〈暴食〉のアル   作:ゆうと00

56 / 83
第56話

「今の爆発……! もしかして、アルちゃんが……!」

 

 建物の向こう側から覗く空に突如爆発が巻き起こったのをバニラが目撃したのは、『赤いコートを身に纏った人物を目撃した』という情報を掴んだヴェルクに連れられて歩いていたときのことだった。

 まさにその方向から噴き上がった炎に、バニラの脳裏に最悪の事態が過ぎる。そのまま居ても立ってもいられず、バニラはすぐさま爆発のした方へと駆け出し――

 

「待った!」

 

 ていこうとするのを、ヴェルクが咄嗟に肩を掴んでそれを止めた。

 しかしバニラは、懸命にその腕を振り解こうともがいた。成人男性と少女だけあって力の差は歴然だが、それでもバニラは諦めようとしない。

 

「なんでですか、ヴェルクさん! 早く行かないと――」

「落ち着くんだ、バニラちゃん。その子がさっきの爆発に巻き込まれたと決まった訳じゃない」

「で、でも! あの辺りに赤いコートを着た人がいるって――」

「だから、それは〈火刑人〉を名乗る例の侵入者かもしれないだろ? 僕らはまず、目撃された赤いコートの人物がその子かどうかを見定めなきゃいけないんだ。もしかしたらそいつは例の侵入者で、そいつと出会うことで僕らに牙を剥くかもしれない」

 

 ヴェルクのその言葉を聞いて、バニラはようやく彼の腕を振り解こうとするのを止めた。そして肩を上下させるほどに荒げている息を、大きく深呼吸することで落ち着かせる。

 

「……ごめんなさい、ヴェルクさん」

「いや、構わないよ。友人が危険な目に遭ってるかもしれない状況で、落ち着けっていう方が無理な話だ。――大丈夫だよ、バニラちゃん。その子がたとえあそこにいたとしても、きっと上手くやり過ごしている。君の友人は、そういう子なんだろう?」

「……はい、そうですよね。あの子は足が速いから、きっと上手く逃げてますよね」

 

 バニラはぎこちない笑みを浮かべて、まるで自分に言い聞かせるように呟いた。とはいえ、忙しなく両手の指を動かして手遊びをしている様子から、彼女の現在の心理状態が容易に読み取れる。

 無理もないか、とヴェルクはそれを見て小さく溜息を吐いた。

 と、そのとき、

 

「――ん? 何だろう、あの子……」

 

 バニラがそう呟いて、手遊びを止めた。ヴェルクも、彼女の視線の先を目で追う。

 2人の前方、およそ大股で20歩ほど進んだ先にある建物の陰から、1人の少女が姿を現した。

 その少女の印象を一言で表すなら、まさに“黒”だった。ショートボブの黒髪に大きな黒瞳、そして着ている服も上下共に黒といった出で立ちだった。見た目の年齢は10代前半ほどだが、同年代の少女と比べてもひどく無表情で、布袋を袈裟懸けに提げ、右手に紙袋を握りしめている以外にこれといった持ち物は無い。

 そんな少女が、まさに先程爆発のあった方から姿を現した。爆発があったから逃げてきたにしては、やけに落ち着いているように思える。

 何となく少女のことが気になったバニラは、こっそり隣に目を遣ってヴェルクの様子を窺った。

 

「…………」

 

 ヴェルクは足を止めて、少女を注意深く観察しているように見えた。こめかみから汗が1筋流れ、口元を強く引き結んでいる。

 と、そんな2人の視線に気づいたのか、その少女がふいにこちらへと顔を向けた。黒曜石のように澄んだ黒瞳で見つめられると、まるでこちらの心中を覗き込もうとしているかのように錯覚する。

 

「…………」

 

 殴り掛かるには遠すぎるが魔法を使えば些細な距離で見つめ合う3人だったが、そんな睨めっこは少女がふいに顔を逸らして別方向へと歩いて行くことで終息を迎えた。彼女の姿が別の建物の陰に隠れて見えなくなった。

