「はい、これでひとまずは安心だよ」
学院の保健室にて、先程まで白魔術で治療をしていたシンは、杖を懐にしまいながらそう言った。ルークは未だに眠ったままだが、治療の専門家である彼の言葉にバニラもホッと胸を撫で下ろす。
「ありがとうございます、シン先生!」
「いやいや、怪我自体はたいしたものじゃなかったから。後遺症も残らないだろうし、しばらく眠ったらすぐに動けるようになるよ」
腰が直角に曲がるほどに頭を下げるバニラに対し、シンはベッドで静かに横になるリーゼンドをちらりと見遣ってそう答えた。
「それにしても、ルークくんとリーゼンド先生を退けて、まんまと逃げおおせるとは……。そのオルファって子は、かなりの実力者と見て間違いないね」
シンのその言葉に、バニラは悔しそうに唇を噛んだ。まさか学年一の優等生であるルークがここまで手酷くやられるとは思っておらず、自分に協力したばかりに大怪我を負わせてしまったと思ったからである。
「はい……、まさかあんなに強い子が、ここの給仕として潜入していたなんて……。結局、“トンビ”も持って行かれちゃったし……」
「とりあえず王室に報告して、彼女を指名手配してもらうしかないね。学院としてはかなり肩身の狭い思いをするだろうけど、国外に逃げる可能性もある以上は仕方ないよ」
シンの言葉に、バニラは顔を俯かせて表情を曇らせた。
「……もし捜査をしていたのが私じゃなかったら、オルファを捕まえることができたんでしょうか?」
「いや、それはどうだろうね。少なくとも、バニラさんが捜査したおかげで、犯人がその子だって分かったんだ。それだけでも、バニラさんは充分な働きをしたと言える」
「でも、ルークくんがやられたとき、私は何もできなかった……」
今にも泣きそうな表情を浮かべて、バニラが顔を俯かせていると、
「ごめん、僕の責任だ」
その声に、シンとバニラが同時にそちらへ顔を向けた。
リーゼンドの眠るベッドの隣で、ルークがあぐらを掻いて沈痛な表情をしていた。シンの魔術は既に効果を発揮しており、見た目には傷1つついていなかった。ちなみに彼の制服はかなり泥で汚れていたので、今は病人用の簡易な服を着ている。
「シン先生の言う通り、バニラさんはとても頑張ってくれたよ。――悪いのは僕の方だ、彼女と直接戦っておきながら、まんまとやられたんだから」
「な、何言ってるの! ルークくんは何も悪くないよ!」
バニラが必死に弁明するも、ルークは黙って首を横に振った。
「戦っていたときから何となく感じていたけど、今振り返ってみて確信した。――彼女は、ただ遊んでいただけだったんだ」
「……遊んでいただけ?」
「そう。あれだけ自由に地面に潜れて、僕達を攪乱することができたのなら、逃げようと思えばいつでも逃げられたはずだ。――それなのに彼女は、わざわざ僕達と戦うことにした。それはなぜだと思う?」
「そ、それは……、自分が犯人だと知ってる私達を始末するためで――」
「だけど結局、彼女は1人も殺さなかった。――それに彼女は、どんな手段を使ったか分からないけど、杖無しで魔術を発動することができる。にも拘わらず、僕に杖を落とされるまで律儀に杖を使って戦っていた。わざわざそんなハンデを負って戦う合理的な理由が、僕にはまったく思い浮かばない……」
「……だから、遊んでいたってこと?」
バニラの問い掛けに、ルークはこくりと頷いた。
「そうだ……。彼女はわざわざ僕のレベルに合わせて戦っていたんだ。そして必死に立ち向かってくる僕を、心の中で面白おかしく眺めていただけなんだよ……!」
ぼすんっ! とルークはベッドに拳を突き立てた。悔しそうに奥歯を噛みしめ、ぷるぷると肩を震わせている。
バニラは今まで、そんな彼の姿を見たことがなかった。目の前にいる優等生は常に冷静沈着で、滅多なことで感情を顕わにする人物ではなかった。
彼の初めて見る姿に、バニラは戸惑いを隠さずにはいられなかった。
と、そのとき、
「おやおや、結局犯人を捕り逃がしてしまったのか。まったく情けない」
