〈暴食〉のアル   作:ゆうと00

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第53話

「こっちにはいたかっ!」

「いえ、まだ見つかっていません!」

「良いか、絶対に逃がすな! もし市民に被害が及べば、即座に自分の首が飛ぶと思え! 良いか、職を失うという意味じゃないぞ! 本当に自分の首が飛ぶという意味だ!」

 

 怒号を轟かせながら、何人もの男達が忙しなく道を行ったり来たりしていた。黒のローブに桜の花びらをかたどったバッジという、警察の人間であることを示す服装を身に纏う男達が、休日の街中で肌を刺すような緊張感を撒き散らしてることで、市民達は実に迷惑そうな視線を彼らにくれていた。

 しかし当の本人達は、そのようなことを気にしていられる状態ではなかった。既に仲間の何人かが〈火刑人〉らしき侵入者にやられ、その行方も未だ掴めていないとなれば、彼らの中に焦りが生まれても不思議ではない。

 

「くそっ……! 〈火刑人〉め、どこに消えやがった……!」

 

 その中でも一際焦りの感情が顔に表れているその警察官は、他の警察官よりも幾分か年若い風貌をしていた。動きの1つ1つがぎこちなく、実戦慣れしていないことが手に取るように分かる彼は、つい数ヶ月前にこの職業に就いたばかりの新人である。

 今までは先輩達の後ろをついていき、コソ泥のような小さな事件ばかり追い掛けていた彼にとって、今回のような“実戦”は初めてのことだった。素手で自分の心臓が握られているかのような感覚に、彼の体が普段以上に強張っていく。

 

「おい、新入り。何をそんなに怯えてるんだ?」

 

 そんな彼を見かねてか、彼よりも一回り年上の男が声を掛けてきた。若い男は即座にその声に反応し、バッとそちらへ振り返ると勢いよく頭を下げて「お疲れ様です!」と挨拶した。

 

「良いか、新入り。確かに周りを警戒することは大事だが、常に力を入れ続けていたらバテちまう。適度に力を入れていつでも動けるようにしながら、いざというときのために力を温存しておくんだ」

「は、はいっ! 了解です!」

 

 腹の底から声を出して指先までまっすぐ伸ばして敬礼する若い男の姿は、どう見てもいざというときのために力を温存しているようには見えなかった。

 しかし先輩であるその男は、彼に対して微笑ましそうに鼻で溜息を吐いた。おそらく彼の姿に、かつて警察に入ったばかりの頃の自分を重ねているのかもしれない。

 

「まぁ、良い。前に出過ぎる新人を引っ張って止めるのが、俺達の役目だ。無茶をして怪我すんじゃねぇぞ」

「――――はいっ!」

 

 一際大きな声で、若い男は返事をした。

 胸に宿す使命感に瞳を輝かせながら。

 

 

 

 

「うーん、やっぱり人が多いなぁ……」

 

 そんな遣り取りを眺めながら、赤いコートにその身をすっぽりと覆い隠したアルが愚痴るように呟いた。

 彼女が現在いるのは、スラム街の一角にある建物の2階部分。ここは随分と昔から誰も住んでいないようで、壁は穴が空くほどに崩壊しており、床もあちこちが抜けて階下の部屋が見下ろせるようになっている。

 彼女は何も嵌められていない窓枠に寄り掛かり、外から姿が見えないように注意しながら外の様子を窺っていた。そしてこの家から脱出して別の場所へ移動するタイミングを計っていたのだが、外を走り回る警察官の姿が先程から途切れようとしない。

 

「さっさと街を出たいのに、このままじゃ見つかるのも時間の問題かなぁ……」

 

 自分が〈火刑人〉なる魔術師に間違えられたことを即座に悟ったアルは、本格的に鬼ごっこが始まる前にロンドから脱出しようと考えた。

 しかし眼下を行き交う警察官の話を盗み聞きしたところ、どうやら結構な数の警察官が被害に遭ったらしい。それによって彼らも本気になったのか、表通りだけでなく裏路地にもやって来て隈無く捜索を続けている。おまけに空にはおそらく警察の使い魔であろうカラスが飛び交い、地上を隈無く見渡している。

