「エレン!海に行こう!」
自宅のリビングにあるソファーの上でくつろいでいるエレンの前で、陽子は高らかに叫んだ。
「・・・諦めてなかったのかよ。」
「あの時はカレンに譲ったけどさぁ!やっぱり海行きたい!」
「別にいいだろ、今度のキャンプなんだかんだ言ってお前楽しみにしてんだろ。
それで我慢しろよ。」
「お前が普段体を鍛えてるのはなんのためだ!海で泳ぐためだろ!」
「そんな極端なことのために鍛えてんじゃねぇよ。」
「じゃあなんのためだよ!」
「お前を押し倒すためだよ!」
「そっちの方が極端だろ!
あとそういう返事に困ることを言うな!」
エレンの言葉に陽子は顔を赤くするが、すぐいつもの調子に戻る。
「なぁエレン、行こうよぉ海ぃ〜。
マリーも連れてさぁ。」
「マリーならいねぇぞ。」
「え?」
「今朝、『北アルプスを縦走してくる。』って言って出て行った。」
「相変わらずアグレッシブな妹さんですね!」
「試合前だから精神統一するためにだって。」
「山で精神統一って・・・アグレッシブ通り越してフリーダムだなぁ。
でもそれならなおのこと二人で行こうよ!」
「やだよ、こんなクソ暑い日に。」
「むぅ(エレンめぇ・・・よし、こうなったら。)」
陽子は自信満々でエレンにいう。
「いいのかぁ?エレン、私の水着姿を拝めるチャンスだぞ?」
「あ?水着なんて家の中で無理やり着せりゃあいいだろ。
むしろそっちの方がそそる。」
「変態だぁ!」
「あと自分で言って恥ずかしくなってんじゃねぇよ。
顔真っ赤だぞ。」
「うぅ・・・」
とうとう陽子はカーペットの上に寝転がり、子供のように駄々をこねだした。
「行きたい行きたい海行きたいー!」
「あーもう、うっせぇな。
そんなに行きたきゃ、俺を萌えさせてみろ。」
エレンがふざけてそういうと、陽子はソファーに座っているエレンの膝の上に正面を向いてまたがり、両腕をエレンの首に回して額を合わせて一言。
「エレン、海行きたい。」
#####
翌日
「うーみーうーみー海海うーみー♪」
(俺もチョロいなー。)
海に向かう電車の正面を向いているタイプの座席に陽子とエレンは座っていた。
「見ろよエレン!海が見えてきたぞ!」
「陽子、ガキじゃねぇんだから大人しくしてろ。」
エレンの忠告も聞かず、テンションの上がりきった陽子は窓から外を眺めて小さな子供のようにはしゃいでいる。
(まぁ、陽子の楽しそうな顔が見れたからよしとするか。)
と、なんだかんだ言って陽子に甘い自分に、エレンはため息をつくのであった。
#####
「海だぁぁぁぁぁぁ!」
海水浴場に着くなり、陽子は大声で叫んだ。
「お前なぁ、ガキみたいに騒ぐんじゃねぇよ。
恥ずかしいだろが。」
「いやっほおおおお!」
海に向かっていこうとする陽子の肩をエレンが掴んで止める。
「ちょい待ち、服のまま泳ぐ気か?
