〈暴食〉のアル   作:ゆうと00

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第51話

 ロンドの道はそのほとんどが馬車が擦れ違うのもやっとな細いものばかりだが、交通網の拠点ともなっている大通りはその範疇ではない。

 その中でも一際広いのは、ロンドの中心に悠然とそびえ立つ王宮の正面から、ロンドの象徴とも言えるデーンズ川を突き抜けてまっすぐ伸びていく道路だろう。馬車が6台ほどすれ違ってもまだ余るほどに広々とした車道に、歩道との境界線には色取り取りの花が咲き誇る花壇。景観的にも美しいそこは、イグリシア国軍のパレードが行われることからも、まさに街の中心地と言える。

 それだけ広い道路ともなれば、当然そこには常に人が集まってくる。その道路沿いにある店はどれも老舗の有名店であるし、歩道には数多くの屋台や露店がずらりと並び、食欲をそそる匂いが立ち籠めている。

 交通の中心地であるその道路は、経済の中心地でもあった。

 

「うんまぁい! やっぱここの串焼きは、いつ食べても美味しいなぁ!」

 

 そんな屋台の1つにて、アルが満面の笑みを浮かべて高らかにそう叫んだ。彼女の右手には、こんがり焼けたサイコロ状の肉が5個も刺さった串焼きが握られていた。

 

「……確かに、ちょっと大味な気もするけど、なかなか美味しいじゃない」

 

 そしてアルの隣にいるクルスも、彼女ほど興奮していないにしても、自分の串焼きに齧り付くその口元には笑みが浮かんでいた。

 しかし、クルスとは反対方向でアルの隣にいるバニラだけは、自分の持つ串焼きをまじまじと見つめるだけで、一向に食べる気配を見せない。

 

「どうしたの、バニラ? 肉嫌いだった?」

 

 アルがそう尋ねると、バニラは慌てたように首をブンブンと横に振って、

 

「へ? いや、そうじゃないよ! ただ、こういうのを食べるのが初めてだから……」

「初めて? 串焼きが?」

「うん……。ロンドに来たことは何回かあったけど、こういうのは食べさせてもらえなかったから……」

「えー、勿体ない! ロンドには美味しいものがいっぱいあるから、今日はたくさん案内してあげるね!」

 

 にっこりと笑ってそう言うアルに、バニラはとても嬉しそうにこくりと頷き、串焼きに一口齧り付いた。そしてぽつりと「美味しい」と呟いた。

 それを横目に見ていたクルスが、おもむろに口を開いた。

 

「あー、そういえば私も、小さい頃は屋台なんて連れてってもらえなかったわね。『買い食いなんて貴族のやることじゃない!』とか何とか言って。――まぁ、今では普通にこうして食べてる訳だけど」

「えっ? クルスって貴族だったの?」

「ええ、そうよ。言ってなかったかしら? というか、名字があるって時点で何となく察してたでしょう?」

「いや、まぁそうなんだけど、正直普段のクルスを見てたら、全然そんな感じがしなかったから」

「……今のは、褒め言葉として受け取っておくわ。――ところでアルは、よくこうやって屋台とかで買い物をしてたの?」

 

 クルスの問いは、バニラとしても気になることだった。串焼きを頬張りながら、2人の会話に聞き耳を立てる。

 

「うん、よく食べ歩きとかしてたよ。警察に目をつけられてからは、大っぴらにできなくなっちゃったけど」

 

 アルのその言葉に、バニラが眉を寄せて疑問の色を浮かべた。しかし未だ口の中に串焼きの肉が詰まっていたため、口をモゴモゴさせるだけで話し出そうとしない。

 

「どうしたの、バニラ?」

 

 それに気づいたクルスが声を掛けると、バニラはビクンッ! と肩を震わせて驚いた。そしてアルの方を遠慮がちにチラチラと見遣りながら、

 

「……ア、アルちゃんって、学院に来る前は……その……アレだったんでしょ? お金とか、どうしてたのかなーって……」

「ああ、そういうことね」

「ご、ごめんね! 変なこと訊いちゃって! 別にアルちゃんが答えたくなかったら、全然無視しても良いから!」

 

 慌てふためきながら両手と首をブンブン横に振りまくるバニラに、アルは困ったような笑みを浮かべた。

 