 さすがにこの状況で全力疾走をすれば、あっという間に恐ろしい数の警察官に囲まれることになるだろう。なのでアルは先程から、ちょっと進んではすぐ近くの建物に避難する、という行為を何度も繰り返す羽目になっていた。

 

 ならばクルスの財布が手元にあることだし、さっさと服屋に行って着替えれば良いのでは、と思うかもしれない。

 しかし実際は、そう簡単なことではない。大量生産の技術が確立されていないこの世界での服屋は、余計な在庫を抱えたくないという理由で店頭に既製品が置かれていることはまず無い。基本的に店で生地と服のデザインを決めてサイズを測り、職人が商品を作って後日配達するか客が商品を受け取りに来るオーダーメイド制が普通である。

 

「ルートを考えれば、人目に付かずに街の外まで行けるか……? いや、空からカラスが見張ってるし、絶対にどこかで見つかるか……。でも見つかったとしても、わたしの足だったらそのまま逃げ切れ――あぁ、駄目だ。そんなことしたら、わたしが生きてることが警察にバレるかもしれない……」

 

 ブツブツと自分の考えを口にしては即座にボツにする、という行為をアルは何回も繰り返していた。考えれば考えるほど今の状況が深刻なものに思えて、彼女は思わず手でガシガシと乱暴に頭を掻いた。

 と、そのとき、

 

「――――ん?」

 

 足元から誰かの足音が聞こえてきて、アルは窓枠からそっと外を覗き込んだ。腐り落ちたドアがぶら下がっているだけの玄関から、2人組の警察官が入ってくるのが見えた。もう少し目を凝らして観察したら、先程の遣り取りを繰り広げていた例の2人であることが分かっただろう。

 しかしアルはそこまで注意深く眺めることなく、すぐさまそこから目を離して部屋の入口へと顔を向けた。自分の足元からドタドタと足音が聞こえてきたのはそれから数秒後のことで、その音は1階の部屋中を回るようにあちこち移動した後、階段を昇ってアルが今いる部屋の入口へと近づいてくる。

 しかしアルは慌てず騒がず、むしろそのドアへとゆっくり近づいていった。そしてドアの正面、ドアを開けてもギリギリ届かない距離まで近づいたところでピタリと足を止め、そのままじっと足音を待ち構える。

 

 そして、がちゃり、とドアが開けられた瞬間、

 

 

 *         *         *

 

 

 馬車1台入るのもままならないほどに狭く、まったく舗装されずに土が露出している路地。当たり前のように散乱しているゴミ。パズルのようにごちゃごちゃとひしめき合い、胸が苦しくなるほどの圧迫感を与える、今にも崩れそうなほどにあちこちヒビ割れて汚れきった大小様々な建物。

 周りの光景は先程と何1つ変わっていなかったが、そこを歩くバニラの表情は先程とは段違いに落ち着いていた。彼女の隣を歩く、まるで自分の庭のように堂々としたヴェルクの姿に、彼女は知らず知らずの内に安心感を覚えていた。

 それこそ、ヴェルクと普通に会話を交わせるくらいには。

 

「〈火刑人〉ですか……? 名前くらいは聞いたことありますけど……」

「へぇ、よく知ってるね。いや、それだけ奴が有名だということか」

 

 バニラが探している少女について詳しいことは訊けなくとも、捜索に協力するからには服装くらいは知っておきたい。そう思ったヴェルクがバニラに尋ねると、彼女の口から飛び出したのは“全身を覆うほどに大きい真っ赤なコート”というものだった。

 それを聞いて即座に現状を悟ったヴェルクが、現在自分や警察が追っている“侵入者”について語り出した。

 

「数多くいる賞金稼ぎの中でも、〈火刑人〉は間違いなくトップクラスの実力者だ。強力な炎の魔術を使って様々な凶悪犯を焼き尽くす様から付けられたその二つ名が、その魔術師の実力を雄弁に物語っていると言っても良い。――そして奴は賞金稼ぎの中でも、トップクラスの“要注意人物”だと目されている」

