空に炎の華が咲いてから10分ほど経った頃。
最後まで生き残った生徒達が、演習場から続々と戻り始めていた。満足そうな笑みを浮かべる者、悔しそうに唇を噛む者と表情は様々だったが、ぐったりと疲れ果てているのは皆同じだった。
そしてそんな生徒達を出迎えるのは、この演習を監督しているクルスとシンの2人だった。
「6枚、ね。うん、積極的に戦闘を仕掛けていたみたいだし、その上で生き残ってるんだから、なかなか良い結果じゃないかしら。この調子で次も頑張ってね」
「あ、ありがとうございます!」
「2枚か……。ちょっと少ないかな? でもまぁ初めての演習だし、無理だと思ったらすぐさま隠れるのも立派な戦術の1つよ。今度はもっと上の成績を目指してみましょうか」
「う……、は、はい……、ありがとう、ございました……」
そんな2人が現在行っているのは、メダルの集計である。クルスが生徒1人1人に労いの言葉を掛けつつメダルを数え、シンが手元の紙にそれを書き連ねていく。
一通り集計を終えて一段落ついたクルスは、ほっと溜息をついて辺りを見渡した。
脱落したために一足早くここに戻っていた生徒達は、今はその全員が目を覚ましている。ここが駄目だったと脱落者同士で話し合う真面目な生徒もいたが、ほとんどは演習など最初から無かったかのように、友人達と普段通りの馬鹿話をしていた。
そんな彼らを見て、クルスは思わず眉を寄せる。
「まったく……、自分達は生き残ることすらできなかったっていうのに、まったく気にしている様子が無いわね」
「まぁ、仕方ないかもしれないね。結局4分の3以上が脱落したんでしょ? それだけ脱落者が多かったら、恥ずかしさも紛れちゃうよね」
しかもそれだけ脱落者の数が膨れ上がった原因が、たった2人の少年と少女なのである。シンはもはや、呆れを通り越して一種の感心さえ覚えていた。
「優秀な子がいると刺激になって良いけど、あまり優秀すぎるのも考え物だね」
「……そうね」
シンの言葉に、しかしクルスはどこか満足そうに笑みを浮かべながら答えた。その視線は先程から演習場で固定されている。
「……随分と嬉しそうだね、クルス」
「もちろん。私にとっては大満足の結果になったからね」
「それにしても、リーゼンド先生に続いて、シルバ先生までもか……。何だか末恐ろしい子だね。まぁ、今回はルークくんの手助けがあったからこそだけど」
「ええ、確かにルークがいなかったら、さすがのアルでも厳しかったかもしれないわね」
「あれ、意外だね? てっきり否定するかと思ったけど」
シンの問い掛けに、クルスは口に手を当てて笑った。何だか含みを持たせたような笑いに、シンは何だか空恐ろしい印象を覚えた。
「どうしたの、クルス?」
「別に、何でもないわよ。本当にあの子は私の予想を易々と超えてくるな、て思って」
「……単にシルバ先生を打ち負かしたから、てわけでもなさそうだね。どういうこと?」
「ふふ、だってあの子――」
「あ! ルークくんが戻ってきたよ!」
しかしクルスの言葉は、1人の女子生徒によって遮られた。
彼女の言葉を皮切りに、広場にいた女子生徒達が一斉に演習場へと駆けていった。脱落した女子生徒はもちろん、戻ってきたばかりで疲れているであろう女子生徒もである。
一方男子生徒達は、色めき立つ彼女達とは対照的に、面白くなさそうに演習場から視線を逸らしていた。
きゃあきゃあと黄色い声をあげていた女子生徒達だったが、次の瞬間、それは悲痛な叫び声へと変わった。
「ル、ルークくん! どうしたの、それ!」
その声に興味を惹かれたのか、男子生徒も一斉にそちらへと顔を向けた。クルスやシンも、同じくそちらへと視線を向ける。
そして皆が、大なり小なり驚きの表情を浮かべた。
制服をボロボロにしてあちこちから血を流しているルークが、同じく制服をボロボロにして体中が泥で塗れたアルを背負って出てきたからだ。
「ルークくん、なんでそんな奴なんか背負ってるの!」
「そうよ! 早く下ろさないと、ルークくんが汚れちゃう!」
