ロンドの中心地にある時計塔は、王都のランドマークとして外の人間にも広く知られている。そんな時計塔の足元は公園となっており、石畳の多いロンドには珍しい芝生が敷き詰められ、中央には小鳥が水を飲む光景も見られる噴水が設置されている。建物が密集するロンドにおいて、その場所は開放感に溢れた憩いの場である。
そんな憩いを求めて、広場には多くの人がいた。ベンチに座る老夫婦や、大はしゃぎで芝生を駆け回る小さな子供達、肩を寄せ合って歩くカップルなど、様々な人々が思い思いの方法で人工的な自然を楽しんでいる。
そんな笑顔溢れる空間で、深刻な顔つきで重々しい雰囲気を放ちながらベンチに座る1人の女性がいた。それは周りの通行人にも伝わるほどであり、多くの人が行き交うその広場で彼女の周辺だけ不自然に閑散としている。
彼女の傍にいられる人物など、彼女の隣に座る大柄な体に温和そうな顔つきをした男性くらいだろう。
「……以上が、部下からの報告となります」
そんな女性・メリルの口から、ぽつりと力無く言葉が漏れた。隣に座る男性・ヴェルクに聞こえていないのではと心配になるほどの声量だったが、彼はメリルへと視線を向けて「成程」と小さく頷いた。
つい先程までメリルは、第38地区での出来事に関する部下からの報告をヴェルクに説明していたところだった。《シェア・センス》によって直接脳内に声が聞こえてくる彼女とは違い、公には捜査メンバーと認められていないヴェルクは警察同士の遣り取りが聞こえないのである。
「まさかここまで、あからさまな行動に出るとは思いませんでした。――それで、どうするのですか? 捕まえますか?」
「いえ、街中で戦闘にでもなったら、確実に周りを巻き込むことになります。なのでしばらくは〈火刑人〉を泳がせながら監視して、タイミングを窺う手筈だったのですが……」
メリルはそう言うと、悔しそうに奥歯を噛みしめて俯いた。
「とにかく私は、メアリー街へ向かうことにします。奴がいつまでもそこにいるとは思えませんが、現場の指揮を執る私が様子を見ないことには……」
「分かりました。それでは僕も、そろそろ単独で動かせてもらいます」
ヴェルクがそう言ってベンチから立ち上がったことで、メリルも踏ん切りがついたのかゆっくりとした動きで腰を浮かせた。
「我々の捜査状況が分からないと不便でしょうから、カラスを1羽つけておきます。私だけに繋がっている個体ですので、部下たちにバレる心配は無いですよ」
「それならば、有難く使わせていただきます。お互い、怪我をしないように注意しましょう」
「……はい、よろしくお願いしま――!」
ヴェルクの言葉に答えていたメリルだったが、突然驚愕の表情を浮かべて言葉を呑み込んだ。そして周りの目も気にせずに、彼女の左側に座るカラスに躙り寄る。
「どうした! 何があった!」
どうやら彼女の脳内に、捜査員からの報告が入ったらしい。彼女にしか伝わらないその報告に、彼女の表情はみるみる険しいものへと変わり、その横ではヴェルクがじっとそれを眺めている。
「メリルさん、また奴に動きがありましたか?」
ヴェルクが問い掛けるが、頭の中で何やら考え込んでいるらしいメリルからの反応は無かった。
それでも辛抱強く待っていると、やがて彼女がおもむろに口を開いた。
「……別の部下が〈火刑人〉らしき人物を発見したのですが、こちらの存在に気づかれて戦闘に発展したようです」
「それはまずいですね。分かりました、すぐに僕も向かいましょう。どこですか?」
ヴェルクの問い掛けに、彼女は簡潔に答えた。
「第26地区です」
* * *
常に大勢の人で賑わい活気に溢れているロンドだが、それはあくまで大通りでの話であり、裏路地に1歩足を踏み入れるだけで極端に人の姿は少なくなり、先程までの喧騒が遠い世界の出来事に思えるほどにしんと静まり返っている。
特に低所得者向けの住宅が密集するエリアともなるとそれは顕著で、迷路のように細い路地が蜘蛛の巣のように入り組んだそこは、住民ですら滅多に立ち入らないような場所が幾つも存在していたりする。
「――ったく、余計な手間を取らせやがって……」
