〈暴食〉のアル   作:ゆうと00

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第1章 『始動編』
第1話


 この世界には、こんな言い伝えがある。

 

 今からおよそ千年前、この世界に“彼”が生まれ落ちた。その身に不思議な力を宿していた“彼”は、その力を惜しげもなく人々に教え、無秩序に生活していた人々に秩序を与え、知識を与えた。それにより、人々は目まぐるしい発展を遂げた。

 やがて“彼”がこの世界を去るとき、特に優れた力を持つ6人の勇者にこの世界の行く末を任せた。6人の勇者は“彼”の教えに従い、なおも発展を続ける人々を導き、見守っていった。

 しかし400年ほど経った頃、この世界が突如“災厄”によって混乱に陥った。6人の勇者は人々を率いて“災厄”に立ち向かい、見事退けた。

 その後、6人の内5人はそれぞれ国を興し、残りの1人は“彼”を称えるための教会を建てた。

 

 

 *         *         *

 

 

 そして時は巡り、この不思議な力は現在“魔術”と呼ばれるようになり、このとき興した国は現在も変わらず君臨し、このとき建てられた教会とその周辺は現在も“聖地”として人々の心の拠り所となっている。

 そんな国家の内の1つ、イグリシア。

 イグリシアの王都であるロンドは、推定人口が200万を超える、この世界有数の大都市である。都市の中央には絢爛豪華な城が堂々と鎮座しており、そこから延びた石畳の道路が蜘蛛の巣以上に複雑に絡み合い、赤煉瓦や石でできた大小様々な建物がその隙間を埋め尽くしている。

 

 そんなロンドの一画、馬車が擦れ違うのがやっとの道幅しかないそこは、数々の商店が建ち並ぶ、いわゆる商店地区となっている。穏やかな春の陽気に誘われてか、それとも単純に今が昼時だからか、そこは買い物を楽しむ人々や昼食を求める人々で賑わっていた。

 その中でも、そのレストランの前は異様な盛り上がりを見せていた。レストランの前は道を塞ぐほどの人集りができており、皆が皆、興奮した様子で中を覗き込んでいた。

 そのレストランは普段から、肉厚のステーキを良心的な価格で提供するとして人気の店だ。食事時にでもなれば、食べ盛りの若者から家族連れまで、実に様々な層の客がそこを利用する。

 しかし、今日は少し様子が違った。

 

「おぉっと、ここで右端の選手が手を挙げたぁ! 鉄板の数が2桁の大台に乗ったぁ!」

 

 司会進行役でもある店長の言葉に、レストランを埋め尽くす観客達が一斉に沸いた。手を挙げた男の前に新たなステーキが運ばれ、男がそれに食らいつくことで、観客達の興奮はさらに高まっていった。

 普段使われているテーブルや椅子は端に追いやられ、その代わり大きな長テーブルが中央に置かれている。そのテーブルには、10人もの人物が横一列に並んで座っていた。

 そして10人の前にはそれぞれ、鉄板をはみ出すほどに大きな、そしてちょっとした辞書にも匹敵する厚さのステーキが、鉄板の上でジュージューと音をたてていた。

 そして皆が、一心不乱にそれに囓りついている。

 

 今日は2ヶ月に一度の“ステーキ大食い大会”。その名の通り、制限時間内により多くのステーキを完食した者が優勝という大会である。

 優勝者には賞金が出るため、大会は毎回熱狂的な盛り上がりを見せる。すると、それ見たさにイグリシア中から観客が集まってくる。そしてそれに乗じて店の知名度も上がり、良い宣伝になる。

 なので自然と、店長の実況にも熱が籠もってくる。

 

「なんとここで、隣の選手が手を挙げたぁ! 何だこの熱い戦いは! いったい勝利の女神はどちらに微笑むのかぁ!」

 

 現在観客達の注目を集めているのは、右端の選手とその隣の選手だ。前者は全身を筋肉で覆った大柄な男であり、後者は全身を脂肪で覆った大柄な男である。2人共鉄板を10枚重ねており、一桁中盤で四苦八苦している他の選手を大きく突き放していた。