 

「ヴェルクさん……。今の女の子、何か気になることでもありましたか……?」

 

 そのタイミングで、バニラはヴェルクにそう尋ねた。大きく深呼吸して気分を落ち着かせようとしている彼は、1歩も動いていないのに全力疾走したかのようである。

 やがて深呼吸を終えたヴェルクは、少しだけ迷うような素振りをしてから口を開いた。

 

「……具体的に説明はできないけど、何だかあの子から只者じゃない雰囲気を感じてね」

「只者じゃない、ですか……」

 

 正直に言うと、バニラは彼女からそんな雰囲気を微塵も感じなかった。しかし賞金稼ぎをしている彼のことだ、きっと自分には分からない感覚があるのだろう、とバニラはそれを追及しようとはしなかった。

 

「とにかく、今はあの子を見つけないと!」

「……そうだね」

 

 少女が去っていった方をじっと見つめていたヴェルクだったが、バニラのその言葉で本来の目的を思い出し、再び路地を歩き始めた。

 

 

 *         *         *

 

 

「何、これ――!」

 

 空に立ち上る煙を追ってやって来たメリルの目に飛び込んできたのは、まさに“地獄”としか表現できない光景だった。

 国内外から芸術的だと称賛されるほどに綺麗な街並みが、ことごとく崩れ去って瓦礫の山と化している。あちこちで炎がゴウゴウと音をたてて燃え盛り、そこに人が暮らしていた痕跡である洗濯物や生活用品などを呑み込んでいくのが見て取れる。

 

 そしてそれと同じくらいに燃え盛っていたのが、人そのものだった。

 洗濯物を干していたであろう女性、同世代の友人と遊んでいたであろう子供、昼下がりの陽気を体に浴びて微睡んでいたであろう老人――。つい数分前まで賑やかに声をあげて動いていたであろう人々が、今では炎が肉を焦がす音だけを辺りに響かせていた。この場所にはそれ以外の音が一切無く、耳の痛くなるような静寂が重量を伴ってメリルに襲い掛かってくる。

 そんな光景に息を呑みながら、メリルはぐるりと辺りを見渡して、

 

「――――!」

 

 地面に倒れて燃え盛る人々の中に、黒のローブを身に纏い、桜の花びらをかたどったバッジを胸に付けた者達の存在に気がついた。その数は市民と比べても、けっして少なくなかった。

 そしてその全員が、メリルの命令によって動いていた者だった。

 

「――――」

 

 そんな光景にメリルは目を見開き、表情を引き攣らせて息を呑んだ。両脚がガクガクと震え、それに呼応するように奥歯をカタカタと鳴らしている。

 ついにはその場に立つことすらままならなくなり、彼女はその場に膝を――

 

「メリル!」

 

 付きかけたところで、すぐ隣にいたクルスに体を支えられた。メリルの膝はすんでのところで地面との接触を免れ、倒れかけた彼女の体はクルスの助けを借りながら再び直立の姿勢へと戻る。

 

「あなたがこの事件を任されているんでしょう! しっかりしなさい!」

 

 クルスの叱咤がメリルの耳を通して脳を揺さぶったことで、メリルの目に再び力が宿った。

 

「……ありがとうございます、クルス先輩」

 

 メリルは呟くようにそう言って、自分の体を支えるクルスの手をそっと押し退けた。彼女の脚は折れることなく自身の体重をしっかりと支え、瓦礫の散乱する地面を力強く踏みしめる。メリルが空を見上げると、何羽ものカラスが飛び交っているのが見える。

 おそらくカラスを通して現場を見ていた警察官が、既に病院へカラスを飛ばして医者を呼んでいることだろう。メリルは険しい表情で辺りを見渡すが、彼女が得意とする赤魔術は戦闘でこそ大活躍だが救助活動に至ってはほとんど役に立つ場面が無い。

