佐為と進藤ともう一人のヒカル   作:もちもちもっちもち

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まる6

「ヒカリ、次の週末って暇?」

 

「……なんだよ、いきなり」

 

 

 給食とは実に素晴らしいシステムだとヒカリは思う。

 熱々の、バラエティーに富んだたくさんの品数の料理が一堂に揃う、その光景は壮観だった。

 限られた予算で大量生産された故に味はチープ極まりないが、それも魅力の一つだろう。

 パサつくパンをシチューに浸しながら、向かいに座るヒカルへ相槌を打つ。

 

 

「塔矢の親父さん、塔矢行洋だっけ? 囲碁サロンでヒカリが帰った後に、入れ違いで来てさ。なんか知らないけど家に遊びに来ないかって誘われたんだよ」

 

「…………はい?」

 

 

 絶句。

 ベチョっとパンがシチュー塗れになるが、そんなことはどうでもいい。

 固まるヒカリには頓着せず、ヒカルは話しを進めていく。

 

 

「後で知ったんだけど、塔矢の親父さんって凄い碁打ちだったんだな。俺って打つことばっかで、プロの打ち手とか全然知らないからさ。なんか見覚えのある人だなぁって思って、知り合いに聞いたらビックリ仰天。通りで塔矢の奴、馬鹿みたいに強い筈だぜ」

 

 

 呑気にシチューを掻き込むヒカルだが、この男はことの重大さを理解しているのか。

 というか、話を聞く限りでは、塔矢行洋は自分とは入れ違いに来たようだが、それなら彼が見たのはヒカルと塔矢の子供の喧嘩のような対局ということになる。

 アレの何処が塔矢行洋の琴線に触れたのか。

 碁打ちとしては尊敬できるが、学校の校長先生のように厳格なイメージ故に若干の苦手意識のある自分には、未だにあの人のことは良く分からない。

 

 

「でも助かったぜ。塔矢の家に行くの初めてだったから、正直ちょっと不安だったんだ」

 

「……ん?」

 

「ご馳走さん! じゃ、俺は先に対局の準備してっから、お前も早く食べちまえよ!」

 

「――ちょっ!?」

 

 

 伸ばした手は届かず、呼び掛けは虚しく響くだけ。

 喧騒に包まれる教室に、ポツンと一人、呆けた状態で座ったまま。

 

 

「……勝手に決めんなよ、馬鹿」

 

 

 嘆息を零し、スプーンを使ってシチューに沈むパンの救出を試みる。

 そのままでの救助は困難と見なし、そのまま分割作業へと移行。

 食べやすい大きさに分けたパンを口に運び、モグモグと口を動かす。

 

 

「――で? 何時まで聞き耳立ててんの?」

 

 

 ガタッと、真後ろから椅子の鳴る音が響く。

 ゴクっと、嚥下し次のパンを掬い上げながら、視線は前を向いたまま。

 

 

「……えっと」

 

「盗み聞きなんて、藤崎ってば大胆」

 

「ち、違うよひーちゃん!?」

 

「そう。じゃあ、進藤に話しても問題ないよね」

 

「……ひーちゃんのイジワル」

 

 

 ゴロゴロと転がる大きめのジャガイモを頬張る。

 女の子特有の小さな口をもどかしく思いながら、よく煮込まれた芋はホロホロと口の中で間を置かずに溶けていく。

 

 

「聞き耳なんか立てなくても、行きたいんなら行きたいって言えばいいじゃん」

 

「……言ってもきっと嫌な顔されるよ。ヒカル、いつも私のことお邪魔虫扱いするもん」

 

「あー……ヤバい、普通にあり得そう」

 

「……ひーちゃんってホント遠慮ないよね。普通そういうのってこう、オブラートに包むとか……」

 

「分かる嘘ついてどうすんの。自覚してる奴に嘘言って余計な気を遣われてるんだって思わせるより、正直言ってあげる方がずっとマシってもんでしょ?」

 

「……それは、そうかもだけど」

 

「それに、あたしだって誰彼構わずには言わないよ。相手が藤崎だから言ったってだけ」

 

「……やっぱり、ひーちゃんは大人だね」

 

 

