〈暴食〉のアル   作:ゆうと00

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第60話

「――き、貴様、何者だ!」

 

 近くの建物から突然現れた赤ずくめの乱入者に、その兵士は最初意識を奪われたように呆然としていたが、やがてハッと我に返ると、その手に持つ剣を構えながら鋭い視線で問い掛けた。乱入者はそれに対して大きな反応を見せず、大きなフードによって口元以外覆い隠されたその顔を彼へと向けるのみである。

 一方そんな光景を目の当たりにした、爆弾が飛んできたときから兵士に守られるようにして後ろに佇んでいたバニラは、彼の行動にギョッと目を丸くして慌てて駆け寄った。

 

「ま、待ってください! あの人はさっき、私達を爆弾から助けてくれました! もしかしたら、私達の味方かも――」

「君は一刻も早く、ここから離れて!」

 

 バニラの言葉に取り付く島も無いといった感じで兵士はそれを遮り、剣を握りしめる手に力を込めて魔力を注入し始めた。

 

 ――ど、どうしよう……!

 

 彼の取ったその行動は、確かに当然といえるだろう。いくら爆弾から自分達を助けてくれたとはいえ、その爆弾を投げつけた犯人と瓜二つな服装をした人物を簡単に信用するなんてできるはずが無い。

 それを分かっているからこそ、バニラは内心大慌てだった。今は顔のほとんどが見えないためにバレていないが、先程顔がチラリと見えたときにその正体がアルだということは確認済みだ。彼女の視線は焦りを表すように、兵士と乱入者――アルの間を頻りに行ったり来たりしていた。

 と、そのとき、

 

「――待ってください! その人は我々の味方です! その剣を下してください!」

 

 先程アルが飛び出した建物から勢いよく駆け出して姿を現した(先程と違って今度はちゃんと1階のドアからである)のは、服のあちこちが焦げてボロボロになり、そこから覗く肌にもひどい火傷を負っているヴェルクだった。

 

「ヴェルクさんっ! どうして――!」

 

 その姿を見たバニラは、思わず叫ぶように彼へと問い掛けた。“どうして”という言葉には『どうしてここにいるのか』という意味と『どうしてそんな重傷を負っているのか』という意味の両方が込められている。

 そして剣を構える兵士は、さらに現れた乱入者の存在に、そして後ろの少女がその人物に呼び掛けた名前の両方によって、大きく目を見開いて驚きを露わにしていた。

 

「ヴェルク……まさか、〈狩人〉のヴェルクか?」

 

 彼の問い掛けに、ヴェルクは若干口元に笑みを浮かべて頷いた。バニラにはその笑みが、なぜだか自嘲しているように見えた。

 ヴェルクの登場により、兵士の表情に迷いが生まれた。彼はヴェルクが、ならず者の多い賞金稼ぎの中で珍しく警察に協力的であり、今回の事件においても侵入者捜索に参加していることを知っている。そんな彼が味方と称する赤ずくめの乱入者へ向けた剣が、ほんの少しだけブレを見せた。

 そして彼は判断を仰ぐべく、自分の上司でもあるキーラへと視線を向け――

 

「いつまで俺を放っておいてんだよ! 寂しいじゃねぇかっ!」

 

 ようとしたそのとき、赤ずくめの侵入者である男の叫び声と共に、強烈な光と熱と音が兵士達へと一気に襲い掛かってきた。それは例えるならば炎の津波であり、ここにいる4人を呑み込んで尚余りあるほどに巨大な炎が、彼らの視界を塗り潰さんと迫ってくる。

 

「ま、まずい――」

 

 誰かがそう呟いた次の瞬間、立ち位置的には炎と最も近い場所にいるアルが、炎と対峙するように向き直った。

 

「待って、ア――」

 

 バニラが何かを叫ぼうとしたその間にも炎はみるみる迫っていき、やがてゴウゴウと発せられる音がバニラの声を掻き消し、周囲に無造作にバラ撒かれる熱だけで肌がヒリヒリと痛むまでになっている。

 このまま炎に呑まれて焼かれてしまう、とバニラは思わず目を瞑った。

 そして、

 

「――――えっ?」

 

 炎に焼かれる感触がなかなかやって来ないと思いバニラが目を開けると、眼前まで迫っていた炎が、まるで見えない壁に阻まれているかのようにその場に留まっていた。

 そしてその真正面には、魔術師が普段使うような杖を右手に持ち、その先端を炎へとまっすぐ伸ばすアルの背中があった。

 まるで、彼女が魔術を使って炎の進撃を食い止めたかのように。

 

 ――えっ、な、なんで……? アルちゃんって、魔術が全然使えなかったんだよね……?

