〈暴食〉のアル   作:ゆうと00

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第61話

 街の一角を瓦礫の山と変えるほどの威力を持った爆発のエネルギーを一身に受けた赤ずくめの侵入者だが、炎に呑み込まれた直後にキーラが攻撃を止めるようアルに叫んだことで彼は一命を取り留めた。

 しかし彼は重度の火傷を全身に負って見るも無惨な姿と化し、いつ死んでもおかしくない状態であることは変わりなかった。よってキーラは急いで部下を走らせ、白魔術に長けた医療魔術師をその場に呼び寄せた。

 

 キーラがここまで彼を助けようとしたのは、何も彼に同情したわけではない。イグリシア国の王都に対して爆弾テロを仕掛けたその理由を聞き出すためであり、彼の背後に何らかの組織が絡んでいないか確かめるためである。

 とはいえ、彼の性格からして素直に喋ることは期待できない――と誰もが思っていたのだが、意識を回復させてからの彼はまるで別人かのように穏やかな表情となり、キーラの尋問にも積極的に答えてみせた。

 そこから分かった、彼がロンドに爆弾テロを仕掛けた理由というのが、

 

「――〈火刑人〉に、自分の存在をアピールしたかった?」

 

 キーラからの報告が信じられず、メリルは無意識の内にその内容を自分の口で復唱した。それでも尚、彼女はそれを素直に受け入れることができなかった。

 しかしそんな彼女を責める者は、この場にはいなかった。メリルの隣でそれを聞いたクルス、そしてあの戦場から離脱してクルスとの再会を果たしたバニラは疑問符を浮かべているし、報告をしているキーラ本人でさえ自分で言っていることの意味を半分も理解していないからだ。

 

「あの男はどうやら〈火刑人〉の熱狂的なファンらしく、奴に関する多くの事件を独自に調べ上げていたそうです。そんなときに奴の『戦闘の余波で街が1つ壊滅した』というエピソードに甚く感銘を受けたらしく、自分もそれを実行して奴に自分のことを知ってほしかった、というのが犯人の証言でした」

「あいつが〈火刑人〉と同じ格好をしていたのは、少しでも本物に自分への興味を持ってもらいたかったから、ということかしら?」

「まぁ、平たく言えばそうなります。コスプレの意味も多分に含んでいるようでしたが」

「……奴に自分の存在をアピールして、それからどうするつもりだったのよ?」

 

 納得し難い表情でそう尋ねるクルスに、キーラも鏡映しのように同じ表情で答える。

 

「……それが、特に何も無いそうです。『自分にとって憧れの人物が、自分の存在を知っていることが重要なんだ』と、奴は力の籠もった声で語っていました」

「……つまりあいつは、政治的な思想も恨みを持つ相手も特に無く、ただただ“有名人に自分の存在を知ってほしい”っていうふざけた目的のためだけに、何の罪も無い一般市民を命の危険に晒した、ってことなの……?」

 

 小刻みに震えるメリルの声からは、彼女の胸の内から湧き上がってくる憤りが見て取れた。おそらく顔を俯かせた彼女の脳裏には、侵入者によって傷つけられた人々の光景が次々と浮かんでいることだろう。

 そんな彼女を前にして、あくまでキーラは目の前の職務を全うすべく改めて口を開いた。

 

「奴が自分の目的をここまで素直に話したのも、おそらく奴の目的が“既に達成されている”からかもしれません」

「……つまりあの戦闘に乱入してきた赤いコートを着た奴が、本物の〈火刑人〉だってこと?」

「少なくとも、あの男はそう考えているようです。実際に近くで見ていた私としても、奴が本物だったとしても不思議ではない、という印象を受けました」

 

 キーラのその言葉には、クルスも同意見だった。あれほどの惨状を生み出す爆発を完璧に制御してみせたともなれば、〈火刑人〉でないにしろ相当な手練れであることは間違いない。

