ラブライブ!サンシャイン!! Aqoursの戦国太平記   作:截流

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どうも、截流です。


今回は若干解説要素が強めの回です。読んでて退屈になるかもしれませんが、これから出てくるキャラについての情報をふんだんに盛り込んでるので、これを読んでおけば「え?この人誰!?」と言ってググりながら読む手間が省けると思います!!(あと、キャラに語らせると普通に説明するよりかなり長くなるのでそれを防ぐ意図もあります。)



それではどうぞお楽しみください!!


7話 疑問

江戸城代の太田康資が謀反・・・。その知らせを受けた氏康、氏政父子は衝撃を隠せずにいた。

 

「それで綱景と直勝、そして江戸城はどうなったのだ?」

 

氏康が伝令に江戸城とその城代である2人が無事であるかを伝令にたずねた。

 

「太田康資とその一族郎党は江戸城下にある太田家の菩提寺である法恩寺で謀反の算段を立てていたのですが、たまたまそれを法恩寺の住職が立ち聞きし、早急に綱景さまのお耳に入れ、直勝さまが手勢を引き連れて法恩寺に向かったところ、それを察知したのか既にもぬけの殻となっていた次第にございます!」

 

「そうか、2人も江戸城も無事であったか!」

 

北条家の領土における、東の守りを固める重要拠点であった江戸城とそこを守る二人の重臣が無事であった事に氏康は安堵し、

 

「して、新六郎達が何処に逃げて行ったかは分かるか?」

 

と、康資の消息を尋ねる。

 

「近隣の民の話によると、彼奴らは北の方角へと馬にて走り去ったとのこと。」

 

と伝令が答えると、

 

「江戸城の北の方となると恐らく岩付に向かったのではないかと・・・。」

 

と氏政が氏康に言った。

 

「うーむ、よりによって資正のところに寝返るとは・・・。これはかなり厄介なことになりそうだ。よし、こうしてはおれん。氏政、各城主たちを召集せよ!これより岩付攻めの戦評定を行う!」

 

氏康は氏政の言葉を聞き、彼に各地の支城の城主達の召集を命じた。

 

「あの、私たちは何をすればいいんですか?」

 

と千歌が氏政にたずねると、

 

「千歌どの達はとりあえず待機していてくれ。評定が終わり次第、追って指示を出す。」

 

と言って氏康と共に去って行った。

 

「久し振りにみんなが揃ったけど、なんか大変な事になっちゃったね。」

 

と果南が言うと、

 

「そうですわね。乱世に迷い込んだ時点で覚悟は出来ていましたし、今年も戦が無かったわけではないから心構えが出来てるとは思ってましたが・・・。」

 

「いざ当事者となってみると色々緊張するずら・・・。」

 

とダイヤと花丸がため息を漏らす。

 

「ねえ、梨子ちゃん。さっき氏政さん達が言ってた太田康資さんって人はどんな人なの?」

 

「確か梨子ちゃんも江戸城にいたよね。康資さんって人と接点はあったりしたの?」

 

と千歌と曜が梨子に太田康資について尋ねた。

 

「うん、確かに江戸城にはいたけど、私はどちらかというと綱景さんのところにいたから康資さんとはあまり接点は無かったんだ。一応どんな人かは知ってるし、何回か話した事はあるんだけどね。」

 

「うん?同じ江戸城に勤めてるのにあまり話したことがないってどういうことなんだろう・・・。」

 

とルビィが梨子の言葉に疑問を持った。

 

「まずは江戸城の城代について説明するね。江戸城の城代は三人いて、江戸城の本丸には富永直勝さんがいて、二の丸には遠山綱景さん、そして三の丸に太田康資さんって形で分担が決められてるの。」

 

「へぇ~、城代って一人だけじゃないんだね。」

 

千歌は梨子の説明を聞いて目を丸くしていた。

 