「はい……、私も〈火刑人〉の噂は幾つか聞いたことはあります。それでも今まで逮捕されなかったのは、あくまでその人が賞金の掛かっている凶悪犯だけを狙ってたからですよね? それなのに急にそんなことをするなんて……、もしかして偽物なんじゃないですか?」

「確かにその可能性もある。だけど現状としては、奴が本物か偽物かなんてどうでもいい。重要なのは、赤いコートを着た魔術師がロンドに大きな危害を加えようとしていること、そして君の探している友達がそいつと同じ格好をしているということだ」

 

 ヴェルクの言葉に、バニラは「そ、そうですよね……」と顔を俯かせた。

 しかしすぐに、何かを思い出したようにバッと顔を上げる。

 

「あっ! で、でも、私達がこの街に来たときに門番の兵士さんに見られましたけど、特に引き留められたりしませんでしたよ? ひょっとしたら――」

「君が魔術学院の生徒ということは、そのときに使った門って学院の関係者しか使わない例の門だよね? あそこは中心地から離れているから、おそらくそのときにはまだ侵入者の情報が届いていなかったんだろう。――でも今は警察の中からも被害が出て、みんなが奴を捕まえようとピリピリしている頃だ。その子が警察に見つかったとき、どういう反応になるか分からない」

「……うぅ、せっかくの休日を楽しもうとしてただけなのに、なんでこんなことに……」

 

 ごもっともな嘆きを口にするバニラに、ヴェルクは彼女を安心させるようにニコリと優しい笑みを浮かべた。

 

「だからまぁ、彼女を見つけたときにすぐさま着替えられるように、何か手頃な服を見繕った方が良いと思ってね」

「はい、確かにそうですけど……。でも今から店に行っても、すぐには新しい服は手に入りませんよ?」

「大丈夫だよ。――僕の家から持っていくから」

 

 ヴェルクがそう言って指差すのを、バニラが何と無しに目で追った。

 そこにあったのは、スラム街の中でも一際大きな建物だった。3階建てで極端に窓の少ないそれは、見たところ集合住宅のようである。

 

「ここが、ヴェルクさんの住んでる家ですか?」

「そうだよ。――さてと、僕は今から部屋に入って服を取ってくるけど、君はどうする? ここで待つ?」

 

 ヴェルクからそう尋ねられたバニラは、ぐるりと周りを見渡して、

 

「……えっと、一緒に行きます」

「分かった。それじゃ、僕についてきて」

 

 ヴェルクがそう言って建物へと歩いて行くのを、バニラが慌てて早歩きで続いていく。

 そして建物の玄関を潜った瞬間、世界が豹変した。

 2人を出迎えたのは、真っ昼間にも拘わらず夜のように薄暗い、胸が苦しくなりそうなほどに圧迫感のある狭い廊下だった。壁や天井は石造りだが床には木板が張られており、2人が踏み込む度にギシギシと軋む音が響く。階段にも木板が張られており、ギシギシと鳴らしながら3階まで昇り、これまた薄暗い廊下をギシギシと歩いていく。

 

「ひっ――! きゃっ――!」

 

 そして足元から音が鳴る度に、バニラの口から小さな悲鳴が漏れた。床の軋む音と彼女の悲鳴との輪唱が、薄暗い廊下に響き渡る。

 

「ごめんね、変な場所で。怖いでしょ?」

 

 ヴェルクの言葉に、バニラは「い、いえ……、大丈夫です……」と言葉少なに答えて首を横に振った。顔を見ればそれが嘘であることが丸分かりだったが、彼はあえてそれを指摘することは無かった。

 するとバニラが、遠慮がちにヴェルクへと疑問を投げ掛けた。

 

「あの……、確かヴェルクさんって賞金稼ぎなんですよね……? 賞金稼ぎって収入が多いイメージだったんですけど、実際はそうでもないんですか……?」

 

