『美少女ハンター凍土で大奮闘です!』改め『ティガレックス討伐譚:吹雪の前触れ』 作:fuki
――氷塊の上昇は思ったより早く終わり、意識が戻った時には剥ぎ取り用ナイフから手がすっぽ抜けて宙に投げ出されていた。
激突からかばうために、腕の中のトン殿を上に向ける。
でも、これからどうする? 氷塊が持ち上がったってことは、このまま元の位置――海面に浮いて安定する位置まで落下するんじゃないか? その落下速度にどう対処すればいい?
予想した落下はなかった。
動かない氷塊に叩き付けられ、受け身を取り、左肩をかばうように衝撃をやり過ごす。右腕の傷に走る痛みは耐える。
「いってて。……どうなってるの?」
「申し訳ございませんトン殿! 肝心なところで不肖“軽剣七一番”、なんたる不覚を!」
インゴット装備に包まれた片手剣ハンターがすっ飛んできて、あたしはトン殿を引き渡すと立ち上がる。まだ問題ないか。
「平気だよー。そんなに柔じゃないよー」
「ああおいたわしや!」
「平気って言ってるじゃんー!」
二人の無事を確認して、氷塊を眺める。あたし、ジュンさん、トン殿、親衛隊の片手剣ハンターしかいない。
「分断されたか」
「ですね。でも、なにが起こったんです?」
「過去形じゃない」
ジュンさんが立てた人差し指をくるりと回し、周囲を示した。
あたしたちのいる二〇メートル四方ばかりの氷塊は、元々の高さから三〇メートル近く持ち上がった場所で静止していた。
ううん、あたしたちの氷塊だけじゃない。方々で氷塊が引き上げられ、または引き下げられ、その位置で固定されていく。全体で捉えればほぼ平らだった氷床は、今や一つ隣の氷塊に向かうだけでもアイスクライミングが必要になる高低差が産まれていた。
「持ち上がった氷塊に引っ張られた水の、熱量を奪ったんだな。自分のエネルギーとするために。だから凍った」
「なんですかそれ、規格外すぎますよ」
同じ高さになった甲殻を見つめながら、吹き上げる風に注意して氷塊の淵まで歩いていく。
風と雪が渦巻く事態の中心に、一切の光沢を除かれてくすんだ白い外殻があった。
おそらくは熱の急激な出入りのために、不必要に大気を揺さぶっている存在が。
ノコギリの刃のように規則正しいギザギザをもつ背ビレのような甲殻は、今やあたしたちの眼前だ。
「もう隠す必要もなかろう。あれは“崩竜”ウカムルバス、通称ウカム。我らが主、マスターブ家が管理する“墓”の一つで眠る、“白き神”と呼ばれる古の“モンスター”だ」
いつの間にやってきた片手剣ハンターがどこか誇らしげに説明するけど、あたしの頭は半分も理解してない。
“白き神”に、ウカムルバス。
それがこの大変動を起こしたヤツの名前。
ウカムは四肢と内臓を飛び散らせたティガを求めて這い、鱗や甲殻ごと凍り付いた残骸を食い漁り始めた。
「なるほど、氷の中に閉じ込められた“モンスター”は、冬眠中の食事ということか」
「そう言い伝えられてるねー。ウカムが移動するのは大体“モンスター”のいる場所だったからねー。でもまさか生きたままとはねー」
ウカムはティガの尻尾をくわえると、平たい顎の上で揺らしながら、ぽき、ぽき、と硬質な音を立てて噛み砕いていき、飲み込んだ。
まるで“釣りカエル”を振り回して殺してしまう子供のように、あたしたちがあれほど苦労して殺したティガは、無造作に屠られた。
そこにはなんの矜持も感じられない。
あたしたちが、釣り上げたサシミウオをさばくように、ただ、食ってる。
マーキさんは、『あれに生肉なんて入ってるのか』と言った。
同感だ。
こいつは“モンスター”には見えない。
ウカムがティガと同じ成分の肉でできた生物だなんて、信じられない。
ティガが自分を傷つけてでも壊せなかった氷を――“氷砕竜”の異名を持つボルボロスでさえ表面を削り取るしかない氷を、なんの気なしに崩したんだぞ。それどころか、咆哮と身じろぎで雪を降らせ、氷床をコントロールし、“環境”を激変してみせるなんて、あたしの知ってる生物の範疇を超えてる。
生物だとしたら、それは次元の違う存在じゃないか。
これが“モンスター”だっていうなら、あたしたち“モンスターハンター”はこれに立ち向かえるのか?
