東方今昔鬼物語   作:PureMellow

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*ご指摘があったので、風呂に関しての文章を変更(2016.6.5)


800万分の1のプロローグ

 

 

 ――前世にて、4歳だった時のある夜、俺は両親と飼い猫のリンと一緒に寝ていた。

 

 ふと目を覚まして寝返りを打ち、隣に寝ていたリンの腹に顔を埋めて抱いた時、その心臓の音を聞いた。

 

 トクン、トクン、トクン。

 

 時計の針の音の様に正確で、絶えず動き続ける生命の営み。

 音と振動の心地良さにまた眠りかけたのだが、沈みゆく意識の中で俺は何故か思ってしまった。

 

 この音が聞こえなくなるとしたら、それはどういう事かと。

 

 ポタリと、真っ白いキャンバスに黒い絵の具が一滴垂れたように現れたその考えは。

 一瞬にして、俺の思考を埋め尽くしていった。

 

 全身に駆け巡る鳥肌。

 溢れ出す汗。

 止まらない震え。

 

 生まれて初めて、『死』という得体の知れないものに恐怖を抱いた瞬間だった。

 

 堪らず、俺は声を上げて泣いた。

 リンは突然泣き始めた俺に驚いて跳び起き、窓の方へと逃げ出して避難すると、じっと俺を見つめた。

 

 次に両親も跳び起きた。

 赤ん坊の時も殆ど夜泣きをすることが無かった俺だから、両親も驚いたらしい。

 俺を抱きしめ、頭を撫で、俺に泣く理由を問うた。

 

『どうしたの? 怖い夢でも見たの?』

 

 俺は答えられない。言葉にできない。

 その時の俺はこの抱いた恐怖の正体を理解していなかったから。

 あれが、『死』に対する恐怖だったと明確に理解したのはもうしばらく後のこと。

 

 黒は次第に、白に埋め尽くされ消えた。

 俺はそれに安心し、母の腕の中で泣き疲れて眠った。

 

 それからずっと、俺は人の『生死』を考え生きてきた。

 あの夜のことを思い出しながら。

 

 死の間際まで、ずっと……。

 

 

 

 

 

 

 体中のチューブを引き千切り、隠し持ってた致死量を超す睡眠薬を飲んで眠りについた俺。

 

 次に意識が浮上した時、世界は真っ暗だった。

 

 俺がいた、深夜の病室の暗闇ではない。

 あの日は満月で、開いていたカーテンの隙間から月明かりが射していたから、部屋は割と明るかった。

 それに、まるで水の中の様な心地のいい浮遊感と温もりを感じる。

 

 きっとこれが、死んだという感覚なのだろう。

 ちゃんと、俺は死ねたようだ。

 

 結構意識ははっきりしているもんなんだな。

 これから、三途の河にでも向かっていくのだろうか。

 

 そんな事を思っていたら、ふと、真っ暗で何もない筈の世界で、どこからともなく小さな音が聞こえてきた。

 

 何だろうと思いながら、俺は軽く()を動かした。

 

 瞬間、俺の周りに感じていた水の様なものが急速に無くなっていく事に気が付いた。

 

 そして浮遊感もなくなり、俺の頭上が柔らかい窪みか何かに嵌る。

 

 何かがおかしい……ここは本当に死後の世界か?

 

 周りの状況の異様さを考えていると、俺は段々と窪みに飲み込まれて行っている事に気付いた。

 

 そして……俺は理解してしまった。

 これは、出産だと。

 

 俺の周りを覆っていたのは羊水で、俺が腕を動かしたために破水したんだと。

 そして俺は今、母親の膣の中から出ようとしているんだと。

 

 え……もしかして、また俺は……。

 

 狭いザラザラした空間を進んでいると、やがて俺の頭が掴まれた。

 そしてゆっくり俺を引っ張り、やがて体を覆ってた圧迫感から解放された。

 

 真っ暗な世界が一転、眩さに支配される。

 俺の中から体に響き渡る、命の声。

 

「生まれたわ!」

「元気な男の子よ!」

 

 俺の耳に聞こえてきた、歓喜に沸く女性らしき人たちの声。

 遠くから近付いてくる慌しい複数の足音。

 

 ああ……やっぱりか……。

 

 本当に、涙が出そうだ……もう既に泣いているが。

 

 俺は……生まれ変わったのだ。

 

 ――人に。

 

 もう生まれたくないと願った、人間に。

 

 前世の記憶を継いだまま。

 

 また。

 

 

 

 おい、神様。存在するのか知らないけど。

 

 これがあんたの仕業なら、あまりにも、意地悪過ぎやしないか?