 紙パックの牛乳にストローを突き刺し、ズゴーと音を立てて一気飲み。

 あかりはヒカリを大人だというが、女子力に限っては圧倒的に彼女に軍配が上がる。

 男女の異名は伊達ではなく、食事一つ取ったってお淑やかさなど欠片だってない。

 チラリと肩越しに振り返れば、行儀よく座りながら、小さく千切ったパンをチビチビと口に運ぶ、ドンヨリと落ち込んでいるあかりの姿が。

 所作一つとっても溢れる小動物染みた癒し効果、流石はクラス人気ナンバーワン女子。

 そして、そんなあかりに一途に思われながら、気付かないどころか鬱陶しがる鈍感男子。

 

 

「潰す」

 

 

 グシャッと、握り締めた紙パックが悲鳴を奏でた。

 佐為の一件は未だに心に引き摺ってはいるが、謎の補正のせいであまり気にならない。

 呑気に鼻唄など歌いながら碁盤と碁石を準備する愚か者に天誅を下さねば。

 

 

「……潰すって、どうかしたの?」

 

「いやなに、幸せ者な進藤に嫉妬しただけ」

 

「……嫉妬?」

 

「女の敵は成敗しなきゃな。碁については、このあたしに任せなさい」

 

 

 首を傾げるあかりに苦笑し、合掌の後に席を立つ。

 ついでにと、去り際にあかりの耳元へと顔を寄せ、

 

 

「進藤は強敵だぞ。頑張れよ、藤崎」

 

「……へ?」

 

 

 そんな捨て台詞を囁き、食器を片付けるべく教卓付近へ。

 ケースに食器を戻し、お手洗いにと教室を出る間際、チラリとあかりの方を向けば、

 

 

「…………」

 

 

 プシュー。

 そんな擬音が付くくらい、真っ赤になりながら煙を出す恋する女の子を目撃するのだった。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

 突撃、お宅訪問である。

 

 

「……で、何であかりまで着いて来てんだよ」

 

「べ、別に良いでしょ。私だって少しは碁打てるんだし、いても邪魔にならないし」

 

「だからってなぁ――」

 

「あとこれ、塔矢君に渡してあげて。どうせヒカルのことだから手土産なんて持ってきてないんでしょ?」

 

「お、おう……サンキュー」

 

「……それと、これ……クッキー作り過ぎちゃったから、皆でどうかなって……」

 

「マジかよ! あかりのクッキー美味いからな、今から楽しみだぜ!」

 

「う、うん……」

 

 

 爆ぜろ。

 

 

「じゃ、さっさと入ろっか」

 

 

 砂糖菓子の上に蜂蜜でもぶっかけた様な、甘々な桃色空気。

 インターホンを押すヒカリの指先に迷いはなく、それほど間を置かずに、これぞ日本家屋といった風の住居の前に聳える門から塔矢が現れた時は、これ以上ないほど安堵したほどだ。

 

 

「この前ぶり。あの時は勝手に帰って悪かったな」

 

「よっ、塔矢。邪魔するぞ」

 

「いらっしゃい、ヒカリ。……あと、進藤も」

 

「なんだその嫌そうな顔は」

 

「えっと、隣の君は……」

 

「聞けよ人の話」

 

「あっ、初めまして。私、ヒカルとひーちゃ……ヒカリちゃんの友達の藤崎あかりです。ごめんなさい、事前に連絡もなく押し掛けちゃって……」

 

「ううん。気にしなくていいよ。いらっしゃい、藤崎さん」

 

「ありがとう、塔矢君」

 

「こんにゃろう……!!」

 

 

 遺憾なく発揮される塔矢の紳士スマイルは、早くもあかりの警戒心を解き解す。

 副作用としてヒカルの怒りを買うのは仕方のないことだった。

 突撃秒読み前なヒカルの首根っこを引っ掴み、あかりから渡された手土産を渡すように促す。

 

 

「ほれ、進藤」

 

「……ほらよ、塔矢。つまらないもんだけどな」

 

「藤崎からの貰い物なのに、何でそんなに偉そうなんだよ」

 

「……やっぱりか。正直明日は槍でも降るんじゃないかと本気で思ってたよ。進藤が手土産なんて気の利いた真似をするなんて」

 

「お前等は毎度毎度一言多いんだよ!」

 

 

 ウガーッと襲い掛かって来るヒカルだが、それは後一歩のところで留まることに。

 

 

「いらっしゃい。よく来たね」

 

 

