一口に“魔術”と言っても、それは大きく分けて6種類存在する。そしてその6つの魔術は、“系統”という形でさらに細かく分類することができる。
まずは“赤魔術”。この学院でも最初に学ぶほどに基本的な魔術であり、系統も“炎”の1種類しか存在しない。しかし、術者の腕によってその威力も範囲も大きく変わる、単純だからこそ奥の深い魔術である。
次に“青魔術”。系統は“水”と“氷”と“風”の3種類。その性質上、広範囲に影響を及ぼす強力な魔術が多く、術者によってはそれこそ自然災害級の威力にもなる。さらには他の魔術とも絡めやすく、実に使い勝手の良いものとなっている。
次に“黄魔術”。系統は“雷”と“光”の2種類なのだが、この魔術は1年では学ばない。なぜならこの魔術はとにかく制御が難しく、特に雷系の魔術は暴発しないように魔力で制御できないと、術者の自滅すら招きかねないからである。
そして“緑魔術”。この魔術は先程の3つとは若干性質が異なる。系統は“植物”と“土”と“金属”の3種類に分かれてはいるが、『それぞれの物質を生成する』という点で一致している。この魔術は特に生活に密着していて、質の良い建材や金属を生成することで生計を立てている魔術師もいるくらいである。そしてこの学院では、そんな職人になるための“技術科”という専攻も存在する。
さて、今までの4つは“一般クラス”でも学ぶものだが、特に優秀な生徒のみが入れる“特進クラス”でしか扱わない魔術がある。
その名も“白魔術”。系統は“治癒”と“召喚”の2種類であり、そのどれもが高い技術と豊富な魔力を必要とする高難度の魔術である。これを使いこなせる魔術師はいわゆる“エリート”と呼ばれ、特進クラスの生徒はあちこちの就職先から引く手数多らしい。
そして残る1つが“黒魔術”。すべての魔術が例外なく禁術であり、未だにその実態が掴みきれていない。故に、学院でも教えていない。仮に使えるようになったとしても、教会で発行している“許可証”を貰わずに使用した場合、厳重な処罰が課せられる。逆に言えば、この許可証を持っている魔術師というのは、それだけで広く名が知られ、畏怖の対象として見られる。
さて、これほどまでに多種多様な技が存在する魔術だけあって、全部の魔術を唱えようと思ったら、それだけで果てしない時間が掛かってしまう。
現にクルスの部屋で行われている“検証”は、開始から4時間ほど経った現在でも、終わる気配を一向に見せなかった。しかもその4時間の内に取られた休憩が、アルより少し年上のメイドが持ってきた夕飯を食べるときの、たった10分間だけにも拘わらずである。
「それじゃ、次。《ドラゴン・フレイム》」
「――――――、――、――――」
「《コールド・スリープ》」
「――――――――、――――――」
「《スタンガン》」
「――、――、――――――、――」
「《コール・デザート》」
「――――、――――、――、――――」
ベッドに腰掛けて脚を組むクルスが、魔術の名前を次々に口にする。
それに合わせて、彼女の正面に立っているアルが、右手に教科書、左手に杖を持ちながら、呪文を口にする。
多少たどたどしいところはあるものの、それは一言一句の間違いも無く、その魔術を発動させるための呪文だった。
しかし、何も起こらなかった。
炎系統の魔術を唱えても、煙の一筋も昇らない。氷雪系統の魔術を唱えても、部屋の気温は一度たりとも下がらない。雷系統の魔術を唱えても火花は一切散らないし、土系統の魔術を唱えても砂1粒現れない。
「ああもう! 疲れた疲れた疲れたぁ!」
アルはもう限界とばかりにそう叫ぶと、その場に座り込んでしまった。4時間も立ちっぱなしで呪文を唱え続けたのだから、無理もないだろう。むしろ、よくここまでもったものである。
一方クルスはそんなアルを慰めるでもなく、真剣な表情で顎に手をやって、
「はぁ……、失敗するならまだしも、何も起こらないっていうのは、やっぱり少し異常ね」
魔術というのは、たとえ失敗したとしてもその片鱗を残すものである。例えば赤魔術を失敗したときは、黒い煙が燻ったり、何か焦げた匂いが漂ったり。そうでなくとも、魔力を操った形跡は何らかの形で残るものなのである。
しかしアルの場合、そのような形跡が一切無い。いくら呪文を唱えようとも、杖はうんともすんとも言わない。