 観客の誰もが、おそらく食べている本人さえも、この2人のどちらかが優勝するのだと信じて疑わなかった。

 彼女が手を挙げるまでは。

 

「すいませーん。お代わりくださーい」

 

 高く澄んだ、ころころと可愛らしいその声に、観客達の視線が一斉にそちらを向いた。

 そこにいたのは、まるで宝石のように鮮やかな緑色をした大きな瞳と、腰に届くほどに長い同色の髪が一際目を惹く少女だった。年齢は十代前半ほどで、その体躯は同年代と比べてもかなり小柄である。

 そして彼女の目の前には、おそらくたった今食べ終えたのであろうステーキの鉄板が、たった1枚だけ置かれていた。

 それを確認するや否や、観客達は興味が失せたように目を逸らした。それも当然だろう。1位とは9枚もの差が開いており、そもそも小柄な少女が大柄な男よりも食べられるとは思えない。

 しかも彼女は、襟がくたびれている薄汚れたシャツ一枚に所々破れたズボンという、どう見てもまともな暮らしをしていない格好をしていた。なので観客達は、どうせどこかの乞食が飢えをしのぎにやって来たのだろう、と思ったのである。

 実は店長も最初はそう思い、彼女を追い払おうとした。しかしあまりにも彼女が熱心に頼み込んでくるので、根負けした店長が渋々彼女の出場を認めたのである。

 とはいえ、彼女もれっきとした参加者だ。店員が彼女にもお代わりのステーキをちゃんと運んでいく。とても苦々しい表情ではあったが。

 

「さ、さぁ……、とにかく、優勝はいったい誰の手に委ねられるのか! これは一瞬たりとも見逃せない熱い戦いだぁ!」

 

 変な横槍で興が削がれかける観客達を何とか盛り上げようと、店長は必死に声をあげた。その甲斐もあってか、観客達は徐々に熱気を取り戻し、やがて現在1位の大柄な男2人を応援する声が飛び交うようになっていった。

 店長が、安堵の溜息をついた。

 しかし残念ながら、店内は再び静まり返ることになる。

 

「すいませーん。お代わりくださーい」

 

 先程とまったく同じ台詞が、先程とまったく同じ声で発せられた。観客達が再び(今度は他の選手も一緒に)そちらへと顔を向ける。

 つい先程置かれたばかりのステーキは、すでに無くなっていた。未だにホカホカと湯気を立てる鉄板を目の前に、鮮やかな緑髪の少女が口をもぐもぐ動かしながら手を挙げていた。

 その光景に、さすがに全員がぽかんと口を開けた。少女の前にステーキが置かれてから少女がお代わりを要求するまで、1分も掛かっていない。まさかそれだけの短時間で、大人でも1枚食べるのに苦労するステーキを平らげたとでもいうのだろうか?

 

「ねぇ、早くステーキ持ってきてよ」

「す、すいません! 只今!」

 

 なかなか動かない店員に痺れを切らした少女の声に、店員は思わず敬語で謝りながらステーキを持ってきた。

 目の前に置かれたそれを、少女はナイフで切ろうともせずにフォークで突き刺すと、大きく口を開けて囓りついた。ステーキは少女の口の形に欠け、それだけでステーキは4分の1減った。

 ここでようやく、他の選手にも危機感が生まれた。少女の食べる速さが、8枚の差などものともせずに追い抜かしてしまいそうだったからだ。選手達は先程よりも必死な形相で、ステーキに囓りついた。

 観客達は応援や野次も忘れて、ただ呆然と少女を見つめていた。店長に至っては、まるで顎でも外れたかのようにだらんと口を開け放していた。

 レストランは静寂に包まれていた。店内に響くのは、ステーキを切って咀嚼する音と、少女(とごくたまに他の選手)の「お代わり」だけだった。

 

 結局蓋を開けてみると、途中まで1位だった大柄な男二人を2倍以上つけ放して、緑髪の少女が栄冠を手にするのであった。

 

 