「立ち向かわなきゃ」
根拠もなくそんな言葉が漏れて、あたしは自分で驚いた。
規格外で生物離れしたウカムを前に、あたしは初めてティガと直面した時よりずっと落ち着いてる。
身体と一緒に感覚がマヒした……わけじゃないと思うけど。
やがてあらかた食事を終えたウカムは、凍った血液で黒く汚れた顎を――そのスコップのような顎を氷に突き刺す。
大量の雪が吹き上がり、一瞬後には前足が後を追い、胴体が見えなくなり、滑らかに後ろ足と尻尾が氷の中に消えた。
「え、なんです?」
一拍ののち、雪を風が攪拌して露わになった氷床に、“背ビレ”の規則的なギザギザが見えた。いや、見せただけじゃない。まさにノコギリのように氷を削りながら、バタフライ泳法のように波打たせながら、こちらに近付いてくる……!
「お、泳いでる!? 氷の中を!?」
「北側に寄れ!」
ウカムは氷塊の南側にぶつかるルートだ。みんなを追いかけるように、あたしもジュンさんが示した方へ走る。
その視界の隅でウカムを観察する。“背ビレ”は頭頂部から尻尾まで一直線に走り、同形状の甲殻が流線型の全身を囲んで放射状に並んでいる。身体のすべてが氷を砕くための……いや、氷の中を“泳ぐ”ためのデザインなんだろう。
氷を壊して氷床を泳いでいるのに、通り過ぎた後の氷塊は若干小さくなるけど、ほとんど元通りだ。接触面で氷を一度水にしてから、通り過ぎざまに再度凍らせているんだろう。突然巻き起こった雪と風は、その副作用と推測できる。
ああ、何度驚かせてくれれば気が済むんだ、こいつは。
……まさかこの氷床自体、ウカムが冬眠するために作り出した“繭”みたいなものだったのか? だからこの一帯だけ奇妙に気温が低くて、不自然な生物の死骸があって、餌入りのベースキャンプの河も凍り付いてて――
「エリさん! 急いでー!」
――トン殿の声が届き、ブーツのスパイクでブレーキをかけたのと同時に、ウカムが氷塊に激突した。
いや、“激突”から連想するようなすさまじい衝撃はなかった。ただ希薄な抵抗感と共に、氷塊の半分以上が消失する。
むせるような熱気が包んだと思った時には足場がなく、勢いあまったあたしは氷塊の淵でとまれずにすっぽ抜け――
「ちょ、うわ、うああ!」
――がくん、と肩が引っこ抜けるような衝撃が走り、直後に左半身が何かに叩き付けられた。
歯を食い縛って痛みを無視、氷に剥ぎ取りナイフを突き立てる。
周囲を観察すると、ウカムはもう氷塊を“エリア6”の方へと通り抜け、ターンして南の方へと泳いでいった。当面は大丈夫そうだ。
あたしはまたしてもムチでぶらさがってる。今度はダッシュに近い状態で飛び出したから、助かったけど勢いを殺し切れずに氷塊の側面にぶつかったのか。右腕の傷が引っ張られて痛いけど、左肩のヒビを引っ張られるよりはずっといい。
「三乙目!」
引っ張り上げられる力に合わせ、ロープワークの要領で登る。
マーキさんたちは大丈夫だったのか? 気にはなるけど、今は自分たちの心配が先だ。
「急げ、ウカムがくる前に移動しろ」
登り切ったあたしにジュンさんは、一秒も惜しいと言いたげに氷塊の南側を指を差した。
頂上はもう幅五メートルもなく、ウカムが通過した分の氷は半分近くが雪となって消え去り、残りは上から落ちてきた氷片を固めてすり鉢状の斜面を形作っていた。
「片手剣、トン殿を連れて移動しろ。今なら滑り降りられる」
「分かった」
「えー! ボクたちだけー!?」
「あたしたちは、なにかあった時のための保険です」
「エリ、君も一緒だ」
「イヤです」
その反応は予想してた。間髪入れずに口の端を下げていうと、ジュンさんは舌打ちをする。
「君がここに残ってもなんの意味もない。片手剣と一緒にトン殿をエスコートするんだ」
「ボクやるよー! ボクの方が強いんだよー!」
トン殿はベルトのように巻いていたムチを抜き、毛皮と共にすっぽりかぶっていた服を脱ぎ捨てた。たくさんの小さなポーチが並ぶスマートな装甲は“潜口竜”のものだけど、かっちりした襟を持つ前掛けとスカートと方々を染め上げる極彩色のシアンは、確かにあたしも見たことがない。
鼻息を鳴らす彼女を、しかし片手剣ハンターがとめる。
「なりません! このような事態には下々のものに任せればよいのです!」
「クエストは終わったんだから、立場は同等でしょー!?」
「強さの問題じゃない。立場の問題だ」
「立場だったらボクら墓守りの問題だよー!」