 このような大惨事を前にして何もできない自分に、メリルは爪が食い込んで血を流すほどに拳を握りしめた。

 と、そのとき、

 

「……メリル、警部」

「――今の声!」

 

 炎の燃える音にすら掻き消されそうなその声を、メリルはけっして聞き漏らさなかった。今まで以上に目を凝らして辺りを見渡し、地面に倒れたまま動かない人々の中に、懸命に仰向けになろうとしている1人の男がいることに気がついた。メリルは瓦礫を越えて彼の下へ駆け寄り、彼の背中に腕を回して上体を起こしてあげた。

 警察官に支給される黒いローブには、着る者の体を守るために緑魔術の《セーブ》が掛けられている。しかしそんなローブでさえ今は原形を留めないほどにボロボロで、露出した肌は赤黒く変色しており見ているだけで痛々しい。

 

「――警部」

「喋らなくて良い! 今は少しでも体を――」

「警部……。か、〈火刑人〉は……、この街を、火の海にするつもりです……」

 

 ほとんど声にもなっていないような部下の言葉を、メリルは必死に聞き取ろうと、彼の口に耳を付ける勢いで顔を近づける。

 

「やっぱり〈火刑人〉の仕業か! 噂には聞いていたが、まさか奴の力がここまで――」

「いえ、純粋な実力ではありません……。奴は……、何かの“道具”を……、使っていました……」

「道具? 何だ、それは?」

 

 彼の体を想えば、何も喋らせずにそっとしておく方が得策だ。しかし少しでも情報が欲しい現状において、彼が必死に伝えようとしているのを遮る真似は取れなかった。

 

「奴は……我々に捕まりそうになったとき……、水晶玉……みたいなものを取り出しました……。色は赤で……、大きさは片手で掴めるくらい……」

「水晶玉?」

 

 その単語に反応したのは、2人の遣り取りを少し離れた場所で眺めていたクルスだった。

 

「その水晶玉に……、ヒビが入ったと思った瞬間……、そこから炎が噴き出して……、一気に爆発したんです……」

 

 炎を自在に操る赤魔術の中でも、“爆発”という現象は高難度に位置づけられている。特に街の一画を破壊するほどの魔術ともなれば、その難度はかなりのレベルにまで跳ね上がる。確かに〈火刑人〉ほどの実力者なら、それほどまでの魔術を操れたとしても不思議ではない。

 しかしそんな魔術を、杖ではなく水晶玉のようなもので発動させたことが、クルスとメリルには引っ掛かった。とはいえ、彼が文字通り命懸けで手に入れた情報を無下にすることはしない。

 それにその“水晶玉”を、2人は既に目撃している。

 

「ねぇ、メリル」

「はい。おそらくクルス先輩が見つけたあの水晶玉が、そうなんでしょう」

 

 メリルは険しい表情で小さく頷くと、目線だけを空へと向けた。たったそれだけの動作で、頭上にいたカラスが彼女に近寄っていく。

 そして彼女は、カラスへ向けて指示を出した。

 カラスの向こう側で聞いているであろう、自分の部下達へ。

 

「今から2つのグループに分かれて、それぞれ別の指示に従ってもらう! 第1班から第5班は引き続き〈火刑人〉の捜索! 奴との接触は今まで以上に慎重になること!」

 

 メリルはここで大きく息を吸い込んで、力強く次の言葉を放った。

 

「そして第6班から第15班は、この爆発を引き起こした“赤い水晶玉”の捜索! 〈火刑人〉の手によって、その水晶玉が街中に散らばっている可能性が高い! しかしどのような条件で爆発が起こるのか分からない以上、その扱いは最大限の注意を払ってほしい!」

 

 自分の部下に対して、非常に大きな危険を伴う命令を下すメリル。しかしそれでも、彼女はやらなければならなかった。これ以上、市民を犠牲にする訳にはいかない。

 カラスを通して部下がどのような返事をしたのか、後ろで眺めているだけのクルスには分からない。しかしメリルが大きく頷いたところを見ると、彼女の想いは部下にも伝わったようである。

