砂上の楼閣   作:やすけん

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この物語はフィクションです。実在の人物・団体・地名とは一切関係ありません。

あくまでも、1つのフィクションとしてお楽しみ下さい。


第1章
第1話


 

 

 

 

 

真白き薔薇の花模様。真っ赤な彼岸花に向かって空からタンポポのように降りてくるそれは、地上に足を着くと根を下ろす事なく直ぐに何処かへ消えてしまう。しかしそれは降りた場所とは関係の無いところで、世紀の華を咲かせ、処女雪の花弁が赤く(けが)れるのも(いと)わず、また藍よりも蒼い空に向かって大きく伸びる。天降(あまくだ)り、舞下(まいくだ)った白薔薇は、青雲に見せつけるかのように丈夫(ますらお)に咲き、盛大に散る––––。

 

 

 

 

 

 

 

空の神兵。

 

言わずもと言ったところか。この愛称は日本国が誇る唯一の空挺部隊、第一空挺団のものだ。

 

空挺部隊は、敵地の後方攪乱(こうほうかくらん)や要衝の制圧といった特殊任務を遂行する歩兵の一種であり、その任務の特性上、全国から選ばれた精鋭達しかその職に就く事を許されていない。世界の特殊部隊を覗いてみても、空挺資格は必須の物で、第一空挺団は日本唯一の特殊部隊と言っても過言では無い。

 

そんな第一空挺団の訓練は、凄絶な物だ。

 

東富士演習場にて行われた演習では、30kgの背囊(はいのう)を背負い空挺降下を実施。東京タワーの高さを走る新幹線から飛び降りると例えられる空挺降下。着地時は2階から飛び降りた衝撃が隊員を襲う。しかし、空挺団の仕事は降下後に始まる。歩兵の仕事、つまりは普通科の仕事は歩くことだ。降下後、45kmの行軍を実施。夜間に敵陣後方へ回り込むという想定で、隊員は極力物音を立てないように約12時間の徒歩行進を強行する。徐々に背囊が体に食い込み、肩は凝り腕の感覚が無くなって来るが、それでも歩き続ける。戦場では飲み水の確保もままならないので、手持ちの水筒はちびちびと飲む。行軍が終わると靴擦れや筋肉の疲労は無視して、襲撃の準備に取り掛かる。軽食を取りながら顔のドーランを塗り直し、鉄帽や服に草木を付けて偽装。日の出と共に敵陣を強襲する。

 

通常、敵陣へは砲迫による攻撃を続け、生き残りを歩兵が仕留めるというのがセオリーだが、空挺隊員には全てが整っての任務などありえない。他部隊の支援なく敵陣へ降下し、単独で任務を遂行する物だ。

 

夜襲朝駆けにより浮き足立った敵勢力を空挺隊員は素早く、的確に、まるで重盾を突き破る槍のように一気呵成に蹂躙(じゅうりん)する。

 

敵陣を奪取後は、逆襲にそなえ防御陣地を構築する。新たに掩体(えんたい)と呼ばれる穴を掘り、歩哨を立てる。有刺鉄線や地雷を埋設し第一、第二の防衛線を張る。やる事は山程ある。

 

日も沈むかと言う時に、味方部隊が到着。陣地を明け渡し空挺隊員はまた重い背囊を背負い次を目指す。

 

そうして続いた四夜五日(よんやいつか)(自衛隊では四泊五日の事を言う)の想定訓練は終わり、宿営地域に戻った空挺隊員の顔には、流石に疲労の色が濃い。だが仲間同士冗談を言いながら物品の整備を行い、一通りの目処が着くと最寄りの駐屯地へ行き風呂に入る。

 

五日間風呂に入らずに汗みずくとなって動いた隊員達はカブトムシを踏み潰したような匂いがする。ここで心身ともにリラックスさせ、宴に備えるのだ。

 

宿営地域に戻った隊員達は天幕(てんまく)(テント)に舞い戻るやアルコール品を取り出し盛大に飲み交わす。これが野営間一番の楽しみと言っても過言では無い。街灯も無い山の中で綺麗に並んだ天幕の中からは、安っぽい黄色い電灯の明かりと、空挺隊員の賑わう声が漏れ、野生動物も近づかない。

 

そんな宿営地域を見下ろせる丘の上に、二人の人影があった。顔を黒く塗り闇と一体化した二人を見つける事は、酒に酔った空挺隊員には出来なかった。

 

