うつろの底で 抱きしめて   作:SoCOi

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 兎とわたしが入った酒場には他に客もなく、外の喧騒と比べると不思議なくらいに静かだった。外から斜光が差し込む以外に明かりもないのでやや薄暗く、確かに営業しているか否か、外からも一瞥したくらいでは判別し難い雰囲気があった。

 

 わたしはそこに偶々(たまたま)酒屋があったから飛び込んだだけで、店の様子について、全く何にも考えてはいなかった。客も、現状わたしたちの他にはないようだった。

 

 だが、幸いにも店は開いているようであり、店の奥に声をかけ、適当な席につくと、酒はすぐ運ばれてきた。それにやや遅れて煮付けた魚が出てくる。

 

「鯉ですね」

 

「よく分かるね」

 

 兎曰く、そうらしいが、味付けがやや辛目であり良くは判別つかなかった。

 

 肴も酒も、何でも良かった。彼女とどう接するか、図りかねていた。

 

 実のところ、わたしに対してこうまで直接的に親しく接してくる相手というのは今までに於いてなかった様に思う。常人と比べると飽きるほど時を浪費してきたわたしだが、他人と打ち解ける努力はしてこなかった。

 その浪費の結果がどうも出て来てしまったらしい。こうして向こうから寄り添ってくれる他人と、普通に付き合おうとする、ただそれだけの術がわたしにはなかった。

 

 実に、つまらない生き方をしてきたものだ。

 

 彼女の親愛に報いる法を、わたしはそうして探しあぐね、最も安直な手を今回採ってしまったといえる。

 

 それでもまあ少なからず有効ではあったようで、彼女もわたしも、時たま徳利を傾けては他愛のない話を、たどたどしく、また取り留めなく続けていたが、ほどほど緩やかな空気がここには流れているようだった。

 

「仕事、たのしいかい」

 

 ある時、わたしは何の気なしに聞いていた。やや俯き加減だった彼女は、それを聞いてわたしと目線を合わせた。

 

「何故です?」

 

 それだけ応えると、妙にはにかんだ様にまたすぐ目線を落としてしまった。目は飲酒のためかやや潤んでいた。

 

「なぜ、って事もないだろう」

 

永遠亭(うち)で働きたいんですか?」

 

 彼女の言があまりに突拍子のないので、わたしは苦笑した。兎もつられて笑った。その姿が不意に、妙に可愛らしく見えた。

 

「まさか。そうは言ってないよ。ただ、どういうものかと思って」

 

「楽しいこともないわけじゃ、ないんです。何時までも、あそこでああしていたって……」

 

 そう言うと彼女は杯にあった酒を一気に煽って、音もなくしゃっくりをした。

  

 その動作が意外なまでに急であったので、それを見たわたしは少しばかり呆気にとられてしまった。

 

「何か辛いことでも、あるの?」

 

「ないですよ。でもなにか、面白くないんです」

 

 彼女は気だるそうに卓にもたれて顔を両腕に(うず)めた。いつもの溌剌とした印象とは離れていくようだった。

 変に悪酔いしているらしい。もしかしたら下戸なのかもしれないと思い至った。気安く話すつもりで連れ入ったが、その目論見は外れてきたのかもしれなかった。

 

「酔ったかい」

 

「少し。疲れているのかしら」

 

「出歩かない方が良かったんじゃないか、わたしとなんて」

 

「……迷惑、でした?」

 

 組んだ両腕から右目だけ覗かせてこちらを見ている。何となくその潤んだ目線は弱々しく思えた。わたしも彼女に合わせるようにやや格好を崩し、卓に重心を置いた。

 

「わたしなんかいいさ。わざわざこんな奴を連れ出そうとする物好きは、慧音か君くらいのものだからね」

 

「あの、ルーミアちゃんは?あの子、良かったんですか」

 

「それこそ構わないさ」

 

「そうですか」

 