部屋の入口から突然聞こえた声に、未だに眠るリーゼンドを除く全員が、一斉にそちらへと顔を向けた。
そこにいたのは、いかにも相手を見下すような顔つきをしたシルバだった。彼は部屋中を見渡すと、リーゼンドの辺りでその動きを止め、フンと鼻で笑った。
「まったく、仮にもここの教師である人間が盗人を捕り逃がすとは……。いったいどれだけ、この学院に泥を塗れば気が済むというのだ……?」
「……真犯人を知っておきながら知らんぷりを決め込んだシルバ先生が、今更私達に何の用ですか?」
さすがに我慢の限界だったのか、バニラは怒りを顕わにしてシルバと対峙した。
しかし彼はそれを気にする様子も無く、それどころかあからさまに無視するようにシンへと視線を移した。
「シン先生、怪我人の状況はどんなものですかな?」
「とりあえず、深刻な症状ではなかったので、もう治療は済んでいます。しばらく休んだら、じきに目を覚ますかと」
「そうか、それは良かった。――先程王室に向けて、今回のことに関して伝書を飛ばした。おそらく今日の夜か明日の朝にでも、ロンドの警察がこちらにやって来るだろう。そのときまでには、リーゼンド先生も事情を話せるまでには回復していると良いが」
シルバはそこで一旦言葉を区切ると、こう続けた。
「あの乞食を引き渡すのは、そのときでも良いだろう」
「――ちょっと待ってください!」
当然ながら、バニラはそれを聞き逃さなかった。ルークも口を閉ざしてはいるが、鋭い目つきでシルバを睨みつけている。
「盗難事件の真犯人はオルファです! 最初から“トンビ”を盗むのが目的で、給仕としてここに潜り込んでいたんです!」
「ああ、確かにそいつが実行犯で間違いないだろう。――しかしだからといって、どうしてあの乞食が犯人ではないと言い切れるんだね?」
「…………、は?」
シルバの言っていることが一瞬理解できず、バニラは思わず変な声をあげてしまった。
「つまりその給仕と、乞食がグルだったということだ。“証拠”である髪の毛も、あいつが直接渡したのなら説明もつく」
「な、何のためにそんなこと――」
「そんなことは簡単だ。自分が囮となって目立つことで、実行犯であるその給仕から我々の目を逸らすためだ。現に我々は、まんまと奴の策に嵌るところだった」
「それはシルバ先生が勝手に――」
「そしてあいつ自身は、盗みを働いていない。だからたとえ捕まったとしても、学院長があいつの無実を証明してくださることで、何の問題も無く放免されると踏んだのだろう」
「…………」
バニラの発言を遮って捲し立てるシルバに、バニラは口をあんぐりを開けたまま呆けてしまった。もはや怒りを通り越して、その目には同情的ですらある。
「シルバ先生――」
「だからこそ、今ここで安易にあいつを出してしまうのは危険だ。その瞬間にも我々に反旗を翻し、ここから逃げてしまうかもしれないからな。貴様はそうなってしまったとき、その責任が取れるのか?」
「責任って――」
「それでも私にあいつを出してほしいと言うのならば、あいつがその給仕と繋がっていないという決定的な証拠を持ってきたまえ。そうしたら、あいつを釈放してやろう」
「…………」
バニラは何も言う気になれずに押し黙り、ベッドの上でそれを聞いていたルークは露骨に呆れたような表情を見せ、シンは人知れず大きな溜息をついた。
そしてルークがシルバに何か言おうと口を開きかけた、
そのとき、
「心配しなくても大丈夫だよ、シルバ。別にわたし、逃げないもん」
部屋の入口から突然聞こえた声に、未だに眠るリーゼンドを除く全員が、一斉にそちらへと顔を向けた。
そこにいたのは、にこにこと笑みを浮かべるアルと、彼女の後ろで腕を組むクルスだった。何日も部屋の閉じ込められていたせいで若干薄汚れているが、怪我をしている様子も疲弊している様子も無い。
「――アルちゃん!」
「やっほー、バニ――ちょっ!」
