ラブライブ!サンシャイン!! Aqoursの戦国太平記 作:截流
また、1章の終わりに紹介した人物もその都度更新するのでそちらも目を通していただけると幸いです。
北条家
遠山綱景
北条家の家臣。家臣団の中でも最も位の高い『北条家三家老』の一人にして江戸城代筆頭。『五色備え』の直勝と共に江戸城を守っている。
Aqoursが北条家に仕官してからは梨子に内政などを教え、彼女からは師として非常に慕われていた。江戸を小田原に負けない豊かな場所にするべく江戸城周辺の開発に尽力しており、また京から有名な連歌師を呼んで江戸城で連歌会を催すなど、内政家としてだけでなく文化人としても優秀だった。
娘婿であり、同じく江戸城代であった太田康資(後述)が里見家に寝返ったことに強く責任を感じ、第二次国府台合戦では直勝とともに抜け駆けをするも、逆に里見軍に奇襲を仕掛けられてしまう。何とか梨子が救出に来るが彼女の勧めを断りけじめをつけるために康資に一騎討ちを挑む。
しかし怪力を誇る康資に力及ばず敗れ討ち死にしてしまう。その命を懸けて梨子に乱世の厳しさを教えた。
北条氏繁(康成)
北条綱成の嫡男。最初は父綱成の「成」と氏康から与えられた「康」の字を合わせた「康成」という名を名乗っていたが、氏康の死後に、隠居した父の家督を継ぐと同時に氏政から「氏」の字を与えられ「氏繁」と改名する。
父譲りの戦上手で、氏照や氏邦と同様に北条家の次世代における武を担う将であるが、剛勇無双で気のいい父とは違い冷静沈着でぶっきらぼうであり、戦い方も力押しではなく技で戦うタイプである。また、武芸一辺倒と思われがちだが、実は絵や茶の湯、鷹の飼育を嗜んだりもしている。
第二次国府台合戦では里見軍の正木信茂に苦戦していた氏政隊を救援し、信茂との一騎討ちでは互角の戦いを繰り広げるが最終的には磨き上げた技を用いて信茂を討ち取った。
太田康資
北条家の家臣。江戸城を築いた名将である太田道灌のひ孫にあたる。北条家には父の代から仕えており、綱景と直勝と共に江戸城代を務める。
三十人力とされる怪力の持ち主で武勇に優れるが、指揮官としての能力が足りないとして城主にさせてもらえなかったのに不満を持っていたところを付け込まれ太田資正(後述)に寝返る。
第二次国府台合戦では康英と戦うもあっさり退けられた上に罵声を浴びせられ、怒り狂って樫木棒を振り回して暴れる。それを見咎めた綱景に一騎討ちを挑み討ち取るも、妻の父を殺してしまったことに罪悪感を覚える。国府台城での決戦で梨子と戦うも、ヤケ酒による二日酔いで力を出せず敗れ、彼女と和解し、どこかに姿を消した。
太田氏資
北条家の家臣。岩付城の太田資正の嫡男であったが方針の違いで父と対立し、第二次国府台合戦の後に父と弟を追放して岩付太田家の当主となる。妻に氏政の妹である凛(後述)を娶る。
親を追放したとして周りからは快く思われていなかったが、北条家の通字である『氏』の字を与え、実の兄弟のように接してくれていた氏政には大きな恩を感じていた。
三船山合戦では氏政からの恩義に報いるため、殿となって氏政の退却を手助けするがそのまま討ち死にしてしまう。そんな彼の死は氏政は深く悲しんだ。
凛(長林院)
氏康の娘で氏政の妹。現代には長林院という名が伝わっている。太田氏資の妻。氏資とは夫婦円満で娘を授かるも、三船山の合戦で夫を失い、氏政と夫に代わって岩付城の城代となった康成の手引きで娘と共に江戸城に避難する。氏資を死なせてしまったことで己を責める氏政の話を氏康から聞きつけて小田原城に訪れ、兄に喝を入れた。