「――ていうか、アルもちゃんと魔力を使おうとしてるんでしょうね?」
「そんなこと言われても、そもそも魔力自体がよく分かんないんだって」
「そうよね……。やっぱり、魔力の感知をどうにかする方が先決かしら」
「ほらね! わたしもそう思ってたところだよ! だから、もうこんなことはやめにして――」
「いえ、まだ続けるわよ。ひょっとしたら基本的な魔術をすっ飛ばして、上級の魔術だけ使えるってこともあるかもしれないし」
「……まだ続けるの? もうこんなに試したのに?」
アルはうんざりしたようにそう言うと、自分の傍らを指さした。
そこには、役目を終えた教科書やら参考書やらが、投げ捨てるように置かれていた。その数は7冊にも上り、最初にクルスが棚から引っ張り出してきた内の半数近くにもなる。
そう。4時間も続けて、未だに半数なのである。
このままでは、頭がおかしくなってしまう。
本気でそう思ったアルは、何かここから逃げる口実は無いものかと、部屋のあちこちへと目をやった。
そして窓へと視線を移したちょうどそのとき、ガラス越しに広がる景色を横切る影を見つけた。
「ん?」
アルは首をかしげて、窓へと近づいていった。突然の行動にクルスも「どうしたの?」と彼女の後を追う。
窓を開けた。すっかり暖かくなってきたとはいえ、やはり夜はまだまだ肌寒い。冷たい風が、部屋の中に容赦なく入り込んでいく。
アルが窓から身を乗り出した。夜なのに月明かりのおかげで割と明るい外へと目を凝らす。
すると突然、
「やっぱり! バニラだ!」
「えっ、アルちゃん?」
その影に向かって指をさしてそう叫んだアルに、影が驚きの声をあげた。
彼女の言う通り、その影の正体は、箒に乗って星空を飛び回っていたバニラだった。バニラは驚きに目をぱちぱちと瞬かせながら、アルの傍へと箒を寄せていく。
アルの後ろから何と無しに外を眺めていたクルスも、その姿を見ると驚きで目を見開いた。
「こんな時間に箒の自主練? 随分と練習熱心なのね」
「え、えっと、あはは……」
感心したように言うクルスに、バニラは頬を紅くして困ったように頭を掻いた。クルスはそれを自分に褒められたことへの照れ隠しだと思ったが、実際は、アルに教えられるようにとやっていた練習を当の本人に見られたことへの気恥ずかしさからだった。
さて、真っ先に声を掛けたはずのアルはというと、バニラがこちらへとやって来るときから、その箒を真剣な目つきでじっと見つめていた。
そして、ちらりと後ろに目をやった。
その視線の先にいるクルスは、バニラに気を取られているようで、こちらには一切注意を払っていなかった。
今だ、とアルは思った。
「バニラ、逃げて!」
「へ? ――うわっ!」
バニラが尋ねる間も無く、アルが彼女の箒へと飛びついた。
急に人1人分の体重が加わった箒は一瞬バランスを崩しかけるも、バニラがとっさに体勢を立て直し、アルがバニラの腰に手を回したことで、2人共落ちるという事態は避けられた。
数時間にも渡る自主練習が実を結んだ、最初の瞬間だった。
アルが何をしようとしているのか察したクルスが、険しい表情で窓から身を乗り出した。
「ちょっとアル! まだ検証は終わって――」
「バニラ、早く! 急いで!」
「う、うん! 分かった!」
バニラは何は何だか分からないまま、とりあえずアルの言う通りに、箒に魔力を込めてその場から飛び立った。
2人を乗せた箒はぐんぐんと高度を増し、学院の本棟から離れていく。
後ろからクルスが何か言っているのが聞こえるが、風に掻き消されてしまったためによく分からなかった。
* * *
「いやぁ、助かったよ。あのままクルスに付き合ってたら、絶対頭がおかしくなってたよ」
「そ、そう……、よく分からないけど、大変だったみたいだね……」
「まったくだよ! クルスったら『本に載ってる呪文を全部唱えろ』とか言うんだよ? しかもこーんなに分厚い本を何十冊も!」
アルはそう言って、親指と人差し指で本の厚さを表現してみせた。
「うわ……、確かにそれはきつそうだね」
「本当だよ……。――ところで、バニラは何をしてたの?」
「えっと……、私はその……、クルス先生が言ってたみたいに、箒の自主練を……」
「へぇ、バニラは凄いなぁ」
