そして今回は9000字超えてます。ちょっと長いです(白い目
昨日、日間ランキング1位と5話投稿の現在、お気に入り件数1200件越え。
まだ4話しか投稿してないのに……驚き過ぎて変な声が出ました。
本当にありがとうございます!
これからも頑張ります!
*『妹紅』という名前は後に自分で付けた名前だという設定を完全に忘れてました……なので急遽適当に考えて変えました。すみません。
藤原氏の茶会で笛の演奏をする羽目になった日の朝を迎え、俺は目を覚ましてすぐに、自身の中にある違和感に気付いた。
「……ん?」
布団から起き上がってみると、いつもより体が軽く、頗る調子も良い。
手を開いたり握ったり、指を動かしたりして己の状態を確認しても、やはりいつもと違う。
そもそも、今日は貴族の茶会で演奏するというのに不思議と緊張すらない。
寧ろ、普段以上に心が穏やかだ。まるで凪の様。
それでいて、不思議な昂揚感に満ちていた。
こんな感覚は初めて……いや。
憶えがある。
「そういえば、あの時も……」
前世で俺が最後に作り、後にミリオンヒットする事となったあの曲をスタジオでレコーディングした日の朝も、こんな風に調子が良かった。
――そうだ。
あの日の、あの曲の演奏こそ、俺の前世における人生最高の輝きだったんだ。
そしてそれが偶然CDとなり、俺の曲と名が世に知れ渡った。
ヒットを記録してすぐにライブ公演やメディア出演の話が沢山舞い込んで来たが、俺はもうその時既に病は末期の状態で。
あのレコーディングから1週間もしない内に、俺は血を吐いて倒れたんだ。
「……今日は、良い演奏ができるかも知れない」
ならば、怖れることはない。自然と笑みが零れる。
前世では結局、小さなライブ活動はしても大舞台に立って演奏する事はなかったしな。
俺の初の大舞台。失敗など自分が許さない。
それに、ガチガチに緊張し演奏を失敗する俺の姿などを阿礼に見せたくもないし、心配もさせたくない。
下手をすれば稗田家と藤原家に泥を塗る事になる。
貴族の茶会だろうと、俺は俺を貫いて堂々と演奏しよう。
そう決心し、俺は顔を洗うために部屋を後にした。
「おお、これはこれは阿京殿! よく来て下さった!」
「お呼び頂き、誠にありがとうございます。不比等様」
阿礼の父親が藤原不比等にそう挨拶し、俺たちも習って礼をする。
まさか不比等自ら、ゲストの出迎えをしてるとは思わなかった。
こういう位の高い貴族はただ偉ぶって、下位の人間は相手しないみたいなイメージしかなかったが、案外そうでもないらしい。
稗田家も優しい人たちばかりだし、俺の貴族に対する偏見が過ぎただけか。
「阿礼殿も久しいな。見違えるほど麗しくなったものだ」
「まあ、ありがとうございます不比等様。不比等様にそう言っていただけると、自信が出てきてしまいますわ」
「はっはっは! 言うようになったではないか!」
阿礼の言葉に、愉快そうに高笑いをする不比等。
そしてようやく、阿礼の背後に立つ俺へとその関心が向いた。
「……む? お主はどこかで……」
「私です不比等様。昨日茶屋でお声を掛けて頂いた柊です」
「な、何と柊殿か!?」
目を見開いて驚く不比等。無理もない。
農民という身分に似つかわしくない、貴族とて見たことのない立派な衣装を纏い、ましてや稗田家と一緒にやって来るなど誰が想像出来るだろうか。
俺は苦笑しながら頷き、自分には敬称は要らないと言った。
「柊は以前、私の命を救って下さった大恩人なのです。それを切っ掛けに交流があり、彼の纏う衣服は、私が意匠して今回、彼に贈ったものです」
「ほう、阿礼殿の命の恩人とは! それは大儀な事をしたものだ! それに阿礼殿が意匠した着物とは……ううむ、立派だ。我を唸らせる程、この着物は素晴らしい。唐の華服が着想の元なのか?」
「そこに気付かれるとは、流石不比等様ですね。大正解でございます」
「阿礼殿にはこの様な特技があったとは……いやはや恐れ入った。柊よ、今回の茶会での演奏、是非よろしく頼もう」
「お任せ下さい。必ずや、素晴らしい演奏を皆様にお届け致しましょう」