 塔矢に遅れる形でやって来たのは、彼の父である塔矢行洋。

 普段の厳格な面持ちを見慣れているが故に、穏やかな好々爺然とした表情は中々に新鮮だ。

 外行き用ではない、ラフな着流し姿は、今の塔矢行洋がプロの碁打ちではなく、塔矢の父親としてこの場にいるのだということが十二分に伝わって来た。

 

 

「あ、あのこれ。クッキーを作ったので、良かったらどうぞ」

 

「ありがとう、後で皆で食べよう。ところで、君も進藤君の友達かい?」

 

「はいっ。藤崎あかりって言います。今日はよろしくお願いします!」

 

「ははっ、これはご丁寧に、藤崎君。私はアキラの父、塔矢行洋。それと、そんなに畏まらなくてもいい。楽にして構わないから」

 

「は、はいっ!」

 

「それと、もう一人が――」

 

 

 ドキッと、心臓が跳ねる。

 あかりからこちらへと視線が移った途端、気のせいだったのかもしれないけれど。

 一瞬、まるで対局中のような鋭い気迫が、自分に向けられているような。

 でも、塔矢行洋は相変わらず穏やかな表情のまま、こちらへと手を差し伸べてきた。

 

 

「アキラから話は聞いているよ。初めまして、後藤ヒカリ君」

 

「……ご丁寧にどうも、塔矢先生」

 

 

 握り返した手は、碁打ちの手。

 掌の皺の数はその人の歴史を、擦り減った指先はその人がどれだけ碁と向き合ったのかを。

 塔矢行洋という一人の碁打ちの象徴するような、そんな想いを抱いてしまう。

 衝動的に湧いた、この人と打ちたいという欲求から逃れるように、すぐに手を離すのだった。

 

 

 

 

 

 ◆  ◇  ◆  ◇

 

 

 

 

 

「うわー! また負けたー!?」

 

 

 座敷にヒカルの絶叫が響く。

 正座が苦手で、胡坐を掻くヒカルの様に、向かいに座っている塔矢行洋は咎めることはない。

 

 

「アキラから聞いていたが、半年でここまで打てるとは」

 

「でも、塔矢は三子で打ってるんでしょ? 俺はそれよりも置き石の数が多いのに……」

 

「アキラは物心着く頃から碁に触れているからね。君の成長速度は確かに目を見張るものがあるが、アキラと比べるのはまだ早いと言わざるを得ない」

 

「ちぇー……でも、いつか絶対に追い付いて追い越してやる」

 

「その意気だよ、進藤君」

 

 

 碁石を片付けるヒカルを見る塔矢行洋の眼差しは、眩しい者を見るようで。

 なんとなく、考えていることが分かるような気がする。

 碁は日本に古くから伝わる遊戯だが、主な競技年齢は中高年。

 塔矢くらいの年頃は只でさえ少ないのに、そんな子供達が集う大会への出場は禁じられている。

 別に意地悪をしている訳ではない、単純に塔矢が強過ぎるのだ。

 既にプロに匹敵する塔矢が大会など出るなど、完全な弱い者苛め以外のなにものでもない。

 人は高過ぎる壁を前に、多くの者は為す術もなく諦め、挫折を経験する。

 そこから立ち上がるのは大人達でも困難、心身ともに未熟な子供なら尚更だ。

 だけど、きっと心の何処かでは塔矢行洋も望んでいたのだろう。

 塔矢の強さに折れず、真っすぐに息子と向き合ってくれる、同年代の碁打ちの存在を。

 塔矢行洋がヒカルを家に招き、こうして何度も対局することからも、彼の喜びが伝わってくる。

 

 

「……どう見ても、完全な親バカだよな」

 

 

 シミジミと呟くヒカリだが、そこに非難するような色は見えない。

 記憶にある塔矢行洋とのギャップに、微笑ましいものを見るようだった。

 

 

「や、やった! 私の三目半勝ちだ!」

 

「おめでとう、藤崎さん」

 

「ありがとう、塔矢君!」

 

 

 背中から聞こえる歓声に、ヒカリはそちらへと目をやる。

 諸手を挙げて喜ぶあかりに、塔矢は笑顔で応じていた。

 碁の才能と言う点で言えば、あかりは平凡と言っていい。

 ルールを覚え、定石を理解し、漸く自分がこう打ちたいと思えるようになったレベルだ。

 今回の対局、置き石もたくさん、内容も指導碁の域を脱していないが、それでいい。

 今のあかりに必要なのは知識でも経験でもない、碁が楽しいという快感。

 初心者故の癖のないあかりの打ち筋は、これから先に繋がる無数の可能性に満ち溢れていた。

 

