〈暴食〉のアル   作:ゆうと00

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第35話

 そのとき厨房では、ちょうど使用人達の夕食の時間だった。いくら生徒達がいないからといって、貴族も使う食堂を使用人如きが使うわけにもいかないため、わざわざここで食事を摂るのである。

 彼らは厨房の中央に長いテーブルを置き、そこに全員分の食事を摂っていた。どれだけ仕事が忙しくても食事は全員で顔を合わせて、というのが彼らの決まりだった。

 そしてその使用人達の中に、なぜかアルの姿もあった。

 

「うーん、美味しい! やっぱり食堂で出る料理も美味しいけど、賄い食もそれに負けないくらい美味しいね!」

 

 今日の賄い食は、魚の切り身をタレに漬け込み、炊いた米の上に盛りつけた丼だった。アルはそれを勢いよく掻き込むと、ぐっと拳を握りしめて力強く叫んだ。

 そんな彼女に紅茶を差し出しながら、オルファが心配そうに尋ねる。

 

「でも、宜しいんですか? せっかくアル様はここの生徒になれたのに、わざわざこんな賄い食を召し上がるなんて」

 

 するとアルは、口の中のものをごくりと呑み込んでから、

 

「良いの良いの。食堂って何だか堅苦しい雰囲気だし、お代わりすると周りが睨んでくるんだよ? 全然食べた気がしないよ」

「そ、そうですか……」

 

 それはお代わりの量が多すぎるからでは、とオルファは思ったが、給仕である彼女が面と向かって指摘できるはずがなかった。

 すると突然、2人の様子を黙って見ていた1人の男性が口を開いた。

 

「嬢ちゃんなら、いつでもここに来てくれて良いんだぜ! なんせ嬢ちゃんの食いっぷりは、見てるこっちが気持ち良くなるくらいだからな! 料理人冥利に尽きるってもんだ!」

 

 料理人特有の白い服とエプロンに身を包んだ彼は、鋼のような筋肉をもつ大男だった。肌は日に焼けて黒く染まり、左目の辺りには大きな縦の切り傷がある。

 彼の名はボルノーといい、この学院の料理長を勤めている。『盗賊の親分だ』と言われた方がまだ信憑性のある外見をしているが、シャンパニエ国の名高い超高級宿場で料理長を勤めていたところを学院長直々に引き抜かれた、料理界きっての実力者である。

 

「それに嬢ちゃんが来てくれると、こっちとしても大助かりなんだ。賄いだけじゃ大量に余った食材を使い切れないからな、嬢ちゃんが全部食ってくれた方が、後処理に困らなくて済むんだよ」

 

 ボルノーの言葉に、オルファはむっと口元を尖らせた。

 

「ちょっとボルノーさん、それってアル様に残飯の処理を頼んでると取れますよ? あまりにひどいんじゃありません?」

「え、いや、そんなつもりはないんだぜ? 参ったな……。ごめんな、嬢ちゃん」

 

 見た目と違ってすぐに困った顔をして謝るボルノーに、アルは笑顔で首を横に振った。

 

「わたしは全然気にしてないよ! 美味しいものをお腹いっぱい食べられたら、それで満足だし! ――それにしても、食材ってそんなに余るの?」

「ああ。あいつらのほとんどは貴族だから、食材の一番美味い所しか食わねぇんだよ。だからその分、余計に食材を用意しなきゃいけねぇんだよな」

「ふーん、大変だねぇ。まぁ、これからは何かあったらわたしを呼んでよ。全部食べてあげるからさ!」

「おお、さすがだな、嬢ちゃん! 任せたぜ!」

 

 2人はそう言って、互いに顔を見合わせて笑った。どうやらこの2人、旨い料理を作る料理人と何でも食べる少女という相性の良さからか、かなり馬が合うようだ。

 オルファがそんな2人を眺めて笑みを漏らしていた、

 そのとき、

 

「――――何でしょうか?」

 

 ドアの向こう側からにわかに聞こえだした雑音に、オルファは怪訝そうな表情を浮かべて首をかしげた。

 その音はまるで、誰かが全力で走り回る足音のようだった。対面を重んじる貴族と、自分の存在を悟られないことを信条とする使用人がほとんどを占める魔術学院において、滅多に聞くことのない音である。

 しかもその足音は、だんだんとこちらに近づいているような気がする。アルとボルノーもそれに気づいたのか、笑うのをやめて厨房の入口へと視線を向けた。

 そして、

 

「乞食がここにいるはずだ! 大人しくそいつを渡せ!」

 

 ばんっ! と勢いよくドアが開けられるや否や、厨房中に響き渡る大声と共にシルバが入ってきた。そしてその後ろから、セリーヌを初めとした数人の教師が続く。

 そしてその集団の一番後ろに、クルスの姿もあった。彼女は一切の感情が抜け落ちた、まるで面のように冷たい無表情となっている。

 

「な、何の用でございますか、貴族様! 問題でもありましたでしょうか!」

 