「うむ。期待しておるぞ。ささ、稗田一家と柊よ、お呼びしている来賓が揃うまで、中で茶と菓子を召し上がって待っていて下され」
そう言って不比等自ら、俺たちは立派な屋敷の中へと案内されていく。
流石は藤原氏の屋敷。
失礼だが、稗田家よりも一回りも二回りも大きく、明らかにそこらの貴族とは段違いに立派な屋敷だ。
確か、後に法華寺となり重要文化財となる建物だったと思う。
京都の寺や神社は巡った事があるが、奈良は時間がなくて足を運べなかった。
まさか法華寺の本来の姿が見れて、更には中に入れる機会が来るとは思わなかった。何だか感慨深い。
古代の遺跡学者とか歴史学者などからしたら、嬉しさの余り卒倒してもおかしくないな。
会場となる大広間に着く。
中では左右に茶と菓子を楽しみつつ談笑していた来賓達が縦にずらりと奥にまで並んでおり、一番奥には舞台が設置されていた。
貴族達の視線が俺たちへと向く。当然だ。
不比等が稗田家と共に、見知らぬ着物を着た大男を連れて来れば嫌でも目立つ。
不比等は手を叩いて注目を集め、貴族達へと声を張り上げて俺の紹介を始めた。
「皆の者、此度はよくぞ我が催しへとやって来てくれた。今回の催しにて、一番の目玉となる演し物を披露するであろう奏者を紹介する」
随分と俺を買ってくれているものだ。
不比等に促され、俺は稗田家の前に出て不比等の横に並び立った。
「彼は柊。本人曰く都近くにある村に住む農民らしいのだが、その笛の音は私の聴いた中で最も素晴らしい音を奏でてくれる。昨日、茶屋で彼の演奏を耳にして、急遽この催しに呼ばせてもらった。聞けばこちらの稗田阿礼殿の命の恩人で、知己の仲との事。この着物も阿礼殿が意匠し用意したものだそうだ。ぜひ、彼の演奏を楽しみにされよ」
不比等の余りの俺の褒めようというか期待に、周りの貴族達は皆騒めき出す。その空気の中で、俺たちは席へと案内された。
気を遣ってくれたのか、まだ空いていた左側に並ぶ席の列の丁度真ん中付近に俺は座らされ、その左隣に阿礼、右隣に阿礼の父親が座った。
阿礼の左隣には阿礼の母親が座っており、俺と阿礼が阿礼の両親に挟まれる形だ。
そして現在、俺はピエロになった気分だ。
この中の貴族の誰よりも背が高く、阿礼が意匠した明らかに身分とそぐわない着物に身を包み、挙句不比等に褒めちぎられる程の笛の音を奏でる男。そりゃ目立つわな。
様々な視線が俺へと集中する。
低俗、場違い、嫉妬、身の程を知れといった視線が貴族の大半から俺へと向けられている。
嫉妬に関しては不比等に認められているというものと、阿礼の隣に座っているといった、貴族または男としての二つが混じっているように感じる。
だが、純粋な興味で向けられている視線も多いようだった。
俺はどちらかと言うと殆どの貴族に前者の視線を向けられると思ってたので、どこか拍子抜けした。
……というか、女性からの視線に関しては何というか、違う意味で怖い視線が集中している。何かギラギラしている。
「ごふっ」
何故か、阿礼から割りと痛い肘鉄を脇腹にもろに喰らった。
いきなりなんだと阿礼に批難の眼を向けても、目の座った無表情で俺に視線を合わせない。
阿礼の両親は、笑いを堪えようと震えている。
そして、周りからの嫉妬の視線がより濃くなった。
……解せぬ。
茶会も始まって、色んな催しが次々と披露されていく。
雅楽に合わせた優美な舞や、一転陽気なリズムで展開される芸。
それを茶や菓子、果物を食べ、希望者は酒を飲みながら鑑賞している。まあ殆どの男性陣は酒を呑んでいるが。
俺は演奏するので、阿礼は酒が飲めないため、茶を飲みながらだが中々楽しいものだ。
茶会が始まっておよそ一刻が過ぎた頃、入り口前の舞台に向かって真正面に座る不比等が、手を叩いて注目を集めた。
「さあ、次の演し物が最後だ。柊よ、頼むぞ」
まさか大トリに俺を持ってくるとは思わなかった……まあ、いいか。
立ち上がろうとする俺に、阿礼が笑顔で声を掛けて来る。
「柊、頑張って下さいね」
「ああ。……そうだ、阿礼」
「何ですか?」
「――今日の演奏は、一味違うかもしれない」
その言葉に阿礼は、不思議そうな表情を見せる。
