『美少女ハンター凍土で大奮闘です!』改め『ティガレックス討伐譚:吹雪の前触れ』 作:fuki
背中に食い込む異物感で、自分が倒れていることを認識する。
手のひらが冷たい。氷に触れている?
「起きろ!」
くぐもった声にうっすら目を開けると、頭の裏にバックパックの感触を覚える。やはり横になっているらしい。
「あの、あれ、あたし? あ、あーあー。あれ?」
自分でしゃべる声も変だ。耳に手を当てると、ぬるりとした感触と共にかすかな痛みを覚える。
「応急薬を塗った。あの咆哮の衝撃は後ろにも来るらしいぜ、次食らったら鼓膜がもってかれるぞ」
「咆哮? あれが?」
あたしが倒れていたのは北側の切り立った山肌からほんの一〇メートル離れたところだった。射撃を試みた地点から距離にして、二〇メートルはある。
「声でこんなところまで吹っ飛ばしたんです? あたしを? ウソ!」
鳴き声が“轟竜”の名の由来であることは聞き知っていたが、この威力は完全に想定外だ。あたしは音だったことさえ分からなかったんだよ?
しかし返答はない、遥か遠くから響いてくる地鳴りにマーキさんの顔色がみるみる変わる。
「ウソだと思ってたら次は死ぬぞ! 下がれエリちゃん!」
「へ――」
「――下がれぇ!!」
マーキさんの視線を追い――
――限界まで前傾させた姿勢で、肘を大きく立てて迫ってくる姿を見つけ、脱兎の気持ちを理解しつつ地面を蹴った。
直径一メートルはあろう腕が地鳴りと共に地面を殴り付け、三本の爪が氷を割って根元まで土壌に食い込み、それが左右交互に秒間三回近いのペースで迫ってくる。
腕の間にあるのは、獲物の目線まで位置を下げ、見るものに威圧感を与え、触れたものを問答無用で噛み砕く、恐怖を体現したような頭。
それらが時速四〇キロは下らない速度で迫ってきていた。
なんだ? これは。
ティガの“走行”だ。疑う余地はない。
ただし、目の前にあるものなにもかもを薙ぎ倒す走行だ。
あたしはそれと、完全に“追いかけっこ”の形になってしまっている。
橙色の鱗と甲殻に走る青い縞模様で、距離感と立体感を誤認しそうになるオマケつきで!
「エリちゃん!」
バニィさんかマーキさんが叫ぶが、返す言葉はない。
指先に付いた血と応急薬を裾で拭い、必死に思考をめぐらせる。
ティガのスピードはあたしのそれを遥かに上回る。
何秒で追いつかれる? 三秒? 四秒?
ふと、音が消えた。
ティガがとまった?
あたしを諦めた?
そんなわけない!
左足の踵に全力を注ぎ、右手側面へ跳躍。
直後、大地を揺るがす轟音と共に、あたしがいた場所が間欠泉のように土くれを吹き上げた。
深さ一メートルもある大穴が穿たれ、そこから引き抜かれたのは、ああ、想像どおり、それぞれが大の大人ほどもある爪を三つ備えた腕だ。
「これがポポを殺した攻撃……!」
その脅威に直面したあたしは、しかし不思議なことに、ポポの死骸を見た時と比べてずっと平静だった。
それどころか、ほんの少し楽しい?
間接的な痕跡よりも直接的な事実の方が、人を楽観視させるのだろうか?
姉が言ってた、『恐れは、その実体に直面することより恐ろしい』ってこと?
動く身体が心を奮い立たせてる?
それともただのマヒ?
考えていられるのも、次の追いかけっこが始まるまで。
再び地面を踏み抜く両腕が迫ってきて、あたしは側面へと転がる。
ティガの突進は直線的だ、一度脇に回り込めば攻撃のチャンスはある!
しかしティガは凍った土に突っ込ませた爪を軸にドリフト、急旋回してぴたりとあたしにターゲットを合わせた。
土から引き抜いた爪を再度振り下ろして走り出すティガを見もせず、あたしは全力で逃げに入る。
どうする?
このまま走るなら、あたしは肉の詰まった皮袋だ。
横は?
一足で跳んで、跳躍距離は三メートルか? 腕に巻き込まれる可能性が高い。
マーキさんは?
あたしと分かれる形で逃げたんだから、援護してくれる距離にいるわけがない。
ジュンさんとバニィさんは?
あたしが咆哮で倒れていた間引きつけていてくれたんだんだから、かなり遠いはずだ。
音が物理的な圧力と氷の破片を伴ってあたしのうなじに迫る。
どうする!?
逃げも助けも得られないなら、攻撃しかない!