 

❇︎ ❇︎ ❇︎

 

 

男は、傍にいるはずの相棒を探す。

 

闇夜に溶け込み、双眼鏡を覗いている筈の相棒は、僅か2m横にいた。

 

この至近距離で識別出来ない物を、天幕から見つける事は不可能のように男は思えた。

 

二人が身に付けているのは自衛隊が採用している戦闘服ではない。クリプテック迷彩と呼ばれる新種の迷彩だ。グラデーションを持たせた生地に爬虫類を想起させる幾何学的な模様が描かれており、迷彩服自体で二種の模様が溶け込み境目を作らない事で三次元迷彩効果を発揮させている。

 

小さな音で口笛を吹き、相棒へ合図を送ると男は丘を下りだす。空挺隊員は、天幕から天幕へアルコールを持って忙しなく移動し、馬鹿騒ぎをしている。

 

男はキャットウォークの様に滑らかに足を運びながら天幕地域に接近。整列をしている天幕の一角に位置を定める。

 

〈周囲に敵影……無し!〉

 

男の耳には、丘の上で観測している相棒から情報が与えられる。しかしこの相棒。ふざけた奴だと男は思っている。喋っている最中に謎の間を置くし、潜入しているのに「無し」を強調して大声で言うのだから。図太いというか何と言うのか。平時と変わらぬ不躾な態度であった。

 

男はそんな相棒がいる方向へチラと視線を泳がせる。するとどうだろう。丘の上でピョンと何かが立ち上がり、即座に伏せた。相棒は遊んでいる。完全に舐めきった態度だ。

 

しかし、相棒を責めることは出来ない。男もまた、平時と変わらず乱れは無い。相手が自衛隊(あいて)だからか。まるで休日に近所を散歩しているような気分だ。

 

〈お! 男が一人そっちに向かってますよ……と。小便かね〉

 

「…………」

 

男は天幕が作る影に潜み息を殺す。足音が近づいてくる。酔っ払いの不規則な足音。砂利がザクザクと泣き喚き、空挺隊員の位置を知らせてくれている。間も無く千鳥足の隊員が現れ、男に気付いた素振りもなく通過していった。

 

〈さぞ美味い酒を飲んでんだろうなぁ。俺にも欲しい。終わったら持って来てくれよ〉

 

という相方の連絡は無視する。何故なら通過した筈の空挺隊員が踵を返しこちらに歩いてきたからだ。天幕の影に潜んでいる男は、一瞬気付かれたのかと思ったが、空挺隊員の視線はこちらに向いていない。最悪な事にこの近くで立ち小便をする気らしい。

 

「…………」

 

男は、もしもの時に備え全身に気を巡らせる。こちらに気付いていないはずなのに、空挺隊員は真っ直ぐこちらへ歩いてくるのだ。一歩、また一歩と彼我の距離は縮まり、空挺隊員は伏せている男の僅か1m手前で止まった。

 

「マジかよ」

 

男はそう声には出さず、微動だにしないまま、浴びせられる温かい液体が止むのを待った。耳からは相棒のけたたましい笑い声が響いている事は言うまでもない。

 

そいつの顔を男は脳裏に刻み込み、過ぎ去るのを待った。

 

「まったく」

 

男は膝を着き天を見上げる。無数の星々が煌めき幻想的な空模様を成す天を。

 

目を細め、渋い顔を作ると男はため息をついて移動を開始した。

 

多くの天幕の中でも一際大きな天幕がある。それは指揮官や幹部が寝泊まりする天幕で、業天(ぎょうてん)と言われている。

 

それを通過し、その隣にある天幕の入り口のジッパーを開ける。

 

油臭い天幕内には、無数の木箱や頑丈そうなジュラルミンケースが所狭しと積まれている。それらに埋もれるように野外で使う折りたたみ式のベットもある。この天幕は、武器弾薬を管理する火器担当陸曹が寝泊まりする天幕だ。しかしその担当陸曹も今は不在である。不寝番と呼ばれる当番が天幕内で銃器や弾薬の監視を行っていた。

 

男は天幕に入るや電気を切り、不寝番が振り向く前に後ろから裸締めをする。直角に曲げた右腕が喉に絡みつき、頸動脈を締め上げる。不寝番は瞬く間に失神した。

 

男は背負っていたボルトクリッパーを持って木箱の錠やケースを縛るコードを断ち切って行く。

 

