〈暴食〉のアル   作:ゆうと00

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第55話

「ほう、俺のことを知ってるのか。さすがに俺くらいになると、こんな所にまで俺の二つ名が広まってるってことだな」

 

 アルの呟きを耳聡く聞き取ったのか、真っ赤なコートに身を纏い肩から袈裟懸けに布袋を提げる赤ずくめの男は、不気味な笑みを浮かべてそんなことを言った。ニヤニヤと顎に手を当てるその様子から、まんざらでもなさそうである。

 

「…………」

 

 一方そんな赤ずくめを前にして、アルは特にこれといった反応を見せることもなく、構えの姿勢を取ることもなく、ただじっと彼を見つめているのみだった。

 そしてそんな彼女の姿に、赤ずくめが意外そうに目を見開いた。

 

「俺の二つ名を知ってるってことは、つまり俺の今までやってきたことを知ってるんだよな? なのに怖がる様子が無いってことは、随分と自分の実力に自信があるみたいだな。それとも、あまりの恐怖に体が動かなくなったか?」

「…………」

 

 見せつけるように1歩1歩ゆっくりと近づいてくる赤ずくめに対し、それでもアルは反応せず、まっすぐ彼を見つめたままその場から1歩も動かない。

 そして大股で5歩ほどの距離にまで近づいたとき、彼が懐に手を突っ込んでおもむろに杖を取り出した。ゆっくりとした動きで、その先端を彼女へと向ける。

 

「…………」

 

 魔術師にとってはまさに“武器”とも呼べる代物を取り出したにも拘らず、それでもアルは一切動揺することなく、じっと赤ずくめを見据えたままでいる。もしかして手元の杖が見えていないのかと思うほどの無視っぷりに、さすがの彼も訝しげに眉を寄せた。

 

「……何を考えている? どうして逃げるなり構えるなりしない?」

「いやいや、そんなお気になさらず」

 

 赤ずくめが問い掛けることで、初めてアルから“見つめる”以外の反応が返ってきた。もっとも、それは彼が想定していた(と同時に望んでもいた)いずれとも大分違っていたが。

 

「まぁ良い。――後悔すんなよ?」

 

 赤ずくめはそう言うと、アルをじっと見つめながら呪文を唱え――

 

「――――!」

 

 ていたまさにそのとき、突然こちらに向かってきたアルに彼は驚きで目を見開き、杖を向けていたその腕をほぼ反射的に引っ込めた。体を回転させながら胸を反らすことで、襟元辺りを目掛けて伸びていた彼女の腕をギリギリのところで避けた。

 赤ずくめは体を捻る勢いのままその場から離れ、彼とアルは互いに位置を入れ替えた。しかしそこで彼は止まることなく、その勢いのまま体を半回転させてアルへと向き直ると、未だに背中を向けている彼女へ杖を向けた。

 そして彼はほんの少しだけ口を動かして、呪文の残りを完成させた。通常、不測の事態に陥るなどして呪文の詠唱を中断させると、魔術の発動は失敗に終わって何も起こらなくなる。しかし一時的にゆっくり発音して呪文を引き伸ばすことで、詠唱の効果を持続させることができる。

 その結果、当初の予定とは多少のズレが生じたが、当初の予定通りの魔術が発動した。相手に対してまるで壁のように炎が迫ってくる、対多人戦において無類の強さを誇る赤魔術の1つ《フレイム・ウォール》である。

 

「――――!」

 

 しかしアルはメラメラと燃え盛る音と急速に熱くなる背中に反応し、ちらりと一瞬だけ見遣ってどのような魔術か確認するや、即座に両脚で思いっきり地面を蹴ってその場から跳び上がった。

 彼女の体は一瞬の内に自身の身長を超え、男の身長さえも超えた。いくら名前に“壁”(ウォール)と付けられていても、通常は魔力の消費量も考えて相手の身長よりも高い場所にまで炎を伸ばすことはしない。なので炎の壁は彼女の足元を通り過ぎていき、彼女の体は火傷1つ負うことはなかった。

 

「な――――!」

 

 そしてそんな彼女の行動に、赤ずくめは少なからぬ衝撃を受けた。それはそうだろう。警察の格好をしているとはいえ、ちょっと近づけば小さな体躯の少女であることはすぐに分かった。そんな彼女が突然殴り掛かってきたばかりか、自分の魔術を自身の身長よりも高く跳び上がって避ける(しかも魔術を一切使わずに)なんて想定できるはずもない。