 

 

 

 

 

 俺が生まれたのは、小さな村の農民の子だった。

 父と母、姉が二人の5人家族。

 続けて女が生まれたため、俺はようやく待ち望んだ男児だったのだ。

 

 時代は、恐らく奈良時代。

 

 父と母や、村の人の会話から偶に聞く『平城の都』という言葉から俺は小中学生の時に学んだ歴史の授業の知識を引っ張り出して、時代に当たりをつけたのだ。

 この村から歩いて1日で着く距離にあるらしい。結構近い。

 

 しかしこの時代のことなんて、平城京があったこと以外殆ど憶えていない。

 歴史の授業なんて、特に好きにもなれず寝てばっかだった。

 

 にしても、生まれ変わるって普通、前世の時代より後に生まれるものだと思ってたのだが。

 しかも同じ種族、同じ人種で、時代を逆行して生まれ変わるなんてどんな確立だ。もはやミクロの世界の確率だ。

 0と点の後に、どれだけ0が続いているのやら………。

 

 それに、何故俺は前世の記憶を持って生まれている? 普通は、記憶なんて消去されて新しく生まれるものだろう。

 

 加えて、この体は不思議だ。丈夫なのだ。

 今俺は18歳だが、生まれた時から病気もせず、力は人より少し強く、あまり疲れない。

 背も高く、村の男性の平均でも160あるかないかぐらいなのに、俺は190近くはある。

 

 それから……やたら性欲が強い。

 

 前世に比べれば苛酷な環境な訳だし、子孫を残そうとする意識が強いだけなのかもしれない。

 今世の俺がただの変態なだけではないと願いたい。

 

 今はまだ暴走していないが、この時代の服装はしっかりとしていないし、それ程男女間での羞恥心みたいな意識も薄いため意図しない誘惑が多い。

 なので、正直しんどい。特に姉たち。恐ろしい事に美人でナイスバディだし。

 なのに未だに『弟可愛いよ』が治らず、20を過ぎても独身。

 

 早く結婚しろ。してください。頼むからホント。

 

 キンシンナンカゼッタイシマセンヨ?

 

 そんな煩悩を抑えつつ、俺という存在に対しての疑問も全て背負い込んで俺は、農民としてせっせと畑仕事に精を出す18年の毎日。

 前世では畑を耕したりなんて事は一度もしたことがないが、俺はこの生活を割と楽しんでいた。煩悩云々は違う。

 

 前世の生活水準を知っている俺にしてみれば、食事や衛生面で苦に思う事はあれど、生活そのもので不満は特になかった。

 水の美味さには感動したっけな。

 

 確かに、食事は貧相だ。農民は米ではなく粟や稗がもっぱらの主食。農法も堆肥何てものがまだ取り入れられていない時代。

 

 肥料の作り方を知らない俺でも、腐葉土が作物に良いという事ぐらいは知っていたので、5歳ぐらいの時に無知と無垢を装って腐葉土の有用性を両親に気付かせた。

 おかげで、ここの村は他に比べれば豊かになった。

 

 それから風呂もなかった。この時代の農民は水を浴びて体を布で擦って洗う程度の文化。

 けれどあの湯に浸かる心地良さを忘れられず、俺は人が浸かれる程の深さのある風呂桶(というか木箱)を木だけで頑張って作ったのだ。水が漏れない様工夫したり、都に行く度に少しずつ和釘を買ったため作製には時間も掛かったが。

 燃料には限りがあるため週に一度ぐらいしか入れない。加えて入るには水を汲んだり、石を焼いたりの作業もあるが、そんな事は全く苦ではなかった。

 

 俺はこの生活に充実を感じている。

 人間として、生き物として生きている事を確かに感じられるこの生活を愛している。

 

 今となっては、この時代の人間に生まれた事も、悪くはないと思えた。

 

 

 

 何となくこの18年を振り返ってみた俺は、屋根の上に登って沈みゆく太陽を眺めながら、楓の木の枝を削って作った篠笛を吹いていた。

 

 前世の記憶があるせいで、楽器が欲しくて仕方がなく。

 しかし今世のこの時代にピアノがある筈がなく。

 というか、あっても農民の俺が手に入れられる訳がなく。

 

 フルートを少し齧ってたこともあり、気軽に演奏できるこの楽器を選んだ。

 

 吹いているのは、前世で俺が最後に作った曲。

 この村でもとても人気だ。

 

 村の一日の営みを労うように、毎日この時間に吹くのが恒例となっていた。

 

 曲も終わりに差し掛かり、最後の一音は肺の空気を一杯に使い奏でる。

 もう少し吹きたい。

 そんな名残惜しさを抱きながら、ゆっくりと唇を離した。

 

「ひぃー!」

「ご飯だよー!」

「あいよー……その呼び方はいい加減止めろっての」

 

 曲が終わったタイミングで、姉たちの俺を呼ぶ声が掛かった。

 何度言ったか分からない恒例の文句を言いながら返事をし、笛を懐にしまって、俺は屋根から飛び降りた。

 

 

 

(ヒイラギ)

 

 

 それが俺の今世の名前。

 

 

 

 この名前を授かった時、神様は本当に、俺に対する厭がらせが過ぎると思った。

 

 

 

(シュウ)

 

 

 それが俺の前世の名前。

 

 

 

 自ら世界を飛び出そうとも、生まれ変わろうとも、

 

 

 俺は、『柊』のままだった。

 

 


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