「違う、君たちの役目は“墓”という外側を管理することだ。賊によって暴かれた“墓”の内側の責任を負うことでも、ましてや命をかけることでもない」
「じゃあ立場ってなにー!」
「トン殿は、マスターブ家の二〇二代当主じゃないですか!」
あたしが言い、トン殿は目を瞬かせた。
「でも、だってー……」
「トン殿にご子息はいらっしゃるんです? いらっしゃらないなら、ここでトン殿がなくなったらマスターブ家は滅んじゃいますよ!」
「で、でもでも、分家の人もたくさんいるしー……」
「なりません! そもそも我ら親衛隊を差し置いて、我が主をかような未知の“モンスター”の前に晒すなど、不肖“軽剣七一番”、断じて拝承できません! 如何なる手段を用いてもお護り致しますぞ!」
如何なる手段を用いても、ね。
ジュンさんに締め落とされたことを思い出して、ちょっと笑いそうになる。
「むうー……」
あたしはトン殿を見て、ちょっぴり罪悪感を覚える。
正直なところ、そんなお家柄なんて、あたしにはどうでもいいんだ。
マスターブ家と“墓守り”がハンターズギルドや社会に対してどのような重要性をもっているのか、あたしには分からないんだし。
ただ、なんていうか、ケジメをつけたいのよ。
あたしたちはティガを受け継いで、ウカムはティガの死と共に現れた。
なら、ここでウカムと対面すべきは、あたしたちじゃない?
そんな風に正当化する言葉を紡いでも、たぶん、あたしのわがままだ。
でも、許してね、トン殿。
二人に責められたトン殿は、口をへの字にして眉を寄せたけど、もう言い返すつもりはなさそうだった。
「これを着ろ」
ジュンさんはポンチョを脱ぎ、白い肌を露わにした。これでジュンさんの隠密性能は一段階下がるけど、今はそれが必要なことだった。
トン殿はすぐにそれをかぶり、頭に固定した。立場は弁えてる。
“エリア外”から離れるように泳いでいたウカムは、“氷泳”の結果再構築された透明度の高い氷の中に、落下するような姿勢のティガを見つけたようだ。こちらに向かって泳いできて、潜行、筋繊維を剥き出しにしたそれをくわえて氷床に姿を現した。
遠くで『ああー!! オレのティガ肉がああー!!』との絶叫が響いた。ブレないね、マーキさんは。
「まったく」
その様子を眺めながらジュンさんは口を開いた。
「結果的に墓を暴くことになったか。悪かったな」
意外にも、片手剣ハンターは軽く首を振っただけだった。
「不可抗力だ。貴様らのせいではない。これは――」
「――ティガの思惑、ですね」
二人は驚かなかった。氷塊にウカムの“墓”があると知っていた人間にとっては、ティガの目的なんて自明なのかもね。
でもトン殿は、嬉しそうに細い目を輝かせて手を叩いた。
「謎を解いたんだねー!? やったー!」
「おそらくは。ティガはあたしたちとウカムをぶつけたかったんでしょうけど、でも、それ以外は分かりません」
「どういう意味だ」
「なんでそこは分かるのー?」
片手剣ハンターとトン殿が疑問を発する。
「それは――」
「――語るのは後だ。トン、急げ」
「うんー……あ」
彼女は打って変わって口を尖らせ、あたしを上目遣いで見てきた。
「エリさんはくるのー?」
「行きません」
ジュンさんの顔は見ない。あたしの腹はもう決まってる。
「ちゃんと小説に書いてくれるんだよねー? 約束したよねー?」
「もちろんですよ。二回もあたしの命を救ってくれたファンとの約束、破れるわけないじゃないですか」
トン殿はもう一度笑顔になり、頷き、あたしを抱き締める。
ポンチョの細かな毛の感触と、柔らかな彼女の身体に包まれる。
その瞬間、分かった気がした。
「『自分以外には誰もできないことが必ずある。それをやり通すまで死ぬな』」
あたしの唐突な呟きに、ジュンさんが顔を上げた。
トン殿は首を傾げていて、そりゃそうか、とあたしは苦笑する。
「姉の言葉です。あたしにはやり残したことがまだまだあります。だから、死ぬつもりはありません」
「ほんと? 待ってるからねー!?」
「はい。だからトン殿も、死なないで」
「オッケー!」
触れ合った時間は十数秒だった。
彼女はさっと踵を返すと片手剣ハンターと一緒に氷塊を滑り降りていく。
それを見送ることなく、あたしはウカムに目を向ける。
なにかあった時、誰かがウカムを引きつける必要がある。
おそらく“なにか”は訪れるだろう。
そしてその役目は、あたしにしかできないんだ。