うつろの底で 抱きしめて   作:SoCOi

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 はじめから、猫や狢の類でないことは判っていた。そのうえ、私にはそれが何かしら、妖気をはらんだものであることを察していた。その上で数日にわたって放って置いたのは、ある種、それを楽しみにとっておいた節が、我が事ながらあるように思う。

 

 ある日、一日中雨が降った。そもそもが出不精なわたしがそんな日に出歩くはずもなく、古けた衣服やら何やらの修繕をするなり、散々寝た末に、また寝ようと努力するなど、どちらかと言えば不毛に時間を浪費していた。

 

 しかし、その努力もいつしか事切れていく。消えそうで意識が飛び飛びになる。夕方ぐらいであったろうか、その意識の隙間のところでわたしのこころの鬱屈が頂点に達した。

 

 床板の欠けたところに手をかけて、上に引っ張った。想像したよりも板一枚が綺麗に剥がれて転がった。わたしは床下を覗き込んだ。

 

 はっきりは見えない。ただおぼろげな思考だけがとぐろを巻いてそこにあるような、何かの存在だけをわたしはその時、感じた。

 

 わたしは、問いかけた。

 

「お前は誰だ」

 

 眼が、開いたのだろうか。赤い目をしているようだ。

 

「なぜ、そこにいるのか」

 

 口が開いたらしいが、うまく喋れないでいる様子だった。わたしは続ける。

 

「ここには、わたしがいる。わかるか」

 

 ずい、と頭だけが暗闇から這い出てきた。

 

 ようやく出てきた頭を下に向け、そいつはやっと一言、発した。

 

「だれも、いなかった、ぞ」

 

「ふむ」

 

 当然といえば当然だが、こいつには床下の空間までが私の領分であるということは、思いもよらないのであろう。

 

確かに、そいつの立場に立ってみればそういうものかもしれないとも思う。この見た目も、おそらく内面も幼い妖怪に、この世にある権利というもののの一端でも、たとえ理解しても納得できるようには今は、思えなかった。

 

「とにかく、上がってきなよ」

 

 妖怪は黙って頷くと、ふわり、と宙に浮いてから、ふらふらと、やや不格好に床上へ辿り着いた。

 

どうも、脚を使うことに慣れていないようだった。わたしはまた問いかけた。

 

「下は、住みよいか」

 

すると、妖怪は首を傾げて言った。

 

「ほかを、しらない。わからない」

 

「なるほど」

そう言って妖怪は何度か頷いてから、部屋の中を見回し始めた。

 

わたしもわたしで、この妖怪をじっと観察した。容姿も口調も、仕草からも幼さが感じられた。はたから見ればどこかの子供が遊びに来たかのようにしか見えないかもしれない。

 

妖怪は室内をうろついて物色し始めたが、元より狭い庵であるから、同じところを何遍もうろつくようになった。

 

「なにか、面白いものはあったかしら」

 

わたしはそう言ったが、妖怪はそこに突っ立ったまま暫く動きを止めた。そして少し首を傾げたまま、黙っている。

 

「まあ、何にもないだろうけどね。下に帰るかい」

 

 妖怪は黙ったままこっちを見てから、再び床下へ帰っていった。

 

 わたしは一応、床板を取り去った跡へと掛けておいた。

 

 

 その後はしばらく、妖怪も息を潜めていたようで、全く音も聞こえてくることはなかった。

 

 変化があったのはその晩、雨も止んだころ、夜もだいぶ深くなった頃だった。

 

 わたしは昼も散々寝ていながら、夜に至ってもまたよく寝入っていたのだが不意に、部屋の隅の暗がりに気配が宿ったのを感じ、たちまち意識が覚醒した。

 

 無論、床下の彼奴(あいつ)である。音もなく、床板がずれた様子もなかった。実体がない。移動してきたというよりも、ここらの暗闇が彼奴そのものになっているようだった。

 

 わたしは気付かないふりをして、未だ寝入っているように装っていた。

 

 お互いに随分と動じないままでいたが、ある時妖怪は()()を伸ばしてわたしに迫ってきた。

 

 その刹那、奴の意識の感じられる中枢、その暗闇のある一点にわたしの右手が伸び、その先に小さな火を明るく灯した。

 