「ちょっとあんた! さっさとルークくんから離れなさいよ!」
やいやいと騒がしい彼女達の声に、2人はただ一瞥するだけで何も言い返そうとしなかった。黙って女子集団を通り過ぎると、クルス達のもとへまっすぐ歩いていく。
遠巻きにだが、男子生徒達もその様子を眺めていた。
「何やってんだ、あいつ?」
「さあ? あいつが背負ってんのって、あの乞食だよな?」
「まさかあの怪我、乞食にやられてできたんじゃねぇよな」
「まさか! どうせあいつが乞食をぶっ倒したんだろ。んで、わざわざそれを拾って持って帰ってきたとか」
「何だそれ? 女だったら何でも良いのか? 見境ねぇな!」
「それとも俺らに自慢してんじゃねぇの? 『俺がこの乞食を倒しましたよぉ』って」
「うっわ、何それだっせぇ。あの乞食って、確か魔術が使えないんだろ? だったら楽勝じゃねぇか。俺だったら目つぶってても倒せるぜ」
「ま、学年1位の優等生様も、所詮は自慢したがりのお子ちゃまだったってことだろ」
本人が何も言わないのを良いことに、彼らは好き放題言っていた。その中には、アルと同じ門から始めた生徒(つまりアルに打ち負かされた生徒)も紛れていた。
そんな会話が聞こえているだろうに、ルークとアルは一切反応せず、そちらに目を遣ることすらなかった。ただ黙って背負って背負われて、クルス達の目の前へとやって来る。
「はい、お疲れ様。2人共、なかなかの大活躍だったじゃない。しっかり見てたわよ」
にっこりと笑うクルスの言葉にも、ルークは表情を崩さず「ありがとうございます」と一礼するだけだった。
「ルーク、私はここで大丈夫だから」
そのとき、今まで黙っていたアルが突然そう言って、ルークの返事も待たずに彼の背中から飛び下りた。先程まで立てないほどに体力を消耗していたとは思えない機敏な動きに、ルークは訝しげに眉を寄せた。
しかしそんな彼の疑問は、クルスの言葉によって打ち切られる。
「それじゃ、メダルの集計をするわね。じゃあ、まずはシンから」
「……分かりました」
その会話に、その場に居合わせた生徒全員がルークに注目する。なんせ学年で1番の優等生である、そのメダルの数も他と比較にならないくらい多いはずだ。
周りからの好奇の目に晒されながら、ルークは自分の懐へと手を差し入れた。そしてそこから、メダルがぎっしりと詰まっているであろう布袋を取り出して――
布袋を取り出して――
「――あれ?」
いくら懐を探っても、ルークの手は自分の袋に行き当たらなかった。両手を使って全身を叩くように探るが、まったく見つからない。
――まさか、戦ってる途中に落としたか?
演習場を出てから一切崩れることの無かったルークの表情に、焦りの色が浮かぶ。
普段滅多に見られない彼の姿に、周りの生徒達も不審の表情を浮かべる。
「どうしたの、ルーク? まさか無くしちゃったとか?」
「ちょ、ちょっと待ってください。すぐに出しますから」
ルークはそう言ってみるものの、一向に袋は見つからない。ついにはローブを脱いでばさばさと振ってみるが、それでも袋が落ちてくることは無い。
「…………」
「えっと……、落としたってことで良いかしら?」
「…………、はい」
やや間を空けて、ルークは観念したようにこくりと頷いた。それを聞いて、シンが手元の紙にさらさらと文字を書いていく。
“ルーク:0枚”と。
「先生……、もう学院に戻っても構わないんですよね?」
「え? ええ、まぁそうね」
ルークが顔を俯かせているため、その表情は読み取れない。
「分かりました。それでは、失礼します」
ルークは軽く一礼すると、顔を俯かせたまま足早にその場を去っていった。
生徒達は黙ってその様子を見送っていたが、彼の背中が指先ほどに小さくなると、皆が堰を切ったようにひそひそと話し始めた。その表情は、男子は馬鹿にするようなもの、女子は心配するようなものと見事に分かれている。
「さぁて、次はアルね」
「へへー、任せてよ! かなり気合い入れて集めまくったからね! かなりの数になってるよ!」