まずは更衣室で着替えてからだろ。」
「あぁ、そっか、ごめんごめん。」
その後、2人は更衣室に着替えに向かった。
先に水着に着替え終わったエレンは、浜辺にシートを敷いて待機していた。
「それにしても・・・やっぱり人が多いなぁ。」
夏休みシーズンということもあって、
周りは人々がごった返していた
「思い出してみると、陽子と2人で海なん初めてかもなー。」
たまにはこういうのもいいかも知れない、そう思っていると。
「エーレン♪」
背後から陽子が抱きついてきた。
「ったく、いきなり抱きつくんじゃねぇ・・・よ。」
背中に感じる柔らかい感触に、動揺ぜずに振り返るが、思わず言葉を失った。
「ん?どうした?エレン。」
陽子のスタイルのいい体をビキニタイプの水着が際立たせる。
一瞬五体投地で感謝しそうになる衝動をなんとか抑え、エレンは咳払いをする。
「なかなか似合ってんじゃねぇか。
新しく買ったのか?それ。」
「あー、うん。
あんましこういうの分かんないからカレンに付き合ってもらったんだ。」
「別にわざわざ新調しなくても今まで着てたので良かったんじゃねぇのか?」
「た・・・確かにそうだけど・・・その。」
陽子は顔を赤くすると恥しそうに目をそらしながら言う。
「エレンの前でくらい、かわいい女の子になれたらなぁって思って・・・。」
「・・・陽子。」
「な・・・なんだよ。」
「抱きしめてもよかですか?」
「だ・・・駄目!人が見てるだろ!」
「可愛い事言っといてそれは生殺しですよ!」
「とにかく駄目!そんなことより早く泳ぎに行くぞ。
ほら早く。」
「しょうがねぇな。
今日はとことん付き合うぜ。」
「・・・言ったな?」
エレンの言葉に陽子は怪しく微笑んだ。
#####
「
陽子がやると言い出したのは、
エレンたちがいる場所から50メートルは離れている岩場までの競泳だった。
「とことん付き合うって言っただろ?」
「言ったけどさぁ、いきなりハードすぎね?」
「大丈夫だって、ほら行くぞ。」
「・・・はぁ。」
エレンはため息を吐きながら構える。
「行くぞ、よーい・・・ドン!」
二人は一斉にスタートした。
(やるからには、負けらんねぇよな。)
エレンはクロールで泳いでいき、しばらくすると目標の岩場にたどり着く。
少し遅れて陽子も到着し、2人とも岩場にしがみつく。
「ハァ、ハァ、あー、負けたー!」
「ふぅ、なんとか勝てたな。」
「それにしても・・・。」
陽子がエレンを見つめて微笑みながら言う。
「本当にエレンは強くなったよな。」
「あ?なんだよ急に。」
「小学生の頃は同級生にいじめられて泣いてたのを、私が守ってやる立場だったのに。
今じゃ逆だもんなぁ。」
「い・・・いつの話をしてんだよ。」
「泣き虫エレンはもう見れないかな?」
「うるせぇ。」
「あははは。」
「・・・でもまぁ、あれだ。」
エレンは、小さく微笑んで陽子に言う。
「お前がそう思ってくれてるなら、鍛えたかいがあったかな。」
「え。」
エレンの言葉に、陽子は不意をつかれる。
「そ・・・それって・・・」
「よし、次は浜までだな、よドン!」
「あ!ずっこい!よドンってなんだ!よドンって!」
先に泳いで行ったエレンを、陽子は急いで追いかけた。
#####
海の家の前。
「さぁて、飯も食ったし、もうひと泳ぎするか、エレン。」
「自分、食休み良いっすか?」
「なんだよ情けないなぁ。」
「ていうかお前はあんだけ食って大丈夫なのかよ。」
「全然大丈夫、むしろまだ足りないくらい。」
「カービィーかな?
