【子蜘蛛シリーズ1】play house family   作:餡子郎
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No.022/パパとママ



「あ……」

 赤い髪の女は、おろおろと所在なく青い目を惑わせた。

「ああ……!」

 アケミは、全てを思い出した。
 自分がなにを望み、なにを恐れ、なにを願ったのか。胸が張り裂けそうなほどに乞うたことを、何故忘れてしまったのか。

「アケミ」
「……わかってるわよ」
 アケミは歯を食いしばり、日の光の中で産まれなかった証のように真っ白な子供を抱いて、ぎゅっと瞑った目から涙を零した。
「せっかく生かせたこの子を振り回してしまってるってことぐらい分かってる」
 ぽろぽろと、青い目から涙がこぼれる。しかし彼女の身体は既に朽ちて大地に溶けてしまっている。熱いはずの涙は、彼女が膝の上に抱く娘の頬に落ちる前に、空虚にも消えてしまった。ただでさえ魂しか持たないアケミが具現化した念の身体は、本体から少しでも離れると途端に姿をなくしてしまうのだ。

「……どうして」

 涙が、こぼれては消えてゆく。

「どうして私が死ななければいけなかったの……!」

 母は、娘を抱きしめた。オーラを借り出された幼い娘は、眠っているせいで余計に暖かい。この世の何よりも愛おしい温もりを必死に抱きしめて、アケミは嗚咽を漏らした。
「私だって、好きでこんな風なんじゃない!」
 もうすぐもうすぐと毎日を歓びで一杯にしていた日々は、あっけなく壊された。自分はただあのまま幸せでいたかっただけだと、何も贅沢は言っていなかったはずだと、女は泣いていた。クロロは、月光が透けるアケミの姿をじっと見遣っている。
「ああ、」
 アケミはそう言ったきり、踞るような格好でシロノを抱きしめて固まってしまった。

「……アケミ」
 クロロは、教会でそっと誰かに話かけるように慎重な声で言った。
「提案がある」
 アケミは、すぐには顔を上げなかった。どの位時間が経ったのか分からなかったが、随分長い間だったと思う。既にクロロが立ち去っていてもおかしくないだろう、というぐらいの。
 しかしアケミが涙に濡れた顔を上げた時、クロロは正面からじっとアケミを見つめていた。
「これを、お前にやる」
 クロロは、すっと彼女に手を差し出した。長い指がゆっくり開かれると、その手のひらの上には、ひとつの指輪があった。赤に、青に、月光を吸い込んで揺らめき輝く神秘的な宝石の輝きに、アケミはほんの一瞬だけ心を奪われた。
「……これ、」
「『朱の海』という」
 クロロが言い、アケミは驚いて彼の顔を見る。クロロは、今日ここにやってきてから初めて笑っていた。
「お前の名前と同じ宝石だ、アケミ」

 綺麗だろう?

 クロロは、やさしい声で言った。だがその声の柔らかさは女を唆す為の紛い物ではなく、本当に美しいものをうっとりと愛でる本気の声だった。
「……ええ、綺麗」
 熱情・純愛の紅玉(ルビー)、慈愛・誠実・貞操の青玉(サファイア)。ダイヤモンドの次に固く、不滅の愛を誓うにこれ以上ないほどの石。アケミが望んだ全てが込められた、そしてアケミの色をした宝石。
「これを、お前にやろう」
「……え……?」
 アケミは、ぽかんとしてクロロをまじまじと見遣った。クロロは微笑んでいるが、その表情は真剣だった。
「これは、かの王が最も愛した女に贈ったものだが……その女は、かなり身分の低い女だった。……ジプシーだよ、ロマシャの」
「……本当?」
「嘘なら俺は“おしおき”されてるはずだろう?」
 素で驚いているらしいアケミに、クロロは指輪を見つめながら言う。
「その女は占いの力に優れ、王を色々と助けたそうだ。その時の念が今でも僅かに残っているところを見ると、相当のものだったようだな。……それで」
 クロロは、真剣な目でアケミを見た。アケミは、初めてクロロの目線に怯む。
「文献を漁り、ボノからも聞いたが……。幽霊というものは、生き物以外に、こういった名品……つまり念の籠ったものにも憑依することができるらしい」
「……それって」
「こっちに移れ。そうすればお前も消滅しないし、シロノも普通に成長していくことが出来る」
 お前がこの指輪に入った後は、俺がこれを管理する。
 クロロはそう言って、アケミを見つめた。驚いていたアケミだが、しかし、だんだんとその表情は訝しげなものになっていった。クロロがふうとため息をつく。
「……信用できないって顔だな」
「当たり前じゃない。自分がなにをやったのか振りかえってご覧なさいよ」
「言い返せないのが辛い所だが……ではもう一度言おう。俺は嘘をついていない。“約束”だ」
 クロロははっきりとそう言い、苦笑した。
「生憎、悪党なものでな。これが俺の精一杯の誠意、とやらだ、アケミ」
「……クロちゃん」
「クロちゃんと呼ぶなと言ってるだろうが」
 半目になったクロロは文句を言ったが、アケミはぼんやりしたような目で彼をしばらく見た後、腕の中の娘を見た。
「心配するな……というのは無理かもしれんが。……こいつは蜘蛛(うち)でちゃんと育てる」
「……本当に?」
 アケミは、もう一度ぎゅっとシロノを抱きしめた。