89式小銃の弾倉を収める木箱から幾つか弾倉を取り出し、中のバネの強度を確かめる。バネの跳ねっ返りが弱ければ給弾不良を起こしてしまうので、状態の良い弾倉を選ぶ。次に男は実弾を収める木箱から弾倉に見合った数の弾薬を取り出す。それらを一発一発手慣れた手つきで素早く詰めると自身のチェストリグへ格納し、実銃を取り出す。

 

男もよく知る89式小銃。戦争を知らない日本が造った銃。

 

装着されている3点スリングを使いやすい長さに調整し、背中に背負う。

 

次にMINIMIを取り出してM27弾帯に200発の弾丸を詰め、装填する。200発入りの弾帯を他にももう一つ作り置いておく。

 

次にM24狙撃銃を用意しようと思った時、〈おい、火器担当の宮下三曹殿がそちらに戻るぞ〉という報告が入る。

 

非常に残念だ。

 

男は眼光を鋭利にし、銃剣を抜き放つ。前時代的な銃剣アタッチメントを。この銃剣はよくこの国を表していると思う。日本は旧態依然としていている。全てにおいて。と、男は思っている。一体いつから時間が止まっているのかは男にはわからない。だが、日本の中枢は官僚の都合で回り、事なかれ主義によって何も改善されることなく放置され続けている事は知っている。組織が、空気がそうさせているのだ。前任者と違う事をすれば波風が立つ。霞ヶ関で生き残るために官僚は目を抉り、耳を削ぎ、舌を抜く。必要な時だけ器官を装着して、惰性で国を回している。

 

故に見たい事だけを見て聞きたくないことは聞かない。余計な事は言わない。

 

男の着用しているグローブの皮が銃剣の柄と擦れギリギリと悲鳴を上げる。誰もがこの国の事を思い動いていたとしたら、日本は誰にとっても誇らしい故郷になっていただろう。

 

目には目を、歯には歯を。

 

神に祈るならば供物を。

 

国を変えるなら大量の血を。

 

大事を成す為に犠牲は避けられない。

 

ならば彼の者の命を『サンタ・ムエルテ(死の聖女)』へ捧げ、自らの魂も売り渡そう。

 

男は月明かりが差し込むその入り口を凝視していた。やがて、足音が近づいてくる。すると、何の警戒心もなく火器陸曹が天幕内に入って来た。宮下三曹は「はっ」と驚いた顔をしてみせ、銃器が盗まれている事に気付いたようだ。しかし次には怪訝な顔をしてみせ「お前、何で–––––」

 

男は、宮下三曹の言を聞かずに襟首を掴みうつむきに地面に叩き伏せる。うつ伏せで倒れる宮下三曹の上に馬乗りとなったが、投げる際に相手の踵が天幕に引っかかり入り口の幕が捲れ上がってしまった。

 

「周囲に異状はないか?」

 

男は宮下三曹の動きを完璧に抑えながら相棒に聞いた。

 

〈いんや。変わらず馬鹿騒ぎしている〉

 

「そうか」

 

男はそれを聞くと銃剣の鋭利な切っ先を相手のうなじへと添える。

 

〈もう殺したのか?〉

 

相棒の声が耳朶に届く。するとまるで見えない手に肩を掴まれている気分になった。まだ引き返せる。まだ取り返せる。早まるな。そう何かが耳元でささやいているかの錯覚を覚えた。だが男は、やらなければならない。失くした者のために。

 

「いや。これから」

 

〈本当に良いのかい? 後戻りは出来なくなるぜ〉

 

「……俺に失くすものはもう無い」

 

男は厳かにそう言い捨て、銃剣を振り上げると後頭部に深々と突き刺した。頚椎を寸断した刃は喉仏を押し破り皮下を貫通する。失神していた不寝番には斜めに構えた銃剣を胸部に突き刺してやった。心臓を引き裂かれ、生きている人間はいない。

 

宮下三曹は今年で36歳。子供も2人居て、子煩悩な事で部隊内で有名である。男も今殺した宮下三曹の事はよく知っている。不寝番をしていた若者の事は、よく知らない。

 

血を拭い、男は相棒に連絡を入れた。

 

「賽は投げられた。やってくれ」

 

〈あいよ。ド派手な花火を打ち上げますか〉

 

男は耳を押さえ、口を開き地面に突っ伏した。

 