「そ、そんなことないって……」
アルが感心してバニラが照れている間にも、箒はどんどんとその高度を上げていった。学院で一番高い“白の塔”を越えて、なおも箒は止まることなくひたすら空を目指していく。
そのとき、
「わぁ、綺麗……」
ふと、アルがそう呟いた。バニラが後ろを振り返ってみると、アルはキラキラといった擬態語が似合いそうな満面の笑みで空を見上げていた。
それに釣られて、バニラも上に目をやった。
「うわぁ……」
バニラも思わず、感嘆の声を漏らした。
前を見ても後ろを見ても右を見ても左を見ても上を見ても、2人の視界に広がるのは、黒く塗り潰された空に所狭しと散りばめられた、煌びやかな星だった。ただ自分の存在を頑なに主張する宝石などとは違い、星達は圧倒的な輝きを放ちながらもどこか優しげな温もりを持ち、まるで二人を包み込むようである。
2人はその光景に目を奪われ、言葉を失っていた。この世界ではまだ宇宙の存在は確認されていないが、もしその存在を知っていたとしたら、この光景をまさにそう例えただろう。
「…………」
こんなにも綺麗な星空を、バニラは今まで見たことがなかった。たとえ見ていたとしても、これほどまでに心を奪われたことは一度も無かった。
バニラは首の後ろが痛くなるほどに上へと向けていた顔を下ろし、自分の腰へと目をやった。
そこには、アルの腕があった。両脇から伸びているそれはバニラの腹で交差し、しっかりと巻き付いていた。その腕から、そして背中にぴったりとくっついているアルの体から、柔らかい熱がじんわりと伝わり、広がっていく。
その熱はやがて、バニラの胸の奥へと伝わっていった。
「……ねぇアルちゃん、ちょっと遠くまで散歩に行かない?」
「おお、良いねぇ」
「じゃ、しっかり掴まっててね!」
バニラは後ろにそう呼び掛けると、箒をしっかりと握りしめた。
箒は一気に速度を増し、ぎゅんっ、と夜空を矢のように飛んでいった。
「おお、すごーい! 速い速い!」
「まだまだ、こんなもんじゃないよ!」
春の夜空に、2人の少女の笑い声が木霊した。
* * *
「まったく、アルったら……。門限までに戻ってくれば良いけど……」
窓から2人が飛び去っていくのを見つめながら、クルスは独りごちた。しかし台詞に反して、その口元には笑みが浮かんでいた。
クルスは窓を閉め、部屋を見渡した。ベッドや床のそこかしこに、所在を無くした教科書やら参考書やらが散乱していた。
クルスは大きく溜息をつくと、それを手に取り、本棚の元の位置に戻していった。今度は全部纏めて積み上げるようなことはせず、丁寧に1冊ずつ持っては本棚へと運んでいく。
やがて床にあったすべての本が本棚に収められた頃、
こんこん。
部屋のドアを叩く音がした。
「鍵なら開いてますよ」
クルスがそう言うと、客人はドアを開けてその姿を見せた。
「失礼しますよ、クルス先生」
その正体はリーゼンドだった。彼は被っていたフードを脱ぐと、右手を自らの胸に添えて深々と頭を下げた。
一方クルスは口元に笑みを携えて、
「あら、リーゼンド先生。こんな時間に異性の部屋にやって来るなんて、少し礼儀に欠けるんじゃありませんか?」
「ははは、これは失礼なことをしました。少しばかり、あなたが連れてきたという子供に興味がありまして」
リーゼンドはそう言って、穏やかな笑みを浮かべた。その振る舞いは実に紳士的なものだったが、その一方でどこか作り物めいた印象を感じなくもなかった。
「リーゼンド先生、どこからそれを聞いたんですか?」
「いえいえ、生徒達が話しているのを小耳に挟んだだけでして。それで、その子供というのはどこにいるのですか? 何やら姿が見えないようですが」
「それがついさっき逃げられてしまいまして……。でもまぁ、単なる気晴らしですから、少ししたら戻ってくると思いますけど」
「成程そうですか……。それでしたら、その子供に会うのはまた今度ということで……。それでは、失礼いたしました」
リーゼンドは最後まで紳士的な姿勢を崩すことなく、深々とおじぎをして、静かにドアを閉めていった。
途端、先程までクルスの口元にあった笑みが消えた。
そして、閉じられたそのドアをじっと見つめながら、
「まぁ、アルなら大丈夫か……」
ぽつりと、呟いた。