「ああ。……でなければ、“本当のこと”を言ったりしない」
 アケミの能力は、いまクロロが“本当のこと”を言ったせいで制約が無効になり、その無敵さは消えてしまった。彼が嘘をつき続けて真実を伝えなかったなら、アケミは自分が時をずっと止めていることにも気付かず、シロノは家と父親を渡り歩いてはそれを忘れるという無為なループを、32年よりさらに繰り返していくことになっていただろう。
 そしてそれは、母子の能力を買っていたクロロにとって、悪い話ではないはずだった。しかし、彼はそれをしなかったのだ。
 揺らぎの止まった赤い目は、美しいが物足りないのだ、ということに、彼は渋々ながら気付いたのである。

「蜘蛛に誓って本当だ」

 そうクロロが言ったとき、眠る娘に頬擦りした母の涙は、消えることなく子供の頬に落ちた。クロロは、その様子をじっと見ている。
「それに、アケミ」
「……何?」
「この中に居る間、念の修行をしておけ」
 クロロは、団長らしい顔ではっきりと言った。
「お前が幽霊という特殊な存在だ、ということは大きいだろうが……。それでも、念の何たるかをきちんと把握し使いこなせるかどうかでまた違ってくるかもしれん」
「……自主練、ってこと?」
「そうだ。お前が自分の力や性質を正しく把握できれば、……そうだな、コイツがいくらか成長したとき、またこうして出てこれるかもしれんだろう?」
 アケミの涙が、驚きと希望で引っ込んだ。
「……本当に?」
「本当……とははっきり言えんな」
「……ええ、いいわ。嘘を言ってくれない方が嬉しいものよ、泥棒さん」
「だから泥棒じゃなくてだな……」
 クロロが苦笑すると、アケミが初めて微笑んだ。

「……大事に、してあげて」
「……寝る前に本を読む位は、な」
 クロロが少し困ったような声でそう言うと、アケミは泣き腫らした顔で大きく笑う。
「しかし、もちろん厳しくもするからな」
「……ほどほどにね。まったく、曲者な“パパ”に当たっちゃったもんだわ……」
 アケミはシロノの前髪をめくって、子供らしい、広くてすべすべの額を愛おしそうに撫でた。しかしその手は先程よりも随分薄い。……オーラがなくなってきているのだ。
「アケミ、手を出せ」
 クロロが言うと、アケミは、半透明になってしまった手を、ゆっくりと差し出した。クロロは差し出された左手を恭しく取ると、薬指に『朱の海』をゆっくりと嵌める。廃墟の隙間から差し込む月光は青と赤の宝石を輝かせ、そして女の姿を透かした。
「……クロちゃん」
「最後までクロちゃんか……。何だ」
「もし私がこの指輪から出て来れなくても、……この子が大きくなったら、この指輪をあげてちょうだい」
「……わかった。それまでは俺が管理しよう」
「ありがとう」
 白い髪を撫でる、月の光に負けつつある透明な指。しかしそこに嵌まった赤と青に揺らぐ輝きは強い。不滅の愛を誓うにこれ以上ないほどの石。

「約束、して」

 差し込む月光に、女の身体が溶けていく。

「大事に、育ててあげて。大人になるまで、……ひとりでも生きていけるように」

 私のように、簡単に大事なものを奪われたりしないように。

「約束、」
「約束しよう」
「約束して」
「ああ、誓う」
 鮮やかな赤い髪が揺れ、青く煌めく目が笑った瞬間、消えた指から指輪が転がり落ちた。






 ──ママ?


