〈暴食〉のアル   作:ゆうと00

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第40話

 時刻は、陽刻6時を回った頃。

 昼食の時間ということもあり、生徒や教師が続々と食堂に集まっていた。朝食と同じように給仕達が食堂中を駆け回り、厨房では料理人達が最後の仕上げに取り掛かっている。

 そんな慌ただしい食堂の中で、ダイアは1人静かに紅茶を口にしていた。彼女の周りは未だに空席だが、じきにそこも生徒で埋まるだろう。

 そんな彼女の耳に、とある女子生徒の集団の会話が聞こえてきた。

 

「そういえば、さっきの見た?」

「えっ、さっきのって?」

「ああ、見た見た。ルークくんが、女子と一緒にどこかに行ったんでしょ?」

「えぇっ! ルークくんって、彼女いたの?」

「いやいや、彼女じゃないでしょ。だってその女子、あのバニラよ?」

 

 ぴくり、とダイアの肩が跳ねた。

 

「ああ、じゃあ違うわね。あのルークくんが、よりにもよってあんな落ちこぼれと付き合うはずないもんね」

「でもそれじゃ、なんであの子と待ち合わせしてたんだろ?」

「大方、バニラの方からしつこく頼んできたんじゃないの? ルークくん優しいから、断りきれなかったのよ」

「えぇっ、良いなぁ。私もルークくんと一緒にどこかお出掛けしたーい!」

 

 そう言ってきゃっきゃと笑う彼女達の近くで、ダイアは一人険しい表情を浮かべていた。

 

「……どういうこと?」

 

 

 *         *         *

 

 

 学院本棟の裏手にある、地面が芝生で覆われた広場。そこは学院のちょうど北側に位置し、1日を通して本棟の影となっているために薄暗く、授業のとき以外はあまり人の寄りつかない場所となっていた。

 しかしそんな広場の端っこに、ルークとバニラの姿があった。彼らは使用人が用意してくれた野外用のシートに腰掛け、朝にバニラが頼んでいた二人分の弁当を広げていた。

 生徒や教師から隠れるように、2人きりで食事をする。

 本来ならその関係性を疑われても仕方のないことなのだが、残念ながらと言えば良いのか、この2人の間にはそんな甘ったるい雰囲気は微塵も無かった。

 

「ふむ、成程。『魔術で姿を消しながら宝物庫に近づく』か……」

「で、どうかな? 可能性としては、充分あると思えるけど」

 

 2人共弁当を軽くつまみながら、それぞれ険しい表情で考え込んでいた。今はちょうどバニラが、オルファの発言をヒントに導き出した仮説を話し終わったところである。

 

「確かにそうだね。犯人だって、自分の姿は見られたくないだろうし」

「でしょ! ということは、真犯人はもしかしてリーゼンド先生――」

「いや、そうとは限らない。そもそも犯人がその手口を使ったと決まったわけじゃないんだ、先入観はなるべく持たない方が良い」

「うん、そうだよね……。それにリーゼンド先生は、緑魔術はあまり得意じゃないみたいだし」

 

 そう。どのような手段で宝物庫に近づいたにしろ、緑魔術で合い鍵を作らないと中に入れない。つまり実行犯は、合い鍵を作れるほどに緑魔術に精通している人物となる。

 

「でもそれが誰なのか、全然分かんないんだよね……。生徒や教師だけじゃなくて、使用人の中にも何人か使えるみたいだし……」

「まぁ、ちょっと聞き込みしたくらいで、すぐに犯人が見つかるとは思ってないよ。丹念に情報を集めて、こつこつと候補を絞り込んでいくしかないよ」

「もぅ……、早く犯人を見つけないと、いつアルちゃんが警察に連れて行かれるか分からないのに……」

 

 バニラは顔を俯かせて、大きく溜息をついた。視線の先には食欲をそそる弁当があるが、それに箸を伸ばす気にはなれなかった。

 

