〈暴食〉のアル   作:ゆうと00

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第22話

 破竹の勢いで同級生を撃破していくアルに戦いを挑んだら、なぜか逃げられた。

 完全に虚を突かれた形となったルークは、みるみる小さくなっていく彼女の背中を、しばらく呆然と見送っていた。

 

「――はっ! ま、待て!」

 

 やっと我に返ったときには、彼女の背中は木々に阻まれてほとんど見えなくなっていた。

 ルークが小さく呪文を唱える。するとどこからともなく、水が宙に浮かぶように現れた。それは一瞬で凍りつくと、植物が成長するようにどんどん細長く伸びていき、先端が針のように鋭く尖っていった。

 杖を一振りすると、それに応えるように氷の杭がアルへと突っ込んでいく。氷の杭は空気を引き裂くような速さで、木々の間をすり抜けていった。

 あっという間にアルに追いついた氷の杭は、そのままの勢いで彼女の背中に深々と突き刺さる、

 はずだった。

 

「ほいっと」

 

 ふっ、とアルが身を屈めた。まるで背中に目でもついているかのような、見事なタイミングだった。あっさりと避けられた氷の杭はそのまま彼女の頭上を通り過ぎ、その先にあった樹の幹にどすっ! と突き刺さった。

 しかしルークはそれを見越していたのか、すでに別の呪文を唱え終えていた。彼の周りで風が生まれ、それが彼を包み込む。

 ふわり、と彼の体が浮き上がった。

 次の瞬間、彼の体は恐ろしい速さでアルを追い始めた。ルークが独自に開発した風系統の青魔術であり、《ジェット・ストリーム》と名付けたものである。

 アルの走る速さも相当なものだが、ほんの少しルークの方が上回っていた。最初にアルにつけられた差が、じわじわとだが確実に狭まっている。

 徐々に大きくなるアルの背中へ向けて、ルークが叫ぶ。

 

「なんで逃げるんだ! 今までの相手が弱くて退屈してたじゃないか!」

「知らない男の誘いには乗ってはいけません、って言われてるからね!」

「僕は特進クラスの中で一番だ! つまり、他の奴らよりも僕の方が強いということだ! 今までの戦いより、少しはアルを楽しませることができるはずだよ!」

「ごめんね! なんかルークとは戦う気にはなれないんだよ!」

「たとえアルにその気が無くとも、僕はアルに凄く興味がある! だから僕と戦え!」

「わたしはね、“勝てない勝負はしない”ことにしたの! 楽しいことに目を奪われて肝心な部分が見えなくなったら碌なことにならない、ってクルスから教わったばかりだからね!」

「…………」

 

 二人が話している間も、2人の距離は縮まっていた。最初は声がぎりぎり届くほどだったその差も、今は少し身を乗り出して腕を伸ばせば届くほどにまでなっていた。

 ルークが、思いっきり腕を伸ばす。

 その先にあるのは、アルの着ているローブの襟首。

 彼の指先が、彼女の襟首に掠った。

 そのとき、

 

「――――!」

 

 彼女の体が、突然消えた。

 ルークは目を見開いた。一瞬たりとも彼女から目を離さなかったにも拘わらず、彼女がいついなくなったのか分からなかった。

 ルークはすぐさま、《ジェット・ストリーム》を解除した。自分を取り巻く風が掻き消え、それでも勢いの衰えない彼の体は、着地した後しばらく両足で地面を滑ることでようやく停止した。

 がさり、と葉擦れの音が頭上から聞こえた。ルークがそちらへと顔を向ける。

 ちょうどアルを見失った場所に生えた樹の、地面からルークの身長3つ分以上はある高さから伸びる枝。

 そこに、アルは腰を下ろしていた。ルークと目が合うと、彼女はまるで見せつけるように不敵な笑みを浮かべる。

 

「そんなにわたしと戦いたいならさ、」

 

 アルはそう言うと、ゆっくりとした動きで立ち上がり、

 