周りの喧騒など気にも留めず、アルは満面の笑みを浮かべて自分の懐に手を差し入れた。他の生徒達も傍目には何の興味も無さそうな顔をしていながら意識はしっかりとアル達へと向いているのが、クルスやシンにはバレバレだった。
アルが袋を取り出した瞬間、シンは大きく目を見開いた。その理由は2つあった。
1つ目は、袋の数が異様に多かったこと。当然ながら、最初に配られた袋は当然ながら1人1つずつである。おそらく他の生徒を襲ったときに、袋ごとメダルを奪ったのだろう。なのでそれ自体はさほど不思議なことではない。
問題なのは、もう1つの理由である。
その理由とは、他のそれよりも明らかに膨らんでいる袋が2つあったことである。彼女の活躍ぶりからして、片方は彼女自身が最初から持っていたものと見て間違いないだろう。
だとしたら、それと同じくらい大きく膨らんでいるもう片方の袋は、いったい誰から奪ったものだろうか。
「あらあら、かなり数え甲斐がありそうじゃないの。ちょっと待っててね」
クルスが嬉々とした表情でアルのメダルを数える隣で、シンは未だに驚愕の表情を貼り付けたまま固まっていた。
「ねぇ、アル?」
「ん? どうしたの、シン?」
シンが声を掛けると、アルはそちらを向いた。とても純真無垢な、誰かを騙すなんて考えもしないと思わせるような表情で。
「ひょっとして……、ルークくんのメダル、盗んだ?」
「……さぁ」
その表情を一切崩さず首をかしげて答えてみせるアルに、シンは何か恐ろしいものを感じた。
ちょうどそのとき、メダルの集計が終わった。
「はい、結果が出たわ。――76枚よ」
次の瞬間、周りの生徒達からどよめきが起こった。聞いていないフリをしていたのに思わずリアクションしてしまうほど、その成績は強烈なものだった。
「素晴らしいとしか言い様が無いわね。やっぱり、“最初”と“最後”が効いたのかしら」
「へへー」
そしてその結果にアル自身もご満悦のようで、胸を張って満面の笑みを浮かべてみせた。
その姿だけを見れば、実に年相応の可愛らしい少女そのものである。
「ねぇ、アル」
「ん、何?」
そんな彼女に対して、クルスが尋ねる。
「なんで最初、ルークと戦ってあげなかったの? そりゃあ、彼の実力的に正面から戦うのは得策じゃないのは分かるけど、アルがその程度の理由で逃げるとは思えないんだけど」
「えぇ、そんなことないよ? この前のクルスとの戦いで、興味本位で喧嘩を受けると碌なことにならないって学んだから、それに従っただけだよ」
にこにこと笑って答えるアルに、クルスは「成程ねぇ」と頷いてみせる。
「だけどアルと戦うことを諦められなかったルークは、アルをやる気にさせるために、逃げるアルを追いかける羽目になった、と」
「うん、そうだね」
「そうしている内に、個人的な理由でアルを狙っていたシルバ先生と鉢合わせて、アルとシルバ先生との戦いに巻き込まれちゃったわけね」
「本当、運が悪いよね」
「それで話の流れ的にルークはアルと共闘することになって、その結果、アルはルークの手助けを得ることで、見事シルバ先生に勝つことができたわけね」
「そうそう。いやぁ、ルークには本当にお世話になったよね」
――ん?
ここで、シンが首をかしげた。
今のクルスの言葉は、今までの出来事を端的に纏めたに過ぎない。しかしこうして改めて思い返してみると、随分とアルに有利な展開になっているような――
「ねぇアル、1つだけ訊いても良い?」
そう尋ねるクルスの顔には、不敵な笑みが浮かべられていた。
「どこまで、狙ってた?」
その短い問い掛けに、シンははっとなってアルへと顔を向けた。
一方アルは、先程シンの質問に答えたときのような表情を浮かべて、答えた。
「さぁ?」
「……そう」
これ以上追及しても何も答えないと判断したのか、クルスは特に何も言わなかった。アルはにっこりと笑みを浮かべると、くるりと踵を返して走り去っていった。
「いやぁ、さすがは私の見立てたアルね」
腕を組んで実に満足そうに頷くクルスに、シンはただ苦い表情を浮かべるしかなかった。