『美少女ハンター凍土で大奮闘です!』改め『ティガレックス討伐譚:吹雪の前触れ』 作:fuki
前回のルートは使えない。スピードを落とさずに登れる高低差や亀裂の広さには限界があるからだ。
走り高跳び二・五九メートル、走り幅跳び一〇・一二メートルという“ハンター”としては中の上くらいの記録を持つあたしでも、武具をまとって氷床をスパイクで走りながらじゃ、その能力は発揮できない。当然、遠回りにならざるを得ない。
ティガは突進に近いモーションであたしを追ってくる。足を引きずっているし、段差や亀裂ではペースダウンせざるを得ないけど、直進なら十分あたしに追いつけるスピードだ。
“あの”氷塊に向かうみんなを視界の端の方で捉えながら、浮ついたような現実感のない五感でティガとの距離を測る。
一三メートル、九メートル、七、五――
――だん、と両手で地面を殴る音がして、咆哮!
だけどあたしは跳躍している。
タイミングと角度を調節し、両の足の裏にソニックブラストを“当てさせた”。あたしの身体は押し出されるように十数メートル吹き飛び、一旦転がるもののそれはあたしの制御下、すぐに復帰して走り出す。
なるほど、こうやって回避することも可能か。
ティガは停止し、あたしは前進し、距離が開いた状態で追いかけっこ続行。
マーキさんたちの姿が一時的に見えなくなる。たぶんどこかの段差を登ってるんだろう。迂回と直線、おそらくあたしより先にゴールするはずだ。
そこで最後の“狩り”が行われる。
その間に謎を解けるか解けないか、それが勝負だ。
身体はもう意識とは離れて別個に動いている感覚。意識は何をしているのかといえば、まるで地図を見渡すように、この“エリア外”の地形と人物配置を一望しながら思考を続けている。若干のリソースを割いて、スタミナの残量に注意しながらスピードに緩急をつけ、ティガの咆哮を回避可能なポジションを維持するルートを選んではいるけど。
……ティガの謎か。
ティガは自分の命を守ろうとしていない。それはもう疑いの余地はない。
次に“あの”氷塊に向かって追いかけっこをしている以上、あそこに彼の守りたいものがあるわけじゃない、と言っていいだろう。
ティガほどに知性のある生物なら、守るべきもの敵を誘き寄せるとは考えられない。死に瀕した時だからこそ、それは顕著となるはずだ。なのにティガはあたしを“エリア外”に叩き出し、その後も方向転換させようとするどころか追い立てられてるように感じる。距離的に近いジュンさんたちの阻止に走らないのも、それを裏付ける。
つまり、逆だ。
先月の調査チームと戦闘になった際にも、あそこにいる自分の姿を見せた。
あたしはティガを出し抜いて氷塊に到達したのに、助けられた。
ティガはあたしを出し抜いてまで、こちらに弾き飛ばしてきた。
誘い込まれているんだ、あたしたちは。
ティガの遺骸を始め様々な生物たちと巨大な岩を内包した、この氷床に。
いや、今足を踏み入れた、この氷塊に、か?
「どこまで追い詰めたら見せてくれるの!? 君の謎を!」
氷塊の中央で足を止めつつ抜銃、荒い呼吸を整えつつ振り返ると、有効射程距離としてギリギリの“近さ”まで引き離したティガの鼻っ柱へ、貫通弾を発射した。
ティガが氷塊に登るために突進からジャンプに移行する、その“タメ”の瞬間を狙った着実な一撃――のはずだった。
オーロラを反射する牙の弾頭はティガの背中をかすって虚空に消えた。
目を疑う。
ティガの鱗がいかに強靱でも、推力と回転力を得た鳥竜種の牙が打ち負けないわけない。
いや、弾頭は背中に流れた。ブレで着弾点がズレて入射角の浅い額に当たったのか? 一五メートルの近さでブレの計算ミス?
発砲の反動を押さえ込む一瞬で推測をまとめ、ポーチに手を突っ込んで二発の貫通弾をリロードする。残り六発、そのうちの一発を、着地したティガに撃ち込む。
瞬間、爪を立てる音と共にティガが滑るように右に動いた。弾頭は空気を裂いて消える。
「まさか!」
あたしの攻撃を避けてるのか?
もう貫通弾の有効射程距離外まで“近付かれた”けど、打つか否かを一瞬以下で判断すると同時に発射。
爪の弾頭は三度、ティガを捉えられなかった。氷に残されているのは、横一文字に腹から流れた血の跡。
舌打ちして踵を返し、氷塊の中心から淵に向かって走る。
疑う余地はない、ティガはあたしの攻撃を避けている。
筋肉の動きだとか銃口の向きだとかで判断してるのか、それとも殺気みたいなものを感じてるのかは分からないけど、どっちにしたってあたしの攻撃に対応してきてることは間違いない。
最初の一撃も、鼻先に当たるはずの弾頭を、頭を下げることで額に誘導したってのか?