俺は立ち上がって、貴族たちの後ろを通り舞台へと上がった。
舞台に座り、笛を取り出して不比等の合図を待つ。
「では柊よ。お主の笛の音を聴かせてみよ」
不比等の言葉に少し間を置いてからゆっくり礼をし、俺は笛を構えようと目を伏せる直前、俺は阿礼と目があった。
何故か不安気に俺を見ていたが、それも一瞬。俺と目が合うとその不安の色は消えた。
阿礼は心配性だな。
そして俺は目を閉じ笛の唄口に唇をあて、大きく息を吸った。
――ああ、一緒だ。
あの日、あの時、あの瞬間。
あの曲の最初の一音を奏でようとピアノの鍵盤に指を構えた時と同じ感覚。
俺の全てが、笛へと一点に集約され、そして――
あの時と同じように、音が光を放った。
演奏を終え、俺は庭園の中に設けられた椅子に腰かけて、美しい景観を眺めていた。
演奏は大盛況だった。茶会がお開きになった後に向けられた俺に対する好意的視線から、負の感情が込められた視線を殆ど払拭できたように思う。
稗田家は他の貴族たちと少し挨拶して回ると言って別れ、俺は不比等から、疲れただろうから気分転換でもしたらどうかと、ここへ案内された。
やはり、自然の景色を見ると落ち着く。
静かな池、風に揺られ囁く草木、太陽の光に笑う花。
俺は大きく息を吸い、ゆっくりと息を吐いた。
ああ……和む。
「あの……」
突然、横から掛かって来た声に俺は振り向く。
そこには地に届きそうな程長い黒い髪に大きな赤と白の髪飾りを付けた、阿礼と同じぐらいの年齢の少女が立っていた。
確か、茶会にいた不比等の娘の一人だったと思う。
俺はその少女に用件を尋ねた。
「何か御用でしょうか?」
「貴方と少し、話をし……お話しをしたいと思って……隣に座ってもいいか……いいですか?」
どこか口調がたどたどしく、喋り辛そうな様子。
無理して敬語を使っているのだろうか。
「構いません。どうぞ」
「ありがとう! ……あ、ありがとうございます!」
朗らかな笑みを浮かべた少女は俺の横に座って、もじもじと恥じらうように話を始めた。
「まずは……私は藤原不比等の娘の一人で、
「ありがとうございます。改めまして、柊です。私はしがないただの農民。無理して敬語など必要ありませんよ」
「本当ですか? ……わかった。ありがとう。私は敬語が苦手で……こういう喋り方の方が好きなんだ」
緋芽はこの時代の貴族の女性には珍しく、気さくで中性的な口調に変えて、俺に尋ねた。
「……私は、柊を見て聞きたい事があるんだ」
「何ですか?」
「柊はどうして……堂々としていられるんだ?」
その言葉にはどこか重々しい感情が宿っていた。
「あんなに沢山の貴族の中にいて、普通農民なら緊張とか身分差を気にする余り縮こまって、普段の力を出す事なんて普通無理だと思う。なのに柊は、あんなに背筋を伸ばして、まわりの言葉や視線も気にせずに堂々と演奏をして見せた。
それが凄く……かっこ良かったんだ」
そう言って俺に向けた視線には、純粋な尊敬と羨望の念が込められていた。
緋芽姫は話しを続ける。
「私が柊だったら、無理だ。怖くて、失敗した時の事を考えて、きっと震えが止まらなくなる」
「……緋芽姫様」
「緋芽でいいよ」
「……口調も?」
「うん、敬語なんていらない」
「……じゃあ、緋芽」
「……ぁ、」
言葉に甘えて口調をいつも通りに、緋芽と呼び捨てで呼ぶと、緋芽は照れてるのか顔を赤くした。
一先ずそれには触れず、俺は緋芽の様子から思った事を尋ねる。
「何か悩みがあるのか?」
「……うん」
「それは、家族関係みたいな事か?」
「え……何で分かったの?」
「何となくだ。どうも、立場みたいなものを気にしている様に感じたから」
「……柊は凄いね。その通りだ」
そもそも、こういった高位の貴族に生まれた子の関係というのはどこも複雑なものだ。
そう言った悩みは特に打ち明け辛いのもよく分かる。
緋芽はきっと、家の中で孤立しているのだろう。
「私はね、望まれない子だったんだ」
そうして、緋芽はポツリとそう、ずっと胸に秘めていた悩みを吐き出し始めた。
妾の子……そういった位置関係なのか?