 

 その光景に、バニラの脳内は混乱の極みへと達していた。彼女の記憶の限りでは、アルはこの世界の人間ならだれでも乗れるはずの箒にすら乗れない、魔術を使うどころか碌に魔力を操ることすらできないはずだった。

 と、バニラがそんなことを考えていると、

 

「ぐぅ――!」

 

 遠くから何かを堪えるようなくぐもった声が聞こえ、バニラ達は咄嗟にそちらへと顔を向けた。

 侵入者の男が左の二の腕を右手で押さえ、そこから(コートの色のせいで分かりにくいが)赤黒い血が滲んでいるのが分かった。彼はその姿勢で大きく後ろに跳び退いており、その視線の先には剣を構えたキーラの姿があり、その剣の刃がほんの微かに赤く染まっているのが見えた。

 

「しめたっ! 今の内にここを離脱するぞ!」

 

 それを見て兵士が顔に喜色を浮かべ、すぐさまバニラへと振り返ってそう呼び掛けた。

 

「ま、待ってください! ア――あの人がっ!」

 

 いくら炎が止まったように見えたとはいえ、アルがこの中で最も炎に近づいたことは事実。彼女のことが心配だとか今の出来事について尋ねたいとか、様々な感情が綯い交ぜになったバニラはとにかく彼女の傍に駆け寄りたかった。

 しかしそれを止めたのは、彼女の隣に付き従うように立っていたヴェルクだった。

 

「バニラちゃん、とにかくここは危険だ、一刻も早く離れよう」

「でもヴェルクさん――」

 

 尚も反論しようとするバニラに対し、ヴェルクはスッと腰を折って彼女の耳元に口を近づけた。

 

「大丈夫だよ、バニラちゃん。――“彼女”は僕なんかより、遥かに強い」

「――――! ヴェルクさん、もしかして知って――」

 

 目を大きく見開いて何か言おうとするバニラを、ヴェルクは彼女の肩を軽く叩いて止めた。

 

「僕も一緒に行きますよ。万が一にも仲間に襲われないとも限らない」

「分かりました、よろしくお願いします」

 

 ヴェルクの提案に兵士が真剣な表情で頷き、バニラは2人に両脇を挟まれた状態でこの場を離れることとなった。

 

 ――アルちゃん……。

 

 2人に連れられてこの場を離れる最中、バニラは一度だけアルの方を振り返った。

 真っ赤なフードとコートで身を隠す彼女は、離れた場所で対峙する赤ずくめの侵入者を見つめるばかりで、こちらに意識を向ける気配すら無かった。

 それはそうだろう。この場面において、2人は“ただの他人”なのだから。

 

「…………」

 

 心の中だけで彼女の無事を祈りながら、バニラはヴェルクと兵士と共にその場を離れていった。

 

 

 *         *         *

 

 

 ――今、何が起こった……?

 

 侵入者の男がキーラの剣を避けきれなかったのは、簡単に言えば『バニラ達を攻撃している隙を突かれたから』となる。しかし別の相手に杖を向けている隙にキーラが攻撃を仕掛けることくらい彼も想定済みであり、もし彼が()()()()()()()()()彼女の剣を華麗に避け、反撃の1つもしていたに違いない。

 しかし実際はそれができず、咄嗟に身を翻したことで深手こそ負わなかったものの、けっして無視できない怪我を負う羽目になってしまった。

 その原因はひとえに、先程自分の炎を赤ずくめの乱入者に防がれたことにあった。

 いや、防がれたこと自体が理由ではない。問題は、その“方法”にあった。

 