やっぱり、狩られるのを待つ瀕死の“モンスター”じゃないってことね。
氷塊の淵ギリギリで止まれるよう調節してターン、腰を据えて今度は通常弾を装填する。
この先の氷塊とは一五メートルはくだらない高低差がある。この位置なら突進は繰り出せないし、咆哮は懐に飛び込むか崖にへばりつけば回避できる、尻尾も今のあたしなら回避できる。
同時に周辺をチェック、先に着くと思ってたみんなはまだいない。
あの時みたいに一対一だ、気を抜くなエリ。
通常弾を短いスパンで三連射。
今度は避けない、一発目が以前も傷付けた左肩に、二発目が前傾した背中に、三発目がブレて右の翼膜にそれぞれ命中、開いたハリの実が肉を割いて血が噴き出し、氷の上で硬い音を立てる。
だけどそれを認識することなく、あたしは決断を迫られた。
ティガはあろうことか、両手で氷を殴り付けると、大きく跳躍したのだ。
すなわち、ジャンプからの爪叩き付け。
三連射のリコイルショックから立ち直ったばかりのあたしは、回避手段を選別するより前に氷塊から飛び出していた。
ティガは氷塊の淵ギリギリを狙って飛びかかってきた。右も左も奥にも逃げ場はなく、あのポポと同じ圧殺から逃れるにはこれしかなかったのだ。
ティガがその爪で轟音と共に氷塊の一部を叩き割り、爪の付け根から血を噴き出すのが見えた。
だけどあたしもバランスを失っている。一五メートル近い落下の後、あたしの身体はどっちを向いている? どう受け身をとればいい? それ以前にこの身体で受け身をとって耐えられるか?
ああもう、考えても答えは出ない、耐えるしかない!
「ほいっとー」
決意から気を抜くような声が聞こえ――るが早いが、細長いものが胸に食い込み、近付きつつあった氷床が急速に遠ざかった。そして視界を氷と空が何度も入れ替わって、あれよあれよという間に身体を打ち付けられる。
いや、氷にじゃない。なにやら柔らかいものに覆われているような。
「ダメだよー、いくら“紅彩鳥”の服着てるからって、鳥になれるわけないんだよー」
「ト、トン殿!? どうしてこんなところに!」
身体を起こそうとするも、あたしの身体にはロープ状の何かが巻き付けられている。
「二人がここにくることは分かってたもんねー。ここは“墓”なんだから」
トン殿はロープをさっとほどいて……ベルトの上に巻いた。
「えっ? それであたしを引っ張り上げたんです? てかベルトじゃなかったんです?」
「ムチだねー」
「ムチ!? え、だってそれってもう使う人がいなくて――」
左手後方のティガが肩越しにあたしたちを見て、短い吠え声をあげた。
「――移動します!」
「ほいほーい」
疑問を引っ込めて、あたしはトン殿の手を掴んで走り出す。
直後、あたしたちが立っていた場所にティガが落下、轟音に混じって氷に叩き付けた爪がきしみをあげ――砕けた。
層構造の断面を見せる鉤爪の塊が、重い音を立てて氷の上を転がっていく。
散弾のように飛んできた細かな破片を、トン殿がムチを数度振って叩き落とす。
どうして。タル爆弾で爪にヒビが入っていたことは分かってたでしょ? 自分のダメージが大きいと分かって、どうしてその攻撃を使い始めたの?
疑問を口にする暇もなく、ティガが再び氷を殴る音がする。またジャンプだ!
トン殿とあたしは自然に手を離し、覆い被さってくる影から横っ飛びに逃れる。
残された一本と三本の爪が、ぎいん、と鋭い音をてて氷を叩き、視界の隅のティガが呻きを押し殺すように歯を食い縛った。一切の躊躇もない、むしろ“エリア6”で見た“怒り”状態よりもずっと気迫に満ちて、本気を感じさせる。
まさか、ここであたしたちを殺すことがティガの目的なのか?
「どうして!?」
「墓暴きと言えばムチでしょー? あ、部外者はギルドが認定してない武器を使っててもいいんだよー」
「そっちことじゃねええええ!!」
『トンを放置してティガと戦え』とわめく理性を抑え、走る。
どうやってトン殿をティガから引き離す!? こんな狭い氷塊で、どうやって! 一段下まで放り投げるか? でもトン殿が耐えられる保証はないし、ティガが追撃しない保証もない!
焦るあたしたちを影が覆い、すぐに消える。
このパターンは――まずい!
速度の乗らないあたしたちの前にティガが着地する。顔はすでにこちらを向いており、着地の衝撃をこらえるように上半身を反らし、一拍、あたしを見下ろした。
彼我の距離、六メートル。
あたしの前にマーキさんはいない。
今からティガの下に入ることはできないし、引いても咆哮の範囲からは逃れられない。
最後の最後の判断ミスを痛感する。
氷塊の淵まで寄れば、ティガは咆哮か尻尾でしか攻撃できない、と予断した。
死を覚悟する。
ボウガンに装填されてるのは通常弾三発、これじゃティガはまずとめられない。
でも迷う暇はない。
改めて胸を膨らませるティガの前で、ポーチに手を突っ込む。
もう三回目、通用するかは分からない、でもやるしかない。
ああクソ、この期に及んで運頼みかよ!