「お父様は……私を娘として愛してくれるけど、他の兄妹や兄妹の母親は、私の事を認めてくれない。
――私は、要らない子。生まれて来た事が、罪なんだ」
ポタリと、弱音とともに零れ落ちる彼女の涙。
……ずっと、一人で心をすり減らしながら、息を潜めるように暮らして来たんだろう。
敢えて何も言わず、聞き手に回る。
全て吐き出した方が、彼女の心は少しでも楽になるだろうから。
「私はずっと、心の中でお父様に謝り続けて来た。生まれて来てごめんなさい、生まれて来てしまった事をお許しくださいって。
……でもそれと同時に、私は何で生まれて来たんだろうって自問自答し続けるんだ。何のために、私はここにいるのか……そう思いながら、いつもこの場所で虚空を見ながら……一人で……!」
緋芽の静かな慟哭が、景観を震わせた。
その怒りと悲しみに暮れた彼女の想いは、誰かに助けを求めている。
答えの在処はどこかと、答えの姿形を知りたいと。
一人、ずっと一人、その身と心を削って彼女は今日まで生きて来たのだ。
己の存在を問い。
己の価値を問い。
己の意味を問う日々。
答えのない問答と分かっていながら、それでもなお問わずにはいられない。
それはどれだけ想像し難い程の孤独や苦痛、恐怖と戦い、寄り添い歩く日々なのだろうか。
「ねえ、柊。私はどうしたらいい……?」
俺の着物の袖を震える手で握って、俺に縋りつくように緋芽はその答えを乞うた。
そんな緋芽が、今にも消えてしまいそうで、崩れてしまいそうで。
俺は彼女のその手を、守る様に優しく包み込んだ。
「柊……?」
「なあ、緋芽……今から俺は、冗談を言うよ」
「へっ? ……何でまた、冗談なんか言――」
緋芽の若干苛立ちを含んだ声を遮り、俺は語り始めた。
「俺は前世で人として死んだ時、次に生まれるなら蝶になりたいと願った」
「前世……え? どういうこと?」
「もしくは、猫になりたいと願った。鮎になりたいと願った。山桜になりたいと願った。他にも、蛍に、鳥に、花に……俺は、そう願い、それでも尚、こうして今も人になったんだ」
本当は、今も『柊』に、だが。
「……」
「間に受けるなよ? ただの冗談だ」
「え、あ……うん」
そう頷きつつも疑問を浮かべている緋芽。
まあ、いきなり意味の分からない冗談を言われれば無理もない。実は本当の事なのだが。
俺は続ける。
「生き物は前世にどんな生を受けて死んでも、来世ではどんな生を受けるのかは分からない。どんな時代に、どんな生き物として生まれるか……そんなものは、俺たちには到底予想も出来ない。俺は人にはなりたくないと願いつつも、結局、この時代に農民として生を受けた。
緋芽、分かるか。俺たち生まれてくる生き物というのは、時代も、親も、容姿も選ぶことは出来ないし、その権利もないんだ。
――だから緋芽。お前がどれだけ周りから疎まれる存在なのだとしても、お前が『藤原緋芽』として生まれた事に、何の罪も無いんだよ」
「……ぁ、ぅあっ……」
緋芽の瞳から止めどなく零れ落ちる涙。小さく漏れ出す嗚咽。
今まで存在を否定され続けて来た彼女にとって、最も欲しかった言葉だったのだろう。
我慢し、溢れないよう堰き止めていた感情が漸く、流れ落ちても許される場所を見つけたのだ。
「我慢するな。全部吐き出せ。今だけは、誰にもそれを咎められる事はない」
俺はそう言いながらハンカチ代わりの布を取り出し、緋芽の目にそっとあてた。
