〈暴食〉のアル   作:ゆうと00

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第43話

 そして次の日。黒曜日。

 今日は授業が無い、いわゆる休日である。こんなとき大抵の生徒や教師は、昼前まで惰眠を貪るか、街へ出掛けるために早起きするかの2つに分けられる。

 しかし今日は、外出するには衛兵の手荷物検査を受けなければいけないこともあり、早起きする者は皆無だった。なので学院は現在、廊下を歩く者もほとんどおらず、ひっそりと静まり返っている。

 しかしそれはあくまでも生徒や教師の話であって、使用人にとっては休日だろうが普通に仕事は存在する。よって彼らはとっくに目を覚まし、自分の仕事を始めていた。

 そんな中、厨房は普段と違う喧騒に包まれていた。

 

「向こうに着いたら、ちゃんと手紙出せよ!」

「離れてても、俺達は仲間なんだからな! 忘れるんじゃねぇぞ!」

「何かあったら、遠慮無く私達に相談してね! 力になるから!」

「元気でね、オルファ!」

 

 今日はかねてより決まっていた、オルファが学院を去る日だった。盗難事件の影響で延期になる可能性もあったのだが、当初の予定通り今日に出発となった。

 そしてそんな彼女を見送るべく、どうしても外せない仕事がある者を除き、使用人達がここに集まっていた。

 

「皆さん……、本当にありがとうございます」

 

 オルファは目に涙を溜めて、彼らに向かって深くお辞儀をした。

 彼女が今着ているのは地味な色合いの服であり、その手に持つ鞄も無地の革製という簡素なものだった。前を開けたベストが、せめてもの彼女のおしゃれと言えるだろうか。

 

「それにしても、せっかくの日だってのに、結局あの嬢ちゃんは見送れなかったか……。特に仲良くしてたってのに、それが残念でならねぇよ……」

「……仕方がありません。一刻も早く、アル様の無実が証明されることを祈ります」

「おいおい、おまえはもうここの使用人じゃないんだぜ? あいつも貴族じゃないんだし、そんな仰々しく様付けなんてすることはないだろ」

「……いえ、あの方は私にとって、今でも仕えたいと思う方なんです」

「……そっか。まぁ、あいつのことは俺達がしっかり見守っておくからよ、オルファは安心して田舎に帰りな!」

 

 厨房に漂うしんみりした空気を払い除けるように、ボルノーはやけに明るい声と大げさな身振りでそう言った。

 

「……はい、そうして頂けると安心します。どうかよろしくお願いします」

 

 オルファはくすくすと笑うと、再び頭を下げた。同僚に対しても礼儀正しい彼女の姿に、使用人達も同じように笑みを浮かべて次々と了承の返事をする。

 そうこうしている内に、オルファの出発する時間が近づいてきた。

 

「それでは皆さん、お元気で」

「おう。本当に、見送らなくて良いのか?」

「はい、皆さんもお仕事があるでしょうし……。それに皆さんの姿を見ていると、未練が残ってしまいそうで……」

「……そうか。元気でな」

「元気でね、オルファ!」

「向こうに着いたら、ちゃんと手紙出してよね!」

 

 ボルノーの言葉を皮切りに、他の使用人達も次々と別れの挨拶を口にした。オルファは最後に彼らを見渡してお辞儀をすると、くるりと踵を返して歩き出した。

 入口へと向かっていく彼女の後ろ姿を、彼らは目に涙を浮かべてじっと見つめていた。

 そしてそれは、ドアが閉まって彼女の姿が見えなくなるまで続けられた。

 

 

 *         *         *

 

 

「…………」

 

 厨房のドアを閉めたオルファは、ちらりと後ろに目を遣ると、誰もいない廊下をすたすたと歩いていった。

 その目からは、すでに涙は消えていた。

 玄関ホールから外に出ると、広場をまっすぐ突っ切った先に学院唯一の門がある。そこで衛兵による手荷物検査を受けた後、前もって呼び出した馬車に乗る手筈となっている。

 しかしオルファはその門へ向かわず、なぜか直角に曲がって本棟に沿って歩いていくと、そのまま学院の裏手にある広場へと足を踏み入れた。

 そこは学院のちょうど北側に位置し、一日を通して本棟の影となっているために薄暗く、授業のとき以外はあまり人の寄りつかない場所となっていた。

 何か特別なものがあるわけでもなく、学院を去る彼女がわざわざ立ち寄るような場所にも思えない。しかし彼女は時折ちらちらと視線を泳がせながら、その広場を迷い無くまっすぐ歩いていった。

 そしてとある地点までやって来ると、そこでぴたりとその足を止めた。

 