「それで、ルークくんの方はどうだった?」

「僕の方も、バニラさんと似たような状況だよ。怪しい奴を見たって情報も無いし、他の情報も犯人に直接結びつくようなものじゃなかった。――ただ、幾つか気になる情報はあったよ」

「気になる情報?」

 

 バニラの問い掛けに、ルークはこくりと頷いた。

 

「昨日の授業の中で、直前になって急遽自習になったものがあったらしいよ。しかもそのとき担任だった先生は、次の授業には何事も無かったように普通に来たらしい」

「……それって、ただ単に急用ができたとかじゃないの?」

「僕も最初はそう思ったよ。――でもその授業の担当が、シルバ先生だとしたら?」

「――――!」

 

 ルークの言葉に、バニラははっとなった。

 

「それともう1つ。昨日の放課後、シルバ先生とリーゼンド先生が一緒になって学院の外に出ていくところを、生徒が何人か目撃している」

「リーゼンド先生って……!」

 

 再び話題になったその名前に、バニラはごくりと唾を呑み込んだ。

 

「シルバ先生は盗難事件の前に不可解な行動をとり、リーゼンド先生は姿を消す魔術が使える。2人共個人的にアルを恨んでいて、しかも事件の前に2人が一緒にいるのも目撃されている……」

 

 ルークが険しい表情で腕を組みながら、つらつらと情報を並べていく。聞けば聞くほど、バニラにはその2人が怪しく思えて仕方がなかった。

 

「ねぇ、ルークくん。私には何だか、その2人が犯人だとしか思えないんだけど……」

「僕も、この2人が一番怪しいと思う。とはいえ、仮にそうだとしても、まだすべての問題が解決したわけじゃない」

 

 ルークの言葉に、バニラが苦い表情を浮かべながら頷いた。

 

「そうだよねぇ……。シルバ先生も、緑魔術が得意だなんて聞いたことないし……」

「仮にその二人が実は緑魔術も得意だったとしても、今度は“証拠”の問題がある。あれはそう簡単に用意できるものじゃない。アルに警戒されていたあの二人が、あれを調達できたとは考えにくい」

「ということは……」

「そう。あの2人が犯人だったとしても、少なくとも別に共犯者がいる」

 

 それを聞いて、バニラはますます表情を曇らせて大きな溜息をついた。

 

「……でもさ、もし犯人が分かったとしても、今度はこっちがちゃんとした証拠を見つけないと駄目なんだよね?」

「そうだね。一番確実なのは、盗まれた“トンビ”そのものを見つけることだけど……」

「でもそれって、アルちゃんが捕まってすぐに先生達で探し回って、結局見つからなかったんでしょ? もうとっくに、学院の外に持ち出されてる可能性は無いかな? リーゼンド先生なら、姿を消して衛兵の目を盗むこともできるよね?」

「それに関しては、心配いらないと思うよ。その魔術って、姿を消したまま他の魔術を使うことができないんでしょ? 魔術も使わずに周囲の塀を越えるなんてできないよ」

「そういえばそうか……。――ねぇルークくん、2人が授業のときにこっそり部屋に入って色々調べるのは――」

「それは最終手段だね。もし“トンビ”が出てこなかったら、それこそ終わりだよ。それに、2人の部屋に置いてあるとは限らない。いざというときのためにも、出来るだけ犯人は絞り込んだ方が良い」

「そっか……。――よし! とにかくどんどん聞き込みして、早く犯人を見つけないと! アルちゃんも心細いだろうし、早く助けてあげないと!」

 

 バニラは拳を握りしめて高らかに叫ぶと、先程まで一切手をつけていなかった弁当を勢いよく食べ始めた。

 そしてそんな彼女を、ルークが少し不思議そうな表情で見ていた。

 

「ん? どうしたの、ルークくん?」

「いや、あまりバニラさんとは話したことなかったけど、そういう性格だったんだね。明るいというか、活発というか……」

「べ、別に普段からこんな感じじゃないよ! ただ何て言うか……、嬉しいんだよね」

「……嬉しい?」

 