数秒後、ドンッと臓腑(ぞうふ)を振るい上がらせる振動に爆音が落雷のように鳴り響く。衝撃波が周囲を疾駆し、男のいる天幕にも殺到する。差し込んだ杭が持ち上がり、支線が緩んで天幕の側面がめくり上げられる。木箱が崩れ宮下三曹の頭蓋を砕き危うく男も潰されそうになった。

 

一瞬の静寂の後、雨が降っているような音。生肉が叩きつけられる音。金属音––––様々な音がミックスした喧騒が男の耳朶に届いた。

 

外へ抜け出るとヒラヒラと天幕が宙を舞い、赤色の雨が降っている。周囲は硝煙の甘い匂いに混じり、タンパク質の焦げた臭気に内臓の生臭さが吐き気を催すほどに強烈に漂っていた。

 

〈さっすがC4爆薬。すんばらしい威力だ。危うく丘から吹き飛ばされるとこだったよ〉

 

耳栓代わりのインカムからは相棒の上ずった声が届けれている。C4爆薬は空挺隊員が5日間宿営地域を開けている間に仕掛けておいたものだ。男は胸焼けのような不快感を感じながらも、業天から飛び出してきた男へMINIMIの銃口を向けた。

 

引き金を絞り、銃口がストロボライトのようにオレンジ色に明滅する。すると、銃口の先、着弾点で人の体から赤い液体が弾けたように噴射される。まるであらかじめ仕組まれている手品のようにオレンジ色の発光と赤い色の噴射は連動していた。足元には金色の空薬莢と弾丸を繋いでいたリンクが打ち上げられた魚のように跳ね回っている。

 

ドサリと倒れた1人の男性。プクプクと銃弾に穿たれた穴からは気泡が発生している。放っておいてもどうせこいつは死ぬ。

 

男は業天にMINIMIを向け、腰だめに横凪ぐ。中から苦痛に悶える悲鳴が幾重にも重なり男の脳髄を痺れさせる。蜂の巣となった穴からは電灯の明かりが漏れ、男の姿が初めて浮き彫りにされる。

 

一通り掃射を終えると、中に侵入。

 

地面でのたうち喘ぐ上級陸曹や、尉官、佐官にトドメの弾丸を撃ち込んでやると、丁度200発を撃ち終わった。

 

〈流石。見事な手際だね〉

 

「…………」

 

男はそれには答えず、ポケットからタバコを取り出した。

 

銘柄はアルゼンチンの革命家、チェ・ゲバラが描かれた「チェ」だ。男はその箱を中隊長の骸の上に置き、足早に業天から抜け出る。

 

背中に吊ってある89式小銃を構え、槓桿(こうかん)を引くと1度薬室を覗き弾が全装填されている事を確かめる。

 

最後に照門を立ち上がらせると、慌てふためく生き残りに鉛玉をくれてやる。ちょうど蜂の巣を突いたような状態の中で、小便を引っ掛けてくれた野郎を見咎めたので、脚を撃った。しかしこの89式は照準器の調整が甘いようで、狙ったところより斜め上に着弾してしまった。ちょうど奴はこちらへ向かい走ってきていて、狙ったのは奴の右脚なので、男性器に直撃する形で被弾している。ざまぁみろと独りごち、それからは、淡々と日常業務をこなすように、男はひたすら機械のように人を殺していった。日が出る頃には、死屍累々(ししるいるい)の虐殺が世に晒される事になる。

 

 

❇︎ ❇︎ ❇︎

 

 

第一普通科連隊所属の三等陸曹、神田悠紀(かんだゆうき)は、自衛隊に対するテロ攻撃を駐屯地の合同朝礼で知った。

 

第一空挺団が演習中に襲撃され、一個中隊が全滅。さらに銃器、弾薬を盗まれた。日本を揺るがす大事件だ。

 

本当にか? という考えが神田の脳裏をよぎる。まさかあの空挺団が。神田にも知り合いが空挺団に居る。当然、安否が気になった。神田の知人の1人で新隊員時代に班長を務めた真柄一忠(まがらかずたか)という男がいる。超人的な体力を持っていて、1本芯が通った昔気質の男が。毎日事あるごとに指導をくらって、ヘトヘトになるまで追い込まれたのを、つい昨日のように思い出す。しかしこの真柄は先日自衛隊を除隊している。不謹慎だと分かりつつ、神田は真柄三曹が死ななくて良かったと思っている。

 