「うん。私がいたのは綱景さんが守っていた二の丸で、綱景さんの仕事だった江戸城周辺の内政のお手伝いをしてたの。」

 

「「「「「「「「へえ~。」」」」」」」」

 

8人は梨子の説明に納得した。

 

ちなみに余談ではあるが、綱景が二の丸、直勝が本丸にいたという事で、江戸城代のリーダー格は直勝だと思う方も多いが個人的な身分は綱景の方が高く、彼が江戸城代のリーダー格であるとする史料も多い。

 

「それで裏切り者の康資って人はどんな人なのよ、リリー。」

 

と善子は康資がどんな人物なのかを教えるように梨子にせがんだ。

 

「うーん、あまり話したことはないんだけど何というかすごい力強そうな感じの人だったな。あと、綱景さんが言うには康資さんは江戸城を作った太田道灌って人のひ孫さんで、綱景さんの娘さんを奥さんにしてるんだって。」

 

太田康資は梨子の言うように、北条早雲とほぼ同世代で江戸城を建築した戦国時代の関東地方における伝説的な名将である太田道灌のひ孫で、康資の父である資高が北条氏綱の江戸城攻めの際に北条家に寝返った事で北条家の家臣となり、直勝の父と、綱景の父と共に江戸城の城代となった。

 

康資自身は、三十人力と言われるほどの怪力の持ち主であり、道灌のひ孫である事と同じように自らの武勇を誇りとしていた。だが、それ故に江戸城の城主になれないことを不満に思っていたのだ。

 

「・・・なるほど、確かに江戸城は元はと言えば太田家の物になりますから城主になれないことに対して不満を抱くのは無理もありませんわね。」

 

「てことは康資さんは江戸城が欲しいから裏切ったってことなのかなぁ・・・。」

 

「多分そうなるでしょうね。ルビィの言う通り、彼は江戸城を手に入れるために謀反を起こそうとしました。」

 

ダイヤが梨子の話を聞いて、康資の謀反の理由を推察した。

 

「でも康資さんはそれに失敗してエスケープしちゃったんでしょ?」

 

「確かに、江戸城には直勝さんに綱景さんもいるのに奪えるとは思えないし、なんでこのタイミングなんだろう?」

 

ダイヤの推察にみんなは同意するが、鞠莉や梨子が康資がどうしてこのタイミングで謀反に及ぼうとしたのか疑問を示した。

 

「多分逃げた先に康資さんを手助けしようとした人がいるんじゃないかな?」

 

と果南が言うと、

 

「えーと、どこに逃げたんだっけ?確か・・・。」

 

と千歌は康資が逃げた先の名前を思い出そうとしていたがなかなか思い出せない。

 

「康資が逃げたのは岩付城だ。」

 

そこに評定を終えた氏政が戻ってきた。

 

「あ、氏政さん。評定は終わったんですか?」

 

「ああ、それと康資の謀反を裏で糸を引いているのは岩付城の太田資正と房総の里見家だ。」

 

「太田資正と里見家・・・ですか?」

 

果南がそう聞くと、

 

「そうだ。法恩寺の住職が聞いた話によると、里見が我らの領土に攻め入り、それを迎撃するために我らが出張ったところを康資が岩付の太田資正と一緒に背後から挟み討ちするという算段だったらしい。」

 

と氏政は答えた。

 

「あの~氏政さん。ちょっと質問いいですか?」

 

と千歌はおずおずと手を挙げた。

 

「なんだ千歌どの。」

 

「里見家と太田資正ってどんな人たちなんですか?」

 

と千歌が言うと、千歌以外のその場にいた全員がずっこけた。

 

「千歌ちゃん!北条家に仕えてるのにそれ知らないのは少しまずいよ!?」

 

と曜がツッコミをいれる。

 

「えー!?だって実際に見たことないし、聞いただけじゃどんな人たちなのか分かんないよ!」

 

と千歌が言うと、

 

