地飛沫鏨は案外潔癖症である。
そうわかったのは、
しかし、彼は特にその場が汚れていても大した汚れでなければ気にならない、部屋もそこそこ散らかっているようだ。
彼は精神的に潔癖症なのだ。自分の受け入れられないものに対して、彼は受け付けようとはしないのだ。
だからこそ彼である。
───────────────────────
それは仮免許取得試験を全て終えていた頃。オールマイトは神野区の1件で捕らえたオール・フォー・ワンと面会を果たしていた。オールマイトとオール・フォー・ワン。その2人の会話は、勿論殺伐とし終わりを迎える。
これからの日本の未来を、緑谷出久の未来を想い、オールマイトは立ち去ろうと椅子から腰を上げる。
「ところで」
オール・フォー・ワンは、立ち去るオールマイトに最後の一言を掛ける。
「地飛沫鏨は、元気かな?」
「!?」
「あの少年の潔癖症は、少しでも治ったか?」
オールマイトは何故ここでその名が出てくるのかがわからなかった。確かに鏨はあの誘拐事件時に、爆豪とは別にこの男と共にいた。精神的ショックが大きすぎたせいか、オール・フォー・ワンが鏨に何をしていたのかを忘れてしまい、鏨を誘拐した目的は謎に包まれてしまっている。その部分がわかっていれば、きっとこの男と鏨の
「何を、言っている……!」
「彼は純粋だ。だからこそ……いや、これは言わないでおこう。あの少年がこれからどうなるのかが楽しみだよ」
オールマイトとオール・フォー・ワンの会話はこれにて本当に終わることとなった。
・
・
・
わからない。
オールマイトはオール・フォー・ワンの言葉を思い返す。
そもそも何故、オール・フォー・ワンはあの神野区の事件で鏨を誘拐したのだろう。あの類葉町の人間だったから?いや、それならばもっと早い段階で鏨に接触しているはずだ。それに、鏨でなくとも良いはずだ。
決して表に出ない類葉町の闇。
先代の孫、死柄木弔。
その師となったオール・フォー・ワン。
地飛沫鏨。
………まてよ?
地飛沫?
チシブキ……血飛沫…そういえば、
……いや、そんなはずはない。そもそも
もし、環野境也の行方不明は何かが深く関係していれば?
日本警察は優秀だ。ヒーロー達の力もバカにはできない。大事にはなっていなくとも、水面下では動きがあるはずだが。しかし1年と掛からず捜査は打ち切られている。
………あの時に気が付くべきだった!
闇の中で最も大きな影響力を持つのはオール・フォー・ワンだ。しかし勿論影響を与えるのは彼だけではない!
あの悪夢のような個性の持ち主……出久が教えてくれなければ、その正体に迫ることなどできなかった【コンプロマイズ】の持ち主、インプラント!
まさか、まさか……!?
「やぁ、八木くん。こんな所で何悩んでるのさ?」
「!?」
それは雄英に戻る道でのこと。
「犬園くん…!?いや、インプラントか!」
目の前にいたのは行方不明になっていた犬園…の身体を借りたインプラントだった。あの犬園とは思えないような卑しい笑みを向けるインプラントは一瞬にしてオールマイトに急接近する。
「いやぁ…随分と痩せちゃって…菜奈ちゃんが見たらなんて言うだろうね」
「何故、ここに……」
インプラントはまた一瞬でオールマイトから少し距離を取る。
「んー?いや、昔のように嫌がらせでもしようかと、ね…」
「………」
正直に言うと、オールマイトにとってのインプラントはグラントリノに次ぐトラウマであった。掴んでも掴めない空気のような男は、昔とは全く違う容姿で全く同じように笑ってみせる。
「……僕は暫くおとなしくするつもりさ」
「インプラントが……?」
「何その目?」
心外だなー、酷いなーと泣き真似をするインプラントだが、彼のこういった真似ごとにはもう慣れきってしまっている。
「そ、だから捕まえるなら今の内だけど……捕まえたらその瞬間犬園くんの身体大破するからそのつもりで」
インプラントは嘘つきだ。しかし、こちらが最悪に陥るような時の言葉には嘘偽りはない。本当のことが1番有効であるとインプラントはよくわかっている。
「……インプラント、今度は何を企んでいる!?」
「ま、そう思うよねー…。
そうだね。ある子のファンになっちゃったから、かな?」
ファン?オールマイトが首を傾げると、インプラントはいつもの、こちらを見下した笑でなく優しそうに、慈愛に満ち満ちた目をする。
「デクくん……いい子だね」
「まさか、緑谷少年に何をするつもりだ!?」
「安心せい、今は手は出さんよ。特に雄英とかにはね。ほら、僕の超絶推してるデクくんいるしね。いや、犬園くんの影響で雄英に攻撃できないとかそんなんじゃないから。そんなの僕絶対認めない」
インプラントのその目は見たことがない。例えるなら…親のような目。子供の成長を見守る目。
「それに、あの子が……もう少しあそこにいたいと、心の底から願っているから、ね」
「あの子?」
笑い始め、咲い、哂うと、呵って、嗤ってみせる。
「タガネだよ。なんとなく気が付いてたんだろ?」
「やはり……
ああ、やはりそうなのか。
あの子は、そうだったのか……!