神田が過去に思考を向けていると、いつの間にか朝礼は終わっていた。朝礼が終わると、各部隊ごと隊舎へと前進する。

 

「あの、神田三曹」

 

「ん?」

 

前進間、隣には自衛隊初の普通科女性隊員、古賀夏音(こがなつね)がいた。古賀は、身長170cmと高身長でスタイルも良い。さもすればモデルでもしていたのではないかという容姿だが、色恋沙汰は全く聞かないという不思議な女性だ。もっとも、神田からすればその原因は明確にわかっているのだが。

 

「とうとう日本でも起きましたね。実戦が」

 

「そうだな。詳しい事は分からんが空挺団を全滅させた犯人達。恐らく普通の連隊じゃ歯も立たんだろうな」

 

「ええ、きっとそうです」

 

2人は歩きながら会話を続ける。神田は古賀を見下ろすと、知的な光を灯す瞳から失念の色が浮かんでいる事を見て取った。彼女は自分よりも弱い男と対峙したりすると、こういった目をする。だが決して、それは神田に向けての物ではなく、空挺団への物である事を神田は分かっている。

 

「警察に知り合いがいるんですけど、犯人の遺体は見つかって無いんですって」

 

「何っ?」

 

「本当です。まだ検証中ですけど、犯人は少数だろうって」

 

「プロか。どこの特殊部隊だ。大陸か、半島辺りしか思い浮かばないがな」

 

「いえ、どうも違うみたいです。犯人は、明確なメッセージを残しているんですよ。神田三曹はタバコの『チェ』ご存知ですよね」

 

「ああ。知ってる。新隊員の時、班長が吸ってたからな」

 

「その『チェ』が現場に残置されていたんです」

 

神田は眉をひそめる。

 

「それが何の手がかりになる。軍人とタバコは切っても切れない関係だ。たとえなんちゃって軍人の自衛官でも、それが同じな事くらい、お前も知ってるだろ。『チェ』を空挺団で吸ってる奴は、何人いるか分からない」

 

部隊は舎前に到着したので、一時別れる。部隊長から事後の集合時間を言われ、それまでフリーとなった。

 

神田は先ほどの言葉を証明するかのように胸ポケットからウィンストンを取り出すと、火を点ける。

 

「ほんと、レンジャーの人ほどよくタバコ吸ってますよね」

 

古賀はわざわざ喫煙所まで付いてきた。神田は身長182cmと古賀よりも背が高い。しかし、ポニーテールの爽やか体育会系美女から上目遣いに覗かれてドギマギしたのは最初だけだ。古賀の顔に張り付いている日輪のように輝いている笑顔も、自称チャームポイントだというえくぼも、全てまやかしである事を神田は知っている。

 

「喫煙と体力減退は関係ない」

 

「その胸のダイヤモンドも、ヤニがついて黄ばんできてますよ。きっと」

 

神田はフンと鼻を鳴らし、「だったら、また磨けばいいだけだ」と呟きウィンストンを咥えた。

 

「どーしますかぁ神田三曹。今週末はどうなるか分かりませんよね。デート、止めときますか」

 

周囲の目が神田に突き刺さる。美人の部類に入るであろう古賀と親しげに話す神田に対し、良い感情を抱く男性隊員は皆無と言っていい。

 

「…………そうだな」

 

神田は、新隊員を養成する教育大隊へ1度助教として参加している。その際、あまりの眼力に新隊員は目を合わす事も出来ず、神田の前では全員冗談のように大人しくなっていたという。そんな神田の猛禽類のような眼に睨まれても笑顔を絶やさない古賀は強靭なメンタルを持っているか、頭のネジが外れているのかのどちらかだ。

 

「古賀。デートじゃねぇだろ。男より強い女を誰が狙うんだ。お前の見てくれしか知らない奴は、消灯後にトイレ行ってお前の裸体を想像しながら夜間射撃してるかもしれねぇけどな、残念な事にお前にはイチモツがついている事を俺は知っている」

 

「ひっどーい! 付いてませんよ。セクハラで部隊長に報告しますよ」

 

「何がセクハラだね。バッキバキに腹筋割れてるクセによ。懸垂10回楽にやるクセに。飯なんかお前、3分もありゃ食っちまうだろ。並の男以上じゃねぇか」

 

「わかりました。神田三曹って、ロリコンなんですね」

 

「違うわ馬鹿たれ!」

 