全身を真っ赤なコートで覆い隠すその人物が立っているのも、そのような場所の1つだった。四方を建物に囲まれたその空き地は、ほとんど建物の隙間としか呼べないような細い路地が唯一の出入口であり、ゴミがあちこちに捨てられて腐臭が立ち籠めている。
そんな場所で赤ずくめは、腰に手を当てて大きな溜息をついた。フードのせいで表情は見えないが、見なくても分かるほどにその溜息には不機嫌さが滲み出ている。
そして赤ずくめは、投げやりな動作で地面を見下ろした。
「ぐっ……、くそっ……!」
「ぐあぁ……」
そこに転がっていたのは、全身に大火傷を負って小さく呻き声をあげる数人の男達だった。彼らの手には、ほとんど焼け落ちてボロボロになった、少し前まで杖だったものが握られている。
「くっ……! 噂には聞いてたが、まさかここまでだとは……!」
そしておそらく彼らの仲間であろう男達が、赤ずくめを取り囲むように立っていた。私服姿ではあるがおそらく警察官であろう彼らは、緊迫した表情を浮かべて額に汗を滲ませている。
「……調子に乗るなよ、〈火刑人〉!」
「待て、早まるな!」
その中の1人が痺れを切らしたのか、仲間の制止を振り切って赤ずくめに襲い掛かった。他の男達が魔術用の細い杖を握る中、彼だけは細身で刃渡りの長い剣を構えていた。
赤ずくめとの距離を詰めていく最中に、彼の口が何かを呟くように動いた。そして次の瞬間、彼の剣先からボッと音をたてて火の手があがり、剣の刃を包み込んでいく。
赤ずくめはその光景を、ポケットに両手を突っ込んだまま、何もせずにじっと眺めているのみだった。
やがて剣先が赤ずくめの左胸辺りに触れ、その勢いのまま心臓を貫いていく、
直前、
「な――」
左足をスッと引いて上半身を捻るだけの簡単な動作で、赤ずくめは彼の剣をいともあっさりと避けてみせた。あまりの出来事に、彼の両目が驚愕で大きく見開かれた。
しかしながら、彼の体は勢いに乗っているために急には止まれない。彼と赤ずくめは、体が接触しそうなほどに近い距離で擦れ違おうとする。
その瞬間、赤ずくめがポケットからすっと手を抜いた。杖を指に挟んだその手が、彼の右腕をむんずと掴む。
そして、ハッとそれに気づいた彼が思いっきり腕を振り払うと、存外あっさりと拘束が解かれた。彼は即座に赤ずくめから距離を取り、仕切り直しとばかりに剣を構える。
と、そのとき、
「…………?」
先程赤ずくめに掴まれたその箇所が、何やら濡れていることに気がついた。
けっして赤ずくめから意識を逸らすことなく、それに対して疑問の表情を浮かべていた、まさにそのとき、
「ぼんっ」
赤ずくめがおどけた様子でそう呟くのと同時、まさにその濡れた箇所がボフンッという音をたてて火の手をあげた。
「――あああああああああああああああああああ!」
彼は悲鳴をあげながら、必死に炎を消そうと頭を叩いたり体を振り回したりした。しかし炎はまるで意思があるかのように、彼が伸ばしたその腕を伝って彼らの体を呑み込んでいった。恐るべき早さで体を蝕んでいく炎と格闘している様は、傍目にはまるで踊っているようにも見える。
しかしそれだけ動きまくっているにも拘わらず、炎は彼の動きに合わせて揺らめくだけで、がっしりと噛みついたまま離れようとしなかった。それどころか、彼を食らい尽くさんばかりの勢いでみるみる大きくなっていく。
「くそっ!」
すると周りの男達が一斉に上着を脱ぎだし、それで彼をバシバシと叩き始めた。その甲斐あって炎は徐々に弱まりやがて消えたが、彼はひどい火傷を負ってそのまま地面に倒れ込んでしまった。
ちょうど、地面に転がっている男達のように。
「貴様、よくも……!」
男達は怒りを顕わにして、杖を構えながらジリジリと赤ずくめに躙り寄る。しかし赤ずくめが杖を掲げた途端、彼らの表情にほんの少しだけ怯えが生まれ、思わず1歩後退ってしまった。
それを見てか、赤ずくめがどこまでも投げやりな態度で溜息を吐いた。
「……まぁ良い。最初に喧嘩吹っかけてきたのはそっちだとか色々と言いたいことはあるが、どうせおまえらは聞く耳を持っちゃいねぇんだろ? だったら言うだけ無駄だな。――っと、そうだ。喧嘩をする前に……」
