〈暴食〉のアル   作:ゆうと00

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第11話

 満月が空を昇っていき、そろそろてっぺんを目標に捉え始めようかという頃。つまり、月刻6時に差し掛かろうとする頃。

 満天の星に混ざりながら滑空する1本の箒があった。その箒を操作しているのは少女であり、その少女の後ろに別の少女が乗っている。

 

「いやぁ、すっごい良かった! 星空の中を泳いでるみたいだったよ!」

 

 後ろに乗っているのはアル。初めて見る視点での星空に大興奮の様子であり、それは空中散歩を始めてから数時間経った現在でも、落ち着く素振りを見せなかった。前に乗る少女の腰にしっかりと手を回してはいるものの、その足はアルの心情を表すようにバタバタと振られていた。

 

「そ、そう……。喜んでもらえて何よりだよ」

 

 一方、前に乗っているのはバニラ。こちらはアルとは対照的に、何か思い詰めたように顔を俯かせている。アルの言葉には一応返すものの、その声にはまるで覇気が無い。

 

「それにしても、みんなはずるいなぁ。いつでもこんな景色を楽しめるなんて。わたしも練習すれば飛べるようになるかな。まぁ、たとえ飛べなかったとしても、バニラにこうして乗せてってもらえば良いんだけどね」

「…………」

「どうしたの、バニラ? 元気無いじゃん」

 

 さすがに様子がおかしいことに気づいたアルが、身を乗り出してバニラに問い掛けた。

 するとバニラは、その沈痛な表情をアルへと向けて、

 

「門限のこと、すっかり忘れてた……」

「門限?」

「うん……、学院の決まりで、月刻2時までに部屋に戻らなきゃいけないことになってるの……」

「あらあら、確実に過ぎてるね」

 

 他人事のように言うアルに、バニラはがっくりと項垂れた。

 

「どうしよう……。せめて規則は破らないようにしようって、今まで頑張ってきたのになぁ……」

「それって、誰かが見張ってたりするの?」

「そんなことはないよ。でも、なぜかいつもばれちゃうんだって。学院長が黒魔術で私達を四六時中見張ってるんだ、って噂が流れてたりするくらいなんだ……」

「ふぅん……。でももしそうなったとしたら、一緒に怒られればいいじゃん」

 

 その言葉に、バニラは項垂れていた頭を上げて後ろを振り返った。

 にこにこと笑うアルが、それを出迎えた。

 バニラは、知らないうちに笑みを浮かべていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 たとえばれることが分かっていても、正面切って堂々と学院に戻っていく勇気はバニラには無かった。なので2人はわざわざぐるりと大きく旋回して裏に回ってから、学院の領空内へと入っていった。

 そしてバニラは広場に、なるべく音をたてないように細心の注意を払いながら下り立った。

 

「どうしてここに下りたの? 窓からバニラの部屋に入るんだよね?」

「いや、前に聞いた話だと、空を飛んでたところをいきなり撃ち落とされた、って言うから……」

「成程」

 

 月明かりに照らされた広場は、端が薄ぼんやりとしている分、昼間よりもだだっ広く見えた。まるで何のセットも組まれてない舞台のようであり、そうすると、月明かりはさしずめ舞台照明といったところだろうか。

 そんな舞台の中央で、2つの影法師が仲良く並んでひょこひょこと動いていた。その影法師は、かさかさと風で簡単に掻き消されてしまうほどに小さな音をたてながら、少しずつ学院へと近づいていく。

 やがてその影法師が、本棟が作り出す巨大な影に呑み込まれそうになった、

 そのとき、

 

「駄目じゃないですか、こんな時間に出歩いたら」

「――――!」

 

 突然の声に、バニラの足が止まった。

 

「何、今の――」

 

 同じく立ち止まったアルが言おうとした台詞は、最後まで紡がれることなく途切れた。

 アルが突然、地面に倒れたために。

 

「……アルちゃん?」

 

 仰向けに寝そべって両腕を地面に投げ出しているアルに、バニラが戸惑いの表情を見せた。隣で歩いていた人がいきなりそんな行動に出たのだから、その反応も当然だろう。

 しかし当の本人であるアル自身が、バニラ以上に戸惑っていた。

 

「な、何これ……?」

 

 誰かに押されたような衝撃を胸に受けたと思ったら、地面に仰向けに倒れていた。何が起こったのか一瞬分からなかったアルだが、とりあえず起き上がろうとその腕に力を込めた。

 しかし、起き上がれなかった。

 地面に倒れてすぐ、腹部と両腕をかなりの力で圧迫されるのを感じた。そのせいで上半身を起き上がらせるどころか、両腕すらも満足に動かせなくなってしまったのである。

 まるで、誰かに両腕を押さえ込まれながら馬乗りされているように。

 身の危険を察知したアルが、それまでとは段違いの力でそれをはね退けようとした、

 その瞬間、

 

「――がっ!」

 