バニラは顔を綻ばせてアルに駆け寄り、そのまま体当たりするように抱きついた。アルは最初驚いていたが、彼女の方が体は小さいにも拘わらず、まったく後ろに仰け反ることなくバニラを受け止める。
「お疲れ、アル。元気そうで何より」
「まぁね。そっちは……、へぇ、オルファってそんなに強かったのか」
ベッドに座るルークの姿に色々察した様子のアルだが、それはどうやらルークも同じようである。
「……成程、アルは真犯人に目星が付いてたのか。だったら初めからアルに訊けば良かったね」
「いやぁ、それは無理でしょう。シルバ達が見張ってたもん」
バニラに抱きつかれたままのアルがルークに答えている間、シンとクルスの間でも久々の会話を交わしていた。
「やあ、久し振りだね、クルス」
「ええ、そうね。――ていうか、あんた、全然真犯人捜しをしなかったそうじゃない。私も何気に危なかったってのに、あんたには情というものが無いの?」
「クルスともあろう人が、大人しく警察に捕まるとは思えないから、特に何もしなかっただけだよ」
「……本当に、あんたって奴は」
一切悪びれる様子の無いシンに、クルスは呆れたように彼を睨みつけた。自主的とはいえ狭い部屋に閉じ籠もっていたせいか、普段に比べるとその迫力も幾分か控えめのようにも感じる。
そしてシルバはというと、
「……貴様、なぜここにいる! どうやって部屋を抜け出したかは知らんが、とうとう本性を表したな! そんなにあの部屋が嫌なら、牢獄にでも叩き込んでやろうか!」
「まぁまぁ、そんなに怒らないで。別にわたしは、あの部屋をむりやり出たわけじゃないよ。ただ、わたしを出してくれるって人がいるから、喜んでそれに甘えただけで」
「誰だ、そんなふざけたことをしたのは! どいつもこいつも私を嘗めおって、そいつも一緒に警察に引き渡してやろうじゃないか!」
シルバは顔を真っ赤に染めて、今にも懐の杖を抜きそうな勢いでそう捲し立てていた。
そんな中、保健室に近づく人影がもう1つあった。
「あら、私も警察に引き渡されてしまうのですか。それは何とも恐ろしいですね」
「――――!」
その声が聞こえた途端、シルバはその顔をみるみる真っ青に染めて、びくんっ! と全身を強張らせた。そして恐る恐るといった感じに、ゆっくりとした動きで入口へと顔を向ける。
そこにいたのは、白髪混じりの赤い髪を携えた、物腰の柔らかそうな女性の老人だった。にこにこと笑みを浮かべる彼女の目尻や口元には深い皺が刻まれ、見る者に安心感を与える暖かな雰囲気を醸し出している。見た目には70歳はとうに過ぎているであろう彼女だが、その立ち振る舞いは非常に若々しく、しっかりとした足取りに背筋もピンとまっすぐ伸びている。
そんな彼女を目の前にして、シルバはがくがくと膝を震わせながら、ようやくこれだけを口にした。
「が、学院長……!」
「お帰りなさいませ、学院長。お帰りはもう少し遅かったはずでは?」
シルバがこれ以上話せない様子なので、代わりにシンが学院長に尋ねた。
「ええ、せっかく久し振りに会えたのだし、もう少しゆっくりするつもりだったのだけど、盗難事件があったみたいですし、少し早く戻らせて頂きました」
「そ、そのことで、学院長に話があります! この度の盗難事件は、そこにいるアルという少女が関わっているのです!」
シルバがシンを突き飛ばすように、学院長の目の前に割って入った。それを聞いたバニラが口を開こうとするが、横から伸びたクルスの手に塞がれてしまう。
「シルバ先生のお話は、先程も聞かせて頂きました」
「それなら、なぜ学院長はそいつを部屋からお出しになってしまわれたのですか!」
「あら、おかしなことを言うのですね。オルファという使用人と共犯である可能性は、シルバ先生もあるではないですか」
瞳の奥を光らせてシルバを見つめる学院長に、彼は目を丸くして息を呑んだ。
「な、何を――」
「いえ、むしろ可能性としては、そちらの方が高いですね。だってシルバ先生、是が非でもアルさんを犯人に仕立てたかったようですし、バニラさんに真犯人を捕まえるようにお願いされても動かなかったようですし」
