が広く、ここまで来ると階層全域の広さはオラリオ中央広場が丸ごと容易く収まるほどにまでなる。
普段なら人気も無い階層を繋ぐ通路から程遠い片隅、通路の行き止まりに複数の人影が蠢いている。
階層に点在するルームと呼ばれる広間へ繋がる通路には革の鎧に金属板が打ち付けられた軽鎧を纏った一人の男が見張りのように立ち、周囲を窺う。
奥には仲間なのだろう、その男のように簡素な鎧を着込み冒険者の装いをした男二人が組み伏せた獲物を前に舌なめずりしている。
ダンジョンではさして珍しくもない光景、組み伏せられた獲物が同じく冒険者風の少女でなければ、であったが。
「待って……お願い、止めて!」
「黙って大人しくしてろよ、そしたらまた中層のお守りに付き合ってやるからよ」
涙を浮かべ懇願する少女を男達は嘲るようにいやらしく笑いながら見下ろし、男達のものと比べ数段質の低そうな革鎧を強引に剥がしていく。
「まあ礼の方はしっかりもらうけどな」
「っ!」
醜悪な表情を浮かべ自らを慰み物にしようとする男達を前に少女は押さえ込まれた手足を振りほどこうと力を込めるもびくともしない。
それは無理も無い事だった、冒険者達が地上に降りた神に授かる恩恵、経験を積み重ねることにより向上するそのステイタスが未だはじまりのレベル1の段階にある少女と比べ男達はレベル2。
レベルの差はそのまま実力の差と言っても差支えが無いほど身体能力に差が生まれる。
そんな男達に囚われた時点で、少女が自らの手でこの状況を脱する可能性は摘まれていた。
どうしてこうなったのだろうかと、また一枚衣服を剥ぎ取られながら少女は悲嘆に暮れる。
冒険者となって二年が経とうとする少女には焦りがあった。
ファミリア同期のメンバーがレベルアップを果たしていく中、未だに
その焦りは一人ではとても挑めない中層への探索にあっさりと足手まといになりかねない自分を迎え入れた男達に対して疑心を抱く余裕を奪い、こうして後戻りできない窮地にまで少女を誘った。
神から恩恵を授かる冒険者とて人、その悪意が時としてモンスター以上の脅威となる現実に打ちのめされた少女の瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
その時、不意に響いた重い何かが地に落ちる物音に少女へ覆い被さろうとしていた男達は鋭く振り向く。
「おい、どうし――」
顔を向けた先の光景に男達の眼が見開かれる。
音の聞こえた先、見張りに立っていた仲間の男が力なく地に倒れ伏していた。
その首に深々と刻まれた傷跡から噴き出す夥しい量の血液が血溜まりとなりつつある。
絶命していることは明らかな男の傍らに立つ、黒いコートを纏った闖入者。
目深にコートと一体のフードをかぶり、顔が見えないその人物の手には何の装飾もない見張りの男を仕留めたと思しき無骨な
「こいつ――どこから!」
突如として現れた、状況を鑑みるまでもなく危険と判断できるその闖入者を迎え撃つべく、男達は腰に吊るしていた剣に手をかけるが、その判断は手遅れにして誤りだった。
獲物を握っていた腕が霞み、投擲された手斧が手前に居た男目掛けて飛来する。
旋回し飛び来る刃を狙われた男はすんでのところで剣で受け止める、しかし。
「あ?」
その瞬き一つ程の間に黒い影は消えたと見紛うような速さで男の懐まで距離を詰めており、振り抜かれたダガーナイフの刃が描く弧の軌跡は男の喉笛を捉えていた。
信じられない、斬り裂かれた喉を手で押さえながらくずおれる男の目に最期、そんな感情が浮かぶ。
瞬く間に二人の仲間が葬られ、残された男は抜いた剣を前に構えながらも完全に戦意を失っていた。
抜刀の瞬間すらまるで目で追うことが出来ない、レベル2である彼らが反応できない迅さ。
明らかに格上の相手、レベル差の優位を知る男にはたった一瞬の攻防でも勝ち目など皆無であると悟らせるには十分だった。
「ひっ……」
自らの血飛沫に沈んだ男の惨状に、襲われていた少女は顔面を蒼白にして気を失ってしまう。
彼女のように意識を手放してしまえば楽になれるかもしれないと考えつつも、先に終わりしか待っていないだろう状況でそれを受け入れることだけは男にも出来なかった。
「ま……待ってくれ!」
持っていた武器を捨て、男は両手を突き出し必死の形相で訴えかける。