 首から感じる誰かに触れられたような感触と共に、今度は首に強烈な圧迫感を覚えた。その圧迫が、アルの気管をぎりぎりと締め上げていく。

 

「アルちゃん!」

 

 空気の代わりに漏れ出たアルの声に、戸惑いの色を見せていたバニラの表情が驚愕に変わった。突然のことに頭が真っ白になってしまったのか、バニラは体を硬直させたまま動けなくなってしまった。

 そんな彼女の見ている前で、アルの顔がだんだん紅く染まっていった。その表情にも苦痛の色が増していき、手足がぷるぷると震えだした。首を締め付ける何かを押し退けようと足を懸命に動かすが、無情にもそれはずるりと地面を滑って芝生を僅かに禿げさせるのみである。

 

「ア、アルちゃんから離れろ!」

 

 ここでようやく我に返ったバニラが、手に持っていた箒をアルの眼前を横切るように振り抜いた。箒はただ空を切るのみで、バニラには何の手応えも無かった。

 しかしその瞬間、アルの表情から苦痛の色が消えた。彼女はすぐさま上半身を起こすと、げほげほと咳き込みながら空気を必死に取り込んだ。

 

「ア、アルちゃん……、大丈夫? ごめんね、急だったからびっくりしちゃって……」

「げほっ! わ、わたしは大丈夫だから……」

 

 咳混じりの言葉ではあったが、それでもバニラはほっと胸を撫で下ろした。しかしすぐにその表情を曇らせると、びくびくと何かに怯えるように自分を抱きしめた。

 

「な、何だったの? さっきのは……」

 

 呼吸が回復したアルが立ち上がってバニラに尋ねた。その間もアルは周りに目を光らせていたが、相変わらずそこは何も無い、月明かりに照らされた広場でしかなく、人1人確認することができない。

 しかし、バニラには分かっていた。

 そこに、彼がいることが。

 

「リーゼンド先生……」

「リーゼンド? 誰?」

「私のことですよ、お嬢さん」

 

 再び聞こえてきたその声に、2人は同時に声のした方へと顔を向けた。

 2人の視線の先、何も無いはずの空間が、突然歪んだ。

 

「な――」

 

 驚きで言葉を失うアルの目の前で、その歪みはだんだんと人間の形を形成していった。そして濃い霧から抜け出したように、すぅ、とその人間の形に色がついていった。

 そうして現れたのは、1人の男だった。

 その男の年齢は三十代後半で、学院指定のローブとは違う真っ黒なそれを身に纏い、フードをすっぽりと被っていた。フードの下から覗かせるその顔立ちは年齢の割には精悍で、そのまま澄ましていればなかなかのイケメンで通るかもしれない。

 しかしせっかくのその顔は、にやにやと不気味に浮かべた笑みのせいで台無しになっていた。

 その笑みにバニラは恐怖で背筋を凍らせ、アルは警戒の態勢をとった。

 もしかしなくとも、彼がアルに馬乗りになって首を絞めた犯人なのだから。

 

「リ、リーゼンド先生! そ、その、門限を破ったことは悪かったと思ってます! だからって、何もあそこまでやることないじゃないですか!」

 

 勇気を振り絞って放たれたバニラの言葉に、しかしリーゼンドは面倒臭そうにそちらを見遣っただけだった。

 そして口を開く。

 

「確か君は、バニラくんといいましたか? なんで私が、そんなどうでもいいことでわざわざ出向かなきゃならないんですか?」

「へっ? じゃあ――」

「君のことなんて最初から眼中に無いんですよ。どうぞ、帰りたきゃ勝手に帰ってくださって結構ですよ。私の目当ては、そこの“乞食ちゃん”なんですからねぇ……」

 

 リーゼンドの言葉に、アルは目つきを鋭くした。

 

「どうして、わたしのことを知ってるの?」

「ふふふ、君もあの女と同じことを訊くんですね。しかし、そんなことはどうでもいいじゃないですか」

 

 リーゼンドが1歩足を踏み出した。それに合わせて、アルが1歩後ろへ下がった。アルが意識しているのかどうかは知らないが、それは結果的にリーゼンドとバニラを結ぶ直線を潰し、彼女を庇うような形になっていた。

 

「聞いたところによると、君は魔力を操ることができないんだそうですね? そのせいで、箒に乗ることすらままならないとか」

「……そうだけど?」

「そんな君が、この学院に住むことを希望している」

「正確にはわたしじゃなくて、クルスが希望してるんだけどね」

「重要なのはそこではないんですよ。――君が知っているかは分かりませんが、この学院は知らぬ者のいない、由緒ある学院なんです。そんな学院にあなたのようなクズがいられると、こちらとしては甚だ迷惑なことでして」

 

 “クズ”という単語に、バニラの表情に影が差した。しかしアルはそれに気づかず、リーゼンドはそれを無視した。

 