 しかしクルスとしては、その結論に疑問を挟まざるを得なかった。彼女の視線は自然と、自分のすぐ傍で不安そうな表情を浮かべるバニラへと向けられる。

 クルスはバニラと合流した後、彼女の口からあの赤ずくめの乱入者の正体がアルで間違いないと聞かされている。今まで魔術と使うどころか魔力も碌に扱えなかった彼女が、そのような大それたことを成し遂げられるとはどうしても考えにくい。あるいは今までのは自分を弱く見せるための演技だったのか、とも思ったが、それなら“魔術がまったく使えない”なんてイレギュラー極まる設定にせず、素直に“実戦レベルの魔術は使えない”という設定にすれば済む話だ。

 ちなみにその乱入者については、戦闘が終わった直後にどこかへと去ってしまったそうだ。キーラとしては引き留めて事情を訊きたいところだったが、罪を犯すどころか犯人逮捕に協力した人間に対して、本人が嫌だと言っているのにむりやり引き留めることはできない。

 

 ――もしかしてアルは魔術を使って戦う“演技”をしただけで、実際には別の人間が魔術を使っていたとか……?

 

 クルスの頭の中には1つの仮説が浮かんでいたが、今考えても仕方のないことだ。後でアルと再会したときにでも、ゆっくりと事情を聞き出せば良い。

 それに、気になることはまだまだある。

 

「ところで、奴が使っていた“爆弾”については何か分かったの? 私はあんまり爆弾とか詳しくないけど、使用者の意図しないタイミングで破壊されたときは一切爆発が起こらない爆弾なんて、今まで見たことも聞いたことも無いわよ」

 

 クルスの言葉に、キーラも「私もですよ」と頷いて答えた。

 あの爆弾を持ち込んだ“中央魔術研究所”の研究者達も、それを一通り調べた後にその性能を褒めちぎり、同時に自分達がそれを最初に開発できなかったことをかなり悔しがっていた。彼らは人格に一癖も二癖もある変わり者揃いだが、魔術に関する知識と技術は紛れもなく超一流だ。そんな彼らがそのような反応をするのだから、あの爆弾を作った人物はよほどの凄腕なのだろう。

 

「ちなみにあの爆弾について奴に尋ねたところ、奴は『或る人物に貰った』と答えました」

「貰った? どういうこと?」

 

 クルスが尋ねると、キーラは少しの間黙り込み頭の中で情報を整理してから口を開いた。

 

「そいつはある日突然、奴の前に現れたようです。そいつの狙いは奴が集めていた〈火刑人〉に関する資料であり、常日頃から自分の〈火刑人〉に対する想いを吐き出したい衝動に駆られていた奴は、喜んでそれをそいつに見せたそうです。――そしたらある日、そいつが例の爆弾を持ってきたそうです」

「……そいつが、あの爆弾を発明したってこと?」

「はい、そうです。そいつはその爆弾を奴に渡して、こう言ったそうです」

 

『君の尊敬する〈火刑人〉には遠く及ばないが、使用者の安全を最大限に配慮した特殊な爆弾を開発することに成功した。見た目にも爆弾だとは分からないように偽装しているから、上手く使えば街1つ破壊することくらい容易いだろう』

 

「……そいつの顔と名前は?」

 

 焦れったそうに問い掛けるメリルに、キーラは静かに首を横に振った。

 

「そいつに関しては、どれだけ問い質しても奴は答えませんでした。どうやらそいつに対して恩義を感じているらしく、たとえ拷問したとしても口を割らせるのは難しいでしょう」

「……でもまぁ、そんな爆弾が使われたのがあの1回で済んだのは、不幸中の幸いといったところかしら? その点は、あの……ヴェルクだっけ? とかいう賞金稼ぎに感謝しないとね」

 

 クルスの口から“ヴェルク”の名前が出てきたからか、今までずっと固く引き結んでいたメリルの口元からほんの僅かに笑みが零れた。

 

「そうですね……。ヴェルクさんがその爆弾の仕様を独自に突き止めて、それをカラスで私達に教えてくれたからこそ、最悪の事態を避けることができたんですから」

「まさか私が奴と戦っていたとき、街中にばら撒かれていた爆弾が既に破壊されていたとはな……」

 

 キーラが感心したように呟いた通り、彼女が侵入者の男との戦闘が終了した後、戦闘の途中で男が暴露した爆弾の仕様を急いで伝えようとしたのだが、そのときには既に発見された爆弾の全てが警察官達によって破壊されていたのである。