「そ、そんなことは――」
「事件の直前、リーゼンド先生と何やら話していたそうですね? それ自体は今回の事件には無関係ですが、そこで『宝物庫の中身を持ち出し、彼女がそれを盗んだことにして陥れる』という計画を企てていたところを見ると、遅かれ早かれこの事件は起こったでしょうね」
びくんっ! とシルバの体が跳ねた。どうやら彼は学院長を前にすると、極端に嘘が下手になるようだ。
「ご、ご覧になっていたのですか……。わざわざ学院の外に出て話したというのに……」
「なのでシルバ先生からしたら、自分の手を汚す前にこんな事件が起こって、むしろ真犯人に感謝していたところでしょうね。まぁ、だからこそオルファは、アルさんを犯人に仕立てる方法を思いついたわけですが」
「いや、あの――」
つい数分前にシルバがバニラに対して行っていたことを、今度は学院長がシルバに対して行っていた。
そして横でそれを聞いていたバニラとルークは、自分がいなかったときに起きた出来事を完全に把握している学院長に、恐れにも似た驚きの表情を浮かべていた。
「いずれにせよ今回の事件は、私も含めた全ての教師達の怠慢が引き起こしたものです。犯人は逮捕されて然るべきですが、我々がすべきなのは責任の押し付け合いではなく、二度とこういうことが起きないようにどうすべきか話し合うことではないですか?」
「……はい、学院長のおっしゃる通りです」
観念したように頭を下げるシルバに、学院長は満足そうに微笑んだ。
そして、くるりとアルの方へ向き直ると、
「そういうわけで、アルさんの疑いは完全に晴れました。今まで不自由させてごめんなさいね。このことは他の先生方や生徒達にも、きちんと話しておくから」
「うん、分かった」
「良かったね、アルちゃん!」
バニラはそう言うと、再びアルに抱きついてきた。今度は予想していたのか、アルは特に驚くこともなく彼女を受け止めた。
「…………」
そうして笑い合うアル達を、シルバはただ黙って睨みつけていた。
* * *
「それにしても、アルの冤罪が晴れて本当に良かったわ。シルバ先生が思ったよりも悪あがきしてきたときはどうなるかと思ったけど、学院長のおかげで全部丸く収まったし」
それから2時間ほど後、クルスの姿はシンが常駐する保健室にあった。数日ぶりに姿を現したときは薄汚れていた彼女だが、風呂に入ったこともあって今はすっかり綺麗になっている。
彼女は薄手のラフな格好でベッドに腰掛け、しっとりと濡れた金色に輝く髪をタオルで拭っている。本人は普通にしているつもりだが、ほんのりと上気した頬は妙な色気を放っており、元々の美貌も相まって、世の男性達が見れば思わず釘付けになってしまうこと間違い無しだ。
もっとも、昔から彼女のことをよく知っているシンが今の彼女の姿を見ても、呆れを多分に含んだ溜息しか出てこないが。
「……クルス、事あるごとに僕の部屋にやって来るのは止めてくれないかな? 暇に見えるかもしれないけど、これでも一応仕事があるんだよね」
「良いじゃない。どうせあんたのことだから、そんな仕事すぐにでも終わらせられるでしょ?」
「……というか、あれは“全部丸く収まった”って言えるの? 真犯人が“トンビ”を持って逃げたことを差し引いても、アルがそいつの仲間だって疑惑は完全に拭いきれていないでしょ?」
「まぁね。正直なところ、これからますますあの子に対する風当たりが強くなっていくでしょうね。でもまぁ、今回の騒動で少なくとも“あの2人”は彼女の味方だって分かったし、何とかなるでしょ。――それに、あんただって色々と協力してくれるでしょ?」
「……まぁ、僕としても彼女には色々と興味があるから、別に構わないんだけど」
断定的な物言いに何か言いたいことが無い訳でもなかったが、それを呑み込んで頷いてみせたシンに、クルスは満足そうな笑みを彼に向けた。
「それで、こうしてわざわざ僕の部屋に来たってことは、また彼女に関して気になることでも見つけたの?」