「もう二度とこんな真似はしないと誓う。俺に出来ることなら何でもするからここは見逃してくれないか!?」
実際男に残された希望は少女を助けようとしたのだろう黒コート――体格からしておそらく男性の慈悲に縋ることしか無かったのだが、恥も外聞もない命乞いを躊躇うことなく男は実行に移した。
膝をつき地面に額を擦りつけ見るも不様な体を晒してまで許しを請う姿に、血に濡れたダガーを手にした男の足が止まった。
その反応に望みを見出したのか更に男は命乞いの言葉を紡ぐ。
「こ、これでも俺はファミリアに顔が利くんだ、あんたもオラリオの冒険者だろ? きっと色々融通してやれる――モレク・ファミリアの名前ぐらい聞いたことがあるだろ」
男が自分の所属するファミリアの名を出した瞬間、コートの人物は明らかな反応を見せた。
「……モレク?」
フードの下から漏れたのはまだ若い、やはり男性の声だった。
その反応に交渉の余地があると感じたのか這いつくばりながら男は視線を持ち上げ相手の様子を窺い覗き込んだフードの下、眼光の鋭さに全身を強張らせてしまう。
見下ろす瞳にはありありと敵意が満ち、不可視の視線に貫かれるような錯覚を男に起こさせた。
肌は白く、目の下にくっきりと浮かんだ隈が青年と呼べる年頃の顔立ちに病的な印象を与え、ろくに手入れのされている気配もない巻き癖のついたぼさぼさの黒髪もあいまって狂人めいた雰囲気を漂わせている。
予想していた正義漢にまるでそぐわない容貌に息を呑む男を前にその青年は一瞬瞳を剣呑に細めるとコートの内へ手を入れ、細い革の筒に納められた薬瓶を取り出し足元へ放った。
「飲め」
「……え?」
極度の緊張に理解が遅れ、間抜けた声を漏らす男に青年は再度告げる。
「何でもすると言ったな、ならそれを一息に飲んでみろ――死にはしない」
そこまで聞きようやく相手の意図を理解した男は恐る恐る目の前の革筒に手を伸ばし、収められた薬瓶を抜き出す。
コルクで蓋をされた瓶には気泡の浮かぶ薄紅色の液体が満たされており、《調合》のアビリティを発現させた冒険者が製作するような傷を癒す、あるいは精神力を回復させるポーションとも異なる色合いであることが男を惑わせる。
何故こんな真似をさせるのか、死にはしないというが果たして本当に毒物の類ではないのか。
しかしそれを命じた青年の張り詰めた雰囲気に男は迂闊に質問することを躊躇ってしまう。
殺すつもりであるのなら、こんなまわりくどい手はとらない筈だと、相手の琴線に触れてしまうことの方を忌避した男は意を決して薬瓶の封を解き、正体不明の薬液を呷る。
「――――っ! が……ブ、ぐっ!? ゲェェ!」
液体を嚥下した喉が沸騰したように灼熱する感覚に男はくの字に腹を折って悶え転がる。
いかなる作用か、それは良薬の苦味どころではない尋常離れした痛みだった。
「オまエ……ナニを飲ませヤガッタ!?」
まっとうな薬ではないことは覚悟していたとはいえ、あまりの苦痛に卑屈な振る舞いすら忘れ男は潰れたカエルの声のような叫びを上げる。
「……これぐらいで十分か」
訴えを気にもかけずに呟くと、青年はのたうつ男へ足を踏み出し――ダガーナイフを握る手が持ち上がる。
喉の潰れた男が鈍い刃の煌めきに瞠目し、半狂乱になりながら叫びを言葉にするよりも早く。
「話ガ――」
振り下ろされた刃が頸部を断ち、男の息の根を止めてしまった。
悪漢とはいえ三人もの命を容赦なく奪った青年は血溜まりの中に浮かぶ亡骸を無感動に眺めると、コートの内から特殊な封が施されたケースを取り出し、中から取り出した鮮紅色の塊を辺りにばらまいた。
血肉と呼ばれるモンスター用の撒き餌、数分もすればこの階層を徘徊するモンスターがおびき寄せられ、男達の亡骸を食い荒らすだろう。
そうして後始末の準備をした青年は視線を気を失った少女に移し、無防備に倒れ伏したその姿を見て顔をしかめる。
はっきりと苦悩を顔に浮かべていた青年は逡巡の後、何かを諦めるように瞑目すると、ダガーナイフについた血糊を拭い、転がっていた手斧を拾い上げると同様に刃を拭き上げ腰のホルダーへ吊るしていく。
得物を収めた青年は少女の傍らに跪き、乱れた着衣を戻すとその体を抱き上げ、歩き始める。
冷酷な行いに目を瞑るなら人助けと呼べる行為、しかし少女を連れダンジョンの出口へ向かう青年の顔は深い後悔に染まっていた。