小柄な体格と儚げな雰囲気とは裏腹に気丈な性格。史実での小田原征伐では城主不在の岩付城を守り、落城後も女子供が散り散りにならないように統率し、豊臣秀吉を感嘆させ、北条家のことを記した『北条記』でも「心剛なる女人」と紹介されている。
里見家
里見義弘
里見家当主。父から1560年に家督を譲られる。関東における反北条勢力の中心人物の一人で、太田資正と共に江戸城代である太田康資を寝返らせ、国府台城に進軍し、下総における北条領の攻略と、上杉謙信から依頼されていた太田資正の救援を狙う。
第二次国府台合戦では巧みなる采配で北条軍の先鋒であった富永直勝と遠山綱景の軍勢を蹴散らし、さらに松田憲秀隊を敗走させるが、氏康の偽装撤退を見抜けずに酒宴を開いてしまい、その隙を突かれて翌日の戦いでは信茂を中心とした多くの重臣たちを失う手痛い敗北を喫した。
しかし、数年をかけて態勢を立て直し、三船山の合戦では氏政の軍勢を破り氏資を討ち取った。その結果、里見を再び房総半島の覇者の座へ返り咲かせた。
里見義尭
里見家前当主。家督を義弘に譲ったことから第二次国府台合戦には参加していなかったが、三船山の合戦では居城である久留里城に籠り、長年にわたる氏康との死闘で培った武と知略で氏照が率いていた別動隊を退けてみせた。
「房州の狼」という異名を持つだけあって、戦上手の猛将であり、頭がかなり回る冷徹な策略家であるが、その一方で上総と安房に善政を布いており、房総の民たちからは「万年君様」と慕われていたという。
正木信茂
里見家の一番の重臣で義堯と共に里見家の全盛期を築いた猛将で『槍大膳』という異名を持っていた正木時茂の長男で、1561年に父の跡を継ぐ。その武勇と槍捌きは若者でありながら父にも劣らないものであったことから家中では『二代目槍大膳』と呼ばれ、義弘からもその妹を妻にもらうなど大きな信頼を寄せられていた。
第二次国府台合戦においては里見軍の主力を率いて縦横無尽の活躍を見せ、富永、遠山、松田隊を退ける。翌日の戦いでは北条軍の奇襲によって里見軍は大混乱に陥ったが、最後まで踏みとどまって兵士たちを励ましながら戦い続けた。
しかし康成との一騎討ちに敗れ、24歳の若さで討ち死にした。彼の死をきっかけに里見軍は総崩れとなった。
その他
太田資正
元扇谷上杉家重臣。河越夜戦で主君の上杉朝定が討ち死にしてからは関東管領上杉憲政の下で松山城を守っていたが、憲政が越後に去った後は北条家に降伏する。しかし上杉謙信が関東にやってくるといの一番に彼のもとに馳せ参じて反北条勢力の急先鋒を担う。
上杉謙信が越後に撤退してからは領土を着々と取り戻した氏康に周囲を囲まれるが、親族であった太田康資を寝返らせることに成功する。第二次国府台合戦では義弘の指揮下に入って戦い、前哨戦では富永直勝をあと一歩で討ち取るところまで追いつめるが、救援に来た綱成と綱高に阻止され、撤退する。翌日の戦いでは里見軍が総崩れになると岩付城に退く。
敗戦後は方針の違いで氏資と対立して次男の政景と共に追放され、何とか復帰を画策するもそれさえも阻まれ、常陸の佐竹家を頼った。
根っからのアンチ北条で史実では生涯を北条との戦いに費やし、小田原征伐で北条家が滅亡するのを見届けてから死んだ。また、大の犬好きであり日本史上で初めて軍用犬を用いた。愛犬には自分の通称である『源五郎』を名付けた犬を筆頭に数十匹にわたる犬を飼っている。
いかがでしたでしょうか?
この章からは敵対勢力が出てくるようになったので次の章からはかなり紹介する人物の量が増えそうだなあ・・・w
さて、次回からいよいよ新章『1568 関東三国志』編がスタートします!関東を巻き込む新たな戦乱にAqoursはどのように立ち向かうのか、乞うご期待!!
それでは次回もまたお楽しみください!!