『美少女ハンター凍土で大奮闘です!』改め『ティガレックス討伐譚:吹雪の前触れ』 作:fuki
空間が歪んでいるのが目に見えるようだ。
傷付いた手で氷を押さえつけるように上半身を逸らし、オーロラを吹き飛ばさんと吼えるティガの声色は、七色に輝く氷の上で一種の気高さを思わせるものだった。
あたしとティガの位置関係は、半日前とほとんど変わらない。“エリア外”の氷床約二〇〇メートル先にティガがいて、あたしは“エリア6”からそれを見ている。
でも、ティガにあの時に感じた異様な存在感はない。彼がそこにいることに違和感はない。
それはたぶん、ティガの変化じゃない。色々な出来事であたしの目線が変化したから、見え方が違うだけだ。
じゃあティガのあたしに対する目線も、変化したのかな?
その答えは、きっとすぐに分かる。
だん、と一度氷を殴り付けたあと、ティガが跳んだ。
氷でグリップが効かないゆえに一躍二〇メートル程度だけど、それを何度も何度も繰り返し――
『散開!』
バニィさんが手で示して左前方に走り、ジュンさんは音もなく消え失せ、あたしはマーキさんの背後に大きく離れて抜銃、マーキさんはランスを抜刀して大盾を構える。
――ティガはあたしたちの中央に、氷塊を叩き割るかのような勢いで着地した。
爪が二本に減った右手から、その衝撃で血を噴き出す。生命を拒絶する空間に飛び散った生命の象徴たる血は、氷に付着するや否や棘のように凍り付いた。
そんな様子を観察しながらも、バニィさんがティガの左向こうでハンマーを抜刀し、ジュンさんがポンチョの下で太刀を返すのが見えた。
“T・レックスフォーメーション”の配置が成立したのだ。
……いや、わざと飛び込んできたのか?
疑問に思うが早いが、ティガが再度頭を大きく持ち上げ、轟然たる咆哮を繰り出した。
間際でガードしていたマーキさんが盾ごと後ろに大きく弾かれ、咄嗟にバックステップで距離をとって雪原の段差を背にしたあたしも、“紅彩鳥”の羽を翻させられた上に尻もちをついてしまう。
「ちょっと、なにこの威力!」
「ヒュウ! やる気だぜこいつァ」
ティガは頭を下ろし、腕を大きく張り出して氷床を捉え、前傾姿勢になる。
その顔には、涙を流したかのように赤い線が浮き上がっていた。よく見れば両の前腕にも同じ模様があり、速いペースで収縮を繰り返していることから、それが拡張した血管だと分かった。
「怒ってる……」
ティガは左手を一歩前に踏み出す。
環境には不釣合いな熱を帯びた呼気が、“星の囁き”を発する。
目が合った――気がする。
血管が走る顔面と気迫には不釣合いに思える、理性的な目と。
何を考えてるの?
「油断すんなよエリ!」
「分かってます!」
頭を軽く振って解釈を打ち切り、あたしは銃口をティガに向けたまま前進する。
『バズルボローカ』の通常弾有効射程距離は、ブレを含めて最長で二〇メートル。
それはもう目前、あたしは右腕の傷を意識しながらトリガーに指をかけ――
――ティガは爪を一本失った右手のひらを、氷を押し削るように突き出した。“エリア4”で土くれを飛ばしたように、ここでも氷を使った投擲攻撃を行うつもりなのだ。
一瞬回避しようと身構えるも、その必要はない、と堪えて冷静に通常弾を一射。
予想通り飛び散ったのは細かな氷だけ、その間を縫って飛んだハリの実が、カウンター気味にティガの爪を削り取った。
やっぱり、ティガはこの硬い氷を砕くことはできないんだ。
「いくぜティガ!」
それはマーキさんももちろん分かってる。伸びきった右腕に沿ってティガの数歩前まで前進していた彼は、踏み込みつつ透明なヒレを組み合わせた大盾を振り抜いた。
高い音を立ててティガの鼻っ柱を捉えるも、その頭はかすかに揺れた程度だ。強靭な骨格と外殻に覆われた頭は、衝撃を受け流すギギネブラとは違ってその硬さで全てを受け止めるどころか、下手な衝撃なら跳ね返されてしまう。
でも、今はそれでもいい。
マーキさんは二歩下がり、ティガは右腕を戻して眼前の異物に食らいつこうと口を開け――声を上げて身体越しに背後を見た。
ティガがあたしたちに気を取られている隙に、いつの間にか向かって左に行ったジュンさんが尻尾を、バニィさんが左脚を、それぞれ自分の得物で攻撃したのだ。
当然ティガは黙ってない、前傾姿勢のまま方向転換、ジュンさんの方へと顔を向ける。
「こっち!」
間髪入れずボウガンが火を噴き、ハリの実がティガの側頭部で“開き”、右耳をえぐり飛ばした。
ティガは耳を失った痛みに吼え、再度あたしの方に視線を向ける。
それにあわせて四人全員が若干左回りに移動、再びマーキさんが大盾を構えてティガの顔面に張り付き、軸を合わせるように調整して配置が直る。
これが“T・レックスフォーメーション”、 最初のチャンスはあたしが遁走して失敗、次のチャンスはあたしが戦いを放棄して失敗、三度目にして最後の最後で成功した戦法だ。
盾役が頭を抑えてティガの気を惹き、無防備な脚や尻尾を攻撃する。ティガの気が逸れたら全員があわせて回るか、今回のように遠距離武器で気を惹いて、立ち位置を調節するのだ。
あとはこれを、ティガが疲労し、死の淵に近付くまで続けるだけだけど――
――ティガは牙をむき出し、マーキさんの方へ突進を繰り出した。
「は、早い!」
爪の根元から血が滲むくらいに氷塊を殴り付け、アラレのような氷を撒き散らしながら突進してくる。その速度はたぶん、半日前にここで経験した突進の一・五倍はある!