「じゃあ前言撤回して下さいよ」

 

「男に二言は無い。吐いた唾も飲み込まない。お前にはイチモツが付いている。断言しよう」

 

プスーっと頬を膨らまる古賀だったが、直ぐに無邪気な笑顔を浮かべる。

 

「じゃあ神田さんそ〜う。私にそのモノが付いてるか確かめてみますか? 今、ここで」

 

神田は吸い慣れた紫煙に思わず()せてしまう。

 

「ばっ……馬鹿お前…………。誰がお前のチンコ見たがるんだ。自分の容姿を確認してから言え。可愛いからってお前はポメラニアンのチンコ見るか? チワワとか、シャム猫のだっていい」

 

「私、そういう特殊な性癖はないので」

 

「そうか。奇遇だが俺もだ」

 

「…………」

 

「…………」

 

「それってつまり私は獣の–––」

 

「分かったぞ。お前はWAC(ワック)Women's Army Corps(女性自衛官))という新種の生物だ。男でも、女でもない」

 

「…………」

 

奇妙な沈黙が、古賀のキョトンとした無防備な顔を引き立たせる。だが古賀は間も無く綺麗に並んだ前歯を覗かせ破顔する。

 

「えへ。それ良いですね。気に入りました」

 

気に入るのか。神田は古賀に更に食い下がれると思っていたのだが、想像と違う反応に続く言葉を思いつかず、タバコを吸う事で間を持たせた。

 

話題が尽きてしまった古賀は、手を後ろで組んで周囲をキョロキョロと見渡している。首を動かすたびに綺麗な黒髪がサラサラと神田の眼前を泳ぎ、およそ軍人とは疎遠なシャンプーの良い香りが鼻腔をくすぐる。

 

見かけは完璧なんだがな。

 

神田は今週末、古賀と共にコガ・タクティカルトレーニングセンターに行く予定だった。名前の通り、古賀はトレーニングセンターの代表取締役の娘で、休日は教官の手伝いとして実家に帰っている。公務員は副業禁止だろ? と人事陸曹にそれを突っ込まれたところ「実家の畑を耕すのと同じ事です。問題でも?」と脅した(、、、)そうだ。普通に回答しただけに思えるが、粘着質な性格の人事陸曹をそれだけで黙らせるあたり、古賀がどういう顔をしていたかが安易に想像がつく。

 

神田は入隊して半年間。理不尽に理不尽を上乗せする教育を受け続け、自衛隊恐るべしと心から思ったが、いざ実働部隊に配属されると部隊の弛緩した空気に辟易(へきえき)した。その後、知れば知るほど自衛隊がいかに実戦を意識していないかを痛感するようになり、神田は独自に技術習得に動き出した。そこで知ったのがコガ・タクティカルトレーニングセンターだ。日本国内なので当然実銃は使えないためエアガンによる訓練となるが、これをサバイバルゲームと甘くみると手痛いしっぺ返しを食う事になる。教官は、元自衛官と、元SEAL隊員だというアメリカ人だった。そのアメリカ人は怪我が原因で除隊を余儀なくされ、妻の故郷である日本に来たのだという。神田はそこで”本物の”戦術を学び、部隊に普及させるべくサークルを立ち上げている。元SEAL隊員は言う。”戦闘間においては、セオリーや適確という言葉はあるが正解という言葉は無い”と。こうすれば弾は当たらない。こうすれば弾を当てられるという方程式は戦場になく、個人や集団による総合数値(ステータス)の高い方が勝つのだと。

 

「今から教えるのは手段の一つであって答えでは無い。SEAL隊員と言えど人間であり、スーパーマンやゴジラでは無い。負ける時は負ける。例外は、ヨシダサユリぐらいのものだ。それは冗談だが、私は幸い片目だけで済んだが、戦場での負けは死を意味する。肝に銘じてくれ」

 

教官は、多くの事を教えてくれた。本来ならば、教えてはいけないであろう水中爆破訓練の事まで神田に教えてくれた。そんな男たちを間近で見ながら、しかも一緒に訓練していた古賀夏音が並の自衛官よりもフィジカル、メンタル共に強いのは言うまでもなく、技術的な面でもベテラン自衛官より数段上だ。しかし、古賀はSEAL流ハイレディ–––銃口を上に向けて保持する癖がついてしまって、銃口を下に向けるローレディが主流の自衛隊の中で異彩を放ち、新隊員時代はよく注意を受けていたそうだ。今は、神田も古賀も銃を携帯するときは銃口を上に向けているのが部隊では当たり前の景色として定着している。

