〈暴食〉のアル   作:ゆうと00

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第23話

「…………」

 

 先程ブラントが火事を起こした場所からは遠く離れた森の中。木々の生い茂るその中でルークは険しい表情で1人佇み、息を呑んでいた。

 現在彼の周りには、人っ子1人見当たらない。

 つまりそれは、アルの姿も無いということになる。

 しかし、見失ったというわけではない。彼の右目には森の上から見下ろすブラントの視覚が共有されており、ルークの前方、大股で20歩ほど進んだ先にある茂みに、アルが身を隠しているのが見えていた。

 そしてルークは彼女を発見していながらも、攻撃の手を休めていた。

 

 ――どう考えても誘っているな、これは……。

 

 いくら幼いとはいえ、仮にもブラントはドラゴンだ。その体躯は他の動物と比べてもかなり大きく、空を飛んでいてもかなり目立つ。

 なのでアルも上空にブラントがいることは分かっているはずだし、《シェア・センス》で自分がルークに見つかっていることにも気づいているはずである。

 にも拘わらず、アルはそこから逃げ出そうとも、ルークに襲い掛かろうともしない。それどころかブラントの方へ顔を向けて、にやにやと笑みを浮かべてすらいる。

 

 ――でも、攻撃しないわけにはいかないか……。

 

 このまま何もせずに時間切れなんて、あまりにもお粗末すぎる。ひょっとしたら、彼女はそれを狙っているかもしれない。

 覚悟を決めて、ルークは杖を構えて呪文を唱え始めた。

 その瞬間だった。アルがその茂みから飛び出して、一気にルークへと駆け寄ってきたのである。

 今まで逃げに徹していたアルの突然の攻勢に、ルークは驚きの表情を浮かべながらも呪文を唱えきった。

 選んだ魔術は氷の礫を生み出す《アイス・ロック》。大きさに比例して呪文が長くなる魔術であり、言い換えればいつでも呪文を中断することができる。どう動くか分からないアルに備えた選択だった。

 ルークの目の前に浮かぶ氷の礫は、先程よりも一回り小さいものだった。彼の杖が勢いよくアルへと向けられ、それに応えて氷の礫がまっすぐ彼女へと突っ込んでいく。

 互いに迫る形となったため、その相対速度はかなりのものである。おそらくアルには、目にも留まらぬ速さで氷の礫が迫っているように見えているだろう。

 

 ――さあ、避けるか! 逸らすか!

 

 アルがどちらの行動をとっても対処できるよう、ルークは杖を構えて呪文を唱え始める。

 しかし次の瞬間に彼女がとった行動は、そのどちらでもなかった。

 彼女は凄まじい速さで迫ってくる氷の礫に対し、あろうことか両腕を差し出してきたのである。

 そして、

 

「ふんっ!」

 

 アルは一切臆することなく、凄まじい速さで迫ってくる氷の礫を、その細い両腕で受け止めた。すどぉん! と凄まじい音が響き渡り、馬車が衝突したのと同じくらいの衝撃が彼女の両腕に襲い掛かる。

 しかし彼女の体は吹っ飛ばされるどころか仰け反ることすらせずに、あれだけの速さで突っ込んでいった氷の礫を完全に停止させた。

 

「…………、は?」

 

 完全に想定の範囲外だったアルの行動に、ルークはほんの一瞬だが頭が真っ白になった。呪文は途中で途切れ、杖の先端に集まりかけていた魔力が静かに霧散する。

 その隙をついて、アルはすぐさま次の行動に移った。右手に氷を据えると腕を小さく折りたたみ、脇を大きく開ける。右膝を軽く折って腰を低くする。弓を引き絞るように体を後ろへと捻り、空いた左腕をまっすぐ伸ばして目標を捉える。それはまるで、砲丸投げのような体勢だった。

 氷の礫を投げつけてくる気かとルークは身構えたが、すぐさま彼女の姿勢に違和感を覚えた。

 彼女の左腕の角度が、少々上を向きすぎているのである。その角度のまま投げたのでは、せっかくの氷の礫はルークの遙か頭上を飛び越してしまう。

 遙か頭上を――

 

「――まさか!」

 

 ルークが何かに思い至ったのとほぼ同時、アルが右手に持つ氷の礫を思いっきり放り投げた。氷は予想通りルークの遙か頭上を通り過ぎていき、彼はそれに釣られるように後ろへと顔を向ける。

 氷の礫の進む先にいるのは、主人であるルークの指示を待ちながら森の上を漂っていた幼いヘルドラゴン・ブラントだった。

 

「避けろ、ブラント!」

「ガウ?」

 

 本来なら親の庇護下にある年齢のブラントには、戦況を見極めるだけの力がまだついていなかった。なので実際にアルが投げつけてくるまで、彼女が自分を狙っているのだと判断することができなかった。

 がすんっ!

