〈暴食〉のアル   作:ゆうと00

54 / 83
第54話

 クルスとメリルが顔を合わせてから15分ほど経った頃、

 

「〈火刑人〉を見つけた? 分かったわ、私もそっちに行く。――いい? 私がそっちに行くまで、絶対に手を出しちゃ駄目よ。向こうにも気づかれないようにすること。分かった?」

 

 人々が忙しなく道を行き交う中、歩道の端に立つメリルは目の前にいるカラスに向かって指示を出した。警察の格好をしてカラスに話し掛ける彼女の姿に、通行人達は奇異の目を向けてあからさまに距離を取っている。

 しかしメリルはそれを気にする余裕も無く、なおもカラスに喋り掛けていた。それに対してカラスは鳴くことすらしない無反応だったが、彼女はふいに黙り込んでは相槌を打つように何回か頷いていた。

 そうしてメリルの発言が終わったのを見計らうように、カラスが羽根を広げて空高く飛んでいった。その光景を、メリルの隣で一連の光景を眺めていたクルスが見送った。

 

「部下達はどんな反応だった?」

「今にも跳び掛かりたいって感じでしたよ。まぁ、気持ちは分かりますけどね。実際に何人もやられてますし、奴の態度からも我々を挑発しているのは明らかですし」

 

 メリルの横に立つクルスには、白魔術で従えているカラスを通した部下達の報告は聞こえない。なのでクルスが現状を知るためには、こうしてメリルにいちいち尋ねる必要がある。

 とりあえず、2人は〈火刑人〉を目撃したとされる場所へと向かうことにした。ちなみに徒歩である。街中で箒を使うのは非常に目立つため、無闇に使うと相手に気づかれてしまう。同じような理由で、カラスを飛ばすのも最小限に抑えていた。

 

「それにしても、そうやって部下に指示を出してる姿を見てると、あんたも何だかんだで社会人になったのね」

「いやぁ、私からしたら、先輩が教職に就いてることの方が驚きですよ」

「まぁ、学院長直々に頼まれたら仕方ないわよね。他にやることも無かったし」

「無かったって……。親御さんからしたら、どこかの有力貴族にでも嫁いでほしいんじゃないですか? 先輩、曲がりなりにもイグリシアの辺境伯家の出身なんですから」

「今も月1間隔で手紙が来るわ。その度に破り捨ててやってるけど――ん?」

 

 早足で歩きながらそんな会話を交わしていた2人だが、クルスがふいに何かを見つけたように足を止めた。数歩先を歩いていたメリルも、彼女が足を止めたのに気付いて振り返る。

 

「どうしました、先輩?」

「……何かしら、あれ?」

 

 クルスはそう言いながら、大通りから外れて裏路地へと続く細い道へと入っていった。ゴミが散乱しており如何にも治安の悪そうな雰囲気が漂っているため、大通りでショッピングを楽しんでいる人達はまず入ろうとしない場所だ。

 そんな場所に、曲がりなりにもイグリシアの辺境伯家出身であるはずのクルスは、まるで怖がる様子も見せずに平然と足を踏み入れていった。そんな彼女にメリルは秘かに感心したような表情を浮かべながら、その後に続いていく。

 そして大通りから入って10歩ほど進んだ所で、クルスが立ち止まってその場にしゃがみ込んだ。おそらく地面に何かあるのだろうと踏んだメリルが、彼女の背中越しに後ろから覗き込む。

 

 そこに転がっていたのは、ガラスのような素材でできた掌サイズの球体だった。もしも無色透明だったら占いで使う水晶玉かとも思っただろうが、これは絵の具を塗りたくったような真っ赤な色合いをしている。

 用途が一切不明なその物体に、クルスは興味津々といった様子である。

 

「何ですか、それ? 誰かが捨てたか、落としたとかですかね?」

「さぁ、何かしら? どういった奴が何の目的でどういう使い方をする物なのかしら……?」

 

 クルスはそう呟きながら、謎の球体を熱心に観察し続けている。最初は表面をただ赤く塗っただけかと思ったが、よく見ると真っ赤に染められた煙のようなものが無色透明な球体の中に詰まっているように感じた。

 

「いや、そう言われても――っていうか、今は〈火刑人〉の問題が先決でしょ! もしも部下達が見つけたのがアルだったら、かなりまずいことになりますよ!」

「……そうね。行きましょう」

 

 メリルの言うことももっともなので、クルスは立ち上がって再び歩き始めた。途中で何度も振り返っては、その謎の物体を観察しようとするが、その度にメリルに袖を引っ張られては再び前を向き直る。