 

もっとも、神田にとって一番驚きだったのは、同じスクールに前期の班長の真柄(まがら)三曹がいた事だったが。

 

何かと真柄と神田は縁がある。

 

神田がレンジャー課程に挑む際にも、真柄は助教として神田を直接指導している。前期教育時とは比べものにならない程に厳しいレンジャー課程に神田も根を上げそうになるが、その度に真柄三曹の激励を受け奮起したものだ。

 

と、神田が感傷に浸っていると、

 

「で、神田さんそ〜う。『チェ』なんですけど…………」

 

古賀は一歩近づき、神田の肩に手をちょこんと置くと胸が当たるのも構わずに精一杯背伸びして口を耳元に近づける。 女性の良い匂いが神田の脳髄まで染み込む。と同時に意外に豊満な古賀のバストに心臓が高鳴った。これは端から見れば、身長差のあるカップルがキスをしているように見えなくも無い。

 

「中隊長の遺体の上にこれ見よがしに置いてあったそうです。『チェ』はパッケージに革命家のチェ・ゲバラが描かれているんですよ」

 

吐息が耳にくすぐったく神田は身震いするが、古賀は満足そうに2歩下がる。悪戯っぽい笑みを浮かべながら、上目遣いに神田の反応を伺っている。

 

「だとしたら?」

 

まだ若い神田は、古賀の胸の柔らかい感触の残る鳩尾付近には努めて意識を向けず、平静(へいそう)を装いながら続きを促す。

 

「革命ですよ。警察は自衛隊によるクーデターの線で捜査を進めて行くようですよ」

 

ポトリと、神田の指の間からタバコが滑り落ちる。それを素早く拾い、砂がついているのも構わずに咥える。

 

襲撃。クーデター。軍部の暴走。

 

神田の脳内でアラームが鳴る。だが、はてとそこで思い至る。

 

「軍部の暴走なら、同じ自衛隊を襲う企図が見えない」

 

「そーなんですよ。こればっかりは専門の方に任せるしかないですね。難しい話はわたしには分かりません」

 

「だろうな」

 

神田は背後で「わたしの事バカにしてます……etc」と喚く古賀を無視しながら思考を巡らせる。犯人は何を企み国を相手に喧嘩を売ったのか。

 

『神田。お前は陸上自衛隊がこんなもんでいいと思うか。俺には、到底思えない。陸自はもっと精強でなければならないはずだ。ガキやオタクが居る所じゃなくて、戦士が居る所じゃなくちゃな。そのためには、どうすればいいと思う?』

 

『さぁ。国防力の増強は、恐らく本格的な領土攻撃がなければ実施されないでしょう。日本が日本である限り、自衛隊は自衛隊のままですよ』

 

『……だよな』

 

神田の脳内で不意に記憶が蘇る。パズルの最後のピースが(はま)ったかのように、その記憶は犯人の行動の全ての辻褄を合わせ、神田に残酷な現実を突きつけてくる。

 

「…………」

 

神田は、焦点の合わぬ目で一点を見つめている。まるでその空間だけ時間が止まったかのように微動だにしていない。これから起こるであろう惨劇の予兆に、神田自身気付かぬうちに冷や汗をかいていた。妙な胸騒ぎ。もし本当に第一空挺団を襲撃したのが神田の想像する犯人と同一人物であった場合、この第一普通科連隊の隊員で敵うものはいないだろう。コガ・タクティカルトレーニングセンターにおいて、15対1のCQBをクリアした強者(つわもの)であり、教官でさえクリア不可能なエクストリームキルハウスをクリアした最初の男。

 

氷塊が背筋を伝うような悪寒に、神田は我が事のように自衛隊が窮地に立たされている事を悟る。

 

襲撃者は自衛隊の能力を知り尽くした最悪の相手だ。こちらが使う装備の性能や、隊員の練度をよく知っている。

 

そして、その襲撃者にとって平和ボケした自衛隊員は、「実弾を撃ったことのある素人」としてしか映らない。蹂躙するのは、朝飯前どころか二度寝の片手間で出来る。

 

神田には、今も平時と変わらず笑いはしゃぐ同僚たちが出荷を待つ羊に見えてしまった。

 

手元のタバコは、いつの間にか火が消えていた。

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