 しかし、いつまでも驚いてばかりもいられない。自身の身長よりも高く跳び上がった彼女が、空中で体を回転させて、こちらに向かって落ちながらその脚を振り下ろしてきているのだから。

 赤ずくめは小さく舌打ちをすると、大きく後ろに飛び退いた。一瞬前まで彼の頭があった空間をアルの脚が通り過ぎ、舗装されていない土の道路に鋭い蹴りが放たれた。ずどぉんっ! と重低音が辺りの空気をビリビリと震わせ、そこを中心にほんの少しだけクレーターが出来ている。

 首をかしげながらゆっくりと立ち上がるアルを眺める赤ずくめの表情からは、最初の頃の余裕綽々な様子は既に無くなっていた。しかしながら、口元に浮かぶ微笑は今も健在である。

 

「……成程。随分と動けるようだな」

「まぁね」

 

 赤ずくめの言葉に短く答えたアルは、距離を保ったまま再び見つめ――ることなく、今度はすぐさま彼へと走り出した。常人では有り得ないその速度が、彼が無意識の内に想定していた自分のいる場所に辿り着くまでの目算を狂わせ、彼に意識できない程度の焦りを生じさせる。

 それでも彼は何百回と繰り返してきた呪文を一瞬の内に完成させ、杖の先端からアルの上半身ほどの大きさはある炎を撃ち出した。赤魔術の中では基本中の基本である《フレイム・ショット》だが、術者の実力とタイミングによっては充分に実戦で通用するものである。

 アルの足は常人よりも遥かに速いが、それは言い換えれば常人よりも遥かに早く相手に近づくことを意味する。赤ずくめの放った《フレイム・ショット》もかなりの速さであり、アルの感じる相対速度はかなりのものに違いない。

 にも拘わらず、アルは恐ろしい速度で迫る炎を、その速度を一切殺すことなく体勢を低くして避けた。あとほんの少し頭が高かったら丸焦げになっていたというのに、アルの表情には恐怖の類が一切浮かんでいない。

 むしろ、彼女の表情には楽しそうな笑みが浮かんでいた。

 

 炎を避けられたと瞬時に理解した赤ずくめは、即座に杖をアルへ向けて呪文の詠唱を開始した。

 しかしその瞬間、アルの姿がその場から掻き消えた。

 

「――――!」

 

 驚きで目を丸くする赤ずくめだが、次の瞬間には体を捻って後ろへと振り返りながら、杖を握り直して呪文を詠唱する。

 拳を握りしめながら彼の背中へと跳び掛かっていたアルは、彼がこちらへと向き直っていること、そして彼へ拳を振り下ろす前に呪文の詠唱が完了していることを悟り、即座に地面を蹴りつけ、思いっきり後ろへ飛び退いて彼から遠ざかった。

 彼女が直前までいた地面から勢いよく炎が噴き出したのは、それから一瞬後のことだった。

 

「うーむ……、さすがに簡単には近づけないか……」

 

 赤魔術師――つまり炎を主体として戦う魔術師は、基本的に相手と距離を取る傾向にある。周りを巻き込んで焼き尽くす大規模な攻撃の多い赤魔術を使うとき、その炎によって自分が巻き込まれないようにするためである。なのでその影響もあってか、赤魔術師は他の魔術師と比べても近接戦闘が苦手な者が多い。

 しかしこのレベルにまでなると、さすがにそれくらいの対策は取ってきているようだ。アルは赤ずくめをじっと見つめながら、心の中で無意識に付けていた彼への点数を上方修正した。

 

「…………」

 

 一方、彼女と相対する赤ずくめも同じだった。表面上は微笑を浮かべて戦闘を楽しんでいるように見えるが、というより実際にそうなのだが、パワーもスピードも想像以上な彼女に対し、無意識に持っていた侮りを消去していた。

 と、そのとき、

 

「ねぇ。とりあえず、今日のところはこの辺にしとかない?」

「……ぁあ?」

 

 アルのその呼び掛けは、赤ずくめにとっては完全に想定外だった。先程まではどちらかというと“楽しい”という表情をしていた彼が、それこそ遊びに夢中になっているところに水を差された子供のように、眉間に深い皺を寄せて明らかに機嫌を悪くしている。