「そうだな。確かに千歌どのたちはまだ奴らの事は耳にした程度だからよく知らないのは無理もない。よし、ならばこの機会に奴らについて詳しく教えよう・・・。」

 

と氏政は太田資正と里見家について語り出した。

 

まず、太田資正とはかつて北条家と敵対していた、関東管領(当時の関東で二番目に偉い役職)上杉家の片割れである扇谷上杉家の家臣であり、康資とは親戚同士であった。だが、河越夜戦で主君の上杉朝定が討ち死にし、扇谷上杉家が滅亡した後はもう片方の山内上杉家に所属し、松山城と岩付城を奪い返すも、関東管領である上杉憲政が越後に追われた後は松山城を北条家に奪い返され、一時的に北条家に従属する。しかし上杉謙信(当時はまだ上杉政虎だが、敢えて謙信と記述する。)が上杉憲政とともに関東に攻め寄せてくると真っ先に上杉方に味方した。それ以降は反北条の急先鋒として岩付城に拠って氏康と氏政と敵対している。

 

彼はかなりの戦上手であり、数回にわたる氏康の岩付城への攻撃を退けている。また、かなりの愛犬家としても知られており、日本史上初めて軍用犬を用いて風魔党による情報封鎖を破って味方への援軍要請を成功させている。

 

 

そして里見家は、北条家と長年にわたり房総半島の覇権を競い合っているライバルと言える間柄である。当主である里見義堯は、お家騒動の際に氏康の父である氏綱の力添えで里見家当主となるが、徐々に対立していくことになる。

 

1538年に下総の国府台で、足利義明を担ぎ上げて北条氏綱、氏康父子と決戦するが、義明と作戦について対立したらしく、戦闘にはまともに参加しなかった上に義明が戦死した途端に自分たちだけ真っ先に離脱した。

 

そして義明の死後は温存した戦力を用いて上総や下総に勢力を拡大し、里見家の最盛期を築くも、氏康により上総の大半を奪われ、居城である久留里城を包囲されて危機に陥る。そこで彼は越後の上杉謙信に救援を要請し、上杉謙信による小田原征伐のきっかけを作り、彼と同盟を結び北条家包囲網の一翼を担い、上総を取り戻す。そして1560年、千歌たちがやって来る2年前に隠居して息子の義弘に家督を譲る。

 

義堯自身は房州の狼と呼ばれるほど勇猛で、先に語った国府台での話を聞くと冷徹な策士と思われるが、領民からは「万年君様」と慕われ、氏康からも「仁者必ず勇あり」とその人柄を称えられている。

 

そして何より特筆すべきなのは、何度手痛く打ち負かされても屈することなく、何度でも力を取り戻して北条家に挑みかかる、恐ろしいまでの執念と粘り強さである。事実、北条と里見の抗争は50年近くにわたって行われていたのだから、彼らのそれは評価に値するものである。

 

 

 

「・・・これが我らが知りうる太田資正と里見家の情報だ。」

 

「結構どっちも北条とは根深い関係なんだね…。」

 

「・・・。」

 

「どうしたの千歌?黙りこくっちゃって。」

 

氏政の話が終わってから沈黙していた千歌に果南がそうしてる理由を聞くと、

 

「ねえ氏政さん、どうして康資さんに江戸城をあげなかったの?」

 

と千歌は氏政に質問した。

 

「そ、それは・・・。」

 

「ちょっと千歌ちゃん。それは流石に踏み込み過ぎだよ。」

 

「そうだよ。氏政さんや氏康さんにも考えがあってのことだろうし・・・。」

 

と曜と果南が千歌を諌めるが、

 

「だって、康資さんに江戸城をあげてたら康資さんが裏切ることもなかったんじゃないかな?」

 

「・・・。」

 

氏政が答えられずにいると、

 

「新六郎に江戸城を与えなかったのはわしの判断だ。」

 