 

「ウガァ!」

 

 氷の礫は吸い込まれるようにまっすぐ突き進み、ブラントの顎を的確に捉えた。顎が大きく揺さぶられ、ブラントの脳がそれに合わせて激しく掻き回される。

 頭蓋骨や筋肉を無視して脳に直接ダメージが伝わり、ブラントの意識が遠のいていく。

 しかしそこは他の動物よりも丈夫なドラゴン、なんとか踏ん張って意識をむりやり引き戻した。まだ頭がくらくらするものの、戦闘に支障をきたすほどではない。

 

「ウガアアアアアア!」

 

 怒りで興奮したブラントが、アルに炎を吹きつけるために下へと顔を向ける。

 しかし、彼女の姿は無かった。

 

「つーかまえた」

「ウガッ!」

 

 ブラントのすぐ後ろで、少女の声がした。

 いくらブラントが先程の衝撃で高度を少し下げたからとはいえ、それでも彼女の背丈の5倍以上はある高さである。普通の人間がおいそれと届くような場所ではない。

 しかしアルは普通ではなかった。彼女は氷の礫がブラントにぶつかった直後に、ルークにも気づかれることなく跳び上がっていたのである。尋常でない脚力とブラントの意識が混乱していたおかげで、見事ブラントの背中に飛び乗ることに成功した。

 

「ガウッ! ガウウッ!」

「わわっ! もう、暴れないで大人しくしててよ!」

 

 ブラントは必死に体を動かしてアルを振り落とそうとするが、彼女の腕はブラントの首をしっかりと掴んで離そうとしない。

 

「くそっ、まずいな……」

 

 一方、ルークは攻めあぐねていた。彼の使える魔術には、混戦状態になっている2人の中から的確に片方だけを狙い撃ちできるようなものは無い。このまま攻撃すると、確実にブラントも巻き込んでしまう。

 

 ――こうなったら、ブラントを元の場所に戻すしかないか……。

 

 召喚を解除すればブラントを安全な場所まで避難させることができる。しかし召喚には莫大な魔力を必要とするため、この演習中に再び召喚することはできなくなる。

 しかし背に腹は代えられない、とルークが召喚解除の呪文を唱えようとした、

 まさにそのときだった。

 

「《シャープ・トルネイド》」

 

 あまりにも突然の出来事だった。

 ルークがいる方向とはまったく違うところからいきなり風が吹いてきたかと思ったら、瞬く間にそれがつむじ風を通り越して竜巻に成長、そして空中で揉めるブラント達に襲い掛かったのである。

 

「ガッ! ガウウ!」

「うわぁ! な、何!」

 

 アルを振り落とすことに必死になっていたブラントと、ブラントにしがみつくことに必死になっていたアルは、当然反応できるはずもなく、仲良くその竜巻に煽られてしまう。

 

「ウギャァ!」

 

 ブラントが突然悲鳴をあげた。翼の動きが突然鈍くなり、動きもだんだん小さくなっていく。

 アルは首をかしげるがたそのとき、すぐにその疑問は解けた。

 ちょうど彼女の目の前にあったブラントの皮膚が、何の前触れも無く裂けた。傷口から赤黒い血がどろりと溢れ、皮膚の燃えるように鮮やかな赤と混ざっていく。

 

「まさかこの竜巻、鎌鼬?」

 

 アルのその言葉を残し、1人と1匹は竜巻に乗って遠くへと吹き飛ばされていき、森の一画に大きな音をたてて突っ込んでいった。

 

 

 *         *         *

 

 

「…………」

 

 目の前で繰り広げられた怒濤の展開に、ルークは早くなる鼓動を抑えつけるので精一杯だった。ただ呆然と、ブラント達が飛んでいった方向をじっと見つめる。

 がささっ。

 ルークが我に返ったのは、近くの茂みが突然音をたてたときだった。

 ほとんど反射的にそちらへと振り向く。それはちょうど、竜巻が襲い掛かってきた方向だった。

 そしてそこから出てきたのは、

 

「まったく、手間を掛けさせてくれる」

 

 白髪混じりの金髪に痩せて骨張った顔をもつ学院の教師・シルバだった。


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