「……んう、」
「……起きたか」
 目を擦ってシロノが目を覚ますと、クロロが顔を覗き込んでいた。クロロの膝の上で眠りこけていたことにシロノは驚いたが、しかしそれよりも、ぽっかりと抜けた気配が子供の不安を一気に煽った。

「……ママ?」

 シロノは、きょろきょろと辺りを見回した。夜明けの光が差し込む廃墟は、明るすぎる太陽の光のせいで酷く寂しい。
「ママ、」
 いつも側にあった温もりが、どこにも感じられない。みるみる不安でいっぱいになった子供の表情、目から涙がこぼれ出すのはすぐだった。

「……ママぁっ、ママは、ママ!?」
「アケミはいない」
 暴れるシロノを抱き込み、クロロが言った。シロノはその言葉にびくんと身体を跳ねさせると、ますます涙を溢れさせた。
「ママ、なんで、ママ、」
「シロノ」
「ママ、……ぅああああ──!!」
 昨日泣き喚いた時よりも悲痛な泣き声が、無遠慮な光が差し込む廃墟に響く。念まで使って暴れるシロノを、クロロは長い腕で押さえ、抱き込んだ。クロロと団員たちで鍛えた子供の力は強く、クロロに敵うはずはないものの、しかしなかなか彼を苦労させた。

「ママは、ママ、ママ、ママ、」
「シロノ」
 クロロが力を込め、涙でぐちゃぐちゃになったシロノの顔と自分の顔をあわせた。
「アケミはいない。暫く会えない」
「……なん、で」
「お前に害があるからだ」
「ないよ、そんなの、ない」
 シロノにとって、アケミはただ母親という以上の存在だった。
 赤ん坊にとって、母親は世界の全てである。だが成長するに従って外の世界を知り、親離れをする、それが生き物だ。しかし常に心で一体となり、奥底から心を交わし、そしてどんな時も必ず守ってくれるアケミは、シロノにとってほとんど世界の全てだったのだ。それをいきなり引き離されて、平気でいられるはずがなかった。
 そしてそのことを、クロロも理解していた。あの女があれほどまでして築いたのが、この絆なのだと。

 ──クロロは、子供を抱きしめた。
 朝日が差し込む寂しい廃墟で泣く黒いドレスの子供を、クロロは自分のコートでしっかり包んで、抱きしめた。コートの背に描かれているのは、銀色の大きな十字架。

「お前が大人になるまで会えないんだ、シロノ。大人になったらまた会える」
「……あた、あたっ、し、が、」
「大人になってアケミと会えるまで、お前は俺たちと一緒に居るんだ。“子蜘蛛”として」
 クロロが、シロノを初めて深く抱きしめた。シロノはそのことに驚き、そしてさんさんと朝日が降り注いでいるはずなのに、日光過敏症の自分の肌がちっとも痛くも痒くもないことにふと気付いた。素材のいいクロロのコートが、すっぽりシロノを包んでいるからだ。

「……あたし、能力、」
「ああ、もう使えないだろうな。アケミがいないから──だが」
 クロロは、ひくひくとしゃくり上げながら自分を見ている子供に言った。
「これから覚えればいい。お前はまだ子供なんだから」
 何も出来なくても、子供なのだからそれでもいい。
 何も出来ないなら、何か出来るように育てればいい。

「さあ帰るぞ、──お前は、蜘蛛の子だからな」

 クロロはそう言って、日光が当たらないように自分のコートをシロノに巻き付け直すと、布の塊のようになったシロノを抱き上げて歩き出した。

「帰ったら訓練だ」
 まだまだ泣きながら、シロノはクロロの肩をぎゅっと掴んだ。クロロはその小さい手を感じながら、廃墟の外に出る。

「……パパ」

 家出をしてから、シロノが初めてクロロをそう呼んだ。クロロは自分の肩を握り締める子供を抱き直し、言った。

「……ドリルを頑張ったようだから、今日の座学はナシだ」









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