「わたしを捕まえてごらん」

 

 彼女はその枝から飛び出した。そしてすぐ隣の樹の枝に着地すると、すぐさま別の枝へと飛び移っていく。人間とは思えない、下手をすれば野生の猿よりも機敏なその動きに、ルークは思わず舌打ちをした。

 しかし彼はすぐさま気を落ち着けると、しっかりと杖を握りしめて呪文を紡いだ。悔しがっている暇は無かった。その間にも、アルの姿はどんどん小さくなっていくのだから。

 

「――良いよ、望むところだ」

 

 ルークが呟いたのとほぼ同時、杖の先端で小さなつむじ風が生まれた。最初は小さかったそれは、あっという間に嵐のような荒々しいものへと変わっていった。その力強さは先程の《ジェット・ストリーム》の比ではない。

 そしてその嵐をよく見ると、中で何やら白っぽいものがちらちらと煌めいていた。

 開始直後に生徒達を巻き込んで森を凍りつかせ、罠に掛かった生徒3人にとどめを刺すときにも使用した魔術、《アイス・ストーム》である。

 杖の先端で小さく留まっていた嵐が解き放たれる光景は、爆発したのかと見紛うほどに激しいものだった。それは地響きに似た唸り声をあげながら、意思を持った獣のように森の中を突き進んでいく。

 背後が騒がしいことに気づいたアルが、ちらりと後ろに目をやった。視認できるほどに荒々しい冷気を纏った嵐が、道中の木々や草花を容赦なく真っ白に染め上げながら、こちらへと襲い掛かってくるのが見えた。

 その直後、アルは枝から飛び下りた。このまま枝を飛び移っていたら危険だと判断したのだろう。結果、その嵐はアルを呑み込むことなく空へと飛び出し、消えていった。

 

 しかし、それこそがルークの狙いだった。空中に逃げたアルを確認した彼は、即座に呪文を詠唱する。

 杖の先端で生まれた水滴が、ぶくぶくと沸騰するように大きく膨らんでいき、そして一気に凍りついていった。あっという間に、自身の背丈ほどはある大きさの氷の礫ができあがる。

 そしてルークが杖を指揮者のように優雅な動きでアルへと向けると、氷の礫がそれに合わせて彼女へと襲い掛かっていった。

 難なく避けられた先程と違って、今アルがいるのは空中。周りに掴むものが何も無いため、彼女の体は急激な方向転換ができない。

 つまり彼女には、氷の礫を避ける術が無い。

 自分へと迫る氷の礫に、目を見開くアル。

 決まった、とルークは思った。

 しかし、

 

「だりゃあっ!」

 

 アルは空中で自分の脚を振り回し、氷の礫に叩きつけた。それによって氷の礫はほんの少し軌道を逸らし、アルのすぐ脇を通り過ぎていった。そして彼女のすぐ後ろにあった樹にぶつかって粉砕、その破片を派手にぶちまけた。

 その光景に、今度はルークが目を見開いた。

 その隙にアルは無事に着地、それと同時に再び走り出していた。もちろん、ルークとは反対の方向に。

 

「…………」

 

 しかし意外なことに、ルークはそれを追おうとはしなかった。ただじっとその場に留まり、アルの進む先を、正確にはアルの進む先の上空辺りを見つめている。

 アルは走りながら後ろへ目をやった。追いかけてこないルークに疑問を覚えながらも、その足を止めることはない。

 そのとき、アルの周辺がふいに暗くなった。まるで夜のようなその影は、太陽が雲に隠れたにしては妙に濃い。

 アルは眉を寄せて、空を見上げた。

 彼女の視線の先、森の木々で縁を切り取られた空に、ドラゴンがいた。

 そのドラゴンは真っ赤な皮膚に覆われ、背中にはコウモリにも似た立派な翼が生えていた。人1人難なく乗せられるくらいに大きいが、まだ幼いのかその雰囲気はどこかあどけなく、くりくりとした大きな目が愛らしい。