と氏康が現れ、千歌の問いに答えた。

 

「父上・・・。」

 

「梨子どのが話していたように、康資は外様の家臣だ。それに江戸城は北条の領土における北東の守りの要だ。外様の家臣にそこを任せるわけにはいかぬが、それでは不満が出るだろうから「三家老」の綱景と、「五色備え」の直勝と共に城代に任命することであやつを監視させたのだ。」

 

「でも康資さんは上杉が攻めてきても寝返らなかったじゃないですか!」

 

梨子が反論すると、

 

「確かにそうだが、まだ奴を城主に任じなかった理由はある。それは奴を城主にするにはまだ相応しくない、という事だ。」

 

と氏康はもう一つの理由を挙げた。

 

「城主とは的確な判断力が求められるのだ。しかし奴は武勇に優れてはいるが、城主として部下に的確に指示を出す能力に欠けておる。故に城代に任じてその能力を養わせようとしたのだ。他にも不満が溜まらないように、奴にわしの名であった新九郎の『新』の字と『康』の字を与えて『新六郎康資』と名乗らせたり、所領も綱景や直勝よりも多く与えた・・・。」

 

康資の北条家における待遇は、外様でありながらかなり優遇されていたものだった。所領の大きさも一族である北条幻庵を除き、筆頭家老である松田憲秀に次いで当時の家臣の中では2番目に大きかった。

 

「氏康さん・・・。」

 

「なんだ梨子どの。」

 

「氏康さんは康資さんに江戸城をあげる気はあったんですか・・・?」

 

梨子は氏康に質問をぶつけた。その目は真剣そのもので、他のメンバーは彼女を止められなかった。

 

「・・・春に岩付を抑えたら、今度こそはあやつに江戸城を与えるつもりだった。だが、それも遅すぎたようだ。氏政には『家臣が仕える主を選ぶ事もある』と偉そうに語ったが、わしがそのような事を言える立場ではなかったかもしれんな。」

 

と氏康は梨子の目を見ながら声を落として呟いた。

 

「だが、犯してしまった過ちを悔いている時はない。今しがた里見義弘が国府台城に向けて進軍しているという知らせが来たのだ。」

 

「国府台城ですか。資正の救援でしょうか?」

 

氏政が氏康にたずねると、

 

「十中八九そうであろうな。国府台城が里見の手中にある限り、上総と岩付の間の通行が簡単にできて厄介な事になる。そうなる前に奴らを叩く必要がある。」

 

と氏康が頷いた。

 

「という事は合戦になるんですか!?」

 

と千歌が氏康に詰め寄った。

 

「そ、そうだがどうしたのだ急に?」

 

氏康は千歌が突然豹変したので戸惑っていた。

 

「私たちが氏康さんと氏政さんに仕えてから今日までずーっと修行してきたんです!だから私たちもそろそろお二人の役に立ちたいんです!!」

 

と、千歌は戦に出させてもらえるように懇願した。

 

「案ずる事はない。そもそもわしはお主達に氏政と共に出陣してもらおうと言いに来たのだからな。いよいよお主らの力を見せるときが来たようだな。」

 

と氏康は千歌に笑いながらそう言った。

 

「皆の修行の成果、里見と太田に見せつけてやろう!」

 

氏政もAqoursのみんなを鼓舞した。

 

「「「「「「「「「はい!!」」」」」」」」」

 

千歌たちは力強く返事をした。

 

 

 

永禄6年(1563)の暮れ、いよいよAqoursが戦場に降り立つ時がやって来た。




いかがでしたでしょうか?


今回もあくまでも前振りです!次回からはいよいよAqoursの初陣です!!

北条家と、千歌たちAqoursの前に立ちはだかる里見義弘と太田資正は一体どのような将なのか?そして千歌たちは初めて立つ戦場で何を見るのか・・・。



それでは次回もまたお楽しみください!!

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