「もちろん、無銭飲食とかじゃないよ? わたしはそういうの、今まで一度もやったことないもん。ちゃんと自分で稼いだお金で買ってたよ」

「そ、そっか……! そりゃそうだよね!」

 

 明るい声で笑ってみせるバニラに、アルは悪戯っぽい笑みを浮かべて、

 

「バニラ、今『ひょっとして何か悪いことやって稼いでたのかな?』って思ったでしょ?」

「へっ? そ、そんなことないよ!」

 

 本人は必死に否定しているが、やけに慌てた様子と裏返ってしまった声が何よりも雄弁に物語っていた。

 そんな彼女の様子を気の毒に思ったのか、クルスが横から助け船を出した。

 

「でもアル、ストリートチルドレンを雇ってくれる所なんて、そうそう無いと思うんだけど。一体何の仕事をしてたの?」

「……まぁ、最初はちゃんと働くつもりだったんだけどね、やっぱり誰も雇ってくれなかったよ」

「えっ、それじゃ何でお金を稼いでたの?」

 

 バニラの疑問に、アルはにっこりと笑って、

 

「そりゃ、もちろん――」

「さぁさぁ、お買い物をお楽しみの皆さん!」

 

 アルの言葉を遮ったのは、車道を挟んだ向こう側から発せられる男性の声だった。喧騒の中でもなお耳に残る威勢の良いその声に、アルは話すのを中断してそちらに顔を向け、クルスやバニラもそれに倣う。

 

「たった今蒸し上がりましたのは、遠い遠いグルム国のこれまた遠い秘境の地で、祝い事の場でのみ出される大変珍しい料理でございます! 皆々様、この機会にぜひともご賞味くださいませ!」

 

 屋台の主人らしい恰幅の良い男がそう叫んで指し示したのは、小麦粉などを水でこねて発酵させた生地に、細かく刻んだ肉や野菜を混ぜたものを包んで専用の機器で蒸し上げた饅頭だった。

 この辺りでは見掛けない異国の料理に、通行人は引き寄せられるようにフラフラと屋台へ足を向け始めている。

 

「おぉ、美味しそう……」

 

 そして常人以上に食欲が旺盛なアルも、その中の1人だった。

 

「クルス、あれ食べたい! 買っても良いでしょ!」

「あれを? ふーん、なかなか美味しそうね……。お金渡すから、一緒に買ってきてくれない?」

 

 クルスがそう言って、ポケットの中から財布を取り出した。

 それを隣で見ていたバニラが、おずおずと手を挙げた。

 

「あ、あの、クルス先生……。私も食べてみたいんですけど、良いですか……?」

「あなたも? 良いわよ、アルと一緒に行ってきなさい」

 

 クルスはそう言って、アルに渡そうとしていた財布をバニラへと手渡した。ずっしりと重みのあるそれを、彼女は大事そうに胸に抱える。

 

「ありがとうございます! それじゃアルちゃん、行こっか――」

 

 バニラはくるりとアルの方へ体を向けたが、そこには誰の姿も無かった。

 

「あれ?」

「……アルなら、あそこよ」

 

 呆れたような表情を浮かべるクルスが指差す先を目で追うと、車道の向こう側に構える例の屋台の前に、両手に持った饅頭を頬張るアルの姿があった。

 

「……早いなぁ、アルちゃん」

 

 呆れるよりもむしろ感心した様子で呟いたバニラは、馬車が来ないことを確認してから、花壇を乗り越えて車道を横断した。

 そして、ニコニコと笑みを浮かべて肉を食べるアルを視界に捉えながら、彼女がその屋台へと早足で近づいていく。

 まさに、そのときだった。

 

 どんっ。

 

「わぁっ! ――ご、ごめんなさい!」

 

 すれ違いざまに通行人と肩がぶつかり、バニラはバランスを崩して倒れ込んでしまった。気の弱い彼女らしく、彼女の口からすぐさま謝罪の言葉が飛び出す。

 しかし彼女にぶつかってきた通行人から謝罪の言葉は無く、それどころかバニラが顔を上げて周りを見渡したときには既にその場から姿を消し、誰がぶつかってきたのかも分からない状況になっていた。

 

「大丈夫、バニラ?」

 

 心配そうな表情でこちらに駆け寄ってくるアルに、バニラは「大丈夫だよ」と言いながらゆっくりと起き上がる。

 

「――あれ?」

 