あたしは迷うことなく左方向へジャンプ。
マーキさんも軽く左にステップを踏むと、右腕の大盾を斜めに構え、ティガの顔面から胴へとこするように受け流した。更に後ろ足にもタイミングを合わせているのか、踏み潰されず弾き飛ばされもしない位置にサイドステップで抜けている。
何度も見ているとはいえ初めての試行で、しかも初めて“怒り”状態なのに、真正面から突進を切り抜けてみせたのだ。その度胸と技術は、散々叩いていた大口が口先だけじゃないことを雄弁に物語っている。
でもあたしも負けてないぞ。あたしだってティガの肉を食べた“ハンター”なんだから。
氷の上でドリフトが満足に使えないなら、攻撃範囲は直線。そこから逃れたことを身体で確認したあたしはすでに、通常弾から貫通弾に変更している。
がら空きの横っ腹に向かってトリガーを引く。
通常弾よりも多量の火薬によって撃ち出された貫通弾が、ティガの翼膜を支える右手第四指の中ほどに着弾した。貫通弾はハリの実のように変形して破壊力を産まない代わりに、カラの実のライフリングで高速回転する鳥竜種の牙の貫通力でもって、第四指と翼膜を突き抜け、脇腹から体内深くまで食い込んだ。
ティガはまたしても叫び、反転しようと右爪を軸にドリフトするもすっぽ抜け、雪原の段差に身体をぶつけて何とか停止する。
クリーンヒットだ。でも満足しない、これが普通なんだ。
あたしは再度通常弾を装填し、息を吐く。
衝撃音の遠ざかった氷上に残されたのは、浅くて白い爪跡。
それにジュンさんの太刀が切り刻んだ傷で凍り、剥がれ落ちた血の欠片のみ。
段差の土をかぶったティガが起き上がろうと腕を氷につくけど、力が入っていない。あたしが想像する以上に、ダメージの蓄積は多いみたいだ。
「なるほど、本当にドリフトはできないみたいだね」
フォーメーションを組み直すべく走ってきたバニィさんが、一言呟いてから左前方に走り去る。
「油断はするな。死に瀕したの生物ほど危険なものはない」
ジュンさんも、黒い風のように氷に足跡さえ残さず走り抜ける。
「死に物狂いヤツほど美味いもんもねえぜ。ほら、もっと下がりなエリ」
マーキさんはランスを納刀し、携帯食料をくわえて顎ヒゲを撫でていた。
あたしは『はい』と応え、ティガを取り囲む“T”を作るべく後退する。
だけど……死に物狂いか。
それは狙いだった。死に直面した時に生物は本来の目的を覗かせるし、生息地じゃない場所にあえて残り、ガウシカにさえ口をつけなかったティガなら、それが自分の命を守ることだとは思えなかったからだ。
だけど……。
ようやく立ち上がったティガが、振り向いてあたしたちを見た。
“エリア6”の氷塊部分に、広大な氷床を背中に分散したあたしたちを。
ティガは肩を大きく上下させて、威嚇するように爪で何度か氷を引っ掻くも、そこに力はない。
右脚はバニィさんのハンマーで殴打されて捻挫したか、鱗と殻の隙間から血が滲んでいる。
怒りで浮いていた血管は引っ込み、顔にも腕にも赤みはない。
脇腹に開いた穴は出血がとまらない。心臓に近すぎて血圧を抑えきれないんだろう。
そのうえ硬い氷塊ゆえに、ジャンプからの爪叩き付けもドリフトを駆使した突進も本領を発揮できず、地面をえぐっての投擲攻撃も封じられた。
ティガの攻撃は愚直な突進と咆哮しかないけど、突進は今ので回避できるって分かったし、咆哮も範囲こそ広いけど、正面に立つマーキさんはその大盾で、あたしはマーキさんの背後でやり過ごせる。
つまりティガはもう瀕死で、その上打つ手がない。
その上で、凍り付く血を撒き散らしながら澄んだ空に吼え――突進を開始した。
スピードは遅い。持ち上げる腕は精彩を欠き、有り体に言えば無様だ。
「…………」
バカな。
そんなに頑張ってあたしたちと戦う必要なんてないだろ?
あたしたちと戦うことが、君の目的じゃないだろ?
それが“絶対強者”のプライドか?
早く本来の目的に戻れよ!
力なく走ってくるティガに苛立ち、あたしは真正面から通常弾を撃つ。
一発はブレて外れたけど、二発は翼膜に命中。でも有効射程距離外だから、小さな穴が開くに留まる。
「エリ! 避けろ!」
ギリギリまで引きつけてティガを受け流したマーキさんが叫び、あたしも左に避ける。
まるでネコタク程度の速度しか出ていないティガは、あまりに無防備。
もう、殺すしかないのか……?
再び脇腹を見せんと突進してくるティガに諦めの気持ちを覚えながらも、通常弾をリリースして貫通弾を――
「もっと離れろエリ!」
――ジュンさんが叫び、あたしが顔を上げた時。
ティガがあたしとの距離を短い跳躍で詰め、橙色と青色の縞模様を高速回転させた。
爪が描いた氷の上の円と、二色が混じる色の奔流に本能的に危機感を覚えて踵を返すも、遅い。
めり、と背中に嫌な衝撃が走ると共に脚が地面から離れ、世界が回転しながら色が遠くに飛んでいって――