「…………」

 

 彼女は何かを確認するように地面を何回か踏みしめると、ベストのポケットから杖を取り出し、地面に向けて小さく呪文を唱えた。

 すると次の瞬間、ぼこんっ! と音をたてて、彼女の足元に小さな穴が空いた。それは地面が掘り返されたというよりは、蓋をしていた土が崩れ落ちたような感覚だった。

 そして彼女はその場にしゃがみ込むと、穴の中に手を突っ込んだ。そして手を抜き取ったときには、そこに何かが握られていた。

 

 それは、奇妙な物体だった。

 全体的にL字型をした黒いそれは、金属のようなものでできていた。先端は細長い筒状で、その根本には蓮根の形をした大きな筒が組み込まれている。その下部には鉤状の突起物がついており、ちょうど持ち手の人差し指を伸ばせば引っ掛けられる場所にある。同じような突起物はそれの裏側、持ち手の親指を伸ばした先にもあった。

 オルファは土で汚れたそれを軽く手で払うと、ベストの内側にあるポケットに――

 

「――――!」

 

 しまう直前、突然身を低くして右脚を鋭く後ろに突き出した。

 

「ぐはぁっ!」

 

 すると何も無いはずの空間で、突然男性の声がした。オルファはにやりと笑みを浮かべてゆっくりと振り返った。

 彼女の見つめる中、空間に突如歪みが生じた。その歪みはだんだんと人間の形を形成していき、そして濃い霧から抜け出したように、すぅ、と色がついていく。

 そうして姿を表したのは、リーゼンドだった。彼は腹を手で押さえて片膝をつきながら、苦しげな表情でオルファを睨みつけている。

 一方彼女は、そんな彼を涼しい顔で見下ろしていた。

 

「あら、リーゼンド様ではありませんか。厨房を出たときからずっと気配を感じていたので、てっきりどこかの不審者かと勘違いしてしまいました」

「……まさか本当に、給仕が盗難事件の真犯人だったとは……。にわかには信じ難いですが、“トンビ”の在処を知っていたことから見て、間違いなさそうですね……」

 

 リーゼンドは彼女がその手に持つ、金属製の黒い物体――“トンビ”を見つめながらそう言った。

 

 

 *         *         *

 

 

「オルファという給仕が、盗難事件の真犯人ですって? バニラさん、もっとましな嘘は無かったのですか?」

 

 昨日の夜、突然部屋を飛び出したバニラが放った言葉を、リーゼンドは当然ながら信用することができなかった。

 

「本当なんです! 証拠らしいものはまだ見つかっていませんけど、彼女が犯人だと考えるとしっくり来るんです!」

 

 しかしバニラは諦めず、彼をまっすぐ見据えてそう言い返してきた。

 

「ほう。そこまで言うのなら、その給仕が犯人だという根拠を聞かせてもらいましょうか」

「分かりました。――事件があったその日、宝物庫に近づく怪しい人物を見たという証言が1つもありませんでした。私は最初、犯人は魔術で自分の姿を消して近づいたのかも、と思っていましたけど――」

「成程、それで私を疑ってたわけですね」

 

 リーゼンドの言葉を無視して、バニラは話し続ける。

 

「彼女ならば、どこで誰がどの時間に働いているかを把握して、他の使用人に見られずに動くことができます。それに万が一生徒や教師に見られても、使用人である彼女が気に留められることはありません」

「ふむ……。目撃証言が無い理由としては、及第点といったところでしょうか。――しかし宝物庫に侵入するためには、緑魔術で合い鍵を作らなければいけないはずでしたよね? その給仕は、それができるほどに緑魔術に精通しているのですか?」

 

 或る意味当然であるリーゼンドの問い掛けに、バニラは若干顔を俯かせてこう答えた。

 

「分かりません」

「……分からない?」

「はい。使用人の誰もが、彼女が緑魔術を使ったところを見たことがありません。――でももしそれが、最初から宝物庫の中身を盗み出すための計画だとしたら……?」

「緑魔術が使えることを、隠しておく必要があったと。まぁ、理論の穴を埋める屁理屈くらいにはなるでしょう。――ですが今のままですと、彼女に限らず使用人の大半が容疑者候補のままですよ。彼女が犯人だと決定づける根拠は何ですか?」

「はい、アルちゃんが犯人だと決めつけられた“証拠”です」

「……ああ、あれですか」

 

 その“証拠”の内容を思い出し、リーゼンドは1人頷いた。

 

「そもそもあの“証拠”は、一から用意するのが非常に難しい代物です。しかも誰の目から見ても、それがアルちゃんのものだと分かってしまった。だからこそアルちゃんは、犯人だと決めつけられたんです」