そしてそれが最後の後押しとなり、彼女は俺の胸に顔を押し付けて、声を上げて泣き始めた。
俺はそっと、彼女の背を優しく撫でる。
……俺には緋芽の気持ちが痛い程よく分かる。
俺も、己の存在についてずっと考えてきたから。
どうして前世の記憶を持っているのか。
どうして俺は時間を遡って生まれたのか。
どうして俺は『柊』のままなのか。
そんな事を、ふとした瞬間に考えてしまう。すぐに止めるが、それでもまたふと、どこかで考え出す。
答えなど、結論など期待していない癖に。
こんな問答といつまで付き合っていけばいいのだろうと、俺も心が満たされない思いをずっと抱えて生きて来た。
だから緋芽には、親近感を抱いたのかもしれない。
仲間がいたと安心したのかもしれない。
同じ悩みを抱える友人に、俺と緋芽はなれるかもしれないと……。
「ごめんね、柊……みっともない所を見せて」
「気にするな……すっきりしたか?」
「うん。ありがとうね」
緋芽が泣き止むのを待ち、落ち着きを取り戻した所で、俺たちは会話を再開した。
「それから、俺がどうして貴族の中でもあれだけ堂々としていられるかを知りたいって言ってたな」
「うん」
「それも、さっきの話に関わってくるが……ようは開き直りだ」
「開き直り……?」
「ああ。自分に価値が見出せないのなら、自分で作るしかない。俺は笛という自分だけの武器を作った。誰も持っていないような、自分にだけしか出せない音を作った。そういったものを作るには、周りの眼なんか気にしている暇なんかないんだって、俺は気付いたんだ」
「自分の価値を自分で作る……か」
前世でも、俺の音楽が認められるのには随分時間が掛かった。
周りに何を言われようと、俺はピアノが好きでずっと弾き続けてきた。
家族にも随分迷惑を掛けただろう。
それでも俺は俺を貫いたから、最後の最後にあの曲は生まれたと今も思っている。
「緋芽。自分の存在価値や存在意義を考えても結論なんか一生出てこない」
「うん」
「ならいっそ、今の自分に出来ることを考えて模索し、行動してみるといい。自分を飾るな。周りの眼なんか気にするな」
「うん」
「けれどそれには、踏み出すための多大な勇気と、持続し自分を信じ続けるための強い心がいる。でも俺は、緋芽は既に持っていると思っているよ。孤独と一人で戦い続けて来た緋芽なら、きっと見つけられると信じている」
「うん」
「無責任な事は言いたくない。だから、もしまた自分を見失ないかけたら俺を頼れ。また、こうして話を聞く。笛の音で心を癒してやる」
「うん……!」
「だから緋芽、俺と友人になろう」
その言葉で、彼女はまた涙を流した。
でもその瞳に今まで宿していた負の感情はどこにもなかった。
「ありがとう……柊」
そう言って笑った緋芽の笑顔は、とても美しかった。
「柊、此度はとても良い演奏を聴けた素晴らしい茶会となった。礼を言おう」
「勿体無いお言葉です」
あれから夕刻となり、茶会はお開きとなった。
俺は稗田一家と合流し、最後に不比等と挨拶をしていた所で、不比等が俺に向かってそう礼を言った。
「柊、私はお主がただの農民である事が堪らなく惜しい。そこでどうだ。私の専属演奏家となって仕えぬか? お主とその笛の音に見合うだけの、優雅な暮らしを約束しよう」
「いえ、私は……」
「何、足りぬか? なら、緋芽をお主の妻に娶らせても良いぞ? 緋芽がお主に世話になったようだからな」
え、この人知ってたのか?
