戦車は女性を扱うように優しく、そして楽しまなければならない。
クラッチの操作は彼女との対話に等しく、動かしたと思えば手を引いて、また押しては引いての駆け引きをする。とんだキザ野郎にでもなったつもりで、彼女へ語りかける。
すると返答はエンジン音で帰って来る。その声を聴きながら、優しく、愛でるように、手を触れる。クラッチの遊びは心の余裕と一緒で、うまく使えないやつは何事もうまくいかない。恋だろうと戦争だろうと。
とにかく受け手になることが重要だ。
彼女と語る時ははまずゆっくりと彼女の声を聴いて、彼女がどんな子でどんな気分なのかを考える。時には痴話喧嘩になるが、そんなこともあったと笑い合えるくらいに通じ合う。
特にドイツ戦車は構造が複雑で、正直面倒で、気持ちの浮き沈みが激しい。
だがうまく付き合えれば、どの国の女よりも最高の女になる。
一
「あっ!!」
ガタガタッと不意に揺れる。
慌てて足を必至で動かすが、焦った時にはもう遅かった。戦車はそっぽを向くようにエンジンをストップさせ、一言も喋らなくなる。どうやら機嫌を損ねてしまったようだ。
またやってしまった。『はぁ』と、思わずため息が出る。
乗り物の操縦はこれが初めてとはいえ、ここまで戦車を思うように動かせないとは。山吹さんが簡単そうに運転しているからもっと動かしやすい代物だと思っていた。
「すぐに動かしてください」
「は、はい!!」
落ち込んでいると、後ろから無感情な指示が飛ぶ。
すぐに返事をして気持ちを切り替える。
「試合中のエンストは起こした時点で負けだと思ってください。コツは練習の内に出来るだけ失敗を起こしておくことです」
「りょ、了解です」
分かってはいるのだが、やってしまう。
すると後ろから抑揚もなく当然とも感じるような言いようで、先輩は話し出した。
「戦場の中心でパートナーの女性と痴話喧嘩なんてしていたら、その兵士はどうなるか分かりますよね?」
「…………え?」
「99%死にます。ただ残りの1%だけは生き残れます。どんな人だか分かりますか?」
「……いえ、分かりません」
「ハリウッドスターです。戦場で痴話喧嘩をしていいのはトム・ク●ーズか、ダニエル・ク●イグくらいです」
「そ、そうですか」
「紅葉・クルーズさん。では生き残るために、俳優になるか戦車乗りになるか選んでください」
二
事の始まりはつい先日まで遡る。
『山吹さんのところへ行こう!!』
そう詩織が言ったのは、あの雨の日から明けてすぐ、次の日の朝だった。
普段より少し早い登校時間。詩織は私の家へきてそう言った。昨日の今日の出来事なのに、もう子犬に会いに行こうというのか。
だが流石に朝から訪れるというのは迷惑になるので、学校で山吹さんに話をしてから行こうということになった。
「勿論、放課後だね?」
「うん!!」
学校で山吹さんに行っていいか尋ねると、嫌な顔一つせず二つ返事で了承してくれた。
そして放課後になって、山吹さんに連れられて詩織と私はまたあの屋敷へ行った。
子犬は西住流の屋敷の近くにある、門下生さんやお手伝いさんが住む寄宿舎で飼われている。話ではそこに山吹さんも住んでいるようで、彼女だけでなく他の多くの人から子犬は世話を見て貰っているらしい。
着くと山吹さんは戦車道の練習とお手伝いがあるらしく、どこかへ行ってしまった。
代わりに井手上さんが私達の話し相手になってくれて、その日はひとしきり子犬と遊んでから帰った。
次の日の放課後も行った。こんなに会いに行く必要があるのかは分からないが、それから気づけば平日は毎日のように通うようになっていた。
自然と帰り道はいつも山吹さんと帰るようになり、彼女のことも少しずつ知った。
以前は勉強が出来て、運動も出来て、可愛くて、性格も良い完璧な人として、どこか隔たりのある場所に居るイメージしかなかった。
しかし話してみれば、花が好きだったり、小食で悩んでいたりと意外な部分を多く知ることが出来た。