「まぁ、それはそうでしょうね。

 

 緑色の長い髪の毛が数本、そんなものが宝物庫に落ちてたら、誰もがあいつが犯人だと思うに決まっています。

 

 それで、まさかバニラさんは、その“証拠”すらもその給仕が緑魔術で作り出した、とか言うつもりじゃないですよね?」

 

 その問い掛けに対しては、バニラは力強く首を横に振った。

 

「いいえ、その髪の毛自体はアルちゃんのもので間違いありません」

「ほう。それじゃ、どこかから拾ってきたとでも?」

「はい、そうです。でもどこから拾ってきたのかが、さっきまで分かりませんでした。アルちゃんの部屋はいつも綺麗に掃除されているみたいだし、一番有力だったお風呂場も、アルちゃんが入った後すぐに、アルちゃんを含めた複数の使用人によって掃除されるそうです」

「それでは、髪の毛を拾うなど不可能じゃないですか。やはり犯人は――」

「いいえ。拾ってくるのが駄目なら、本人から直接貰えば良いんです」

「……何を言っているのですか?」

 

 意味が分からないと言いたげなリーゼンドに、バニラが尋ねる。

 

「リーゼンド先生は、櫛で髪を梳かしたことはありますか?」

「……突然何ですか? まぁ、風呂上がりに軽くはやりますが……」

「そのとき、自然に抜けた髪の毛が櫛に絡まったことはありませんか?」

「――成程、そういうことか」

 

 その質問で、リーゼンドはバニラが何を言おうとしているのか理解した。

 

「そのオルファって給仕は、ほとんどアルちゃんの世話係もやっていたそうです。女の子の世話係ならば、お風呂上がりに髪を梳かす仕事があっても不思議ではありません」

「つまりその給仕なら、櫛に絡まったあいつの髪の毛を抜き取り、宝物庫にそれを置いていくことも可能だと……」

 

 リーゼンドの言葉に、バニラはこくりと頷いた。そして彼女がそれきり口を閉ざしたところを見ると、彼女の推理は以上で終了ということだろう。

 リーゼンドは顎に手をやると、しばらくの間考え込むように目を閉じた。その様子を、バニラが緊張した表情で見守っている。

 やがて、リーゼンドが目を開けた。

 

「確かにそれなりに考えられているだけあって、可能性としては無くもないといったところでしょうか。しかし所詮は、素人らしい不充分な推理ですね。そもそも証拠が無ければ、彼女が犯人だと証明することができない」

 

 この程度の結論は、バニラにとって想定内である。むしろ頭ごなしに否定されなかっただけ御の字だろう。

 

「だったら、もし彼女が盗まれた“トンビ”を持っていたとしたら、彼女が犯人だと認めてくれるということですね?」

「ふむ、確かにそれなら……。しかし事件が発覚したとき、我々で学院中は隈無く探し回りましたよ。その中には当然、使用人の部屋も含まれています。彼女が隠し持っている可能性は無いでしょう」

「もし彼女が犯人だったら、彼女は緑魔術の使い手ですよ? 地面の中にでも埋めてしまえば、まず見つかることはありません」

「しかしですね……」

 

 これだけ説得しても消極的なリーゼンドに、バニラは切迫した表情で彼に縋りつくように詰め寄った。

 

「お願いします、先生! 彼女は明日の朝にここを辞めてしまいます! 絶対そのときに、盗んだ“トンビ”を持って行くはずです! そうなったら、“トンビ”は二度と帰ってこないかもしれないんですよ!」

「学院の外に出るには、衛兵による手荷物検査を受ける必要があります。仮にそいつが真犯人だったとしても、そこで見つかって捕まるでしょう。わざわざ私が出向くまでもありませんよ」

「もし彼女がむりやりにでも突破したらどうするんですか! 明日の朝、確実に“トンビ”を持っている彼女を捕まえないと駄目なんです!」

「……そうは言っても、いまいちきみの話は信用できないというか――」

 

 わざとらしくそう言って渋る態度を見せるリーゼンドだったが、

 

「お願いします、先生! 先生しか頼れる人がいないんです!」

 

 バニラのその言葉に、ぴくり、と彼の肩が跳ねた。

 

「……私しか? シルバ先生にでも頼めば良いじゃないですか」

「シルバ先生に頼んでも引き受けてくれるとは思えませんし、それどころか私達をさらに厳しく監視するようになるかもしれません。先生のあの魔術なら、彼女に見つからずに後をつけることができますよね!」

「……まぁ、確かに可能だが」

 

