「今日も行くの?」
「うん!! もちろん!!」
今日の全ての授業を終え、詩織はいそいそと帰る準備をしだす。
まだ帰りの会があるというのに、詩織はいつでも行けるといった様子で、ランドセルを机の上に置いた。
気持ちは分からなくもない。
私も私で『行くの?』なんて訊きながら、当然行くものだという心構えでいた。
今日も今日で曇り。
天気予報では午後から晴れるということだが、いまだ厚い雲が空を覆っていた。
欝々とした空気から抜けられるのは、また後日になりそうだ。
すると窓際の方を見れば、山吹さんが外をなにやら見ている。
たぶん空を眺めているのだが、山吹さんもこの連日の曇りを憂いているのだろうか。そもそもあの子自体が、クラスの中心光みたいな部分もあるから、あまり気にしない方が良いはと思う。
そんなくだらないことを考えながら、机に座り時間を潰していた。
今日は会議の関係で、先生が来るまで少しだけ時間がかかるらしい。
早く帰りたい。ただそれだけ考えていた。
そんな時、外からポツンという音が聞こえた。
「あっ、雨降って来た」
「うわー、ほんとだー」
誰かが呟くのと同時に、みんなが外を見る。
同じように見れば校庭の砂が少しずつ湿っていくのが見える。午後から晴れるという予報であったので、周囲から『傘持ってないよー』とか『どうしよう』という声が聞こえる。
私も傘は持ってきていない。予報が大外れしている。
それにちょうど帰るタイミングで降り始めるとは、なんてタイミングが悪いのだろうか。
だけど詩織もたぶんもっていないだろうから、焦ったような顔をしているだろう。そう思い振り向いた。
詩織の顔を見れば、予想通り少し焦ったような顔で外を見つめていた。しかしいつもの感覚とは違う、真剣な表情が混じっている。
「詩織?」
「…………これ、わんちゃん、大丈夫かな」
「あ…………」
たしかにそうだ。
あの子犬が入っているダンボールに屋根はない。毛布は置いてあるが雨を防ぐことはできないだろう。
そうしている間に、雨の勢いは少しずつ増していく。校庭の砂がほとんど濡れて、雨音が外から聞こえはじめる。
詩織はあわあわと周りを見ながら、落ち着かないようにしている。
「はやく行かないと……」
「詩織……気持ちは分かるけど、少し落ち着いて」
「う、うん……」
「先生が来れば、すぐ帰れるから」
詩織はこういうときに迷わず走りだすタイプだ。
しかしまだ帰りの会は終えていない。こういうときだからこそ、一度落ち着くべきだと詩織に諭さなければ。
落ち着くことでまた視点が広がり、新たな手が見つかることもある。それをきちんと詩織に伝えれば、きっと分かってくれる。
「詩織―――」
「―――紅葉ちゃん、ごめん!! 先行くね!! 先生には言っておいて!!」
「え」
駄目だった。
言う前に詩織はランドセルを持って教室を飛び出してしまう。
詩織がどうするか分かっていたのに止められなかった。クラスの皆も詩織が出て行った方を何かあったのかと見ている。
おそらくあの焦り方だと、詩織は傘を持っていない。
不味い事態になった。
だが行ってしまったからには仕方がない。私だけでも帰りの会を受けて、急いで追いかけなければ。いや、傘を持っていない私が追いかけたところでどうなるのだろうか。
窓の外を見れば先ほどよりも激しく雨が降りつけている。
「詩織…………」
そこでようやく先生が教室に入ってきて、帰りの会が始まった。
六
全員で立ち上がり『さようなら』と合わせて言う。
外を見れば雨はまだ降り続けている。
私はどうするべきだろうか。この雨の中、傘も持たずに外へ出れば当然ずぶぬれになってしまう。おそらく詩織はもうずぶぬれになっているだろう。
ひとまず教室を出て、下駄箱のある玄関まで向かう。
やっぱり雨は強い。
傘を持っていない私が詩織を追ったところで、どうにもならない。
「…………」
でも、やっぱり、友達は置いていけない。
私が居ないと詩織はだめだから、それよりも友人を置いておくのは私の感性が許さない。
上履きから靴へ履き替える。
その時、後方から誰かの声が聞こえた。
気にする余裕があった訳でもないのに、その声は聞こえた。
「ちょっと待って」
「……?」
決して大きな声ではないのに、スッと辺りへ通る声だった。
思わず立ち止まってしまう。それから誰へ向けられたものかと左右を見渡すが、周りにはだれも居ない。
それから振り返ると、こちらへ真っ直ぐな視線を向ける青い瞳の少女が居た。
「あの、天ヶ瀬さん」
そこに居たのは山吹さんだった。彼女は確かに私の名前を呼んでいる。
なんだかこの寂れた学校に彼女の姿は似合わないというか、場違いな感じを受けた。それは私の気が動転しているからそう見えているのか、彼女の纏う雰囲気がそう見せているのかは分からない。