・・・ん?」
「どうしたエレン。」
エレンの視線の先を陽子が見ると、
男の子が1人、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「あの子どうしたんだろ。」
「ひょっとしたら迷子かもな。」
2人は、心配になって声をかける。
「おい坊主、こんなところで何してんだ?」
エレンに急に話しかけられた男の子は、体をビクゥと震わせる。
「こらエレン、怖がらせちゃダメだろ?」
「何もしてねぇよ。」
陽子がしゃがんで、男の子と視線を合わせる。
「大丈夫だぞ、このお兄ちゃん言葉遣いは乱暴だけど、怖くないからな。」
男の子は小さく頷く。
「で、お前名前はなんて言うんだ。」
「・・・タケル・・・小学一年生。」
「タケルか、私は陽子って言うんだ。
そっちの兄ちゃんはエレンな。
それでタケルは一人で何してたんだ?」
「お母さんと・・・はぐれちゃって・・・」
「やっぱり迷子か。」
エレンがつぶやくと、タケルの目にじわぁと涙が浮かびその場にしゃがみこんだ。
「ったく、しゃあねぇな。
陽子、金渡すから自販機でジュース買ってきてくれ、こういう時は男同士のほうが話しやすいだろ。」
「わかった!」
陽子はエレンから金を受け取ると、自販機に向かった。
エレンはタケルの横に座り込む。
「おい、いつまで泣いてんだ、男がめそめそ泣くんじゃねぇ。」
「・・・無理だよ、僕弱虫だもん。
そのせいで学校でいじめられてるし・・・。」
「お前、いじめられてんのか?」
「うん。」
「・・・そっか。」
エレンは、海を眺めてつぶやく。
「俺もな?お前ぐらいの年の頃、いじめられてたんだよ。」
「・・・え?」
タケルが驚いた様子でエレンを見る。
「俺、所謂ハーフって奴でさ、髪の色と顔のせいで昔はよくいじめられたもんだ。」
「・・・そうだったんだ。」
「でもな、守りたい奴ができたんだよ。」
「守りたい・・・奴?」
首を傾げるタケルに、エレンは続ける。
「そいつは、俺がいじめられてたらいっつも飛んできてな?
俺を庇って喧嘩して、俺の代わりに怪我してさ、痛いくせに大丈夫だからって馬鹿みたいに笑ってたんだ。
そいつを見てるうちに、思ったんだ。
いつかこいつを守れるくらい強くなろうって。
そっから鍛え始めて、今に至るってわけだ。」
「お兄ちゃん、その人のこと大好きなんだね。」
「おう、ベタ惚れだな。」
エレンは笑うと、タケルの頭に手を置く。
「人間、強くなるきっかけなんて人それぞれだ、だからタケル、この先はお前が決めろ。
このまま弱虫のままでいるか、腹括るか、
全部お前次第だ。」
「・・・うん。」
タケルは、涙を腕で拭った。
「おっ、いい面構えになったじゃねぇか。」
エレンはタケルの頭をわしわしと撫でると、立ち上がった。
「それにしても陽子の奴遅ぇな。
タケル、迎えに行っていいか?」
「うん。」
エレンはタケルとともに、陽子を迎えに行った。
#####
陽子は自販機で缶ジュースを買って、エレン逹の所へ戻ろうとしていた。
(エレン、上手いことやってるかな。)
その陽子に、3人組の男が話しかける。
「ねぇ君、今1人?」
「今あっちでビーチバレーやってんだけど、
一緒にやんない?」
いくら能天気な陽子でも、これが何かはわかる。
所謂ナンパという奴だ。
「・・・悪いけど、今彼氏と来てるから。」
「えぇ、こんな可愛い彼女一人にする彼氏とかないわー。」
「そんな奴ほっといてさ、俺らと遊ぼうよ。」
普通は彼氏がいるといえば退くものだが、
この不良たちはしつこいらしい。
「いいって、もう彼氏のとこ戻るし。」
「いいから行こうよー。」
そう言って男は陽子の腕を掴もうとする。
「触んな!」
パシッ!