 あまりの彼らの剣幕に、ボルノーが血相を変えて彼らに駆け寄っていった。貴族の気分1つで腕1本飛ばされることも有り得るだけに、その様子はかなり必死だった。

 彼の質問に答えたのは、最初に厨房に入ってきたシルバだった。

 

「貴様に用は無い! ここにあの乞食がいることは分かっている! 大人しくそいつを差し出さなければ、貴様らも共犯と見なして同罪とするぞ!」

「随分と騒がしいね。どうしたの、シルバ?」

 

 使用人達がすっかり怯えきってしまっている中、アルだけが平然と丼を掻き込んでいた。

シルバはそれを見て一瞬顔をしかめるも、すぐににやりと嫌らしい笑みを浮かべ、ずかずかと彼女に近づいていった。

 

「ほう、逃げずにここに留まっているとは、随分と余裕だな。それとも、もう逃げられないと観念したのかな?」

「何の話? ――あ、もしかして、部屋に戻らなかったことを怒ってる? いやぁ、いけないとは思ったけど、どうにも小腹が空いて我慢できなくなってさ……」

「成程、そうやって(しら)を切り通すつもりか。それで我々を騙せると思っているとは、やはり所詮は乞食、随分とおめでたい頭をしているようだな」

「……何だか違う話っぽいね。ちゃんと一から説明してくれなきゃ分かんないよ?」

「ふふふ、本当は分かっているくせにまだ言うか。内心では、今にも逃げ出したいくらいにびくびくしてるんじゃないか?」

「だーかーらー、ちゃんと説明してって言ってるでしょ!」

 

 なかなか本題に入ろうとしないシルバに、さすがのアルもだんだん苛々してきた。しかしその間も、丼を掻き込むことは忘れていなかった。

 

「アル様……」

 

 ただならぬ雰囲気に、オルファは固唾を呑んでアルを見つめていた。

 と、そのとき、

 

「宝物庫で盗難があったのよ」

 

 教師達を掻き分けて、クルスがアルの正面に躍り出た。その表情はここに来たときと同じく一切の感情が抜け落ちた、まるで面のように冷たい無表情となっている。

 周りの使用人や彼女と一緒に来た教師ですら思わず背筋を凍らせる中、アルは普段の態度のまま彼女に話し掛ける。

 

「宝物庫? そんなのあったっけ?」

「ええ。学院長室の真下にあるんだけど、ついさっき、誰かが侵入して中のものを盗み出したのが見つかったの」

「あぁ、それでわたしが疑われてるってことか」

「そういうこと。――で、どうなの?」

「まさか、そんなわけないじゃん」

「ふーん、そう……」

 

 クルスはそれだけ言うと口を閉ざし、じっとアルを睨みつけた。並の生徒なら震え上がるであろう気迫を、アルは平然とした表情で受け流す。

 

「あまり無駄な言い逃れはしない方が良いわよ。やったのなら素直にやったと認めた方が、後々あなたのためになるわ」

「そう言われても、宝物庫の存在すら初めて知ったのに、そこから何か盗み出せるわけないじゃん。――というかそもそも、何が盗まれたの?」

「“トンビ”と呼ばれる、王宮から預かった大切な品よ。盗み出したりしようものなら、即座に縛り首にされても文句は言えないわ」

「“トンビ”ねぇ……。知らないなぁ、そんなの。それで、なんでわたしが盗んだことになってるの? 何か証拠でも見つかったとか?」

 

 アルのその言葉に、待ってましたとばかりにシルバが割り込んできた。

 

「ああ、その通りだ! 上手くやったつもりだろうが、貴様が犯人だという動かぬ“証拠”があるんだ! 残念だったな!」

「ふーん、ちなみにどんな?」

 

 アルはあくまでも、クルスに視線を向けて尋ねた。露骨に無視されたシルバの口元がピクリと引きつったが、すぐさま気を取り直すように大きく咳払いすると、

 

「良いか、乞食? 我々が見つけた“証拠”っていうのは――」

 

 そしてシルバから、先程クルスにも話した“証拠”について伝えられた。

 するとその瞬間、半信半疑で話を聞いていたアルの目が見開き、途端に真剣な表情を浮かべて何やら考え込んでしまった。

 

「どうした、乞食? とうとう観念してすべて白状する気になったか?」

 

 別に盗難に気づいたのも“証拠”を見つけたのもシルバではないのだが、彼はあたかも自分がアルを追い詰めているかのように得意気な表情を浮かべていた。

 そして他の教師達はそんなシルバを気にすることなく、アルの次の行動に注目している。それは周りで心配そうにしている使用人達も、そして彼女の真正面で見下ろすクルスも同じだった。

 皆の視線が集まる中、やがてアルは顔を上げると、にやりと笑ってこう言った。

 

「成程。確かにそれじゃ、シルバ達がわたしを犯人と思うのも仕方ないね」

 

 最初に反応したのは、シルバだった。

 