シンの質問が契機となったのか、クルスは視線を明後日の方へ向けて何かを考えながら、言葉を選ぶようにポツポツと話し始めた。
「――シン。私はここ数日間あそこに閉じ込められていたけど、というか自分から閉じ籠もることを選んだんだけど、正確に言うとあの部屋にずっといた訳じゃないのよ」
「うん、そうだろうね」
2人が閉じ籠もっていた地下室の出入口は1つだけで、そこから伸びる階段の先には常に誰かしらの監視があった。なのでクルスが外に出る際には、必ずその人物の目に留まることになる。
クルスが部屋から抜け出すと、その人物がアルの様子を見に地下室へ入る恐れがある。もしそうなったらアルがクルスから拷問を受けていないことがバレて、状況は一気に最悪の事態へ向かう恐れがあった。
それでもクルスは、定期的に部屋の外へ出る必要があった。
例えば、トイレとか。
「あの部屋はそもそも倉庫代わりに使ってたから、トイレなんて設備は無いのよね。だからトイレの時間が一番気を遣ったのよ。できるだけシルバ先生とかリーゼンド先生が監視についてる時間帯を避けて、監視してる人に絶対に部屋に入らないよう念押ししたり」
「それでも興味本位とかで部屋に入られる危険性はあったでしょ?」
「万が一にもアルが逃げ出さないように、ドアには触れただけで強力な雷が流れるように細工した、って言っといたの」
「まぁ、それならあの2人以外の人は部屋に入らなくなるか。――それにしても、こうして改めて訊くと随分な綱渡りだったね。もしあのタイミングで学院長が帰ってこなかったら、かなりマズイことになってたと思うよ」
「ええ、私もそう思うわ。本当、学院長には感謝ね」
シンの言葉に同意するように、クルスは腕を組んで頻りに頷いていた。
「それで、気になることって?」
「…………」
そしてシンが改めてその話題を振ると、クルスの頷きがピタリと止まった。眉間に皺を寄せるほどに深刻な表情で考え込む仕草をしてから、ゆっくりとした口調で話し出す。
「――この数日間、アルは一度もトイレに行ってないのよ」
「…………、えっ?」
それを聞いた瞬間、シンも信じられないといった表情で目を丸くした。
「2人がいた部屋には、クルスの分の食事が運ばれていたよね。彼女はそれを食べていなかったってこと?」
「いいえ、それぞれ半分ずつ食べていたわ。普段の彼女からしたらごく僅かな量だろうけど、それでも普通に過ごしていられるだけの食事だったはずよ」
「そうだよね。現にクルスはその間も、何度もトイレに行ってるし。――クルスも知らない内にこっそり部屋を抜け出して、こっそり用を足して帰っていたとか?」
「いや、それは無理よ。いくら彼女が並じゃない身体能力を持ってたとしても、姿を消して物を擦り抜けられる魔術でも使わない限り、誰にも気づかれずにあの部屋を抜け出すなんて不可能よ」
「……クルスに気づかれないよう、こっそり部屋の中で――」
「柱すら無いあの部屋で、どうやって気づかれずに用を足すっていうのよ? 一発でバレるわよ」
そこでシンの質問は終わり、彼は頭を抱え込む勢いで残る可能性を必死に模索する。
そんな彼に対して、クルスから追い討ちが掛けられる。
「今まで気にもしていなかったら気づかなかったけど、今にして考えてみれば、あの子がトイレに行くところを今まで見たことが無いのよね。普段からあんだけ大量の食事をしていながら、あの子自身はむしろ痩せてる部類に入るのよ? 全部が吸収されてるとは思えないし、演習以降は大して体を動かしていないから消費されてるとも思えないし……」
だとすると、アルが口にしたあの大量の食物は、いったいどこに消えたのだろうか。
「……何もそこまで“規格外”にならなくても良いじゃないか」
思わず呟いたシンの言葉に、クルスも無言で頷いて同意した。
2人しかいない保健室には、何とも微妙な空気が流れていた。
第3章 終了
次回から第4章に移りますが、勝手ながらこの章は週1更新とさせていただきます。