 

 メリルは大きく息を吐き、カラスから手元へと視線を落とした。

 自分の知る情報を必死に上司へ伝えた彼は、彼女の腕の中で静かに目を閉じ、動かなくなっていた。

 

「…………」

 

 メリルはゆっくりとした動きで彼の上体を地面へと寝かせ、その場から立ち上がった。

 そして後ろを振り返らず、クルスへと話し掛ける。

 

「……先輩、どう思いますか?」

「正直、腑に落ちないわね。確かに〈火刑人〉ならばこの破壊力にも納得がいくけど、こんな派手な立ち回りは奴らしくないわ」

 

 辺りを見渡しながらクルスがそう答え、メリルも言葉無く頷いて同意した。

〈火刑人〉を語るうえで欠かせない『戦闘の余波で街1つを破壊した』という話が強烈なせいで忘れられがちだが、本来の〈火刑人〉はその強大な攻撃力とは裏腹に慎重に立ち回る“暗殺者”タイプだ。そもそもこの話自体があくまで“疑惑”の域を出ず、〈火刑人〉の仕業だと示す明確な証拠は存在しない。

 そうでなければ、これほどまでに有名な二つ名を持ちながら性別すら明らかになっていない、なんてことは有り得ない。

 

「とはいえ、本物だろうと偽物だろうと、今はそいつを捕まえないことには何も解決しないわ。――なのに良いの? 確かに市民の安全を確保するのはとても大事だけど、侵入者捜索の人員を水晶玉探しに割り振るなんて」

「構いません。――王軍に協力を要請します」

 

 メリルの力強い言葉に、クルスは僅かながらに驚いた表情を浮かべた。

 王軍はその名の通り“政府直属の軍隊”であり、いくらお膝元とはいえ王都の治安維持に駆り出されることは無い。しかし今回の場合は、王都の治安維持を超えて王家そのものに対するテロの可能性も示唆されている以上、軍の協力を得られる可能性は高い。

 しかしそれは、警察の領域に軍を介入させることを意味している。おそらく上層部は良い顔をしないだろうが、背に腹は代えられない。

 

「とにかく、一刻も早く〈火刑人〉を捕まえないと」

 

 決意を新たにするメリルの視線の先には、箒に乗って空からこちらへやって来る人影が幾つもあった。その全員が、医者であることを表す白衣を身に纏っている。

 この世界における“医療”とは基本的に、白魔術の治癒系統を患者に掛けることを指す場合が多い。その効力は術者の腕によるが、“名医”と称される魔術師の手に掛かれば、たとえ一度命を落としたとしても、死後間も無く処置を行えば生き返らせることが可能なほどに絶大だ。

 とにかく今は、1人でも多くの人々が助かることを祈るしかない。

 徐々にその姿を鮮明にしていく医者を眺めながら、メリルは沈痛な表情を浮かべた。

 

「…………」

 

 そしてその隣では、クルスが“ここにはいない緑髪の少女”のことを思い起こしていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 スラム街というのは周りに住む一般市民にとっては恐怖の対象だが、犯罪者にとっては自分の身を隠すのに好都合な場所である。道路が入り組んでいるために見つかり難く逃げやすいだけでなく、住人が警察に対して基本的に非協力的なため、自分の存在を警察にリークされにくいという利点もある。もっとも金を渡されたら途端に口が軽くなる傾向もあるため、完全に信用することはできないのだが。

 そしてそんな特殊な環境は、現在警察官の格好をして警察から逃げているアルにとっても有利に働いた。治安の悪い場所なので警察官が歩いていても不審に思われることはなく、住人達も警察には関わりたくないので勝手に目を逸らしてくれる。先程のように血気盛んな者に絡まれる可能性も無くはないが、あれ自体がイレギュラーみたいなものだ。

 

「あん? なんで警察様がこんな所にいるんだぁ?」

 