彼女とはごくわずかに名前を呼んだことがあるだけで、一度だって話したことがない。同じクラスとはいえ、私と彼女では接点の作りようがないのだ。
「ごめんね、急に呼び止めちゃって」
「う、ううん……何?」
どうして山吹さんは私に声をかけたのだろうか。
だめだ。私の貧困な発想ではまるで思い当たる節がない。
「雨の中帰るつもり?」
「……え。そ、そうだけど……」
彼女は平坦にこちらへ尋ねてくる。次にどんな質問をするのか、思わず身構えてしまう
彼女はゆっくり息を吐いた。
「少し経てば雨は止むから」
「え?」
ふと柔らかい表情が目に入った。
彼女は自身のランドセルを開けると、中から何かを取り出した。
「日比谷さんを、追うんだよね?」
「え……う、うん」
「これを使って」
差し出されたのは、花柄の折り畳み傘とタオルだった。
大外れの天気予報とは違い、彼女は準備よくそんなものを持っていた。流石だなと思うと同時に、それは申し訳ないと思った。
これを受け取れば、当然山吹さんはこの雨の中、傘もなく帰ることになる。
「そ、それは……」
「私はここで止むまで待つから」
そう言うと彼女は茫然とする私に、傘とタオルを渡す。
私も抵抗することなく受け取ってしまう。
「止むまでって……いつ止むかも分からないし……」
「大丈夫、20分もすれば止むよ」
「え……?」
「今日の雨が止めばやっと雲が晴れるからね。その時に私は帰るよ」
「な、なんでそんなこと分かるの……?」
そう言うと山吹さんは少しだけ悩むような素振りをした。当たっているとも分からないのに、山吹さんが言うと真実味を帯びてしまう。
それから冗談でも言うかのように、平然と答えた。
「それは私が戦車乗りだから、かな?」
『それはじゃあ駄目?』と彼女はふと微笑み言う。
よくよく思い返せば答えになっていない。しかし彼女の瞳は適当なことを言っているように見えない。だからきっと止むのだろうとも、思ってしまう。
うちの近辺は田舎町であるが、戦車道では西住流という流派がある有名な場所らしい。私もあの大きな屋敷がある前の道はよく通る。だから山吹さんもその西住流の関係者なのだろうか。
「で、でも…………」
躊躇する私に対し、山吹さんは真剣な表情になる。
「自分の道を信じて」
「…………」
「誰の意志も関係ない、自分の選択が自分の道になるから」
七
山吹さんから傘を受け取って、急いで詩織の向かった方へ向かう。
彼女の言う自分の道とはどのような事を意味していたのだろうか。誰の意志も関係ないとは何を思って言ったことなのだろうか。
結局、私は彼女の真剣な瞳に迫られ、断ることもできず何度もお礼を言って傘とタオルを受け取った。彼女は笑って手を振っていたが、おそらくこれでは自分の選択とは言い難い。
でも山吹さんがとても優しい人だということは分かった。
そして戦車道をやっているということも。戦車道をやっていると天気が分かるようになるようだが、一体どのようにやっているのだろうか。
雨はまだ強く降り続いている。
それから走っていくと、一人の少女の姿が見えた。
詩織だ。やっぱり傘をさしていない。
しかし近づいて行くと異変に気付いた。
何故か詩織は宙を見て、ただボンヤリと立っている。
「詩織?」
「紅、葉ちゃん……?」
「ど、どうしたの……詩織?」
詩織は涙目になりながら、耳と鼻を真っ赤にしていた。
ひとまず詩織を傘の中に入れ、タオルを頭に掛ける。触れた肌が冷たかった。
何があったのだろうか。そう思い詩織の顔を見ると、詩織は子犬の居るダンボールを指さした。
見ればそこに子犬の姿はない。どういうことだろうか。
「朝はっ……居たのに……来てみたらいなくてっ……」
「…………」
中の毛布や餌もない。
そこには濡れたダンボールだけが残っている。おそらく周りの物品がないことも考えて、誰かが連れて行ったのだろう。
こんな人通りのない道で誰かが子犬を拾うなんて。
それは不味い。
見つけたから飼おうと考える人は、なかなか居ないはずだ。それよりもその誰かに見つかって、保健所に連絡され引き取られたという可能性が高い。
冷たい感覚が脳に過る。私たちはあの子犬に情をかけた挙句、この結果で終わる。そして詩織の悲しむ表情が目に浮かぶ。
いや、まだ。まだあきらめるべきではなくて。一週間後には殺処分。だからまずは。
頭の中がぐちゃぐちゃになる。私は、何をすべきで、どんな道を選ぶのか。
すると雨音に混じって、奥から足音が聞こえた。
そちらの方を見ると、着物に赤い和傘を差した人が居た。あちらの方もこちらに気付くと、優しい表情をこちらに向けてくる。
そして私たちの前で立ち止まった。
「もしかして、あなた方ですか?」
「え?」
「あちらにいた子犬の保護者を探していました」