『美少女ハンター凍土で大奮闘です!』改め『ティガレックス討伐譚:吹雪の前触れ』 作:fuki
● 出し抜きます! / naked beguiler
氷の地面は思ったほど歩きにくくなかった。氷塊ごとの段差も、高低差の小さいところを選んで迂回するように進めば、行って行けないこともない。ただ、ずれた氷塊と氷塊の間に亀裂ができているところもあって、静粛にジャンプして対岸に取り付くのは割りと覚悟が必要だった。
右腕の傷は、可食性不凍液の混ざった応急薬で痛みを和らげている。それでも筋肉の損傷が消えたわけじゃないから、そう無理はできない。
ティガはまだ動かない。あたしの存在に気付いてない?
足元の氷を覗き込むと、氷に取り込まれた巨木の破片や巨大な岩石に混じって、動物や昆虫の死骸が生前の姿でぽつりぽつり見えるのが薄ら寒い。見たこともないような“モンスター”の姿さえある。
でも、どうしてそのままの形で残されているんだろう? ここは飛竜種の生息圏に近いのだから、動物の死骸は氷に閉ざされる前に食い荒らされてしまうのでは? “エリア7”のように、雪と圧力で形成された氷の層の中には骨しか残らないのが普通じゃないのか?
あたしの知識にはない自然の作用で、この氷は作られたんだろうか。
氷の凹みに爪先をかけ、二メートル程の段差をよじ登る。上半身を持ち上げたところで、その氷塊より高い場所がが周囲にないことに気付いた。でも違う道を選ぶにはずいぶん後戻りしなきゃならない。ホットの残り時間はわずか、行くしかない。
氷塊に上がり、周囲を見回す。氷床は延々と続いているが、必要な道程はもう氷塊一つと半分、五〇メートル程度だ。
そこで――ティガがあたしを見た。
恐怖を体現した顔が、獲物を狙う二つの目が、凶器の塊である口が、あたしに向けられる。
そして身体をさっと起こし、“絶対強者”は“轟竜”たる咆哮を放った。
一拍遅れて、音が恐怖となって身体を貫き、背中から抜けていく。
いや、違う、これは恐怖とは関係ない。衝撃で産毛を逆立てられただけだ。
マーキさんの盾はない。教えられたフォーメーションは使えない。咆哮もきっと避けられない。
でも怯むな。
“ハンター”は、英雄は怯まない!
だん、とティガが地面を蹴った。
中途の氷塊を一度経由して、あたしの目の前まで一足飛びでやってくると、身体を前傾させて戦闘態勢を示す。
通常弾を一発、ティガの足元の氷目がけて撃ち込んだ。
それで通じるはずだ。
この距離ならティガは突進を繰り出すだろう。あたしはぎりぎりで回避して、ティガを氷塊の段差の向こうへ落とす。段差はもっとも高低差のあるところで七メートル近くあるから、ティガが迂回するにせよ登るにせよ、一〇秒程度は稼げるはずだ。
その隙にティガがいた場所に走る。
予定どおりだ、予定どおりやれ。
爪先に体重をかけ、どの方向にも動けるようにして、その瞬間を待つ。
ティガの動きは予定どおりじゃなかった。
両手を氷に叩き付けると、その反動と両脚の筋力で跳躍、あたしに爪を振り下ろした。
舌打ち、右前方に跳躍、翼膜と氷を踏みつける足の間を縫って転がる。
結果的に、ティガとあたしの位置関係が逆になった。
「クソ、気付かれてるのか?」
口の中で呟く。
ティガは氷の上で軽くたたらを踏んだあと、落ち着いてあたしに向き直る。
ボウガンで狙いをつける振りをして、虚空に発砲。
当てて怒らせる必要はない。
突進を使わせるんだ。
あたしは背を向けて目的地へと走り出す。
ティガの手が地面を叩き付ける音、それが連続する。
突進! 来た!
ざっ、とグリップを効かせて右に方向転換、鋭角に折り返す。
ティガの右腕が弾きあげる細かな氷の粒を浴びつつ、すんでのところで前転回避。
右腕の傷が圧迫され、刺し入れるような痛みが走る。
産毛が逆立つ、でもやはり恐怖じゃない。
とはいえ、際どい回避が何度も成功するとは思えない。
あと一回で片を付ける。
ティガは滑る後脚をそのままに、爪を軸に急旋回し――
「えっ?」
――ずるり、と氷から爪がすっぽ抜け、腕を腹の下に折り込んで倒れた。
驚いたものの、あたしはもう一度威嚇射撃、ブレにブレた弾頭が明後日の方向に飛んでいく。
ティガは起き上がるが、あたしを見たまま動かない。
どうして?
自問した直後に、違和感を、そして回答を得た。
氷塊の表面にほとんど変化がないのだ。
氷上での滑りやすさは、摩擦の大小で決まる。
飛竜種、たとえば“氷牙竜”ベリオロスは、どうやって氷上での高速移動を可能にしてる? 第四指に生えた直径一〇センチ前後の沢山の棘と、顎下の細かな棘を使って、氷を引っ掻いてブレーキをかけるからだ。あたしたちが履いている凍土用ブーツも、多数のスパイクを使っている点で同じで、小さな抵抗を沢山氷に残すことでその摩擦を稼いでいる。
翻って、“エリア3”で戦った時、ティガはどうやって移動していた?