 詳しく話を聞いてみたところ、キーラが侵入者の男との戦闘に突入する直前、ヴェルクからカラスを通してそのことが伝えられたのだという。どうやらヴェルクはキーラの前にそいつと戦っていたらしく、爆弾の仕様はそのときに気づいたそうだ。

 

「ところで、そのヴェルクって人はどこに行ったのかしら?」

「奴との戦闘で深手を負っていたので、医療魔術師に治療してもらったのですが……。怪我が治った途端に『自分の役目は終わったので失礼します』と言って、どこかへ行ってしまいました」

「そうか、礼の1つでも言いたかったんだが……。しかし、普通の賞金稼ぎなら殊更に自分の成果をアピールして報奨金を無心するところだろうに、それを一切しないでその場を去るとは……。噂には聞いていたが、やはり他の賞金稼ぎとは違うようだ」

 

 キーラの言葉に、メリルも同意するように何度も小さく頷いていた。よっぽど彼を信用しているんだな、とクルスはどこか冷めた目つきでそれをすぐ隣から眺めていた。

 

「あれっ、おかしいな……」

 

 と、そのとき、どこかからそんな呟きが聞こえ、クルス達は一斉にそちらへと顔を向けた。

 そこには1人の若い警察官がいて、周りを頻りに見渡しながら不思議そうに首をかしげている。

 

「どうした? 何かあったのか?」

「あっ、メリル警部! お疲れ様です!」

 

 メリルに声を掛けられた若い警察官は、背筋を伸ばして敬礼をした後、先程の不思議そうな表情に戻って説明を始めた。

 

「それが、さっきからモーズ警部補とリゼ先輩の姿がどこにも無くて……。捜査員は一旦ここに集合ってことになってるのに、先に署に帰っちゃったんですかね……?」

「――――えっ?」

 

 

 *         *         *

 

 

 まったく舗装されずに土が露出しており、当たり前のようにゴミが散乱した、馬車1台入るのもままならないほどに狭い道。そんな道の両脇には、大小様々な建物がまるでパズルのようにごちゃごちゃとひしめき合い、ただでさえ細い路地に胸が苦しくなるほどの圧迫感を与えている。それらの建物も、今にも崩れそうなほどにあちこちヒビ割れて汚れきっている。

 まるで街自体が芸術作品であるかのように整然として美しいロンドの街並みとは程遠い、しかし間違いなくロンドの一部であるその場所を、ヴェルクは勝手知ったる様子で歩いていた。身に纏っている服はあちこちが焦げてボロボロになっているものの、先程の戦闘で負った怪我は優秀な医療魔術師の手によって綺麗に治されている。

 

 そうして歩いている内に、3階建てで極端に窓の少ない建物が彼の視界に飛び込んできた。見たところ集合住宅のようであるそれは、このスラム街の中でも一際大きな建物であり、彼の自宅でもある。

 ヴェルクが建物の玄関を潜った瞬間、真っ昼間にも拘わらず夜のように薄暗い、胸が苦しくなりそうなほどに圧迫感のある狭い廊下が彼を出迎えた。壁や天井は石造りだが床には木板が張られており、彼が踏み込む度にギシギシと軋む音が響く。階段にも木板が張られており、ギシギシと鳴らしながら3階まで昇り、これまた薄暗い廊下をギシギシと歩いていく。

 そうして自分の部屋の前へと辿り着いたヴェルクは、ズボンのポケットから鍵を取り出して錠を外し、金具が錆びているためにギィギィうるさいドアをゆっくりと開けた。

 ほとんど真四角の部屋が1つだけで台所もトイレも風呂も無く、ヒビや汚れでひどい有様になっている壁全体にびっしりと指名手配書が貼られ、腰くらいの高さの棚とベッド以外何も置かれていないその部屋にて、

 

「おかえり」

 