 

「……何を言ってるんだ、てめぇ? 俺を捕まえるのが、てめぇらの仕事じゃねぇのか?」

 

 赤ずくめの言葉に、そういえば警察の格好をしてたんだっけ、とアルは現在の自分の服装を思い出した。

 

「いや、確かに今のわたしは警察の格好だけど、わたしは警察の人間じゃないんだよ」

「…………、はっ?」

「話すと長くなるから省くけど、今のわたしは警察に追われてて、さっさとこの街から逃げたいんだよね。こんな格好をしてるのも、警察の目を欺くためのものだし。だから今日のところは保留ということにして、決着はまた後日ということにしてくれると嬉しいな――」

「くくっ――」

 

 アルが事情を説明していると、なぜか赤ずくめがいきなり笑い声を漏らした。

 

「おまえの事情なんざ、今の俺には関係ねぇんだよ。そんなにこの場から逃げ出したいんなら、この俺を倒してから行けば良い。恨むんなら俺じゃなく、自分の運の無さを恨むんだな」

 

 そう言って再び杖を構える赤ずくめを見て、アルは悟った。

 

 ――あぁ、この人、面倒臭いタイプだな……。

 

 思わず溜息を吐きそうになったアルだが、気を引き締めて赤ずくめの動向に注目する――

 

「そこまでだ、〈火刑人〉! 杖を捨てて、大人しく両手を肩より上に挙げろ!」

 

 建物の陰から、屋根の上から、アルと同じ格好をした者達が一斉に姿を現した。その全員が杖を赤ずくめへと向けており、いつでも魔術を放てるように既に準備が整っていることが分かる。

 

 ――うっわ、やばっ……!

 

 警察の格好に着替えたことが功を奏したのか、とりあえず〈火刑人〉に勘違いされることはなかったが、今のアルはかなりまずい状態であることに変わりはない。とりあえず心持ち顔を俯かせながら、静かに事の成り行きを見守ることにした。

 

「さっさと杖を捨てろ、〈火刑人〉! この人数を相手に逃げられると思うな! 無駄な足掻きをせずに大人しく投降すれば、裁判のときに情状酌量の余地くらいは残してやっても良いぞ!」

 

 この辺りでは一番高い建物の屋根に上った、おそらくこの中では階級も年齢も一番上だと思われる警察官が叫ぶ姿を、赤ずくめはニヤニヤと笑いながら眺めていた。先程まで彼と対峙していたアルの目には、たった1人のアルを相手にしていたときよりも、今の状況の方が余裕を感じているように見えた。

 

「――いいぜ。ほらよ」

 

 それを示すように、赤ずくめは実にあっさりとした態度で、その手に持つ杖をこれ見よがしに放り捨てた。杖は綺麗な放物線を描いて、2人を取り囲む警察官の足元へと落ちた。仮に彼がそこまで杖を拾いに行こうとしても、その間に警察官達の杖から撃ち出される魔術が彼を襲うだろう。

 何かの罠を警戒してか、杖に一番近い警察官がゆっくりとした動きで杖に手を近づけていった。しかし何かが起こる気配は無く、そしてそれは警察官が杖を拾い上げた後も変わらなかった。

 それを確認した他の警察官達が、ゆっくりとした足取りで赤ずくめへと近づいていく。その際、杖を彼へ向けておくのは忘れない。杖を1本捨てたからといって、スペアの杖を持っている可能性は充分にある。

 

 そうして警察官による包囲網が徐々に小さくなっていくのに合わせて、警察官の格好をしたアルがジリジリと赤ずくめから距離を取り始めた。本物の警察官とすぐ傍で擦れ違ったときは心臓が飛び出るかと思うくらいに緊張したが、幸いにも彼らは赤ずくめの方に夢中でアルを気にも留めていなかった、

 

「おい、おまえ」

「――――!」

 

 と思っていたそのとき、ふいに聞こえてきたその声に、アルはピタリと足を止めた。

 なるべく顔を上げないようにそちらへ視線を向けると、そこには、がっしりした体格をしている三十歳前後の男がいた。アルと同じ格好をしている彼は、当然ながら本物の警察官である。

 

「…………」

「…………」

 