 ――あのとき、確かに俺の炎は()()()()()()()()()()()()……。風系統か何かの魔術で防いだなら、こんな感覚になるはずがない……。

 

 その感覚は、あの炎を操っていた彼だからこそ抱いたものだった。

 そもそも魔術師が自分の魔術で生み出した炎や雷で怪我をしないのは、その炎や雷に内在する自身の魔力を媒介にしてそれらを制御しているからだ。それは魔術を使える大多数の人間が持っていて当然の感覚ではあるが、自在に操れるようになるにはそれなりに鍛錬が必要となるし、その練度にも個人差がある。特に雷は難易度が高く非常に危険なため、学院でも2年生になるまでは実技の授業が行われないほどだ。

 だからこそ、他の誰かが生み出した炎や雷を操ることは不可能だ、というのが学院の教科書にも書かれている定説である。それはどこかに燃え移った炎のように一旦自分の手を離れた炎や雷などに対しても同様で、一部の研究機関では今も研究が続けられているものの、定説を覆すほどの有力な発見には至っていないのが現状だ。

 

 だがあのとき確かに、自分の炎が自分の手から離れていく感覚があった。自分の意志でその制御を手放した可能性が無い以上、あの乱入者が何かしらの魔法を使って炎を食い止めたのではなく、炎の制御を奪い取ってそれ自体を操っていたということを意味している。

 そんなことができる者など、それこそ――

 

「はあぁっ!」

 

 侵入者の思考を塗り潰すかのように、剣を振り上げたキーラが雄叫びをあげながら彼へ迫ってきた。彼はそれを舌打ちで迎えると、ほんの僅かに体を横にずらして剣筋から逃れ、杖を彼女に向けて小さく呪文を唱えた。

 それに気づいたキーラが振り下ろした剣を咄嗟に引き寄せ、彼の杖と自分の間に滑り込ませたのと同時、2人の間で激しい音をたてて爆発が巻き起こった。指向性を持たせているためにエネルギーの全てがキーラへと襲い掛かるその爆発に、彼女の体は風系統の魔術に守られながらも大きく後ろに吹き飛んだ。

 

 しかし彼はそこで一息吐くことなく、すぐさま別の呪文を紡いでその杖を横に薙いだ。杖の動きに合わせて炎がカーブを描きながら空中に生み出され、こちらに向かって猛スピードで突っ込んでくる乱入者へと襲い掛かった。

 そして乱入者はそれを見てもスピードを緩めることはなく、何の迷いも見せずにその炎へと突っ込んでいった。その体が一瞬だけ炎に包まれたようにも見えたが、その直後に炎が弾け飛ぶように霧散し、まったく勢いを緩めることなく走り続ける乱入者の姿が露わになった。

 

 ――また“あの感覚”だ……。まさかこいつが……?

 

 そのカラクリは非常に気になるところではあるが、今は目の前の乱入者をどうにかすることが先決だ。彼はより近い距離でそいつを目にしたことで、意外にも小さな体躯をしていることを知るや、防がれる危険性のある赤魔術ではなく純粋な格闘術で応戦することにした。魔術ほどではないにしろ、自分より体格の劣る相手に後れを取るほど柔な鍛え方をしているつもりは無い。

 

「――――!」

 

 しかし互いに腕を伸ばせば届く距離にまで近づいたとき、乱入者のフードがチラリと動き、ほんの少しだけその奥に隠された顔が明らかとなった。宝石のように鮮やかな瞳に彼の記憶が呼び起されたその直後、乱入者――アルの右の拳が自分の顔面を目掛けて向かってきているのが見えた。

 防御の姿勢を取りかけていた彼は一瞬の判断でそれを中断し、代わりに体勢を低くして回避の行動に移った。彼のこめかみにアルの拳が掠り、それだけで彼の意識が大きく揺さぶられる。しかし待ち構えるようにアルの左の拳が顔面に向かっていることに気付き、自分の体を大きく仰け反らせながらその杖を彼女の胴体に向けて呪文を唱えた。

 

「ぐっ――!」

 