 襟の形やボタンの細やかな装飾から女性用だと見ただけで分かるブラウンのコートを着たアルが、ベッドに腰掛けてヒラヒラと手を振って彼を出迎えた。

 しかしヴェルクはそんな彼女に対して驚きも怒りも戸惑いも見せず、むしろホッと胸を撫で下ろすようにフッと笑みを漏らしてゆっくりとドアを閉めた。

 

「良かったよ、君が無事で。どこかの魔術師に殺されたって噂を聞いたときは、君に限ってそんなことは無いって思ってたけど――」

「そんなことより、ヴェルク。――――ん」

 

 そのまま世間話でも始める雰囲気だったヴェルクの言葉を遮って、アルはその右手をまっすぐ彼へと突き出した。掌を上に向けたその姿は、まるで何かを催促しているようである。

 そしてそれを見たヴェルクは、小さく溜息を吐いて「ちょっとくらい雑談してくれても良いだろうに……」と呟きながら棚へと歩いていき、おもむろに開けた引き出しの奥に手を突っ込んで何かを取り出した。

 

 それは中身がパンパンに詰まった、片手で持てるほどの大きさの麻袋だった。片手で持てる大きさとはいえ、その膨らみからしてズッシリと重そうに見える。

 ヴェルクがそれをアルに渡した途端、彼女はその袋を真っ逆さまにしてその中身をベッドへとぶちまけた。

 ジャラジャラと音をたてて姿を現したのは、光を反射してキラキラと輝く金貨だった。ざっと見ただけでも軽く3桁に上る枚数のそれらがベッドの上で小さな山を作る光景に、アルは満足げにニンマリと笑みを深くした。

 

「良かった良かった。もしもわたしが死んだのを良いことに使い込んでいたら、どうしてくれようかって思ってたよ」

「そんなこと、するわけないでしょう。“仲良く折半”が、僕とアルとの“契約”なんだから」

 

 金貨の感触を確かめるように1枚1枚丁寧に数えていくアルに、ヴェルクは溜息混じりにそう呟いた。そしておもむろに壁へと歩いていくと、ビッシリと貼られている指名手配書の1枚である、若い男にドアを開けさせ馬車に乗り込むところを隠し撮りしたと思しき写真がでかでかと載ったものを無造作にベリッと剥がした。

 その写真のちょうど上には、大きな字で“ギネロ”と書かれていた。

 

「それにしても、アルはどうやってギネロを見つけたの? こいつは部下の前にも滅多に姿を現さないから、警察もなかなか居場所を突き止められなくて苦労してたっていうのに」

「本当にたまたまだよ、別の野暮用を片づけてたついでにね。そっちこそ、そんな奴を警察に連れていったときに怪しまれたりしなかった?」

「そこはほら、日頃の信頼の賜物って感じで」

「さすがヴェルクだね、わたしじゃ絶対に真似できないよ」

 

 一連の遣り取りで大体察しが付くと思うが改めて説明すると、この2人は元々顔見知りであり、それどころか“仕事”上のパートナーとして協力関係にある仲だった。

 高額の懸賞金がかけられている犯罪者を次々と捕まえるその手腕から、警察や裏社会の人間達にはかなりの実力者として通じているヴェルクだが、本当のところ彼にはそこまでの実力は無い。彼が今まで捕まえたとされる犯罪者を実際に倒したのはアルであり、ヴェルクは彼女に頼まれてその犯罪者を警察まで連行しただけである。

 なぜ彼女が自分で警察に連行しなかったのかというと、彼女自身が警察にマークされている存在だというのが大きな理由だ。他にも幾つか理由があるのだが、いずれにしてもアルが自分で警察に行くのは都合が悪かった。

 そんなわけで、アルが倒した犯罪者をヴェルクが警察に連行し、受け取った懸賞金を2人で折半するという“契約”を2人の間で取り決めたのである。実際に体を張るのはアルなのになぜ折半なのかというと、捕まえた犯罪者の仲間からの報復や血気盛んな同業者からの襲撃といった諸々の“事後処理”を、ヴェルクが一手に引き受けることになるからだ。

 

「さてと、それじゃそろそろ行くよ」

 

 やがて金貨を数え終わり元の麻袋にそれらをしまったアルは、それを片手に握りしめながらベッドから立ち上がった。

 