 *         *         *

 

 

「いやぁ、満足満足」

 

 台詞の末尾に音符でもつきそうなくらいにニコニコと笑いながら、少女はレストランを後にした。賞金の入った封筒を無造作にズボンのポケットに突っ込むと、少女は大きく体を伸ばした。

 先程まであれ程いた観客は、大会が終わったことでそのほとんどが姿を消していた。今レストランの前にいるのは、たまたま通りかかった買い物客か、先程の“衝撃的な出来事”の余韻にあてられている者くらいである。

 少女は視線を上へと向けた。周りの建物によって切り取られた空は、澄んだ蒼で隅々まで塗り潰されている。そしてその蒼の中を、白い雲と、箒に跨った人間がふわふわと浮かんでいた。

 何とも有り触れた、平和な午後の風景である。

 

「さてと、せっかくお金もあるし、何か甘いものでも食べに行こうかなぁ」

 

 ぽつりと呟いた少女の独り言に、周りにいた何人かが口に手を当てた。

 そんなことはまるで気にする様子も無く、少女は目的の甘味を目指して、1歩足を踏み出した。

 そのとき、

 

「おっとお嬢ちゃん、ちょっと待ちな!」

 

 背後からの声に、少女は足を止めた。

 振り返ると、そこにいたのは、全身を筋肉で覆った大柄な男と、全身を脂肪で覆った大柄な男だった。

 つまり、先程の大会の2位コンビだった。

 

「あ、さっきのおじさん達だ! おじさん達、結構食べるんだね! びっくりしちゃったよ!」

「残念だが、そんな世間話をするために呼び止めたんじゃねぇんだよ」

 

 首をかしげる少女に、2人が1歩詰め寄った。

 

「お嬢ちゃん、いくら子供だからって、ズルはいけねぇな」

「ああ、お嬢ちゃんみたいな子供が、俺達よりも多く食べるなんて有り得ねぇだろ。何の魔術を使ったのか知らねぇが、そんなことをして金を騙し取っちゃいけねぇよ」

「本来はこのまま警察に突き出してやるところだが、俺達は優しいからな、その賞金を俺達に返してくれりゃそれで許してやるぜ」

「そういうことだ。ほら、さっさとそれを俺達に渡しな」

 

 2人はそう言うと、2人揃って右手を少女へと差し出した。口元はニヤニヤといやらしい笑みを浮かべているが、その目つきは鋭く、まっすぐ少女を貫いていた。

 差し出されたその手をきょとんとした表情でじっと見ていた少女は、やがて何か納得したように何度か小さく頷くと、

 

「えーと、つまりおじさん達は、賞金をわたしに取られたのが悔しいから、むりやり奪いにきたってこと?」

 

 ぴしっ。

 2人の中で、何かが切れた音がした。

 ぷるぷると小刻みに震えながら、脂肪の方の大柄な男が口を開いた。

 

「……お嬢ちゃん、お嬢ちゃんがガキだからって俺達が手を出さねぇと思ったら大間違いだぜ。ほら、俺達が寛大な内に、さっさと自分の罪を認めちまいな」

「そんなこと言ったって、わたし、ちゃんと食べたもん」

「そんなわけねぇだろ! だったらあのとき、なんで最初から本気を出さなかったんだ!」

「いやぁ、なんせ久しぶりのステーキだったから、できるだけゆっくりと味わって食べたくて」

「いいや、嘘だ! あれは何かズルをするための準備をしていたに決まってる! どんな魔術を使ったんだ? “火”で炭にでもしたか! それとも、“風”で外にでも捨てたか! ほら、さっさと吐きやがれ!」

 

 先程までの余裕な態度はどこへやら、男は顔を真っ赤にしながら、唾を飛ばして捲し立てるように詰問した。

 そんな男に、少女は困ったように眉をハの字にして、

 