赤ずくめはそこで一旦言葉を区切ると、おもむろに杖を持つ右手をスッと挙げた。途端に周りの男達の警戒心が跳ね上がり、臨戦態勢に入った。いつでも魔術を放てるように、高速で呪文を紡いでいく。
そんな彼らの目の前で、赤ずくめは腕を伸ばして杖を真上へと掲げると、
「ばーん」
杖の先端から突然炎の塊が飛び出し、空へと上っていった。周りの男達がそれを目で追う暇も無く、彼らの頭上で激しい音をたてて爆発した。
少し経って、空から何かが落ちてきて、ベシャッと音をたてて地面に衝突した。
それは焼け焦げた匂いの漂う、変わり果てた姿のカラスだった。それを見た彼らの表情に、明らかな動揺の色が浮かぶ。
「やっぱり、このカラスはあんたら警察の使い魔だったか。こいつに援軍でも呼んでもらう腹だったか?」
「――ふざけるな! 俺達を舐めるんじゃねぇぞ!」
度重なる赤ずくめの挑発に、とうとう男達も限界が来たようだ。彼らは一斉に杖をそいつに向け、呪文を唱え始めた。炎や吹雪や放電が、彼らの杖の先端で巻き起こっていく。
「……遅いんだよ、どいつもこいつも」
ぽつりとそう呟いた赤ずくめの口元は、ニヤァッと歪んだ弧を描いていた。
* * *
その門は幾つかあるロンドの門の中でも、一際人通りの少ない場所であった。いや、少ないというよりも、むしろ“無い”と表現しても差し支えないだろう。
なぜそれほどまでにその門が使われないかというと、何といっても利用する人間が限られていることにあるだろう。
その門を抜けた先には、まっすぐ伸びる1本の道がある。道といっても石畳によって綺麗に舗装された街のそれとは違い、草が禿げていることで辛うじて道だと認識できる程度の物だ。
その道が繋いでいるのはたった1ヶ所、イグリシア魔術学院である。途中で枝分かれすることのないその道は、学院の者と学院に用のある者の専用道路となっている。
それだけ利用者が限られている道路ともなれば、そこに店を構えたところで商売になることはまず無い。なのでその門の周りは自然に閑散としたものとなり、門の目の前にある広場にも人の姿は無い。
そんな広場に、突如影が差した。
まるで夜にでもなったかのように真っ暗となった広場に、バサバサと翼をはためかせる音が鳴り響いた。竜巻と見紛う風がゴウゴウと暴れ回り、あちこちで砂埃が巻き上がっていく。
そうして現れたのは、真っ赤な体が目にも鮮やかなドラゴン・ブラントだった。背中に生えた立派な翼をバサバサと動かしているのは、背中に乗っている3人の人間に配慮してゆっくりと地面に降り立つためである。
そうして周りの建物や街を囲む壁を暴風に晒しながら、ブラントは広場へと降り立った。
「あれっ、クルスさんじゃないですか! お久しぶりです!」
そしてそのタイミングを見計らったかのように、門の傍にある詰所から鎧を身につけた屈強な体つきの男がブラントへと駆け寄ってきた。鎧といってもフル装備ではなく、頭部や胸部・腹部といった急所のみを防御する簡易的なものである。
「久しぶりね、3か月くらいかしら。悪いんだけど――」
「はい、分かってますよ! そこの生徒さんも一緒ですよね!」
クルスが全て言う前に、兵士は杖を取り出して彼女に向かってそれを振った。
するとどこからか現れた風が優しく彼女の体を包み込み、そのままフワリと彼女の体を持ち上げた。そしてそのまま、本来の重力に従ったままの落下とは比べ物にならないほどゆっくりとしたスピードで地面へと下ろされた。
そしてそれは、クルスの背後に隠れるようにしていたバニラ、そしてブラントの頭部であぐらを掻いていたアルも同じだった。
「今日は生徒さんと一緒に買い物ですか?」
「まぁ、そんなところね」
「そうですか、楽しんできてください。――んんっ?」
笑顔を浮かべてクルスと会話をしていた兵士だったが、全身を真っ赤なコートで包み込んでいるアルへと視線を向けると、その表情を怪訝なものに変えた。
「どうかしたかしら?」
けっして動揺を表に出すことなく尋ねるクルスに、兵士はニカッと笑って答えた。
「いえいえ、まるで〈火刑人〉みたいな恰好をしているなって思いまして」
「それって、賞金稼ぎの?」
「はい、そうです。今日はこれから暑くなるでしょうから、多分そのコートじゃ辛いと思いますよ?」