装填状態を思い起こしながらボウガンに手を――
「閃光玉!」
――声にハッと顔をあげ、ポーチから無造作に掴み出した細長い手投げ弾からピンを抜き、前方に投擲。
薄暗い凍土を膨大な光が満たし、ティガの悲鳴と氷をこするブレーキ音を立てた。
あたしはその光をくぐるように瞼を閉じて跳躍、着地と同時に反転、慣性を踏ん張って殺し、ティガの顔面へ銃口を向け、二連射。
一発はブレゆえに虚空を切ったが、もう一発は顎下をかすめる。
ダメだ、角度が浅い、実は“開かなかった”。
ティガが落としかけた速度を復帰すれば、三度目の追いかけっこに陥る。
それはダメだ、側面に回り込んで射撃を狙うしかない。
でもすぐにティガの右腕が地面に突き立てられ、あたしは行き場を失ってたたらを踏む。
口がぐいっと開かれ、ナイフほどもある歯が覗く。
彼我の距離は五メートルほどだが、この程度ないに等しい。
反射的にもう一発撃つも、頭から逸れて左肩口に着弾。今度こそハリの実が大きく開いて肉に食い込んだ。
でも肩から血を噴き出したのに、ティガはとまらない。左腕は踏み出され、右腕は持ち上がり、あたしを狙うアギトが大きく開き――
――右腕が地面に接地した瞬間、ガクリと滑ったように前のめりに倒れた。
腕を払ったのは、透明なヒレを組み合わせた大盾。
「マーキさん!」
彼は右肘を踏みつけ――
「食らえ!」
――四つ叉のランスでその目を狙う!
硬い音に間髪を入れず、ランスが深々とティガの体内に食い込み、ティガが甲高い苦悶の声を上げる。
「外れた!?」
刺さったのは顎の筋肉だ。
「いや、これでいい!」
ランスを引き抜き、盾を構えてバックステップ――
――の前にティガが右肘を立て直し、脚をかけていたマーキさんが転倒。
ガード手段を失った彼を狙い、ナイフのような歯の並ぶ顎が開き――
「ストップ!」
――ボウガンに装填したマヒ弾を一撃。
口中を貫通せずに暴れまわる弾頭からマヒダケの成分が撒き散らされ、ティガの動きが一瞬鈍った。
あたしはティガの腕の間から転がり出て、マーキさんの手をとって立ち上げる。
「助かったぜ!」
「お礼はポポのタン三箇月分で!」
視界の隅ではバニィさんとジュンさんがこちらに向かっている。
「咆哮くるぞ! 下がれ!」
マーキさんの声に、さっと彼の背後に回り――
――直後、大盾の外側をすさまじいソニックブラストが走り抜け、雪と土が吹き飛び、その奔流の一部が音となって鼓膜に突き刺さる!
それでもマーキさんは盾ごと一メートル後退しただけで、耐え抜いた。
さすがは討伐経験ありだ、もう咆哮は怖くない。
あたしは盾の脇から通常弾に変更したボウガンを突き出し、一射。
しかしティガは四肢を使ったバックステップで、一息に五〇メートルは距離をとっていた。
「なんて瞬発力」
「ヒュウ、あの腕! 不味そうだよな、食ってみたいぜ」
マーキさんは鱗の鎧に覆われた右腕をブラブラさせた。さすがに咆哮の衝撃は強烈らしい。
「そんなこと言ってる場合じゃないですよ!」
あたしはざっと位置関係をチェックする。あたしとマーキさんの正面にティガがいて、バニィさんとマーキさんはその向こうで、左右に大きく展開している。
そこで真っ白になっていた頭に理性が戻り、タンジアで受けたレクチャーで受けた絵が思い浮かぶ。ティガを中心として、“T”を描いて戦う、通称“T・レックス”フォーメーション。今の状況はまさにそれじゃないか?
これを逃す手はない!
「距離を詰めて一気に攻めましょう!」
だが、ちらりと青――ジュンさんの光信号が瞬き、その内容に思わず声を上げる。
「『待機』? どうして!」
あたしのそばに、盾を構えたままのマーキさんがにじり寄ってきた。ランスの切っ先は下に向けている。
「オレたちの目的を違えるなって話だ」
……あ、そっか。
あたしたちが優先すべきは、ティガが何故寒冷期の凍土に出没したのかを突き止めることだ。
「で、でも襲ってくるなら――」
言いながら、数秒でも静かになった周囲に疑問を抱く。
自分が穴だらけにした雪原で、ティガはあたしたちから距離をとったまま、立ち止まっていたのだ。
ただ肩を大きく上下させ、あたしとマーキさんに視線を投げている。
それはなんというか……。
警戒されてる?
あたしたちが?
数秒間か、あたしたちは見つめ合い――
――パチリ、という破裂音がその時間を破った。
即座にティガは跳躍。
そのまま東の方へと飛び去ってしまった。