そんなある日だった。
いつものように子犬へ会いに行ってみると、そこには見覚えのない顔の人が居た。山吹さんが言うには高校生の人らしい。戦車道の選手としてはとてもすごい人らしく、山吹さんも何度か教えてもらったことがあるらしい。
その高校生の人は、どうやら家元の指導を受けにわざわざ学園艦からヘリでここまで来たようだ。井手上さんが突然の訪問に驚いたと言っていた。
とても元気の良い人で、ハキハキと喋るのが印象的な人だ。井手上さんと話しながら、礼儀はキッチリとしながら、ハッキリとした芯を感じる。
その人はちょうど練習を終えたところのようで、井手上さんと離し終えると、こちらへ話しかけてくる。
「おっ、二人は新しく戦車道を始めた子?」
「え? いえ、そういうわけでは……」
「じゃあ乗ってみない? すっごく楽しいわよ?」
「そ、そんな……」
「怖がることないわよ!! バッ!! ってやってダッーって動かすだけだから。やってみよ?」
「無茶―――」
「―――やります!!」
「詩織!?」
無茶だと言う前に、詩織がキラキラとした目で返事をした。正直気持ちは分からなくもないが、もっと躊躇というのをしてほしい。
気持ちが分からなくもないというのは、きっと私と詩織が同じような考えをしているだろうから。あの雨の日に乗せられた戦車のことが、ずっと忘れられない。
ただ、こんないきなり大胆に乗っていいのか。
流されるように、詩織は車長へ。私は操縦席へ行った。その高校生の人が言うには、とりあえずそこらへんの席を埋めとけばいいらしい。あとは適当にしとけばいいようだ。
高校生の人の指示に従って操作すると、あの日聞いたエンジン音が辺りに響く。
まさか私が戦車を操縦することになるとは。緊張しながらもまず言われた通りに踏み込んで、ゆっくりクラッチを離す。
ガタッと。けたたましいエンジン音が止む。
全然動かない。
「ドンマイ!! あの子犬を撫でるみたいに優しくね!!」
「は、はい!!」
言われた通り、そーっと離す。
すると戦車がそっーと動き出した。『やった』と思って気を抜くとすぐに動きが止まる。
「グッジョブ!!」
「は、はぁ……」
何故か褒められたが、全然うまくいっている気がしない。
山吹さんはもっとスムーズに動かせていたが。そう思って彼女のやっていたような動きを思い出す。たしか足はこんな風に。
「おー!! 紅葉ちゃん!! 動いてるよ!!」
「ほ、ほんとに?」
「いいわねー!! よし!! ガンガン行くわよ!!」
そして彼女のいうように本当にガンガン色んなところを走った。
迫る木々など障害物がまるで見えないから、詩織の指示に従うのだがうまくいかない。私の運転も勿論あるのだが、詩織も目を回している。
「あっ、えーと、え、二時!? 十時!?」
「ど、どっち?」
「十時ね!! ガッと曲がって障害物避けちゃって!!」
それからこの高校生の人はとにかく褒める。
木を避けただけでも褒める。停止をちゃんとできただけでも褒める。それからとにかく思いっきり挑戦させる。
法則性として、『グッジョブ!!』が良い。『グッジョブ!! ナイス!!』がかなり良い。『グッジョブ!! ベリーナイス!!』が最高だ。この三段活用を覚えておくと何かいいことがあるかもしれない。
それから何度もエンストをしたり、木にぶつかったりした。
高校生の人は大笑いでどんどん前に進むように言うが、私達にとっては何かを起こす度びっくりして萎縮しまう。
特殊なカーボンで守られているから大丈夫らしいが、やっぱり怖いものは怖い。
ようやく元の場所に戻ってこれた時にはもうヘロヘロだった。詩織もぐったりしている。
高校生の人だけは元気そうに笑っていた。
疲れた身体で戦車の上から降りようとすると、下で山吹さんが手を差し出してくれていた。
ありがたく手を借りる。詩織もさすがに疲れたようで、山吹さんへ抱き着くような形になりながらもなんとか降りる。それからタオルとスポーツドリンクを渡されて、岩場に腰掛けた。