「大丈夫よ。この子、極度の寒がりだから」
いったい何が大丈夫なのか、と傍で聞いていたアルは思ったが、下手に口を出して怪しまれるのもまずいので黙っていることにした。
それにしても、そんなクルスの言葉に対して「そうですかー」の一言で済ませるこの兵士も如何なものだろうか。
「それじゃ、クルスさんも生徒さんも楽しんでいってくださいね」
最後に兵士はそう言い残すと、大きく手を振りながら詰所へと戻っていった。
そんな彼を見送りながら、アルは呟いた。
「成程。門番と顔見知りだと、ここまでスムーズに出入りできるんだね」
「い、良いのかなぁ……? あれって、職務怠慢じゃないのかなぁ……?」
「今まさにその恩恵に与っている私達が、それに対して文句を言える立場じゃないけどね」
「ま、そりゃそうだ。――よーし、それじゃ出発進行!」
アルは高らかにそう叫ぶと、バニラの手を取ってずんずんと歩き出した。バニラは「えっ、えっ?」と戸惑いの声をあげ、彼女にされるがまま引っ張られていく。
そんな2人の後ろ姿を眺めつつ、クルスは隣に立つブラントに目を向ける。
「さてと、私達はしばらく街で遊んでるけど、あなたはどうする?」
クルスの問い掛けにブラントは「ガウッ」と鳴くと、バサバサと翼をはためかせて空へと跳び上がっていった。
あんなに高く飛び上がってしまって地上から呼ぶ声が聞こえるのだろうか、とクルスは思ったが、ルークの使い魔だし大丈夫かと思い直し、見上げていた顔を前へと戻した。
ほとんど人通りの無い場所とはいえ、真っ赤な塊とも呼べる物体が動き回るその光景は、非常に目立つものだった。
「……やっぱし、却って目立つんじゃないかしら?」
余計なトラブルを起こさないようにしっかり監視しよう、とクルスは心の中で決意して、その赤い背中を追い掛けていった。
* * *
「ん? 何だ、また警察か」
ロンドの中心街にて、揚げたてのドーナツを店頭販売する店を構えるその男は、先程からやたらと店の前を行き来する警察官の姿に若干溜息混じりでそう呟いた。
市民にとって警察は自分達の安全を守るために日夜働いている有難い存在だが、だからといって警察に対して素直に感謝する者はそれほど多くない。むしろ警察のいる所は常に何かしらのトラブルが起こっているとして、警察官を疫病神のように見ている者も少なくない。
「どんな物騒な奴がいるのやら……。怖いねぇ……」
そしてこの男も、まさにそんな市民の1人だった。商品であるドーナツを揚げながら、彼は嘆くように首を横に振って一際大きな溜息を吐いた。
と、そのとき、
「――ん? 何だ、嬢ちゃん」
店の前に1人の少女が立っているのに気づき、彼はドーナツを揚げる手を止めずに声を掛けた。
その少女の印象を一言で表すなら、まさに“黒”だった。ショートボブの黒髪に大きな黒瞳、そして着ている服も上下共に黒といった出で立ちだった。見た目の年齢は10代前半ほどだが、同年代の少女と比べてもひどく無表情で、布袋を袈裟懸けに提げている以外にこれといった持ち物は無い。
「冷やかしなら邪魔だから、さっさとあっち行けよ」
「…………」
男の言葉に、少女は口を開くことなく彼へと目を向けた。黒曜石のように澄んだ黒瞳が、困惑している彼の顔を映し出している。
そして少女は黙ったまま、その右手をまっすぐ彼へ差し出してきた。
その手には、銅貨が1枚乗せられている。
「……客なら客だと、最初に言えよ。――熱いから気をつけろよ」
男はそう言いながらも、紙袋に揚げたてのドーナツを幾つか入れて少女に差し出した。油が紙袋に染み出しているそれは、実際に触れなくても分かるほどに熱が籠もっている。なので普通ならば少しでもその熱から逃れようと、ギリギリ上の方を指先で摘むように持つものである。
しかしその少女は何の迷いも無く、油が染み出している底の部分をむんずと掴んだ。袋に皺が寄るほど強く握りしめているにも拘わらず、少女の表情が変わる気配は無い。
「…………」
結局最後まで何も言うことなくその場を去っていく彼女の背中を、男は何と無しに見送った。
「……変なガキ」
おそらく1分後には忘れているであろう感想と共に。