 ヴェルクがバニラに協力することが決まったとき、2人は互いに自己紹介をしていた。賞金稼ぎに対して荒くれ者のイメージしか持っていなかったバニラは、彼の職業を聞いてひどく驚いた表情を浮かべていた。

 

「まぁ、確かにいつも賞金首が目の前に現れるとは限らないし、情報収集のためにお金が出ていくことも多いから、イメージほど生活に余裕がある訳じゃないのは確かだよ。でも僕の場合は、有難いことにそれほど生活に困ってはいないかな」

「つまりヴェルクさんは、あえてここに住んでるってことですか……?」

「そう。こうやって誰かが廊下を歩くと、結構大きな音で床が鳴るでしょ? すると部屋の中からでも、誰かが部屋に近づいていくのが分かるんだ」

「な、何のために……?」

「そりゃあ、部屋に誰かが近づくのが分かれば、すぐに逃げられるからね」

 

 あっけらかんとそう答えるヴェルクに、バニラは言葉を失った。優秀な賞金稼ぎともなれば、懸賞金を掛けられる側からしたらそれだけ恨みを買うに違いない。つまり彼は、日常的に命の危険に晒されていることを意味している。

 バニラが肩を震わせている間にも、ヴェルクは自宅と思われる部屋のドアを開けて中へと入っていった。慌てた様子で、バニラがその後を追う。

 

 彼女の目に映ったのは、殺風景どころかほとんど何も無い空間だった。ほとんど真四角の部屋が1つだけで、台所もトイレも風呂も存在しない。ヒビや汚れでひどい有様になっている壁に囲まれたそこには、腰くらいの高さの棚とベッド以外何も置かれていない。

 それ以外に特徴を挙げるとするならば、せいぜい壁全体にびっしりと指名手配書が貼られているくらいだろうか。

 

「ちょっと待ってて。確かここに……」

 

 バニラが唖然とした表情でその手配書を眺めている横で、ヴェルクは棚の引き出しから勢いよく何かを取り出した。

 それは、ブラウンのコートだった。襟の形やボタンの細やかな装飾から女性用だと見ただけで分かるそれは、大人用にしては随分と小さいように思える。それこそ、バニラが着ても問題無いと思うくらいに。

 

「その子の体格が君と同じくらいだとしたら、これで大丈夫だと思うんだけど、どうかな?」

「えっ? あ、はい、多分大丈夫です」

「そっか。じゃあ、警察よりも早くその子を見つけて、これを渡さないとね」

「あっ……えっと、ありがとうございます。私達のために、何から何まで……」

「良いって良いって、乗りかかった船ってヤツだよ」

 

 それじゃあ行こうか、と足早に部屋を出ていくヴェルクに、バニラは再び慌てた様子で彼の後をついていった。

 そんなこともあって、なぜ彼の部屋に女児用の服がしまわれていたのか、訊くことができなかった。

 

 

 *         *         *

 

 

「さすが警察の制服、動きやすくできてるなぁ……」

 

 胸に桜の花をかたどったバッジをつけた黒いローブという、警察官の制服として広く一般的に知られている服を身に纏ったアルは、着心地を確かめるように何回もその場でクルクル回りながら、そんな感想をポツリと呟いた。

 ふと、アルが床に目を遣った。

 

 そこには、ほとんど下着姿になった若い男と、胸に桜の花をかたどったバッジをつけた黒いローブを身に纏う年上の男が転がっていた。2人共顔がひどく腫れ上がっており、呼吸こそあるもののピクリとも動かない。

 この光景からも分かる通り、アルが今着ているのは元々若い男が身につけていたものだった。さすがにアルの小さな体では大きすぎるかと思われたが、赤いコートをそのままに身につければ少しはマシに見える。今日の気候からしたらかなり暑苦しいが、背に腹は代えられない。

 

「ごめんね、ちょっとこれ借りるね」

 

 まったく悪ぶれる様子も無く、アルは2人にそう声を掛けた。もちろん、2人が返事をするはずもない。

 そうして警察官の格好をしたアルは、軽やかな足取りで部屋を出ていった。


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