「まさか二人が戦車に乗ってるとは思わなかったよ」
「……成り行きでね」
「あー……蝶野さん、勢いのある人だからね」
「あ、あはは……」
「初めて戦車に乗ってみて、どうだった?」
そう山吹さんに問われる。まず出てくれる感想は、疲れた。
身体的にも、精神的にも。ガタガタ揺れる戦車を必至で動かすのがこんなに大変なことだとは思わなかった。
旅行で遠くから自宅へ帰ってきたかのような疲れだ。また戦車内の暑さでより体力を削られているような気がする。
「……楽しかった」
でも出てきたのはそんな言葉だった。
疲れてぼーっとしていた詩織も、それには大きく頷いて笑う。
「良かった」
同じように山吹さんも笑う。『グッジョブ』なんて言われなくて良かった。
結局また山吹さんの操縦するⅣ号に乗せられて、自宅まで送ってもらった。
三
あれから放課後の週何回かは山吹さんの元へ行き、戦車に乗るようになった。
何度か通っているうちに門下生の人からも顔を覚えられ、運転方法を教えて貰っている。他の席もいろいろと試したが、やっぱり操縦が私は好きなようだ。
砲手は外したらいけないというプレッシャーが嫌で、通信主は余り好きではなく、装填手は非力な私に務まらず、車長は圧倒的に経験と知識が足りない。だから結局この操縦手に収まったというだけなのだが。
成り行きだけなら流されたようだが、案外まんざらでもない。戦車の操縦は、ギアを変えているだけでも面白い。そう思えるようにはなってきた。
詩織は詩織で砲手をやることにして、いつか車長をやると言っている。
それから、門下生の方以外からも顔を覚えられた。
「あっ、詩織ちゃん!! 紅葉ちゃん!!」
いつも通りの場所に腰掛けて子犬と遊んでいると、向こうから声が聞こえた。
そちらを見ると、優しい目をした少女が元気よくこちらへ走り寄って来る。詩織も気づくと手を振って少女を迎えた。
「みほちゃん!! お帰りー。今日は何してたのー?」
「今日はね!! お姉ちゃんと戦車に乗って釣りしてきたの!!」
「そうなんだ!! どこまで行ってきたの?」
「月岡さんの家の角の近くにあるところ!! 楽しかったよ!!」
詩織はにこにこ笑いながらみほちゃんの頭を撫でる。
月岡さんのところにある場所は、私も低学年のころ詩織と行ったことがある。もちろん戦車でなんて無茶なことはしていないが、それは戦車道家元の娘だからということだろう。
すると遅れて向こうから、みほちゃんと似てはいるが、目元が少し鋭い少女がこちらへ来た。そしてまず目が合うときっちりと頭を下げて挨拶をする。
「こんにちは。天ヶ瀬さん、日比谷さん」
「あっまほちゃん、こんにちはー」
「こんにちは」
相変わらず礼儀正しい子だ。
目が優しくて、元気に溢れている方が西住みほちゃん。目が鋭くて、礼儀正しい子が西住まほちゃん。二人は名前の通り西住流を継ぐだろう家元の娘たちであり、この大きな屋敷に住むお嬢様姉妹だ。
それにしても詩織はそんな関係を一切感じさせず、何の隔たりもなく二人へ接している。少しは気を使った方がいいのではないかと心配してしまうくらい、普段と何も変わらない。
「二人も乗るの?」
「うん!! お母様が今日は私に乗り方を教えてくれるの!!」
「そうなんだ」
ここへ来た理由を訊くと、みほちゃんが元気よく答えてくれる。
なんやかんや私も年下と接するのと変わらない、詩織ほどではないが隔たりない関係を築いてしまっている。
「日比谷さん。紅葉さん。お待たせしました」
すると今度は私達より一回り背が高い二人が、こちらへ来た。
「あっ、はい!!」
「はい!!」
「では練習をしましょうか」
四
「戦車乗りになります……私、女ですから」
「そうですか。では私は女優になります」
「え?」
「冗談です。でも戦車に乗る女の子より、アイドルとか女優の方が可愛い気がしません?」
「……ちょっと、意味が分かりません」
「そうですか」