 すると不自然にひろがっていた暗がりが、急激に収束し、部屋の隅にひとりの少女の姿を現した。

 

 少女は愕然として、体を丸めて怯えているようだった。わたしは立ち上がって、右手の火種を古錆びた燭台に移した。

 

「不届きな奴、このわたしにどうするつもりだったか、言ってみな」

 

 わたしはわざと、険のある態度で言ったが、実際には何も不愉快なところはなく、それどころかこの状況に対し愉快な心持ちであった。少女は応えない。

 

「小童め、わたしを喰らおうとしたな。しかし、狙うべき人間を間違えたらしい」

 

 わたしはゆっくりと近づいた。少女の身体の震えが大きくなったのが見て取れた。わたしは不敵に笑ってやった。

 

「さて、どうしてくれようか」

 

 わたしをはしゃがみこんで、少女の顔を覗き込んだ。少女は顔を埋め、余計にその身を丸めようとした。

 

 わたしは少女の頭に両手を添え、顔を向き合わせた。こちらを見る眼にありありと怯えが現れている。

 

「何とか言ったらどうだ」

 

 少女はしきりに口を開こうとし始めたが、なかなか声が出てこない様子だった。わたしは黙って立ち上がり、火を吹きさってから寝床に戻った。

 

 わたしはそうして、またさっさと寝入ってしまうことにした。脅かしすぎたので、ほとぼりが冷めてなにか妖怪に動きがあるまでは寝てしまおうと思ったのだ。

 

 しかし、ついに朝になるまで妖怪は部屋の隅に丸まったまま、動こうとしなかった。外がうっすら白む頃にわたしは起きた。

 

 妖怪の顔は張り付いたように固まって、わたしの方をじっと見ていた。

 

「なにか、文句でもあるのか」

 

 妖怪はぎこちなく頭を振った。相変わらず愉快だったわたしは、やや寝ぼけ気味なのも手伝ってついに吹き出してしまった。

 

「じゃあ、なにか。謝ってでも、くれるのかしら」

 

 こんどは妖怪も応えなかった。警戒はしているが、怯えている様子はもうなかった。

 

 床から立ったわたしは、妖怪のそばで座った。妖怪は膝を抱えたまま、こちらを見ている。

 

 それからはまたしても、(だんま)りでしばらく過ごした。互いに見たり、見返したりを繰り返し、隣り合って座り込んだままだった。

 

 

 窓の隙間から差す光から推測するに、日もだいぶ登ったであろう頃に、妖怪がようやく口を開いた。

 

「なにも、しないのか」

 

 妖怪は無表情で、言葉にも抑揚がなかったが、困惑していることだけはよくわかった。それもまた面白く、わたしは笑った。

 

「それはお前に、わたしが何をするかってことか」

 

「そう」

 

 怒りもせず報復もせず、また逃げもしないわたしを不思議に思っているらしく、また、よもや遊ばれているとは思いもよらないらしかった。

 

「では聞くが、お前はなぜわたしを喰おうとしたのだ」

 

「なぜ」

 

「理由もなく喰われたのじゃあ、まったく解せないというものだろう」

 

 妖怪はうつむいて考えだした。またしばらく黙ったまま時間が過ぎたが、妖怪は言った。

 

「なんにもかんがえなかったよ。なぜ、は、なかった」

 

「勝手だなあ。食われる側にもなってみろ」

 

「くえなかったけど」

 

「そうだけどさ」

 

 わたしはまた笑った。ようやく虚仮にされていると思い至ったのか、妖怪はがっくり俯いて、顔だけ外方(そっぽう)を向いた。

 

 その頃には、この少女の心もだいたい落ち着いたようだった。

 

  * * *

 

「結局、それ以来特に仲違いもせず、あいつは居候しているというわけよ」

 

 きらめく川の流れにそって、その岸を兎と二人で歩いていた。説明してやったものの、兎はまだ不思議そうな顔をしている。

 

「妙なものですねえ。ルーミアちゃん、それでよく離れなかったものです」

 

「どういう具合かそれで懐かれてしまった。このごろは話に辿々しさもなくなったが、今その理由を聞いてもやっぱり釈然としない」

 

「余人には、どうにもわからないもののようですね」

 

「それでいいんだ。わたしには」

 

 兎は微笑んでくれた。わたしは何となく照れ臭くなり、また流れ行く水面に目を逸らした。

 