 アルには知る由も無いが、このドラゴンは他のドラゴンと比べてもかなり珍しい種類である。“ヘルドラゴン”と呼ばれるもので、普段はグルムの秘境にある活火山にしか生息せず、人間に姿を見せることは滅多に無い。

 そんなドラゴンが、アルの姿をまっすぐ捉え、大きく胸を反らして頬を膨らませていた。

 

「いけ、ブラント」

「――え?」

 

 アルはブラントと呼ばれるこのドラゴンについてよく知らないが、少なくとも今自分の置かれている状況があまり良くないことは、何となく分かった。

 次の瞬間、ブラントが炎を吐き出した。

 

「うわ! ちょ、ちょっと!」

 

 アルは大慌てで横へと飛び退いた。ブラントの炎は壁となって彼女が一瞬前にいた空間を通り過ぎ、あらゆるものを焼き尽くした。木々も草花も土すらも黒く焼け焦げ、炭や灰と化していく。

 あっという間に、ブラントを中心とした扇状の土地が焼け野原となった。そこだけ森が禿げて見晴らしが良くなり、その周囲では未だに炎が木々を呑み込みながら黒い煙をもうもうと吐き出している。

 あれが自分に当たったら一溜まりもないだろうな、と燃える森を見つめていたアルが、今度は後ろに飛び退いた。

 冷気を纏った嵐は彼女が一瞬前にいた空間を通り過ぎ、あらゆるものを凍りつかせた。木々も草花も土すらも白く固まり、一切の匂いも音も無く活動をぴたりと止める。

 手前は、真冬でもなかなかお目に掛かることのない氷化粧。

 奥は、まるでこの世の終わりとも錯覚する大火事。

 そして、炎を避けるために自らの体に風を纏わせながらこちらへと突き進んでいく、ルークとブラント。

 

「……随分と容赦ないね。わたしを殺す気?」

「殺す気で掛からないと、こっちがやられちゃいそうだからね。大目に見てよ」

「そっか、なら仕方ないね」

「……随分とあっさり納得するんだね。もっといろいろ反論してくると思ったけど」

「反論?」

「僕は今、魔術も使えず武器も持っていない女の子相手に、ドラゴンまで召喚して襲い掛かっているんだよ? 卑怯だとは思わない?」

 

 ルークの問い掛けに、アルは心底不思議そうに何回もパチパチと瞬きした。

 

「だってそのドラゴンは自分の使い魔なんでしょ? だったらそれもルークにとって立派な“武器”だよ。戦いで武器を使うなんて、当たり前のことでしょ?」

「……さすがだ。他の奴らとは大違い」

 

 ルークは、心底感心したように呟いた。

 魔法師同士の戦いでは、戦いの結果ももちろん大事ではあるが、彼らの言うところの“誇り”が何よりも大事とされている。たとえ国家間の戦争でも実力者同士では1対1の戦いが望ましいとされているし、不意打ちや騙し討ちなどは“卑怯者”と罵られる。

 なので、普段は実力者の象徴として尊敬されている白魔術の“召喚”であるが、いざ戦闘となると相手も召喚しない限り使うことは許されない、という風潮がある。

 だというのに、アルは自分が丸腰であるにも拘わらず、こちらがドラゴンを召喚して戦うことをあっさりと許容した。それによって、彼の中でのアルに対する興味がどんどん膨らんでいく。

 

「それで、どう? そろそろ僕と戦う気になってくれた? このままだと、いくらアルといえども危ないんじゃない?」

 

 ルークがそう尋ねると、アルは満面の笑みを浮かべた。やっと戦う気になったのか、と彼は杖を構える。

 しかし、

 

「――まだまだ!」

 

 アルはくるりと後ろを向いて、脱兎のごとく逃げ出した。あれだけ激しく走り回っておきながら、その速さはまったく衰えていない。

 

「ほらほら、わたしはこっちだよ! 早く追いかけてきてよ!」

 