「つまり、わたしに『今すぐここから出てけ』って言いたいの?」

「いえいえ、私は彼とは違って優しいんでね、君に“チャンス”を与えてあげようと思いまして」

「チャンス? 『俺を倒せば認めてやろう』とか?」

 

 アルの言葉に、リーゼンドは口角を大きく吊り上げて、

 

「分かってるじゃないですか」

 

 懐に忍ばせていた杖を取り出し、それをアルへと向けた。彼女は知らないことだが、それは昔から伝わる、魔術師による宣戦布告の合図だった。

 はぁ、とアルは大きく溜息をついた。ひょっとしたら大怪我を負うかもしれないという危機的状況にも拘わらず、それはのんびりしたものだった。

 

「ア、アルちゃん……」

 

 そしてリーゼンドに「関係無い」と言われたバニラの方が、その顔をすっかり青くし、体をがたがたと震わせていた。

 そんな彼女に、アルが声を掛ける。

 

「ねぇバニラ、さっきの魔術で何か分かることある?」

「ア、アルちゃん! 駄目だよ! 下手したら死んじゃう!」

 

 自分が狙われているわけでもないのに、いや、自分が狙われていないからこそ怯えきってしまっているバニラに、アルは苦笑気味に顔を綻ばせた。

 そしてバニラへと向き直ると、一切揺れることのないまっすぐな目で、

 

「大丈夫だよ、絶対に死なないから」

 

 その表情に安心したのか、あるいはその言葉に安心したのか、バニラの体の震えが止まった。それでも、心配そうに眉を寄せるのは変わっていないが。

 

「えっと……、さっきの魔術は私も見たことがあるよ。2年生のとき、授業で一度だけ見せてくれたんだ」

「それで、何の魔術が分かる?」

「……ごめん、先生が教えてくれなかったんだ。『何の魔術かを見極めるのも、魔術師との戦いの“醍醐味”だろう』って……」

「……成程ね」

「最期のお話は済みましたか?」

 

 相変わらずにたにたと笑いながら、リーゼンドが2人に問い掛けた。

 2人は彼に顔を向けた。バニラは溢れ出る恐怖を隠しきれていない様子だったが、アルはどこか不敵な笑みを浮かべていた。

 その笑みを携えたまま、アルは口を開いた。

 

「最期にするつもりなんて、さらさら無いよ」

 

 

 *         *         *

 

 

 クルスは自分の部屋でベッドに座り、窓から差し込む月明かりを頼りに本を読んでいた。本といってもアルが格闘していた参考書の類ではなく、最近巷で話題になっているという小説だった。それも、普段なら手に取ることすらないであろう恋愛ものだった。

 なぜ彼女がそんなものを持っているかというと、彼女を慕う女子生徒から借りたからである。というより、半ばむりやり押しつけられたからである。おそらくその女子生徒は、それをきっかけにクルスと親しくなりたかったのだろう。

 ぺらり、と紙のめくれる音がした。

 ふあ、とクルスが大きくあくびをした。

 

「駄目だ、やっぱり合わない……」

 

 せっかく勧められたのだからと一応読み始めてはみたものの、やはりクルスにはこの小説の面白さが今ひとつ分からなかった。

 クルスは退屈そうにその本を閉じると、それを机の上に置いた。おそらくその本は明日にでも、当たり障りのない感想と共に女子生徒の元へと帰っていくだろう。

 そのとき、こんこん、とドアを叩く音がした。

 

「鍵なら開いてますよ」

 

 クルスがそう言うと、来客はドアを開けてその姿を見せた。

 

「やぁ」

 

 そう言って入ってきたのは、シンだった。

 その姿を見るや、クルスはうんざりしたように溜息をついて、

 

「まったく、リーゼンド先生といいアンタといい……、こんな時間に異性の部屋にやって来るなんて、少し礼儀に欠けるんじゃないの?」

「今更そんなことを気にするような性格じゃないでしょ。――ていうか、リーゼンド先生がここに来たの? 珍しいこともあるもんだね」

「ええ、アルに用があったみたいだけど」

「あの子に? なんでまた」

「大方、アルに喧嘩でも吹っ掛けてるんじゃないかしら?」

「ちょ、ちょっと、大丈夫なのそれ? いくら“教職科”だからって、リーゼンド先生は相当実力のある魔術師だよ?」

「アルだったら、後れを取ることもないでしょ。それにひょっとしたら、あの子の中で何か変わるかもしれないし」

「……随分と彼女のことを買ってるみたいだね。――そんな彼女について、報告したいことがあるんだけど」

「あら、ひょっとして“結果”が出た?」

「うん、出たよ。……予想外の結果がね」

 

 何やら含みを持たせたシンの言葉に、クルスの目つきが鋭くなった。

 

「……ここでは言いにくい話?」

「できれば、研究室に来てくれるとありがたいかな」

「……分かった」

 

 そう言って立ち上がったときのクルスの表情は、アルと戦っているときのような、緊迫感のある真剣なそれだった。


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