 彼女は腕で目をふせ、俄に黙り込んだ。

 

 

 こうした場合、わたしはどうも困ってしまう。彼女がふざけているようにも、拗ねたようにも思えた。

 

 他人より永く生きてきた。それでいて禄に人と関わることをしなかった、わたしの凝り固まった心はこの目の前の一羽(ひとり)の兎と本当には触れ合うことを知らぬ。偏屈なわたしを慕ってくれる彼女に真心から応える術を持ってはいないのだ。

 

 彼女には他にそうするように、傲岸で通し、己の(いびつ)さをごまかして接することがどうしてもできなかった。彼女のことが、わからなかった。

 

 そうして、わたしは当たり障りのない言葉を吐き出す。

 

「楽しいよ。ありがとう」

 

 わたしがそう言うと、

 

「わたしも、楽しい」

 

 と、そのままの格好で応えた。

 

 

  * * *

 

 

 もう、昔の話だ。

 

 わたしが今の姿のままで留まって、すっかり久しくなってからの話。

 

 

 わたしは、本当に自分が死ぬことはないのか、いよいよ試そうって気になったんだ。

 

 そのために、いろいろやったはずだ。はず、っていうのはあまり、その時のことをはっきりとは覚えていないから。

 

 ただ、苦しいだけだった。だってその頃、わたしはやっぱりただの人間だったはずなんだ。ちょっと他人(ひと)より生き長らえてしまっただけの。

 

 そんな中途半端な状態だったから、精神(こころ)が多分、壊れてしまったんだな。でも、そうなってもどうにもやめることができなかった。何というか、一人で憤ってたんだと思うよ。憤りだけがこころの中で一本、柱になっていた。

 

 

 

 で、ある時ふと、我に返った。そう思ったらわたしの目の前一面に、彼岸花が咲いていた。別の世界いる、と確信した。死ねたんだ、とその時は思ったよ。

 

 でも、そこでどうすればいいかわからなかった。放り出されてそのままの格好。とにかく、ちょっと歩いてあたりを探してみた。

 

 花が咲いている以外は時々、石が転がっているだけだった。でも、それらを見ていくうちに、ただ全くばらばらに転がっているようにも思えなくなっていったのよ。

 

 墓石なんじゃないか、ってあるとき思った。でも変でしょう。死んだ後の世界のはずなのに、お墓なんて。

 

 

 そう思ってから何となく、わたしは走り出したわ。怖かった気持ちも確かにあっただろうけど、ますます、どうすればいいのかわからなくなって、たまらなくなったのね。

 

 そうやって、しばらく駆け続けると遠くに人影が見えた。わたしは救われた気持ちになって、それに向かってとにかく走った。

 

 そうしたらね。向こうもこっちへ向かってくるの。お迎えかなあ、ってわたしは思って、なんだか気持ちも高揚して、ますますはやく駆け寄った。

 

 でも、あちらの顔がわかるようになってから、わたしは立ち止まってしまった。何でかって、その子、ひとの顔つきじゃ、無いように思ったの。顔も姿も女の子みたいだったけど、理屈じゃなくってね。そう感じたのよ。

 

 立ち止まったわたしを見て、向こうはにんまりと笑ったわ。それで、やっぱり、とわたしは思った。

 

 それと一緒に、わたしはまだ、死ねていないことにも気がついたの。ひとじゃないその女の子も、ただわたしに危害を加えようとするだけ。

 

 相手は襲い掛かってきた。すぐにわたしの左腕がもがれて、相手の口に咥えられてるのがわかったわ。

 

 痛かったかどうか、覚えていないだけかもしれないけれど、たぶんそんなことは感じなかったと思うわ。ただ、ちっとも苦しくなくて、ああ、わたしはこうまでされても死ぬことなんか、出来ないんだって、ただ何か悔しくなっただけだったと思う。

 