 

「やるじゃん、藤崎」

 

「えへへ……碁って楽しいね、ひーちゃん」

 

「おっ、ようやく藤崎も碁の真髄を理解したようだな。だが、道はまだまだ険しいぞよ?」

 

「はいっ、不肖この私、藤崎あかりはこれからも頑張って精進するであります!」

 

「よろしい」

 

 

 相好を崩し、あかりは花が咲く様な可憐な笑みを零す。

 見ているだけで幸せな気持ちになるとは、なんという癒し効果。

 釣られるように笑うと、視界の端に映った塔矢がハッとしながら立ち上がった。

 

 

「そ、そろそろ一度休憩しない? 藤崎さんから貰ってクッキーもあるし」

 

「アキラは座っていなさい。茶請けの準備は私のようでやるから」

 

「え、でも……」

 

「せっかく友達が来ているんだ。このくらい私がやるさ。明子も今は出掛けているし、たまにはこういうのも悪くはない」

 

「……そういうことなら」

 

 

 納得の形を見せる塔矢と入れ替わるように、塔矢行洋の背中を追い掛ける。

 

 

「あたし、手伝いますよ」

 

「あっ、なら私も――」

 

「藤崎は此処にいて。進藤のブレーキ役がいないと不安だから」

 

「どういう意味だよ!」

 

「そのままの意味だ、進藤。いい加減自覚しろ」

 

「自覚するのはお前の方だろうが、塔矢!」

 

「僕は何時だって冷静だ! すぐにカッとなる君とは違う!」

 

「やるかこの野郎!」

 

「いいだろう! 勝負だ進藤!」

 

「――という訳だから。藤崎、後はよろしく」

 

「ははっ、了解」

 

 

 あの二人、碁を喧嘩の道具か何かと勘違いしていないだろうか。

 喧しく罵り合う二人の騒音を、襖を閉じてシャットアウト。

 律儀に待ってくれている塔矢行洋の元へと駆けていく。

 

 

「すまないね、後藤君」

 

「気にしないでください。五月蠅いのはこっちから願い下げなので」

 

 

 塔矢家には、記憶の中でだが何度も訪れたことはある。

 しかし、相変わらず見事な家だ。

 下世話な話になるが、流石は複数のタイトルを持つ高所得者というべきか。

 訪れた台所で、華美ではない、しかし品のある質素な食器を並べている時だった。

 

 

「君は打たないのかい?」

 

 

 急須と湯呑にお湯を注ぎながら、塔矢行洋は何気なしに聞いてきた。

 

 

「あー……その、今はそういう気分じゃないので」

 

「それは残念だ。君と打てるの楽しみにしていたんだが」

 

 

 食器を並べる手が止まり、しかし塔矢行洋の口は淀みない。

 

 

「君とアキラの対局、アキラから教えてもらったよ。君ほどの打ち手、プロでもそうはいない」

 

「……塔矢先生ほどの打ち手にそう言って貰えるなんて感激だな」

 

「隠さなくていい。君とて理解はしているだろう。君の棋力はどう見積もっても高段者クラスは確実。それも、タイトル戦に挑戦できるほどのだ」

 

「……煽てたって、あたしに出来ることなんて何もありませんよ」

 

 

 動揺を隠すように、止まっていた手を動かし続ける。

 だが、その間も背中の視線は離れることはなく。

 観念するように振り返ると、真剣な眼差しにぶつかる。

 そこにいたのは、先程まで相対していた塔矢の父親ではない。

 プロの碁打ち、塔矢行洋として、彼は自分を真直ぐに見詰めていた。

 

 

「私は、君と打ちたい」

 

 

 そして、打ち明けられた想いもまた、真っすぐだった。

 

 

「無理は承知のつもりだ。その上で、私と打ってほしい。互先で、君の全力を私に見せてくれ」

 

 

 ドクン――。

 あまりにも魅力的な、今の自分にとっては毒にもなる誘い。 

 逡巡する自分を、答えを待つ塔矢行洋はただただ見守り続けるのだった。

 

 

 

 

 


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