「さてと、諸君! ここにいるアルが盗みを働いたことは明白だが、我々はこの少女にどのような鉄槌を与えたら良いと思うかね!」

 

 彼は教師達へと向き直ると、まるで舞台役者のように大げさな手振りを交えながら、声を張り上げてそんなことを尋ねてきた。

 すると1人の教師が、おもむろに手を挙げた。

 

「彼女の体験入学中に起こったことなのだから、これを決定した学院長に処遇を決めてもらうというのは……」

「いや、誠に残念ながら、今の学院長ではこいつをお許しになってしまいかねない。なぜかは知らないが、学院長は随分とこいつを気に入っていらっしゃるようだからな」

「それではロンドの警察に通報して、彼らに連行してもらえば――」

 

 別の教師の提案にも、シルバは首を横に振った。

 

「それも駄目だ。そんなことをすれば、我々が乞食の少女如きに窃盗を許してしまったことが王宮にばれてしまう。それでは学院長の顔に泥を塗ることになってしまう」

「それでは、いったいどうするのです?」

 

 セリーヌの質問に、シルバは今まで以上に気味の悪い笑みを浮かべて、

 

「なぁに、簡単さ。――我々で、今すぐこいつを殺してしまえば良い」

「――――!」

 

 その言葉に教師だけでなく、周りで聞いていた使用人達も息を呑んだ。

 

「ちょ、ちょっと待ってください、シルバ先生! それはさすがにいくら何でも――」

「なぜ躊躇う必要がある? こいつは王宮の品を盗み出したんだぞ? どうせ縛り首になることは確定なのだから、今ここでそれを行ったところで何ら問題は無い」

「いや、だからって――」

「良いか、諸君。これは我々の失態でもあるんだ。我々が学院長に遠慮などせずに、もっとしっかりと助言できていれば、けっしてこのような事態にはならなかったんだ。我々の失態は、我々自身でケリをつけるのが筋というものだろう?」

「確かに、そうかもしれないですけど……」

「それにこれは、こいつのためでもあるんだ。警察に引き渡された後、こいつを待っているのは想像すらできないほどに厳しい拷問だ。どうせその後に殺されてしまうのならば、せめてここで我々がひと思いに殺してやることが、情けというものだと思うのだが?」

「…………」

 

 教師達の反論は、みるみるとその勢いを落としていき、やがて消えていった。使用人達はそもそも彼らには逆らえないので、先程から口を噤んで様子を見守っている。

 

「待ってください!」

 

 いや、堪えきれずに声をあげる者がいた。

 オルファだった。

 

「お、おい、オルファ! 止めるんだ!」

 

 ボルノーが慌てて呼び止めるも、オルファはまったく聞く耳を持たずに、シルバの正面へと躍り出た。その表情は、今にも泣きそうなほどに切迫している。

 一方シルバは、そんな彼女を面倒臭そうな顔で見下ろしていた。

 

「いったい何の用だね? 我々は色々と忙しいのだが」

「……失礼ながら、シルバ様にお伺い致します。シルバ様は、本当に彼女が盗みを働いたとお思いなのでしょうか?」

「当たり前ではないか。まったく疑いようのない“証拠”があるのだぞ? それは貴様も先程聞いたではないか」

 

 はっきりと言い切ったシルバに、オルファは拳を握りしめた。あまりにも強く力を込めているので、腕がぷるぷると小刻みに震えている。

 

「……私は、そうは思いません。アル様はここでの生活を、本当に楽しんでいらっしゃいました。そんなアル様がそんな生活を捨ててまで盗みを働くなんて、私にはどうしても思えません」

「ほぅ。そこまで言うのなら、こいつが犯人ではないという証拠があるんだろうな?」

「……証拠はありません。しかし私は、絶対にアル様が犯人ではないと思っています。その“証拠”だって、何かの間違いに決まっています! 今一度、お考え直しをしてくださいませんでしょうか!」

「つまり貴様は、我々が間違ってると言いたいわけだな。――使用人の分際で、我々“魔術師”に楯突こうとは、覚悟はできているんだろうな?」

「――――!」

 

 その言葉に、オルファは目を見開いて口元を引き結んだ。

 その瞬間、

 

 ばちぃん!

 

「――――!」

 

 厨房内で突然、何かが弾けるような音が鳴り響いた。びくん! と皆の肩が一斉に跳ね、即座にそちらへと顔を向ける。

 

「そんな――!」

 

 それを見たオルファは驚きに目を丸くし、両手で口を覆った。

 皆の視線の先には、クルスとアルの姿があった。2人はまるで内緒話でもするかのように、ほとんど密着して向かい合っていた。

 そしてクルスの手に握られた杖の先端が、アルの鳩尾にめり込んでいた。

 

「クルス、なんで――」

 

 アルは恨めしそうにクルスを見上げながら、苦悶の表情を浮かべていた。しかしすぐにふっと力が抜けたように目を閉じると、彼女に寄り掛かるように崩れ落ちた。


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