 リーゼンドは口元に手を当てて、バニラから顔を逸らしてそう言った。平静を装っているようだが、その口元がにやけているのをバニラは見逃さなかった。

 

「もし彼女が犯人じゃなかったら、罰でも何でも受けますから! お願いします!」

「……仮にも生徒であるきみにここまで熱心に頼まれては、教師である私が応えないわけにはいきませんね。何ならそのオルファって子も、私が捕まえてあげましょうか」

「……ありがとうございます!」

 

 パァッと満面の笑みを浮かべて深くお辞儀をするバニラに、リーゼンドは口元をにやつかせながら胸を張って応えた。

 

 

 *         *         *

 

 

 こうして昨日の夜は自信たっぷりだったリーゼンドだが、実際には彼の尾行はオルファにばれ、捕らえようとしたところで強烈な一撃を腹に見舞われるという有様だった。

 

「……なぜです? 私の《トリック・アート》は完璧だったはずですが」

「あの魔術、そんな名前だったんですね。確かに魔術自体は完璧でしたが、リーゼンド様自身がお粗末でいらっしゃいます。気配も碌に隠さず足音も消そうとしなければ、せっかくの魔術も意味がありませんよ」

「……成程、次からは気をつけることにしましょう」

「ふふふ、“次”があれば良いですけどね」

 

 微笑みを浮かべてそう言うオルファをじっと睨みつけながら、リーゼンドは地面に落ちた杖を拾ってゆっくりと立ち上がった。

 

「あら、もしかしてリーゼンド様、私と戦おうとお思いですか? 戦闘科の教師でもない、単なる研究家でしかないあなたが?」

「……あまり私を嘗めないで頂きたいものですね。私はイグリシア魔術学院に勤める教師なんです。たとえ研究科の教師だろうと、あなたを捕まえる程度の実力はあるんですよ」

 

 そう言ってオルファに杖を向けるリーゼンドだったが、当の彼女はそれを聞いても口元の笑みを崩すことはなかった。

 

「……何が可笑しい?」

「ふふふ……、リーゼンド様は気づいていらっしゃらないようですね……。残念ながら、最初に私を捕らえ損ねた時点で、すでにあなたの敗北は確定しているんですよ?」

「……何だと?」

 

 笑顔で放たれたオルファの言葉に、リーゼンドの目つきが鋭くなる。

 

「だってそうでしょう? リーゼンド様の実力は、あくまでも姿を消す魔術などで相手の不意を突いてこそのものであって、直接的な攻撃力ではないんですから」

「…………」

 

 眉を寄せて口元を歪めるリーゼンドの沈黙が、彼女にとって何よりの答えだった。

 

「アル様との戦いは、私も聞かせて頂きました。せっかく姿を消したというのに、肝心の攻撃は直接殴りつけたり、せいぜい赤魔術で炎を飛ばすだけ。……まさしくこれは、いまいちぱっとしない魔術師の典型ですね」

「貴様――!」

 

 リーゼンドは思わず声を荒げるが、残念ながらそれ以上言い返すことができなかった。

 赤魔術は学院で最初に学ぶだけあって、他の魔術に比べて難易度がかなり低い。しかも闇雲に炎を飛ばすだけでもそれなりに戦えてしまうため、たいして腕を磨かなくてもどうにかなってしまう。

 なので赤魔術を主体にする魔術師は数多くいるが、その分中途半端な実力のまま成長しない者が多いのも、また事実なのである。

 

「でもまぁ、もしかしたら――リーゼンド様にも――、私の把握していない“可能性”というものが――あるのかもしれません――。なので……」

 

 リーゼンドが違和感を覚えたときには、すでに遅かった。

 台詞の中に呪文を紛れ込ませることで魔術の発動条件を満たしたオルファは、地面に杖を向けて魔術を発動させた。

 すると、彼女の足元の地面が突然沸騰したようにぼこぼこと盛り上がり、ぼごん! と腕のようなものが飛び出した。そしてそれは地面を大きく掘り返しながら、彼女を守るように姿を現した。

 それはリーゼンドの三倍もの大きさを誇る、岩を寄せ集めて作られたゴーレムだった。3頭身くらいの不格好な人間の形をしたそれは、赤色の石が2つついた目らしきものでまっすぐ彼を見つめている。

 

「とりあえずリーゼンド様は、そのゴーレムの相手をなさってください。ちなみに申し上げておきますと、ちょっとやそっとでは壊れない造りにしていますので、ご了承を」

「……くそっ!」

 

 そこに存在するだけで威圧感を放つゴーレムを目の前にして、リーゼンドは思わず悪態をついた。


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