 川の中程に至ると、そこそこ賑わう町があり、わたしたちはそこへ足を向けた。

 

ここは大概、どの日時にあっても賑わっており、また一軒一軒に活気があった。

 

「何か、あてはあるのかい」

 

わたしは尋ねた。すると、どういう訳か兎はくすくす笑い出した。

 

「私は、あなたに付いて来たのですよ」

 

「何言ってるんだい。付いて来たのはわたしの方よ」

 

 兎は肩をすくめてみせた。互いに、別にどちらかがここに来たがった訳でもないことは知っていたのだが、ふたりして本当に漠然といて歩いていたということを振り返って、それに戯れただけであった。

 

「どっちだって、構いませんけど。今日、私はあなたに付いてゆくって決めていたんですから」

 

「そうだったなあ。じゃあ、ここへも付き合ってくれるかしら」

 

 わたしは傍にあった酒屋の看板を見上げて言った。兎は思ったより驚いている。

 

「呑むんですか?こんな昼間から」

 

「帰れるくらいにしておくけどね」

 

兎はやや大袈裟に眉を顰めた。何か言いたげな顔をしている。

 

「嫌なら、いいけど。幻滅した?」

 

「そんなことはないです。もっといい加減なひと、いますでしょうし」

 

「でも、嫌?」

 

「いいえ」

 

「じゃあ、付き合ってよ」

 

わたしは兎の手を引いて、戸をくぐった。

 

  * * *

 

妖怪とわたしの邂逅から数日間は、互いに関わり合いなく、相変わらず住み分けて暮らした。

 

わたしとしては、正直なところ全く気にならないわけでもなかったが、取り分けて理由もなく覗きに行くのは、済し崩しではあるが彼女の領分となった所を脅かすようで無粋に思えた。

 

だから少し意識的に関わらざるを決めていたのだった。

 

しかし、そう考えていたのはわたしだけであったようで、この関係は数日で崩れた。

 

早い話が、彼女は何も難しくは考えていなかっただけのことで、これまでこちらを覗かなかったのもまだ若干、わたしに怯えていたからではなかったのだろうか。

 

彼女にとってわたしは、良くも悪くも気になる存在であったようだ。

 

ある晩奴は、わたしが一度除した床板をわずかに持ち上げ、目から上だけでこちらを窺っていた。

 

向こうもわたしが気付いていないとは思っていないらしい。すぐに目が合ったが、床下に戻ったりはしなかった。

 

今度は焦れったい気分になったので、わたしは間も無く口を開いた。

 

「どうした。寂しくなりでもしたのかい」

 

妖怪は何も言わない。言わないが応える代わりに床板を押しのけて上がってきた。今度は不器用ながら手足を使っている。

 

「いいのだけどね。こっち来る?」

 

 妖怪はうなずきもせずに黙って歩み寄ってきた。表情が一瞬だけ月明かりによって明らかになったが、何か罰の悪そうに口を噤んでいた。

 

 最初には無かった、表情が見て取れた。ここに至って妙な愛らしさを彼女に感じたのだった。

 

 妖怪はわたしの寝床まで来て、倒れ込むようにしてから、相変わらず不器用に布団を持ち上げると、すぐにそれに包まって背を向けてしまった。

 

 そのぶっきら棒な加減にわたしも何か言ってやろうとしたのだが、やめた。黙って添ってやろうと何となしに思った。わたしもそうして、彼女の肩を抱いた。

 

 彼女がちらと、肩越しにこちらに赤い瞳を向けたのだった。そしてどこか心細そそうに目を細めている。

 

 わたしはどういう訳か、いたたまれぬような心持ちになった。すこし、肩を抱く力が強くなった。

 

「なんだ、やっぱり心細いんじゃないか」

 

 つい、憎まれ口が出てしまった。すると、彼女はまた反対側に顔を戻してしまった。

 

 またしても沈黙してしまったが、ちょっと経つと今度は妖怪のほうが言った。

 

「こころぼそいのは、わたし、じゃないよ」

 

「何だよそれ」

 

「さびしいのは、おまえだよ」

 

 わたしは苦笑したが、特に何も言い返さなかった。

 

 

 その晩、それからはわたしも眠ってしまって、それまでだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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