 と思っていたところに、アルに明らかな喧嘩腰で声を掛けてくる人物に出くわした。

 その人物は細い道路の端っこに座り込む、見た目には50代くらいに見える薄汚れた男だった。傍らに置かれた透明な液体の入った細長いビン、そして随分と真っ赤に染まった彼の顔から、おそらく酒に酔っているものと思われる。

 そしてそんな男の目の前にはゴザが敷かれ、様々な物が陳列されていた。魔術に使う古ぼけた杖だったり、小さなビンに詰められた青い液体だったり、金属でできた小さなパーツで組まれたよく分からない物だったりと、売っている物こそアレだが露店のようだ。

 

 ――ん? アレって……。

 

 そしてアルはそんなゴザの隅っこに、ガラスのような素材でできた掌サイズの球体もあった。もしも無色透明だったら占いで使う水晶玉かとも思っただろうが、これは絵の具を塗りたくったような真っ赤な色合いをしている。

 

「何ジロジロ見てんだよ。俺はただ真っ当に商売してるだけだろうが」

 

 その視線を勘違いしたのか、その男は明らかに敵意を剥き出しにして警察官(の格好をしたアル)を睨みつけた。

 

「露天商は街の決められた区域で、事前に政府に許可を申請して認められた物だけしか販売できないよ。それに商売したいんなら、ちゃんと政府にお金を払わないと」

「あぁ? そんな話聞いたことねぇぞ。俺みたいな貧乏人に金払えってのか?」

 

 アルの言葉に、男はますます苛立ちを募らせている様子だった。ちなみにロンドの街で露店を開くために必要な手数料は、銅貨(この世界で最も安い通貨)1枚だ。正直なところ、普通に商売している人間なら惜しむような額ではない。

 もしこれを拒むような者がいるとすれば、銅貨1枚すら惜しむほどにケチか、何を売るつもりなのか知られたくないか、のどちらかだろう。売り物である杖が妙に使い古されていたりすることから、おそらくこの商品は正規の手段で手に入れた物ではないのかもしれない。

 アルは目の前の商品を物色するフリをして、隅っこに置かれた真っ赤な水晶玉をちらりと見遣った。

 

「この水晶玉みたいなのは、どうやって手に入れたの?」

「警察に教えてやる義理は無ぇなぁ」

「これはどういう物で、どうやって使うの?」

「さぁ、どうだったかなぁ。――何かくれたら、思い出せることもあるかもしれねぇな」

 

 男はそう言ってニヤリと笑みを浮かべると、アルへ向けてその汚れた右手を差し出してきた。

 あまりにも分かりやすい男の態度に、アルがどうするか考えを巡らせ始めたそのとき、

 

「おい、そこのおまえ」

 

 まっすぐ放たれた鋭い声が、アルの耳に届いた。彼女は極力顔を上げないように視線だけを動かして、声の主を確認する。

 そこにいたのは、40代前半くらいに見えるベテラン風の警察官だった。元々目つきの悪いその両目をギロリと動かして睨みつけているのは、路上で無許可の露店を開いている男ではなく、傍目には彼に職務質問をしているように見えるアルだった。

 そしてそんな彼の隣では、頬のこけた痩せ形の男(こちらも同じく警察官の格好をしている)が同じようにアルを見つめている。

 

「何をこんな所で油を売ってるんだ? 今がどういう状況か分かっているのか?」

 

 警察官の問い掛けに、アルは男が売っている赤い水晶玉のことを正直に話そうか迷いながら、その水晶玉へと視線を向けた。

 それに釣られるように同じ方向へ視線を遣った警察官2人が、その水晶玉を見つけてほんの僅かに目を見開いた。その反応を見て、アルは赤い水晶玉の情報が他の警察官にも伝わっていることを確認する。

 

「申し訳ございません。先程の情報に似た物を見つけたので、事情聴取をしておりました」

「……成程、確かに先程のメリル警部からの情報に似たものがあるな」

 