 彼女が異変に気づいたのは、その直後だった。

 胸に抱えていた財布が、無くなっていた。

 バニラは顔を青ざめると、すぐさま地面をキョロキョロと見渡して財布を探し始めた。しかし次々と近づいては去っていく通行人に視界を遮られるせいもあってか、財布はどこにも見当たらない。

 一方彼女の必死な様子で事情を察したアルも、同じように財布を探し始めた。しかしバニラと違うのは、彼女はむしろ顔を上げて遠くを見渡したことである。

 そして、

 

「――あいつだ」

 

 先に声をあげたのは、アルだった。彼女の視線の先にいる40代くらいに見えるその男は、チラチラとこちらを窺うように振り返りながら、擦れ違う通行人を突き飛ばす勢いでここから離れようとしていた。

 そしてアルがその存在に気づいた直後、そいつもアルに気づいたのか一気に走り出し、その身に隠し持っていた箒に跨って猛スピードで空へと飛び上がっていった。突然のことに、周りの人々が驚きの声をあげている。

 

 アルはすぐさまその後を追い掛けようとするが、忙しなく行き交う通行人に阻まれて咄嗟に動けなかった。彼女は即座に方向転換して饅頭の屋台へと駆け出すと、思いっきり地面を蹴ってその屋台へと飛び込んでいった。

 彼女の体は通行人の頭上を越え、ずどんっ! と大きな音をたてて屋台の屋根に着地した。屋台の主人が何やら大声で怒鳴っていたが、アルはそれを無視して屋台の背後にある建物の壁へと飛び移る。

 建物は赤煉瓦でできており、壁にはほんの僅かに凹凸ができている。アルはそこに指や爪先を引っ掛けると、勢いをそのままに壁をよじ登っていき、建物の屋根へと躍り出た。

 そして箒で空を飛ぶ男の後を、屋根伝いに追い掛けていく。

 

「えっ、ちょ、どうしよう……!」

 

 みるみる小さくなっていくアルの背中を、バニラはあわあわと慌てた様子で見つめている。

 そんな彼女達の異変に気がついたクルスが、車道の向こう側から駆けつけた。

 

「ちょっと、何があったの!」

「ご、ごめんなさい、クルス先生! 私、クルス先生から預かった財布を盗られちゃって……! わ、私もアルちゃんと一緒に追い掛けます!」

「ちょっと、待ちなさい――」

 

 クルスが止める間も無く、バニラはアルが駆けていった方へと走り出した。とはいっても、当然彼女のように壁を登るなんて芸当はできないので、人混みを懸命に掻き分けながらではあったが。

 

「ああもう、アルはともかく、バニラが1人で動いたら危険でしょ! だったら私も――」

 

 クルスも彼女の後を追おうと1歩足を踏み込んだが、後ろから服を引っ張られたせいで2歩目を踏み出すことは叶わなかった。

 恨みがましい目つきで振り返ると、そこにいたのは饅頭を売っていた例の屋台の主人だった。

 

「おい、あんた! さっきのガキの連れか! 困るよ、金を払ってくれないと!」

「……あぁ、何かお金を盗られたみたいなのよ。取り返したらちゃんと払いに戻るから、少し待っててくれないかしら?」

「そんなの信用できるわけないだろ! 金を払うまで、絶対に帰らせねぇからな!」

 

 凄い剣幕で捲し立てる屋台の主人に、クルスはバニラが立ち去った方向を見遣り、大きな溜息をついた。

 

「……2人共、早く戻ってきなさいよ」

 

 

 *         *         *

 

 

 ロンドの街の上空、地上の建物からさらに建物1棟分くらい浮かんだ辺りに、その男は箒に跨ってフワフワと浮かんでいた。ボロボロの服を着て全身が薄汚れた彼の姿は、どう贔屓目に見ても“浮浪者”の印象を捨てきれない。

 

「へへへ……、こりゃ久々に大当たりだな!」

 

 彼は下品な笑みを浮かべながら、その手に持つ財布(どう見ても女物のデザインである)の重さを確かめるように何度も上下に揺らした。その度に、ジャラジャラと軽い金属が擦れ合う音が鳴り響く。

 男が財布の口を開けて、その中を覗き込む。この世界での通貨で最も価値の高い白金貨こそ無かったが、2番目に価値の高い金貨を始めとして、銀貨や銅貨も財布いっぱいにぎっしりと詰まっていた。