 口を引き結び鋭い視線で見下ろす男に、制服のフードを深く被って地面を見つめるアル。

 視線こそ合っていないものの互いに向かい合う形になったところで、男が口を開いた。

 

「おまえ、なぜ〈火刑人〉と交戦した? 指示があるまで奴とは接触するな、と命令されていたはずだ」

「…………」

 

 男に問い掛けられても、アルは口を開かずにじっと顔を俯かせたままでいる。

 すると男はその大きな手を開いて、アルの頭へゆっくりと伸ばしてきた。傍目には分からない程度に、アルは体に力を籠める。

 そして、

 

「――よく〈火刑人〉を引き留めてくれたな」

 

 ぽん、と優しい手つきでアルの頭にその手を置くと、彼はアルから引き継ぐようにして赤ずくめへと近づいていった。

 

「…………」

 

 手を置かれた頭に自分の手を添えながら、アルはその警察官の背中をじっと眺めていた。

 しかし数秒後、彼女は思い出したように再び歩き始め、目立たないようにゆっくりとその場を離れていった。

 

 さて、この場から警察官の姿をした人物が1人いなくなっていることも露知らず、本物の警察官達の包囲網は赤ずくめの男を中心としてジワジワと狭まっていき、やがて腕を伸ばせば届く距離まであと数歩という所まで来た。

 そしてそれを見つめる赤ずくめは、これといった動きを見せることもなく、ただ彼らが近づいてくるのをじっと見つめているだけ――

 

「――――!」

「貴様――」

「何をする――」

 

 と、今まで何のリアクションもせずに突っ立っているだけだった赤ずくめが、突然肩に提げた布袋にその手を突っ込んだ。何をする気か分からないが、それを止めるべく警察官達は即座に魔術の発動に掛かる。彼らの持つ杖の先端から、炎や火花がバチバチと溜まっていく。

 そしていざそれが放たれようとしたまさにそのとき、布袋に突っ込んでいた手が引き抜かれ、その勢いのまま何かが空中に放り出された。赤ずくめを目の前にして、警察官達は咄嗟にそちらへと視線を向けてしまう。

 

 それは、ガラスのような素材でできた掌サイズの球体だった。もしも無色透明だったら占いで使う水晶玉かとも思っただろうが、これは絵の具を塗りたくったような真っ赤な色合いをしている。

 その球体は綺麗な放物線を描いて、先程まで大声で男に呼び掛けていた警察官へと近づいていく。てっきり何かしらの魔術が飛んでくるものだと思っていた彼は、その球体が何物なのかを推し量っていたために反応するのが遅れ、ただじっとその球体を見つめるだけの時間ができた。

 

 その時間が、まさしく“命取り”だった。

 

 ぴしっ――。

 

 球体の表面に、深々と亀裂が走った。

 透明な球体に詰まっていた真っ赤な“何か”が、亀裂の隙間からドロリと漏れ出した。

 その“何か”が外の空気に触れ、眩い光を放ち始める。

 そのことに警察官達が気づいた、次の瞬間、

 

 尋常ではない炎と熱が、瞬時に膨張する空気と共に、辺り一帯に襲い掛かった。

 

 

 *         *         *

 

 

「――うおっと!」

 

 赤ずくめと対峙した場所から少し離れて様子を見守っていたアルだったが、赤ずくめが赤い水晶玉を取り出した時点で嫌な予感がしたのか、すぐさまその場を離れて駆け出した。

 そして突如背後から聞こえてきた轟音に後ろを振り返ると、先程まで自分が眺めていた場所から黒い煙がもうもうと上がり、炎と同じ色の光が建物の陰から見え隠れしているのが見えた。耳を澄ませると、ごうごう、と様々な物を呑み込んで焼き尽くす音が風に乗って聞こえてくる。

 

 アルはその光景をじっと見つめながら、ふと先程の出来事を思い出した。

 自分を労うように頭に手を置いて、そのまま赤ずくめの男へと向かっていったあの警察官。

 そしておそらく、あそこで燃え盛る炎に巻き込まれたであろうあの警察官。

 そんな彼を思い起こしながら、アルはぽつりと呟いた。

 

「あれだけ近づいておきながら、案外バレないものなんだなぁ……」

 

 それ以上の感想が口から出ることなく、アルは心持ち早歩きで細い路地を歩いて行った。


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