緋芽が俺と庭で話していたことを。
そう言う不比等の顔はとても、何というか悪戯な笑みを浮かべていた。というかニヤニヤしている。ちょっと腹立つ。
……あれ、何だろう。何か後ろから物凄いプレッシャーを感じる。
背中の汗が止まらないんだけど。
「で、どうだ? 柊よ」
「……申し訳ありませんが、私はその話にはお答え出来ません。もとより稗田家にも、仕官の話を頂いていたのですが、私にはそれを断る理由があるのです」
「……聞いても良いか?」
「私は小さな農村に暮らしております。そして私は、次期村長の第一候補として期待されています。私はもしそれに選ばれるのであれば、受けるつもりでいるのです」
俺の暮らす村の村長は代々、村人の若者から候補者を出し、村長が引退を決意した際、村長の命によって次の村長が決まる。
そして俺は以前から、その話を受けていたのだ。
「それに私には、都暮らしに大した憧れがありません。優雅で贅沢な暮らしよりも、私は汗水を流して働き、野山を駆けて狩りをし、大自然の中で生きる今の生活に人間としての生の喜びを感じ、そして心から愛しています。私の笛の音は、そんな暮らしの中から生まれた音なのです。
――だから私は、この話を受けるつもりはありません」
俺は不比等から視線を逸らさず、真っ直ぐに見据えてそう言い切った。
少しの静寂と緊張が走り、そしてそれを破ったのは不比等の方だった。
「ふふふ……くはははははっっ!!! 面白い! 本当にお前は面白い男だ! よもやこの私からの仕官の話を断るとは! 益々気に入った! なればこそ、お主の想いは尊重しよう。だがお主の笛の演奏を私はもっと聞きたい。そこで、月に一度我が屋敷に演奏をしに来て貰えぬか? 勿論褒美をやる」
「そのくらいであれば、喜んでお引き受けいたします」
都に来る理由ができれば、俺も阿礼と会う機会も増えるからな。それについては願ったり叶ったりだ。
褒美も貰えるなら、村を豊かにするのにも役立つだろう。
「そうか、感謝する。それとお主は緋芽の友人となってくれたのであろう? 少しでもいい。緋芽の話し相手になってくれぬだろうか?」
「……ええ、勿論。約束しましたから」
彼女が自分に自信を持てるようになる、その手助けをすると。
俺の言葉に不比等は満足したように、満面の笑みを浮かべて頷いた。
「もし、仕官の話を受けようと気が変わったら言うが良い。喜んで、お主を迎え入れよう」
「……その言葉、憶えておきます」
まあ多分、気が変わることはないだろうけど。
俺は不比等に礼をし、稗田家と共に藤原氏の屋敷を後にした。
「……柊? 不比等様との会話の事で聞きたい事がいくつかあるのですが」
「いででででででっっ!? おい、やめろ! 脇を抓るな!?」
「いつの間に緋芽姫様と仲が良くなっていたのでしょう? 今夜、彼女と友人に至るまでの経緯を、ぜひ詳しくお話くださいな?」
「何を怒ってんだ? 嫉妬かいだだだだだっ!?」
「勿論柊の事ですから、特に疾しい事をした訳ではないと、信頼してますよ? だから私が聞いても構わないですよね?」
「わかった、ちゃんと話すから。いいからいい加減手を離せ! 痛いわ!」
「私たちも気になるからな。ぜひ酒の席で聞きたい」
「そうですね」
「まさかの四面楚歌!?」
………正直茶会での演奏よりも、帰り際の阿礼の追求の方に俺は疲れた。
あー、痛ぇ。
――本当に、面白い男だった。
あんな傑物にはそうはお目にかかれない。
久々に……本当に久々に大笑いしたものだ。
――欲しい。
あの男が欲しい。
あの男の笛の音が欲しい。
きっとあの方も、あの男の笛の音を気に入るであろう。
あの男を保有すればきっと、あの方も我に振り向くに違いない。
あの男には緋芽を娶らせてしまえば、あの男にあの方が靡く事は無い。
であれば……。
ふふ……待っておれよ、我が姫君よ。
必ずや、我に振り向かせてみせようぞ。
――例え、どんな手を使おうとも。
感想、評価、誤字脱字報告、質問などあればぜひよろしくお願いします。
……さて、課題レポートやらなきゃ。
では。