 ベテラン風の警察官の言葉に合わせて、頬のこけた警察官が露天商の男へと近づいていった。先程のアルまでとは真剣味が違うことを悟ったのか、男の方も「な、何だよてめぇ……」と威嚇しながらも及び腰になっている。

 

「それでは、私は〈火刑人〉の捜索に戻ります」

 

 ここは先輩に任せて自分は仕事に戻ります、という雰囲気を醸し出しながら、アルは頭を下げて足早にその場を立ち去ろうとした。

 すると即座に「待て」と彼女の背中に声が掛けられた。

 

「おまえ、見ない顔だな。新人か?」

「……はい、つい最近配属された“クルス”といいます。至らぬ点もあると思いますが、よろしくお願いします」

 

 アルは平然とした表情でクルスの名を騙り、丁寧にお辞儀をした。ベテラン風の警察官は相変わらず疑いの目を向けてくるが、それでもアルの表情が揺らぐことはない。

 

「それでは、失礼します」

 

 そしてアルはそう言い残すと、後ろを振り返ってそそくさとその場を後に――

 

「おまえの連れは、今どこにいる?」

「…………」

 

 その質問に、アルはその足をピタリと止めた。

 

「警察官だったら、当然知っているだろ? 様々な事態に対応するために、俺達は常に2人1組で行動する決まりになっている。犯人を追っているときのような非常事態ならまだしも、無許可での露店販売への職務質問程度で1人になることはない」

「…………」

「もう一度訊く。おまえの連れは、今どこにいる?」

「…………」

 

 警察官の質問に、アルは一切口を開こうとしなかった。石畳の無い土の道路を踏み鳴らす音が背後から徐々に近づいてきても、アルは後ろを振り返ることすらせずにその場に立ったままでいる。

 そして彼女のすぐ後ろで、ザリッ、と音がした次の瞬間、

 

「――――!」

 

 がきぃっ!

 

 アルが突然体勢を低くして右脚を鋭く後ろに突き出し、その直後に辺りに鳴り響いた固い物同士がぶつかるような音に、アルはほんの僅かに目を見開いた。

 彼女の右脚はまっすぐ警察官の鳩尾へと伸び、そしてそこに触れる直前で見えない壁に阻まれるように留まっていた。ほんの少しだけ視線を動かすと、警察官の右手に杖が握られているのが確認できる。

 

 ――成程、《エア・シールド》か……。

 

 記憶に新しい魔術の名称がアルの脳裏を過ぎったそのときには、彼女は地面を思いっきり蹴ってその場を離脱していた。

 そして次の瞬間に、彼女がいたその空間を風の刃が通り過ぎた。もう1人の警察官が放った《ウィンディ・シザーズ》が仲間の体を掠めるが、彼はまるで動揺する様子を見せず、ピクリとも体を動かさなかった。

 その目は少し離れた場所に着地するアルを未だに捉え、そしてその口は小さく呪文を紡いでいた。体内に貯蔵された魔力が杖を介して外の世界に出現し、術者の意思に沿って自然現象へと変化を遂げる。

 

 そして杖の先端から、まるで台風かと思うほどに強力な空気のうねりが生まれ、それがまっすぐアルへと襲い掛かった。避けるのは不可能であり、しかしそれ自体に殺傷力は無いと判断したアルは、咄嗟にその場で体を屈めてそれに備える。

 数秒間を掛けて爆発的な速さで通り過ぎた空気の塊を、アルは目論見通りに耐えきった。風が止んだ後も、彼女の体は1歩も動くことなくそこに留まっていた。

 唯一、誤算があるとすれば、

 

「その緑色の髪……! まさか――」

「生きていたというのか……!」

 

 アルの頭部を覆い隠していたフードが捲れ上がり、彼女の顔を顕わにしてしまったことくらいだろう。

 目を丸くして驚く警察官2人に、アルは小さく溜息を吐いて呟いた。

 

「あーあ、バレちゃったか。――仕方ない」


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。