〈暴食〉のアル   作:ゆうと00

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第13話

 ――ふん、何か企んでるようだな……。

 

 こそこそと内緒話をするように互いに顔を近づけて会話を交わす2人を見て、リーゼンドはそれを鼻で笑った。

 彼はもはや、勝利を確信していた。

 バニラは教師の間でも有名なほどの劣等生なので最初から鼻にも掛けてなかったが、問題のアルの方も、結局のところ十八番であるこの魔術の敵ではなかった。

 彼は戦闘科の教師ではない。それは言うなれば、戦闘科の教師と比べるとどうしても実力が見劣りするということである。

 しかし彼は、自らが開発した魔術であるこの魔術だけは、戦闘科の教師達とも対等に戦えると自負していた。

 

 その名も、《トリックアート》。

《トリックアート》は、黄魔術・光系統の魔術である。

 そもそも人間が色を認識できるのは、空から降ってくる光を物体が反射し、それを人間の目が受け取るからである。

 虹という現象からも分かる通り、光には様々な色が含まれている。そして物体によって、反射する色と吸収する色がそれぞれ違う。

 例えば物体が赤く見えるのはそれが赤い光を反射するからであり、青く見えるのは青い光を反射するからである。すべての光を反射する物体は全部の色が混ざって白く見え、逆にすべての光を吸収する物体はそこから光が来ないために黒く見える。

 光系統の魔術につきものだった、“たいして戦闘に使えない役立たず”というレッテルを覆すために日夜研究に励んでいた彼は、これに着目した。

 これを利用して、誰からも見えなくなる魔術を作り出すことはできないだろうか、と。

 

 具体的な方法は次の通りだ。

 まず、自分に突き刺さってくるすべての光を吸収する。これにより、周りの人間には自分が黒い影として見えるようになる。

 次に、吸収した光の色や入射角を解析することで、もしこの光が自分の体を突き抜けるとしたらどこを通っていくのかを割り出し、その結果を実際に自らの体を発光させることで再現する。

 これにより周りの人間の目には、彼の向こう側にある景色がそっくりそのまま映し出されることになる。

 つまり、周りの人間の目には、彼の姿が映らなくなる。

 この魔術の問題点を挙げるとすれば、操作が複雑なために他の魔術と併用できないことと、消費する魔力の量が尋常でないことだ。しかし彼はその短所をしっかりと理解した上で戦術を練っているため、たいした問題ではなかった。

 現に彼は《トリックアート》によって、アル達をあと1歩のところまで追い詰めている。

 

 ――ふん、所詮落ちこぼれは落ちこぼれ、どれだけ足掻こうが、その差はけっして埋まらないということか。まったく、現実というのは非情なものだな……。

 

 リーゼンドは言葉とは裏腹に酷薄な笑みを浮かべて、音を立てないようにゆっくりとアル達へ近づいていった。

 

 

 *         *         *

 

 

「お願い、バニラ!」

「―――――――――――――――――!」

 

 アルの掛け声と共にバニラは片膝を地面につけると、杖の先端を地面に突き刺した。そして呪文を唱えながら、ありったけの魔力をそこに注ぎ込んだ。

 意識を集中させるために、バニラは目を閉じた。

 自らの魔力が種子へと変化し、それが芽を出し、成長して黄色い花を咲かせ、綿毛の落下傘をつけた種を作っていく過程を、頭の中で思い描く。

 バニラが笑みを浮かべた。確かな手応えを感じた。他の魔術を行おうとしても一切感じることの無い、成功の手応えである。

 ゆっくりと、バニラは目を開けた。

 彼女を中心として、まるで雪でも降り積もったかのように、真っ白なタンポポがびっしりと生えていた。その範囲はとても広く、食堂の長いテーブルがすっぽりと収まるくらいに大きな円が、広場のど真ん中に浮かび上がっている。

 

「アルちゃん……、これで良い?」

「うん、想像以上だった」

 

 笑顔でそう言うアルに、バニラは満足げな笑みを浮かべたまま地面にへたり込んだ。魔力を使い切った彼女にとっては、立つことさえも辛いのである。

 そんな彼女に、アルの柔らかい、それでいて力強い言葉が掛けられる。

 

「ありがと、バニラ。あとは任せて」

 

 

 *         *         *

 

 

 ――何だ、これは……?

 

 バニラの行動、そしてその結果にリーゼンドは一瞬驚いたものの、すぐさまそれは疑問符へと変わった。

 この状況で放った魔術であるからには、おそらくこれが彼女達にとっての切り札であるはずだった。なのでリーゼンドも、いくら相手が落ちこぼれとはいえ、一応その足を止めて警戒していた。

 その結果繰り出されたのは、“タンポポを地面に生やす”というものだった。かなり広い範囲で作用したようで、リーゼンドの足元にもタンポポがびっしりと生えている。

 しかし、だから何だというのだろう。

 攻撃魔術ですらない、端的に言えばしょぼいその結果に、彼は笑い声を抑えるのに必死だった。ひょっとしたら笑わせることで自分の位置を探ろうとしていたのか、とさえ思ってしまう。

 そうして笑いが収まると、今度は怒りが湧き出てきた。

 

 ――シルバ先生から話を聞いたときは、随分と大げさだと思ったが、確かにこんな奴がこの学院の生徒だというのは、いささか恥だな……。

 

 ならば、さっさとこの茶番を終わらせて、あの乞食もろともここから追い出してしまおう。

 そう心に決めて、リーゼンドは再び歩みを進めた。

 