「そう言われても……、わたし、魔術なんて使ってないよ」

「嘘をつくんじゃねぇ! だったら使ってないって証拠でもあんのか!」

「いや、“魔術を使ってない証拠”って言われても……。普通そういうのって、そっちが魔術を使った証拠を出すもんじゃないの?」

「屁理屈言ってんじゃねぇ! てめえ、俺達をおちょくってんのか!」

「おちょくってるわけじゃなくて、本当に使えない――」

「もういい」

 

 すると、今まで口を開かずに黙っていた筋肉の方の大柄な男が、突然そんなことを言い出した。

 

「おい、どうしたんだよ急に! まさかこのまま諦めて、大人しく引き下がろうってんじゃねぇだろうな!」

「まさか、そんなわけねぇだろ」

 

 男(脂肪の方)の怒りの声に、男(筋肉の方)はにたりと笑って、

 

「……だがこのお嬢ちゃんは、どうやら少々きつい“お仕置き”をしてやらねぇと、自分の過ちに気づかねぇみたいだ」

「――ああ、成程! おい、ガキ! 大人を嘗めるとどうなるか、その体にしっかりと刻み込んでやるから感謝しな!」

 

 2人はそう言うと、二人揃ってその手を胸ポケットに突っ込み、何かを取り出した。それは音楽団で使われる指揮棒のように細くて長い、木製の杖だった。

 そして2人は揃って、それをアルへと向けた。

 すると筋肉の男には掌の大きさの炎が、脂肪の男には掌の大きさの竜巻が、それぞれの杖の先端に現れた。

 少女は小さく溜息をつくと、視線だけを周りへと向けた。通行人が遠巻きに眺めてはいるものの、今にも襲われそうになっている少女を助けようとする様子は無かった。

 

「もぅ、みんな薄情だなぁ……」

 

 悲しそうに、呆れたように呟く少女に、炎と竜巻が一斉に襲い掛かり――

 

 

 *         *         *

 

 

「お疲れ様です、メリル警部」

「お疲れ様」

 

 メリルと呼ばれた20代半ばのその女性は、黒いローブを身に纏い、左胸に桜の花びらをかたどったバッジをつけていた。いずれも、彼女が警察の人間であることを示すものである。

 メリルは乗ってきた箒を壁に立て掛けると、同じ格好をしている部下の男と共に現場へと向かった。現場の周りには黄色い紐が張り巡らされており、それを越えないように人垣ができていた。

 部下の男がそれを掻き分けて中へ入り、メリルがそれに続いていく。

 現場は、街の商店街にあるレストランの入口。そのレストランは、肉厚のステーキを良心的な価格で提供するとして、いつも大勢の客で賑わうところだった。

 

「今日はこのレストランで大食い大会が行われており、その影響でいつもより人通りが多かったそうです。なので、目撃者もかなりいます。皆、緑色の髪の少女に因縁をつける2人の男を目撃しています」

「成程……」

 

 メリルはそう呟いて、現場へと視線を向けた。彼女の眉が、ほんの僅か寄せられた。

 メリルの視線の先に広がっていたのは、まさしく“惨状”だった。

 石畳の道路や周辺の建物の壁は、まるで何かが打ちつけられたかのようにあちこちがひび割れていた。

 しかしそれ以上に目を惹くのは、レストランの入口を陣取るように広がっている、大きな赤黒い液体の溜まりだろう。

 そしてその液体は、誰の目から見ても人間の血であることは明らかだった。

 

「被害者は、成人の男性が2人。いずれもこのレストランで開かれた大食い大会の参加者であることが、レストランの店長の証言で分かっています」

 

 部下が説明をする間も、メリルはその血溜まりから目を逸らせずにいた。

 

「……そいつらは、生きてるの?」

「出血はかなりの量ですが、命に別状は無いそうです。致命傷が無かったことと、すぐに病院に搬送されたことが、不幸中の幸いですね」

「……そう。なら、良かったわ……」

 

 険しい表情を崩すことなく、メリルはそう言った。

 そして続ける。

 

「大食い大会の出場者……、緑色の髪の少女……、相手に対する容赦の無い暴行……」

「間違いないですね」

 

 部下の言葉に、メリルは大きく頷いた。

 

「間違いなく、アルね」


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