陽子が男の腕を払い除ける。
「チッ、この
男が陽子を突き飛ばすと、陽子は後ろに尻餅をついた。
「痛ったっ・・・。」
男は拳を振り上げる。
「調子に乗ってんじゃねぇぞ!」
と、その腕を横から割り込んだ手が掴む。
「・・・なぁ、兄さん方、
そいつ俺のツレなんだけど・・・何してんの?」
男の腕を掴んだエレンは、鋭く睨みつける。
その眼光に、男はたじろいだ。
「べ・・・別に何も・・・。」
男の腕を掴んでいるエレンの手に力が籠り、
ミシッと鈍い音がなる。
「目の前で他人様の女突き飛ばしといて、何もしてねぇで済むわけねぇよなぁ。」
「ヒィ!」
エレンの怒気を孕んだ声に、男が悲鳴をあげる。
「エレン!」
陽子が呼ぶと、エレンはそちらを向く。
「私は大丈夫だから、それ以上は・・・。」
陽子がそう言うと、エレンは男の腕を放した。
「失せろ、二度と面見せんな。」
男達はそそくさと撤退していった。
エレンは陽子の手を掴んで立ち上がらせる。
「大丈夫か陽子。」
「うん、ちょっと擦りむいちゃったけど。」
「ごめんな、一人で行かすんじゃなかった。」
「いいって、それよりタケルは?」
「陽子姉ちゃん!」
タケルが陽子に駆け寄ってくる。
「大丈夫だった!?」
「うん、ごめんな、心配かけて。
はいジュース。」
陽子がジュースをタケルに渡す。
「タケル!」
声の方に目を向けると、一人の女性が駆け寄ってきた。
「お母さん!」
女性はタケルに泣きながら抱きついた。
「全くあなたって子は!心配したんだからね!」
「ごめんなさい・・・。」
女性は立ち上がると、エレンと陽子に頭を下げる。
「うちの子がお世話になりました!」
「いいえ、気にしないでください。
良かったな、タケルお母さんが見つかって。」
「あんまりお袋さんに迷惑かけんじゃねぇぞ?」
「うん・・・ねぇ兄ちゃん。
僕も・・・兄ちゃんみたいに強くなれるかな?」
タケルがそう聞くと、エレンは優しく微笑んでいう。
「さっき言ったろ、それはお前次第だ。」
「・・・うん。」
タケルは、母親と歩いていった。
「さてと、私達も行くか。」
「ちょっと待て。」
エレンが陽子の腕をつかむ。
「な・・・なんだよ。」
「大丈夫なんて法螺吹きやがって、思いっきり足捻ってんだろ。」
「タケルに心配かけちゃいけないと思ってたんだけど・・・やっぱバレた?」
「当たり前だ、何年一緒にいると思ってる。
とりあえずこっち来い。」
エレンは陽子を座らせると、バッグから湿布を出して陽子の足に貼る。
「用意周到だな。」
「まぁ、備えあれば憂いなしってな。
よし、終わった。」
エレンは立ち上がって言う。
「とりあえず、今日はもう帰るぞ。」
「うん・・・ごめんなエレン、私から誘っといて。」
「いいって気にすんな。」
「でも・・・。」
「・・・陽子。」
エレンは、陽子の目をまっすぐ見て言う。
「お前この間俺に聞いたよな?
『お前が体を鍛えてるのはなんの為だ』って。」
「うん。」
「俺、あの時はふざけたこと言ったけど、ホントの事言うと・・・お前を守りたいからなんだ。」
「・・・え////」
「ガキの頃、俺は泣いてばかりでお前に助けられてばかりだったよな。
だから・・・今度は俺の番だ。
俺に陽子を守らせてくれ。」
エレンがそう言うと、陽子は顔を背ける。
「・・・陽子?」
エレンが覗き込むと、陽子の顔は真っ赤に染まっていた。
「ごめん、私今、エレンのこと直視できない////。」
「・・・陽子。」
「・・・なんだよ。」
「抱きしめてもよかですか?」
「・・・うん、許す。」
エレンは陽子の体を優しく抱きしめた。
#####
数日後。
エレンは陽子と街を歩きながら、スマホを見ていた。
「マリーの奴、明日には帰ってくるってよ。」
「マジで縦走したのかアイツ。」
マリーからのメールを陽子と見ていると、
「あ!エレン兄ちゃん!陽子姉ちゃん」
聞き覚えのある声に振り返ると、顔に傷だらけのタケルが走ってきた。
「タケル!ここら辺に住んでるのか?」
「うん!」
元気に返事をするタケルにエレンが微笑んで言う。
「派手にやられたな。」
「うん、でも・・・次は負けない!」
「そっか。」
「兄ちゃん。
僕・・・俺、強くなって、いつか好きな子ができたら兄ちゃんみたいに守ってやるんだ!」
「そっか・・・がんばれよ。」
「うん!」
タケルは元気よく返事をすると走り去っていった。
「お前、タケルに何吹き込んだ?」
「別に何も。」
今はまだ小さな背中が見えなくなるまで、エレンは見つめていた。