 アルの拳が顔面に当たった瞬間に魔術が発動し、それを避けるためにアルが後ろに跳び退いたことで衝撃が弱くなったことで、アルの拳は彼の意識を奪うには至らなかった。しかしそれでもかなりのダメージを負ったようで、彼の目は若干虚ろになり、足元が微かにふらついている。

 そしてアルとの攻防の間に戻ってきたキーラが、再び剣を構えてこちらへ駆け寄ってくるのが見える。

 

「……てめぇら、いい加減にしやがれっ!」

 

 キーラ1人を相手にしていたときの余裕はすっかり鳴りを潜め、彼は必死の形相で怒りをまき散らすように叫ぶと、体に身に着けていた手提げ袋に手を突っ込み、そこから真っ赤な水晶玉のような爆弾を取り出した。

 そしてそれを、キーラへと投げつけた。

 

「――――!」

 

 彼女の脳裏に街中で起こったあの爆発の惨状が駆け巡り、彼女は目を大きく見開いて駆けるスピードをさらに上げた。彼が口にしたときには半信半疑だったが、先程のアルの行動から起動する前に壊してしまえば爆発しないことは証明済みだ。

 

「無駄だよ」

 

 しかし彼の言葉通り、未だに剣を伸ばしても届かない距離がある時点で、空中に浮かぶその爆弾に亀裂が走った。透明な球体に詰まっていた真っ赤な“何か”が亀裂の隙間からドロリと漏れ出し、それが外の空気に触れたことで眩い光を放ち始める。

 キーラはその光景に舌打ちするとその場に踏み留まり、手に持つ剣にありったけの魔力を注ぎ込んで空気の壁を何重にも展開した。あの爆発の規模からしておそらく無事では済まないだろうが、周辺地域を封鎖したために人的被害が無いことが彼女にとってせめてもの救いだった。

 

 と、キーラが覚悟を決めたそのとき、全速力で駆け寄ってきたアルが彼女の正面に割り込んだ。今にも爆発しそうな爆弾をまっすぐ見据え、その手に持つ杖を爆弾に向けるその姿に迷いは無い。

 

「待て! 無茶だ――」

 

 思わずキーラが叫んだのと同時、ガラスが割れるように爆弾が砕け散り、尋常ではない炎と熱が瞬時に膨張する空気に乗って2人に襲い掛かった。

 キーラは剣を握りしめる手に力を込め、空気の壁の強度を高めるために魔力をさらに注ぎ込み、同時にやって来るであろう激しい衝撃に備えて歯を食い縛った。

 そして、

 

「――――、えっ?」

 

 キーラは目の前の光景に、ただただ唖然としていた。

 ちょうど爆弾があったその場所を中心として、周囲を真っ赤に染め上げるほどに膨大な炎が空中で渦巻いていた。炎の燃え盛る音が獣の鳴き声のように響き渡り、周囲の空気が熱せられたことで気圧差が生まれたのか、そこを起点として激しい風が巻き起こっている。

 しかしながら、その炎がこちらに迫ってくることは一切無かった。まるで檻に閉じ込められた獣がそれを突き破ろうとするように暴れ回っているが、その檻が非常に強固なものなのか突き破られる様子は見られない。

 それはまさに、爆発の瞬間に時間が停止したかのような光景だった。

 

「な、なんだ、これは……!」

 

 そしてキーラと同じく、爆弾を放り投げた赤ずくめの侵入者も同じように呆然としていた。いや、彼の方がより驚きが大きいかもしれない。街を一瞬で瓦礫の山と変える爆弾の威力を知っているのは、他の誰でもない彼自身に違いないのだから。

 そんな2人の驚きを余所に、アルは手に持つ杖を動かして侵入者の男へと向けた。

 その動きに合わせるように、その炎の塊が彼に向かって動き出した。

 しかし彼はその炎に一切視線を向けることなく、真っ赤なコートで全身を覆ったアルだけをじっと見つめていた。

 

「まさか、あなたが本物の〈火刑人〉――」

 

 ぽつりと呟かれた彼の言葉は、彼自身と一緒に炎の塊に呑み込まれていった。


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