 

 しかし彼は、失念していた。

《トリックアート》最大の弱点である、“消えているように見せかけているだけで実際には消えていない”ということを。

 

 

 *         *         *

 

 

 広場を、風が駆け抜けた。

 ざわざわと、芝生が揺れる。

 広場の中央に生えるタンポポも、その風に吹かれ、揺られる。

 するとその瞬間、タンポポの綿毛が一斉に宙を舞った。

 

「何っ!」

 

 リーゼンドは目を見張り、思わず足を止めた。

 彼の視界が、一瞬の内に白く塗り潰された。先程まではっきりと見えていたアルとバニラの姿も、空間を埋め尽くすように暴れ回る綿毛に紛れていくせいで見失いかけている。

 

 ――くそっ、目眩ましだったのか! ふざけた真似しやがって!

 

 だったら見失う前にケリをつけてやる、とリーゼンドは再び駆け出した。

 しかし残念ながら、彼は再び立ち止まることになる。

 自らの腕に、足に、頭に、胴体に、タンポポの綿毛がくっつき始めたからである。

 

「まさか――」

 

 ここでようやく、リーゼンドはアル達の狙いに気がついた。

 前述の通り、《トリックアート》は自分の向こう側にある景色を相手にそっくり見せることで、自分の姿が消えたように見せる魔術である。

 だとしたら、リーゼンドの体に付着したタンポポの綿毛は、アル達にはいったいどう見えるだろうか。

 正解は、タンポポの綿毛だけが景色から浮かび上がって見える、である。他の綿毛が風に乗って舞い上がっている中、それらの綿毛だけ何かに引っ掛かっているかのように空中で静止しているのである。はっきり言って、とても目立つ。

 

 ――やばい! やばいやばいやばい!

 

 リーゼンドは必死の形相で、体に付着した綿毛を落とそうとあちこちを叩きまくった。しかし次から次へと綿毛が襲い掛かるため、動けば動くほどに綿毛がどんどんくっついてくる。

 なにせ、タンポポの綿毛は1株当たり数十本。魔術が作用した広さを考えると、タンポポの数はざっと見積もっても数万株余り。そんな数の綿毛を、群生地のど真ん中にいながらにしてすべて払い落とすなんて、とても無理な話である。

 

「くそっ! くそっ! くそっ!」

 

 もはや音を出さないように気をつけることも忘れて、リーゼンドは綿毛落としに躍起になっていた。しかし体に付着する綿毛は減るどころか、綿毛が舞い踊る中暴れ回るものだから余計にその数を増やしていく。

 そして、

 

「みぃつけた」

 

 その声にはっとしたリーゼンドが、顔を上げた。

 そのとき彼が見たのは、こちらへと飛び込みながら右腕を振りかぶるアルの姿だった。

 

「くそ……」

 

 リーゼンドはそれを、呆然と見つめていた。

 

 

 ばきぃっ!

 

 

 アルが思いっきり放った右腕は、タンポポの綿毛でできた真っ白な身ぐるみを身に纏うリーゼンドの左頬を、寸分違わず捉えた。ばきばきばき、と何かが砕ける嫌な音をたてながら、リーゼンドの足がふわりと地面から離れた。

 その瞬間に《トリックアート》が解け、リーゼンドの姿がはっきりと見えるようになった。

 それでもアルの右腕はその勢いを殺すことはなく、そのまま押し出すように彼の体を宙に放り出した。

 彼の体は綺麗な放物線を描いて5つ分ほど吹っ飛ぶと、ずざざざざ、と凄まじい音と土煙を上げて地面を滑り、そして止まった。

 しかしその後になっても、リーゼンドの体はぴくりとも動かなかった。

 なぜなら彼は、殴られた瞬間にすでに意識を刈り取られていたのだから。

 

「……やったの?」

 

 タンポポの群生地の中心でへたり込んでいたバニラが、気の抜けた声で呟いた。

 地面に倒れたまま動かない、もう1つ顔がついているのではないかと思うほどに左頬が腫れ上がったリーゼンド。そして、すぐ傍でそれを見下ろしているアル。

 それを見て安心したのか、それとも本当に体力の限界だったのか、バニラの意識が途切れた。

 

「バニラ?」

 

 どさり、という音を聞いてアルが振り返ると、バニラが綿毛をほとんど失ったタンポポに埋もれていた。

 アルが慌てて駆け寄り、膝を折ってバニラの顔に耳を近づけた。規則正しい静かな寝息が聞こえ、アルはほっと胸を撫で下ろした。

 

「しょうがない、保健室まで運ぶか。……あっちは、朝になったら誰か気づいてくれるよね」

 

 アルは1人で納得すると、自分の右腕をバニラの背中に、左腕を彼女の膝裏にそろりと潜り込ませた。そしてそのまま、まるで壊れ物を扱うように慎重な手つきで彼女を抱え上げた。いわゆる“お姫様だっこ”というやつだ。

 そして重心が安定するように何回か微調整を行うと、アルはゆっくりとした足取りで本棟へと歩き始めた。

 その道中、アルは考える。

 どうやら魔術は使い方によっては、自分が思いもよらない様々な効果を発揮するらしいということを。

 そして使い方によっては、たとえ弱い魔術でも相手に打ち勝つことができるということを。

 

「ちょっと、面白そうかも……」

 

 アルの独り言は、夜空を舞う綿毛と共に消えていった。


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