 

「妙に小綺麗だったからまさかと思ったが、やっぱり貴族の嬢ちゃんだったか。目の前にカモがやって来るなんて、今日の俺はついてるぜ」

 

 常に大金を持ち歩く貴族は、それにも拘わらず平民よりもスリに対する警戒心が薄い傾向にある。しかもそれが子供ともなれば、周りなんて気にせずに他のことに夢中になってしまう。

 つまり貴族の子供というのは、スリにとってこれ以上ない格好の獲物なのである。

 

「さてと、せっかくの臨時収入だ、普段なら絶対入れない高い店にでも行って、美味い酒でも呑むとするか。んでその後は、若い女でも引っ掛けて――」

 

 頭の中でこれからの予定を膨らませながら、男が夢見心地でヘラヘラと笑っていた、

 そのとき、

 

 がくんっ。

 

「な、何だ?」

 

 突然下から引っ張られるような感覚がして、自分の視界が体1つ分ほど下がった。

 男が不思議そうに下へと視線を向けると、

 

「だ、誰だてめぇ!」

 

 真っ赤なコートに身を包む少女が、男の箒にぶら下がっていた。宝石のように鮮やかなエメラルドグリーンの瞳が、まっすぐこちらに向けられている。

 少女と男の視線が、交錯する。

 そして次の瞬間、少女は鉄棒の逆上がりのように足を振り上げて、上に乗っていた男を蹴りつけた。その衝撃で男はバランスを崩し、箒からその体が離れていく。

 

「ぐっ!」

 

 苦い表情を浮かべながら地面へと落ちていく男は、どうにか空中で体勢を整えながらポケットから杖を取り出した。

 そして呪文を唱え始めると、杖の先端から勢いよく空気が噴き出し、男の落下地点に砂埃をあげて衝突した。そうして彼の落下速度が徐々に緩やかになっていくが、時間が足りなかったのか、着地した瞬間彼は小さく呻き声をあげて苦悶の表情を浮かべていた。

 

 衝撃に耐えて男が顔を上げると、大股で10歩くらい離れた所に、ちょうど少女が着地するのが見えた。彼女の足元には、先程まで自分が乗っていた箒が転がっている。

 そして男の見ている前で、少女はその箒に思いっきり足を叩きつけ、ばきっ! と箒を真っ二つに折った。

 突然の出来事に、当然ながら男は敵意を顕わにして少女へと叫ぶ。

 

「何なんだ、てめ――うぐっ!」

 

 しかしその言葉は、大股で10歩ほどの距離をほとんど一瞬で詰めた少女が、握りしめた拳を男の腹にめり込ませたことで、むりやり中断されてしまった。

 男の足がふわりと地面から離れた後も、少女の右腕はその勢いを失うことなく、そのまま押し出すように彼の体を宙に放り出した。彼の体は綺麗な放物線を描いて体五つ分ほど吹っ飛ぶと、ずざざざざ、と凄まじい音と土煙を上げて地面を滑り、そこでようやく止まった。

 そのときには既に、男は白目を剥いて気絶していた。口からブクブクと泡を吹き、体はピクピクと痙攣を起こしている。

 

「……手加減したつもりだけど、まさか大丈夫だよね? 念の為に、病院に連れて行った方が良いかな……?」

 

 男をそんな目に遭わせた張本人である、赤ずくめの少女・アルは、心配そうな表情で男へと近づいてその顔を覗き込んだ。

 しばらくじっと眺めていたが、「まぁ良いか」とあっさり気持ちを切り替えると、

 

「さてと、財布は返してもらうよー」

 

 アルはそんな独り言を呟きながら、地面に横たわる男の懐に手を伸ばし――

 

「――――!」

 

 かけたそのとき、彼女は突然後ろに大きく飛び退いた。綺麗な放物線を描いて宙を移動し、つい先程男を殴りつけたときの場所に着地する。

 その瞬間、男が横たわっている地面の周辺で、突然爆発が巻き起こった。空気をビリビリと揺らすほどの衝撃と共に土煙が巻き起こり、それに紛れて男の姿が見えなくなった。

 その光景にアルが思わず息を呑んだが、やがて土煙が晴れて現れた彼の姿には、多少土埃で汚れた以外には特に変わった様子が見られなかった。

 

「……まったく、あのおじさんに当たったらどうするつもりだったの?」

 