 ルークが若干目つきを鋭くしたが、バニラはそれに気づかなかった。普段から他人の顔色を伺う彼女にしてはかなり珍しかった。

 

「私、アルちゃんの力になりたいってずっと思ってたけど、所詮私なんてただの落ちこぼれだし、何にもできなかったんだよね……。でもそんな私でも、こうしてアルちゃんのために動けると思うと、凄く不謹慎だけど、つい嬉しくなっちゃうんだよね……」

 

 眉と目は苦々しく伏せられていながら、口元は緩んで笑みを浮かべるという、何とも複雑な表情を浮かべてバニラはそう言った。

 

「ははは、駄目だよね、こんなこと思っちゃ。アルちゃんは今も苦しんでるのに……」

「……別に良いんじゃないかな? どんな動機だろうと、それが結果的にアルの助けになるんだったら……」

「そ、そうかな……?」

 

 バニラは照れたように笑みを浮かべて、弁当を食べ始めた。それに倣うように、ルークも弁当へと手を伸ばす。

 その鋭い目つきは、そのままにして。

 

 

 *         *         *

 

 

 太陽もすっかり沈み、食堂での夕食も終わってしばらく経った頃。

 そろそろ生徒達が自室に戻る時間ということもあり、慌てた様子で部屋に入る彼らの姿がよく見られる。教師もこの時間を境に外を出歩かなくなるので、途端に廊下は閑散としたものとなる。

 

「……血の痕?」

「そう! あれは絶対に血だったわ!」

 

 そんな中、横に並んで歩く2人の給仕の姿があった。その内の1人は現在、今朝クルスの所に朝食を運んだときに見た光景を、もう1人の少女に若干興奮気味に話していた。

 

「……何かの間違いじゃなくて?」

「そんなことないわ! あれは間違いなく血だった! この目で見たんだもの、見間違えるはずがないわよ!」

「そうは言っても……、あのマンチェスタ様よ? いくら盗難事件の犯人だと疑われてるからって、自分が可愛がってた子をそう簡単に傷つけられると思う?」

「それじゃ私が見た、マンチェスタ様の裾とかについてた赤い液体の染みは何だって言うのよ?」

「えぇ? ……ケチャップとか?」

「馬鹿ね、あんた! どっかのつまらない喜劇じゃないんだから、そんなわけないじゃないの!」

 

 いくら廊下の幅が広いからといえ、普段の彼女達ならば横に並んで歩くなんてことはしないし、ましてや私語なんてもっての外だ。つまりはそれだけ、彼女達は油断しているのである。

 

「まぁ何にしても、その話は絶対にオルファの耳には入れないことね。せっかくヴァルシローネ様のおかげで元気を取り戻したのに、そんな話を聞いたらまた体調が悪くなるわよ」

「う……。そ、そうよね……、自重する……」

「それにもう少ししたら、ヴァルシローネ様やリヴァー様によって、アルちゃんの無実が証明されるわ。それまでの辛抱よ」

「そうね……。そうだと良いけど……」

 

 2人はそんなことを話しながら、廊下の角を曲がった。

 そして2人の目の前に、人影が現れた。

 

「――し、失礼しました!」

「い、今どきます!」

 

 2人は顔色を変えて、飛び退くようにして即座に道を空けた。しかしその人影からは何の反応も無く、険しい表情で顔を俯かせながらその場を去っていくのみだった。

 

「……様子が変ね。何かあったのかしら?」

「でもまぁ、良かったんじゃないの? もしこれが別の人だったら、今頃私達怒鳴り散らされてたかもしれないわよ?」

「そうね……、今度から注意しないと」

 

 大きな赤いリボンに結ばれた金髪が揺れる彼女の背中を眺めながら、2人はこそこそとそんな会話を交わした。


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