 挑発というには、そのときの彼女の表情はあまりにも天真爛漫だった。ただ鬼ごっこを楽しんでいるだけのように見えてしまう。

 彼女の背中を睨みつけながら、ルークは小さく呪文を紡いだ。彼の体を、つむじ風が包み込んでいく。

 

「面白い……」

 

 そう言って、ルークは笑みを浮かべた。

 そのときの彼の笑顔がアルと同じ類のものだということに、おそらく本人は気づいていない。

 

 

 *         *         *

 

 

 教師と脱落した生徒が待機する、演習場近くの広場。

 

「あーあ、あの乞食、ほんと意味が分からないよな。普通後ろから不意討ちとかするか?」

「いやぁ、俺だったらそんな恥ずかしいことはできないね。やっぱり乞食っていうのは、俺らとは住む世界が違うんだよ」

「別に俺はあんな乞食、普通に倒せるんだよ? だけどさ、いくら何でも丸腰の奴に魔術を使うのは気が引けるっていうか」

「そっちなんかまだ良いよ。こっちなんかもっとひでぇよ? あの優等生様、わざわざドラゴンまで召喚しといて、後ろから攻撃してくるんだぜ?」

「うわぁ、何それ? そんなに俺らと戦うのが怖いのかよ。普段澄ました顔してるくせして、内心俺らにびびってるんじゃねぇの?」

「いや、別にあいつくらい、勝とうと思えばいつでも勝てたんだよ? でもさぁ、天才って一度挫折すると立ち直れなくなるって言うじゃん? だからさすがにそれは可哀想かなぁって思っちゃったわけよ」

「おまえ、すげぇ優しいな。俺だって今回は不意を突かれた、ていうか突かれてあげただけで、普通にやってたら俺が勝ったに決まってるし」

「俺もだよ。あーあ、何か今日は朝から調子悪かったんだよなぁ。そんな状態で俺に勝ってでかい面されても、こっちが困るんだよなぁ」

 

 脱落した生徒達が、シンの治療の甲斐あって続々と目を覚ましている。そのほとんどが仲の良い友達と取り留めのない雑談をしているのだが、アルやルークにやられた生徒達は互いに顔を見合わせて、先程のような会話を繰り広げていた。

 ベンチに座っているシンが、ちらりとそちらへと目を遣った。その生徒達は皆、彼女達にこっぴどくやられたにも拘わらず、なお彼女達を馬鹿にするような表情を浮かべていた。

 はぁ、とシンは大きく溜息をついた。

 

「あの子達は駄目だね。自分の負けを頑なに認めようとしないで、現実から目を逸らしている。あれを治さない限り、もうこれ以上は成長しないだろうね」

 

 シンの言葉に、隣にいるはずのクルスからは何の返事も無い。彼は再び溜息をつくと、ちらりと隣へと目を遣った。

 クルスはどっしりとベンチに腰掛けて、不敵な笑みを浮かべながら両目をつぶっていた。

 

「……ねぇクルス、あの子のことばかり見てないで、ちゃんと他の生徒も見ててよ」

「嫌よ、今凄い良いところなの。シンだって、ちゃんと視覚は共有してもらってるんでしょ? だったら、シンが他の子達を見ててよ」

「……まったく」

 

 シンは三度(みたび)溜息をついて両目をつぶると、演習場に散らばる使い魔達と視覚を共有し始めた。視界に映し出された幾十もの映像を、彼はまんべんなく眺める。

 そのときだった。

 

「――ちっ」

 

 突然、クルスが舌打ちをした。シンが片目だけを開けてそちらを見る。

 彼女は両目をつぶったままだったが、眉間に皺が寄るほどに眉が寄せられた、いかにも不機嫌そうな表情だった。

 こういうときはそっとしておくに限る、とシンはそのまま目を閉じて監視を続けた。

 そんな彼に、クルスの呟きが聞こえた。

 

「まったく、楽しい戦闘に水を差すんじゃないわよ……」


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