ピンを抜き、顔面に向かって閃光玉を投擲。
「目を瞑ってトン殿!」
「お、おおおー!」
爆発的に光が膨らむ直前、結果が分かった。
ティガは瞼を閉じていた。
ジュンさんの言ったとおりだ、『同じ攻撃を何度も食らうモンスターはいない』。
チクショウ、最後の最後で!
光と咆哮からかばうように背後のトン殿を抱き締め、光が広がり――
「…………?」
――光をやり過ごして細く開いた視界、その上の方に何かが見えた。
漆黒ではないが真冬の夜空のように冷たい藍色が、風のように細かな衣擦れの音を立てて落ちてくる。
「ポンチョ?」
呟いて視線をティガに戻した時、その顔面から血が噴き出した。鼻先から始まり、残っていた左耳を切り飛ばして終わる線から。
ティガが悲鳴を上げる前に、白と藍色を半々とする影が、ティガを飛び越え向こうに姿を消した。
まさか。
咆哮をあげ損なったティガが地面に倒れ伏せる。その顔は一見傷がない。太刀の刃をこぼさないよう、鱗そのものじゃなく、その合わせ目を縫って切っ先を操ったからだ。叩き切るタイプじゃない武器ならではの、一瞬の観察力と血の滲む熟練を要する技術が跡した傷だ。
そんな感想を抱く間もなく、巨躯の向こうで光が閃く。
一度、二度、三度、四度、五度、六度。
一太刀ごとに速度と光を増す軌跡が閃き、そのたびに血飛沫が芸術作品のような形状に凍って飛び散り――
かちん、と上部を展開した鞘に二メートルはくだらない刀身が納めらる音が響き。
――鋭い棘を有する巨大な肉塊が宙を舞った。
口を限界まで開き、咆哮に近い声を上げたティガがつんのめって前に倒れる。尻尾を切断され、体幹から溢れ出す血が一本の線を氷に描いて凍っていく。
「ほれ次いくぜ!」
声の方――ティガの反対側の下方を見ると、氷の屈折を通して隣の氷塊が見えた。段差の数メートル下でマーキさんが背を向けて大盾を頭上に振り上げ、炎のように揺らめく橙色が、急激な加速を得て空を舞った。
状況を把握する、と同時にトン殿と共に走って離れる。
やるべきことは分かっている。できるようになるだろうことも。
走りながらボウガンを抜銃、通常弾をリリースして貫通弾を装填。
ちらりと振り返った視線の先で、炎をあげて落下する隕石のごときハンマーが、ティガの顔面に振り下ろされた。
鋼鉄の塊に岩石が衝突するような音が響き、氷とハンマーの間でティガの頭部が押し潰され、牙が音を立てて折れる。
ハンマーはミートの位置で完全に停止している。殴打の反作用をハンマーの頭部で受け止め、合力にしてそのまま返しているからだ。そのコントロールを空中に静止したままやってのける繊細なバランス感覚は、一朝一夕のものではない。
鳥肌が立たずにはいられなかった。
さっきのマーキさんのガードにしたってそうだ。
ランス、太刀、ハンマー。
マーキさん、ジュンさん、バニィさん。
誰もが自身の神業を、ここ一番、絶対に失敗できない場面で、基本動作であるかのように繰り出したのだ。
これが本物の“ハンター”か。
そうだとすれば、あたしはまだスタート地点に立ったばかりだ。
でも――
神経を集中させ、ボウガンのストリングを引く。
リムがしなる心地よい感触を味わう。
――スタート地点のあたしにも、やれることはある。
バニィさんが着地、脇に転がることでティガの頭部への道が開く。
その額には、ジュンさんの太刀がつけた傷を、バニィさんのハンマーが砕いた跡。
お姉ちゃんの言葉を思い出せ。
『常に基本を参照しろ。どれだけ明白なことでも』
反対の手で装填した弾数を確認。一発。
肩越しに距離を計算するけど、氷塊の淵からティガまでは一〇メートルちょっとしかない。貫通弾を撃つには距離が足りない――
「マーキさん!」
「おし来い!」
――スパイクを効かせて跳躍。
空中で反転、ストックを肩に当てて高く構え、右腕全体で固定。
銃口を向け、改めてブレと距離を計算。
一七・六メートル。
地に伏せたティガがわずかに頭を持ち上げる。
あたしと目が合うその瞬間、トリガーを引く。
気迫を放つ必要も、歯を食い縛る必要もない。
リラックスし、人差し指だけを静かに動かす。
銃声が轟く。
カラの実のライフリングで回転力を得た鳥竜種の牙が、割れた額に刺さり、砕けた鱗と共に浅い角度で頸部を貫通、胸部から抜けて氷に着弾音を響かせた。
あたしはマーキさんに受け止められ、その反響がオーロラの輝く空に届き……消えるのを聞く。
それで終わり。
ティガは一本だけ残った爪をかすかに持ち上げたけど、結局は氷に身を任せる。
氷越しに見上げるそれは、すでに息絶えたティガが空に向けて伸ばす手に、自分の手を添えたようにも見えた。