“爪を凍りついた土にめり込ませて”だ。
ティガの三対の爪は確かに大の大人ほどのサイズがあるし、ポポの身体を簡単に引き裂くほど鋭い。でも氷上にぶつけるスパイクとして考えれば、その鋭さが徒となる。ほとんど点でしかないたった六つの爪は、摩擦を産むには不向きなのだ。
そしてボルボロスが泥に潜れて氷に潜れないのと同様、いかにティガと言えども結局は生物、数百年の積み重ねがある氷を、凍った土と同じように扱うことはできない。つまり――
「――ここなら、あのドリフトは使えない?」
だから突進を使わなかったのか。となれば、ティガの行動をある程度制御できるんじゃないか?
……勝てる?
一瞬浮かんだ誘惑を、頭を振って払う。
落ち着け、それは無理だ。弾薬が圧倒的に少なすぎる。
これ以上自分の目的を見失うな。この氷塊からティガを引き離して、あいつがいた場所に辿り着く。そしてメモを残す。ティガと対面しているのは、そのための手段でしかない。
あたしはボウガンをストラップで背中に納めると、手袋をして剥ぎ取り用ナイフを右手に構える。
荒くなった息を押し殺す。
予定どおりだ。
制御できるなら、予定どおりにやれ。
あたしは少しずつ、半歩ずつ、後退りする。
刺激しないよう、距離をとり。
所定の位置につく。
氷塊中央からわずかに“エリア6”寄り。
目的地まで約六〇メートル、端まで約一五メートル。
ナイフの柄をそっと握り直す。
息をゆるりと吐き出し、吸う。
「来いッ!」
触発されたように、ティガが左手で氷の表面を殴った。
時速四〇キロは下らないスピードで、凶器の塊が迫る。
左右に避ければ、ドリフトで位置が入れ替わるだけだ。
氷塊の端が見えれば、なにがなんでも停止を試みるだろう。
「なら――」
後ろ手でポーチから閃光玉を出し、ピンを抜いて投擲。
――目を潰せばいい。
爆発的に広がる光の中で、悲鳴が迸り、規則正しい足音が乱れる。
止まりきれなかったティガが氷を撒き散らしながら滑っていき。
そのまま七メートル下の氷塊に落下し、右腕を下にして激突した。
あたしはその光景を、氷塊の側面に突き刺した剥ぎ取り用ナイフにぶら下がって、半分放心状態で眺めている。
「効いてくれてよかった……」
でもこれで、もう閃光玉は使わない方がいいか。
よじ登ってナイフを引き抜くと、下の方でティガが身を起こすのが見えた。でも立ち回りで分かったように、ティガは氷の上では小回りが効かないし、氷の壁面を直接登ることもできない。時間は十分に稼げてる。
このまま辿り着く!
あたしは氷床を駆けだし――
――ビクリ、と身体がはねた。
なんだ?
緊張のあまり、筋肉が痙攣したのか?
いや、あれ、鼻が……詰まってる?
鼻を揉むように小鼻を押し込むと、パキパキっと音がした。
呼気中の水蒸気が湯気になる間もなく、鼻腔で凍りついている。
意識すると同時に、顔と喉に痛みが走り、思わず瞼を閉じると睫毛が音を立てた。
あたしの身体を護っていたホットドリンクの効力が切れ、露出した肌や粘膜を苛み始めたのだ。
包帯の下で、ガーゼに染み込ませた不凍性の応急薬が凄まじい勢いで体温を奪っていく。
クソ、ここまできて時間切れか!?
“紅彩鳥”の羽根の断熱性能なんて、ないようなものだった。皮の手袋も羽織ったガウシカの毛皮もほとんど意味をなさない。
容赦ない冷気が堪えようのない震えと痺れを産み、あたしの思考を真っ白に上書きしようとする。
いや、落ち着け、まだ動けるはずだ。
スタミナと体温は秒単位で失われる。
数分もたたずに走ることさえ覚束なくなるんだ。
動かなきゃならない!
あたしが”モンスターハンター”なら!
呼吸を制御し、スパイクを意識して走り出す。
スピードが上がるごとに体感温度が下がり、震えがひどくなる。
三メートルの段差を飛び降り、着地に失敗して氷の上を転がる。
それでも、氷に手をつき、立ち上がる。
口を開ければ喉をやられる。
鼻の穴を交互に使って細い呼吸を繰り返し、走る。
走る――いや、もう両脚が同時に地面を離れてない。
あと何メートル?
距離感が分からない。判断できない。
でも立ち止まったら、きっと二度と走れない。
ティガの爪が削ったわずかな亀裂に、爪先が引っ掛かった。
倒れる。
肌を守れ。
触れれば水分が凝固してはりついてしまう。
どすん、と音がした。
背後の氷塊にティガが戻った?
何秒経った? 何分?
メモを出す。
残り何秒ある? ない?
墨で書き殴る。
氷にティガの姿が見える。
追いつかれた?
反射、
いや、
明瞭すぎる、
小さすぎる、
氷の中?
大きな岩、
その手前?
鐘が鳴った、
ティガはまだ向こうに、
小さい、
“ハンター”なら、
墓、
謎、
あたしは――