 2人がその場を去った後も、その謎の球体は他の誰にも見つからずにひっそりと転がっていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 スラム街とは一般的に、貧困層が居住する地域を指す。整備された地区に住むことのできない低所得者が未開発地域に住み着くことで発生し、無計画に建物を乱立させるために人口密度が極端に高くなる。監視の目が行き届かなくなることから犯罪の温床と化し、同じ街でも他の地区と比べて治安が著しく悪化する。

 そんな場所に住む人々にとって、“警察”というのは最も忌み嫌う存在と言って良い。貧困に喘ぐ人々は富裕層を毛嫌いする傾向にあり、富裕層の中でも最たる存在である“王家”に雇われた彼らはまさに“国家の犬”だからである。また単純に、彼らの中に犯罪者が少なからず存在していることも理由に挙げられる。

 

 とはいえ、さすがにスラム街の住人とはいえ、普段から警察の人間に対して喧嘩腰という訳ではない。大半の人間は明日をも知れぬ生活に言い様の無い不安を抱えながらも、警察に目を付けられないようにひっそりと生活している。

 もちろんそんな人間ばかりとも限らず、言い様の無い不安を“破壊”という分かりやすい行動で発散する者もいる。

 

「……マジかぁ」

 

 例えば、現在アルを取り囲む彼らのように。

 

「おいおい警察さんよぅ、何のつもりでこの道を歩いてんだ、おぉん?」

「誰の許可を得て歩いてんだよ、あぁん?」

「今日は随分と走り回ってるじゃねぇかよ、国家のお犬さんよぅ。ご主人様に散歩でも連れてってもらってるのかなぁ?」

「ぶっちゃけ目障りなんだわ。さっさと消えてくんねぇかなぁ?」

「それとも、俺達が出口まで案内してやろうか?」

 

 彼女の逃げ道を塞ぐように取り囲むのは、土で汚れてあちこちが破れた粗末な服を着た、十代後半くらいの若者達5人だった。この世界においては立派な“大人”であり、仕事に就いて働いているのが当たり前の年齢なのだが、その筋肉質でがっしりした体格を労働に活かしている様子は無さそうだ。

 現在の彼女は、本物の警察官から奪い取った黒いローブを身に纏っている。胸には警察官であることを示す桜のバッジもある(この世界では桜のバッジなど、特殊な職業を示すバッジを勝手に造ることは法律で禁止されている)ため、少々体格的には物足りないものの、傍から見れば警察の人間だと誰もが思う格好だ。

 なのでアルはその格好で、堂々とスラム街を突っ切っていた。あくまで自分の存在がバレないために走る速度は人並みに抑えていたが、いくら治安の悪い場所とはいえ、警察の格好をした自分に対して喧嘩を吹っ掛けてくるような奴はいないと踏んでいた。

 まぁ、その期待は見事に裏切られた訳だが。

 

「おいおいおい、どうしたんだ? あまりの怖さに声も出ないってか?」

「ん……? よく見たら、こいつ女じゃねぇか?」

「マジかよ! だったら話は変わってくるなぁ……」

「おい女、ちょっと付き合えよ。こっちは最近ご無沙汰でなぁ……」

「安心しろよ、すぐに何も考えられなくなっから。何なら、正気を飛ばすクスリもサービスしてやるぜ?」

 

 アルが何も言わずに突っ立ってる間にも、彼らの中ではトントン拍子に話が進んでいた。最初は凄んでいた彼らが何やらニヤニヤした顔つきになり、1人の青年が上半身を揺らしながらアルへと歩を進めていく。

 そして浅黒く日に焼けたその腕をゆっくりと彼女へ伸ばしていき、

 

「――あん?」

 

 もう少しで彼女に触れるというときに、その手首を彼女に掴まれた。

 こちらに来たから反射的に手を取ったような、拒絶よりもむしろ迎え入れるような手つきのそれに、青年はそのやらしい笑みを一層深くした。

 そして自分の方へ引き寄せようと力を籠めた、その瞬間、

 

 ビシシシシバキッ、グチャリ。

 

「――ぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああ!」

 

 突如自分の脳に襲い掛かってきた鮮烈な痛覚に、青年は恥も外聞も捨てて大きな叫び声をあげた。その大きな体が地面へと崩れ落ち、涙と鼻水を撒き散らしながら蹲る。

 しかし彼と共にアルを取り囲んでいた青年達は、そんな彼の姿を情けないと鼻で笑うことはしなかった。むしろ表情を引き締めて彼女を見据え、3歩ほど後退りして彼女と距離を取った。

 それはそうだろう。単なるか弱い少女だと思っていた相手が、青年の手首をいとも容易く握り潰したのだから。

 頑丈な骨が砕ける音がハッキリと聞こえ、折れた骨の先端が肉を突き破って外へと飛び出しているのが見える。そこから赤い血がダラダラと流れ落ち、それにつれて腕がみるみる真っ青に変色していく。