 アルは呆れた表情を浮かべて、遠くへと呼び掛けながら視線を左に移した。

 そこにいたのは、20代半ばから後半くらいに見える、二人の若い男だった。険しい表情で杖を構えこちらを睨みつけている2人は、黒いローブを身に纏い、左胸には桜の花びらを象ったバッジをつけていた。

 いずれも、2人が警察官であることを示していた。

 

「貴様が〈火刑人〉だな! 今すぐ杖を捨てて、大人しく投降しろ!」

「……〈火刑人〉?」

 

 彼らの内の1人から飛び出したその二つ名に、アルは不思議そうに首をかしげた。

 

「まさか正体がこんな子供だとは思わなかったが、貴様が〈火刑人〉であることはとっくに分かっているんだ! さあ、おとなしく両手を挙げろ!」

 

 彼の口振りに、アルがすかさず反論する。

 

「ちょっと待ってよ、まさかわたしが赤いコートを着てただけで〈火刑人〉だって思ってるわけじゃないよね? わたしはただ、このおじさんがたまたま倒れてたのを見つけただけで――」

「しらばっくれても無駄だ! 貴様がその男を暴行していたことは、我々がしっかりとこの目で見ているんだ! さっさと降参しないと、魔術の嵐をその身に味わわせてやるぞ!」

 

 こちらの話など聞く気も無く、唾を飛ばしながら捲し立てる彼らの様子に、アルは呆れたように大きな溜息をついた。

 

「仕方ないなぁ……。ほら、これで良い?」

 

 そして彼らの言う通りに、両手を肩より上に挙げてみせた。

 

「よし! そのまま後ろを向いて、壁に両手をつけるんだ!」

「少しでも余計な真似をしたら、その瞬間に魔術が飛んでくると思え!」

「はいはい、分かったから、そんな大声で叫ばないの……」

 

 アルはそう呟きながら、言われた通りに傍の建物の壁に両手をつけた。それを確認した彼らは、杖を彼女に向けながらそろそろと近づいていく。

 やがてアルのすぐ傍までやって来た二人は、それぞれ1本ずつ彼女の腕を抱え込むようにして拘束した。

 

「よし、良い心掛けだ。そのまま抵抗せずに大人しくしてるんだぞ。――おいカラス、下りてこい! メリル警部に報告するぞ!」

 

 右腕を抱えた方の警察官が空に向かって叫ぶと、バサバサと翼をはためかせて1羽のカラスがこちらにやって来た。

 2人の警察官がそれを確かめるように、アルから視線を外してカラスへと注目する。

 その一瞬の隙が、命取りとなった。

 

 ぐいっ。

 

「え――?」

 

 首元が締まる感覚に男達が視線を下に向けると、自分達が拘束しているはずの少女の腕が、自分の襟首を皺が寄るくらいにしっかりと掴んでいるのが見えた。

 そして次の瞬間には、彼女の腕がそのまま彼らの体を持ち上げていた。彼らの足が、ふわりと地面から浮き上がる。

 

「なっ、貴様!」

「この! 離せ!」

 

 突然の浮遊感と全体重が首元に掛かる圧迫感に、彼らは足をばたつかせて苦しそうな表情を浮かべ、彼女の腕に両手を掛けて剥がそうと力を込める。にも拘わらず、彼女の腕は片手で大の男を持ち上げた状態でピクリとも動かなかった。

 そして、

 

 がごぉん!

 

「ぐ――」

「が――」

 

 右腕を左に、左腕を右に。

 たったそれだけの動作で、彼らは互いに頭を思いっきりぶつけ、鈍い音と共に彼らの意識は闇へと葬られていった。

 彼らが気絶して全体重がその手にのし掛かってきた後も、アルの腕は微塵もふらつくことがなかった。彼女は少しだけ彼らを眺めると、子供が興味の失せたおもちゃを捨てるように、彼らをそこら辺の地面に放り投げた。

 

「カァ――――!」

 

 突然響いたその鳴き声にアルが空を見上げると、先程のカラスが慌てた様子で空へと飛び立っていくのが見えた。その姿はすでに屋根より高い場所にあり、今から壁を登って屋根から飛び掛かるのではとても間に合わないだろう。

 

「さーてと……、どうしよっかなー……」

 

 カラスの後ろ姿を眺めながら、アルは他人事のように呑気な声で呟いた。


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