 そうしたらね、まったく、変なことが起きたのよ。わたしのもがれた腕が、その、女の子の姿をした何かが咥えている、わたしの左腕だったものが、炎になって、そいつの口の中を燃やしはじめた。

 

 

 

 そいつは(もだえ)て転げ回った。その時、その炎となった左腕がまだ、わたしのものだって直感したんだ。

 

 とりあえず炎を止めてやった。わたしの燃え盛った左腕は灰になって、わたしの方へと集まると、また左腕の形を作って元通りになった。

 

 そいつ、その妖怪、怯えていたよ。ただただ、迷い込んでしまったかわいそうな人間だって高を括っていたら、不意にしっぺ返しを食らったんだからな。実際、わたし自身だってこんなことが出来るなんて、思ってもみなかったわけだし。

 

 

 妖怪は灼かれた口を片手で抑えながら、後ずさりをしはじめた。首を振って、もう片方の手を突き出して、こう、こっちに来るな、って具合に牽制してきた。

 

 もうそいつも襲ってこないだろうし、見逃してもいいかなとも思ったんだけど、私のこころの中に、どこか腹立たしさというか、自棄(やけ)になってきたというか、やっぱり、また憤てしまったものか、何か負の感情が(もた)げてきた。

 

 

 妖怪の腰から下に、一瞬だけ火が上がったと思ったら、そこはもうなくなっていた。妖怪はもう、怖くて仕方がないって顔だったよ。

 

 それでも、両腕でなんとか後ずさる妖怪に、わたしはゆっくりと追いすがった。すぐに追いついて、わたしは屈み込んでそいつの顔を覗き込んだ。

 

 

 そうして何か聞いてやろうと思ったが、その時急に相手の存在が生々しく感じられて、わたしはためらった。その姿の通りの、間違いなく普通の女の子に思えたんだよ。で、逡巡したあげく、わたしは

 

 

「お前は誰だ」

 

 

 って聞いたはずだ。今思うと、そんなこと聞いてどうするんだ、他に聞くべきことがあっただろう、と思うんだけどさ。でもね。やっぱり、多分わたしもその時混乱してたんだと思う。ちゃんとは思い出せない。

 

 

 それでもさ、そいつ自分が誰なのか、何か応えてくれたはずなんだけどね。

 

 

 

 

 思い出せない。

 

 

 

 なんて、何て言ったのかなあ。あいつ。

 

 

 

 

 

  * * *

 

 いつの間にかうとうとしてしまったようで、店主に起こされてしまった。連れ合いもしっかり連れ帰るように言われた。なるほど、彼女はわたしよりもだいぶ深く寝入ってしまったらしい。

 

 わたしに関しては別段酔いつぶれたというわけではなく、うららかな斜光と静かな店内の雰囲気の心地よさに当てられたところが大きい。

 

 対して彼女は本当に酒に酔った末である事は明らかだった。結局酒に強くはないことは確からしい。

「起きておくれ」

 

 軽く肩を揺すってやるとすぐに顔を上げた。

 

「ごめんなさい」

 

「いや、わたしも()()()()してたからさ。もう行こうか」

 

 彼女は小さく「はい」と答えて、おずおずと立ち上がった。少し気恥ずかしそうにしている姿が微笑ましい。

 

 ふたりで勘定を払って外へ出た。やや日も傾きかけているが、今だ通りの喧騒は止んでいない。

 

 兎はまだ頭に酒が多分に残っていると見えて、ぼんやりしている。

 

「歩ける?」

 

「大丈夫です」

 

 彼女は照れたように笑った。振る舞いに落ち着きがなく、どことなく危なっかしいように思える。

 

「帰ろうか?だいぶ酔ったらしいね」

 

「いえ。でも、その……もう少し」

 

すっ、と兎はうつむいた。はにかみ、そして少し切なげに、微笑した。

 

「もうすこし、ご一緒出来ませんか」

 

「……勿論、いいよ」

 

わたしも妙に照れ臭くなって、何となしに目を逸らした。

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