「安心しろよ。宣言だ。優しいだろ。泣いて喜びな。
今年度いっぱいは何もしない。けど、あの子が高校を卒業するまでに……僕はチシブキタガネを迎えに行く。あの子を護ってみなよ。それができないなら、その時がヒーローが終わる時だ。
せいぜいその時に備えろよ」
インプラントは煙のように消えていく。それを見て、オールマイトは拳を握った。
もどかしい。何もできない自分が…今、危険に晒された少年のためにできることがこんなにも限られてしまっている……。
だが、希望は捨てない。
捨ててたまるか!
───────────────────────
「仮免許…!」
鏨はキラキラとした目をその免許証に向ける。
ベッドの上で足をばたつかせると、へにゃりと顔を緩める。
「あー、嬉しいなぁ!これ、ステインに教えてあげたいなぁ……」
仮免許を取得できた鏨は、思った以上に興奮してしまいこのままでは眠ることができないだろう。
「………でも、無理だよね」
こんな時に考えるのは、やはり自分を育ててくれたステインやキサゲのことだった。
さっきのテンションとは違って、急に寂しくなってきた。どうしよう……。
「相澤先生…いる、かな?」
鏨は部屋の扉を開け、辺りをキョロキョロと見渡す。
まだ時間外活動の時間ではないが、なんとなく誰かに見られるのが恥ずかしい。
ああ、大変だ、涙が溢れてくる。
・
・
・
「相澤先生……」
「!?」
相澤は呼ばれて後ろを振り返ると、酷い顔をしてタオルケットに包まれた鏨の顔が目の前にあり、資料の整理をしていた相澤は驚き声が出なかった。
「何があった……?」
この様子だといつもの思い詰めすぎて、嫌な事しか考えられなくなってしまったのだろう。鏨にティッシュを手渡した相澤は、とりあえず座れと来客用の椅子を出す。
「……家族のこと、思い出した。仮免許見せたら、絶対喜んでくれるのに…って……そしたら寂しくて……」
ポロポロと涙が零れる。鏨は渡されたティッシュでなくタオルケットで涙を拭く。
「先生、今日…ここにいていい?」
こういったことは今までに何度かあった。出会った頃は、気の置ける大人が久々に現れたからか、何度も相澤に会いに来たこともあった。筋原にも何度も迷惑を掛けた。最近では周りに頼れる大人が増えたため形を潜めていたが……。
「……はぁ…今日だけだ」
「え、今日だけ?」
「お前、歳いくつだ」
「えと、16?」
悪びれることなく答える鏨に、また相澤はため息を吐く。
「……できるだけ、我慢する」
言いたいことがわかったのか、鏨はしゅんと肩を落としてそう言った。
まるで大きな子供を見ているようだ。せめてもう少し幼ければ可愛げもあったのだろうが、鏨は大人と子供の狭間にいる少年だ、可愛げもクソもない。
「先生、どこにも行かないでね」
「わかったから早く寝ろ」
「はい」
鏨は寝転べるところに雑魚寝し……。
「先生…………ちょっとトイレ」
「…早く行ってきなさい」
「はい」
鏨がトイレから帰ってくると、相澤は電気を落としできるだけ鏨が寝られるようにする。光は相澤が使っているモニターのみだ。
「うぅ…カニ缶が…カニ缶が……」
「どんな夢見てるんだ……?」
それから何時間か経った頃、相澤は更に頭を痛くするような出来事に遭遇する。
『オイ、イレイザーヘッド!オタクノ生徒ガ、グラウンド・βニイルゾ監督不行届!!責任問題、叱ッテ来イ!』
「まじかよ…」
『マジマジ』
相澤はその連絡を受け、グラウンド・βへ行く。
「……かえりたい…」
その寝言に、気が付かないまま。
とにかく鏨を幼くしてみた結果がこれだよ!
ちょっとやりすぎた感はある。