 

「てめぇ! 何しやがった!」

 

 青年達はアルを睨みつけ、ポケットから杖を取り出した。魔術用の杖は品質を選ばなければ安価なため一般でも持っている人は割と多いが、今日の食べ物にも困っているスラム街の住人ではそれにお金を回せるほど余裕は無い。可能性としては、別の誰かから杖を奪い取るなどが考えられる。

 しかしそんな事情は、アルにとっては関係の無いことだった。

 

「――止めようよ」

 

 そのまっすぐな目で青年達を見据えながら、アルはぽつりとそう言った。

 

「最初から杖を出さなかったってことは、魔術よりも腕力の方が自信あるってことでしょ? 普段から使い慣れていない人間が魔術を使うと、思ったよりも全然威力を発揮できなかったり、逆に制御できなくて自滅するパターンに陥るよ」

「あぁっ! 何だと、てめ――」

「それに魔術を使うにしても、みんなわたしに近づきすぎだよ。魔術を発動させるには何秒か時間が掛かるんだから、少なくともその時間に距離を詰められない程度には相手との間隔を空けておくべきだよ」

 

 アルはそう言って、青年達に大きく1歩近づいた。

 それに釣られるように、彼らは大きく1歩後ずさった。

 

「みんな、昨日の今日で“スラム街(ここ)”に住み始めた訳じゃないでしょ? だったら分かるはずだよね? ここで無事に暮らすために一番気をつけなきゃいけないこと」

「――――!」

 

 挑発とも受け取れるアルの言葉に、青年達はカッと顔を紅くして足を踏み出そうとした。

 しかしすんでのところで、彼らの足が止まった。地面に未だに転がって呻き声をあげ続ける仲間の姿に、彼らの表情に初めて恐怖の色が浮かぶ。それと同時に、アルが先程言った“ここで無事に暮らすために一番気をつけなきゃいけないこと”が脳裏を過ぎった。

 犯罪者がすぐ隣にいて、いつ何が起こるか分からないスラム街で暮らしていくために、一番気をつけなければいけないこと。

 すなわち、“身の危険を敏感に感じ取らなければいけない”。

 

 彼らの表情に恐怖の色が浮かび及び腰になっているのを見て、アルは内心ガッツポーズをした。

 さらにここで畳み掛けて、とアルはさらに1歩彼らへと近づき――

 

「――――!」

 

 かけたそのとき、アルはそれとは逆に大きく後ろへ飛び退いた。

 その行動に青年達が疑問を浮かべるよりも前に、アルの目の前を真っ赤な炎が通り過ぎた。強烈な光と熱に、アルの肌がピリピリと軽い痛みを覚える。

 

「――ぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああ!」

 

 しかしそれとは比べ物にならない熱さと痛みが、青年達へと襲い掛かった。元々ボロボロだった服は火が燃え移って見る陰も無くなり、服を食らい尽くしただけでは飽き足らない炎は青年達の体を貪り始めた。

 青年達は獣のような声をあげながら踊り狂うようにのたうち回り、肉の焼ける匂いが辺りに立ち籠めていく。次第に青年達のシルエットが炎に飲まれて曖昧になっていくにつれて、青年達の叫び声が小さくなり、やがて聞こえなくなったと同時にバタリと地面に倒れ込んだ。

 

 そんな恐ろしい光景を目の当たりにしたアルは、しかし彼らの方に一切目を遣っていなかった。

 彼女の視線は、最初から炎がやって来た方へと固定されていたのだから。

 

「何だよ、せっかく面白い喧嘩が始まると思って観てたのに、つまらない真似しやがって。でもまぁ、さすがに良い反応だったな。――おまえの避け方も、あいつらの叫び方も」

 

 そんなことを言いながらこの場に姿を現したのは、日中ともなれば汗ばむ陽気になることも珍しくないこの季節に、地面に届くほどに大きなコートを身に纏い、さらにはフードで頭をすっぽりと覆い隠した人物だった。しかもそのコートは燃えるように真っ赤な色をしており、見ているこっちが熱くなってきそうである。

 大きなフードの陰から覗くその顔をよく見ると、普通にしていれば精悍と言えなくもない顔立ちをした、二十代前半くらいの男だった。黒の短髪に黒い目をしたそいつは、アルをじっと見つめながら如何にも楽しそうにニヤニヤ笑っている。

 そんな彼を見つめ返しながら、アルはぽつりと呟いた。

 

「――もしかして、あいつが〈火刑人〉?」


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。