「あぁ、そういえば魔術学院の教師に拾われて、今はそこで暮らしているんだっけか。こんな劣悪な環境で犯罪者を相手にしているより、よっぽど子供らしくて良いと思うよ」

「もし学院を追われることになったとしても、多分もうここには戻ってこないと思う。だからもうヴェルクと一緒に仕事はできないと思うけど、ヴェルクはどうするの?」

「心配いらないよ、僕もただ犯罪者専門の配達業をしていたわけじゃない。この仕事をきっかけに色々コネができてね、細かい仕事を請け負うことが増えてきたんだよ。だからアルが心配する必要は無いよ」

「…………」

 

 笑みを浮かべてそう言うヴェルクに、アルは中身を見透かそうとするようにじっと彼を見つめている。その目があまりにもまっすぐだからか、ヴェルクは気まずそうに彼女から視線を逸らした。

 するとアルは静かに彼の方へと歩いていき、その手に持っていたパンパンに膨らんだ麻袋を突き出してきた。

 

「あげるよ」

「……いや、それは悪いよ。ギネロを倒したのはアルなんだから、僕が全部あげるのはともかくアルが全部僕に渡すのは――」

「大丈夫。蓄えはまだ残ってるし、今の生活ではお金を使う機会が無いから。それに今日だって、警察から報奨金を貰わなかったんでしょ? ヴェルクが爆弾テロを防いだようなものなんだから、思いっきりふんだくってやれば良かったのに」

「いや、あれはアルが教えてくれたからでしょ? 賞金稼ぎを警察に届けるのとは違って、後で僕が危険な目に遭うわけじゃないし、そもそも危険を冒して爆弾の仕様を解明したのはアルなんだから――」

「別に危険を冒したわけじゃなくて、たまたま発見しただけなんだけどね。()()()()()()()()()()()うっかり壊しちゃって、それでも爆発が起こらなかったから偶然気づいたってだけで。――まぁとにかく、わたしはお金に困ってないからあげるよ」

「……ありがとう、アル」

 

 むりやり押し付けるようにして差し出した麻袋に、彼は申し訳なさそうに眉を寄せた苦笑いでそれを受け取った。

 

「それじゃ、元気でね」

 

 麻袋が元あった棚へと戻されるのを見届けたアルは、ヒラヒラと手を振って入口のドアから出ていった。ドアの向こうから聞こえてくるギシギシと木板の軋む音が聞こえなくなるまで、ヴェルクは彼女を見送るようにドアをじっと見つめていた。

 やがて彼はドアから視線を外し、未だに壁に多く貼りつけられている指名手配書に目を向けた。数多くの犯罪者が浮かべる凶悪な表情が、所狭しと並べられている。

 

「……さてと、僕もそろそろ独り立ちしないとな」

 

 そんなことを呟いた彼だったが、ふいに何か思い出したようにハッとなった。

 

「そういえば、アルが本物の〈火刑人〉なのか訊くのを忘れたな……。まぁ別にいいか、正体が何であろうと彼女は彼女だし」

 

 

 *         *         *

 

 

 ロンドの道はそのほとんどが馬車が擦れ違うのもやっとな細いものばかりだが、交通網の拠点ともなっている大通りはその範疇ではない。

 その中でも一際広いのは、ロンドの中心に悠然とそびえ立つ王宮の正面から、ロンドの象徴とも言えるデーンズ川を突き抜けてまっすぐ伸びていく道路だろう。馬車が6台ほどすれ違ってもまだ余るほどに広々とした車道に、歩道との境界線には色取り取りの花が咲き誇る花壇。景観的にも美しいそこは、イグリシア国軍のパレードが行われることからも、まさに街の中心地と言える。

 それだけ広い道路ともなれば、当然そこには常に人が集まってくる。その道路沿いにある店はどれも老舗の有名店であるし、歩道には数多くの屋台や露店がずらりと並び、食欲をそそる匂いが立ち籠めている。

 交通の中心地であるその道路は、経済の中心地でもあった。

 

「待たせてごめん、ヴィナ!」

 

 そんな大通りにてアルが大声で叫びながら手を振って駆け寄っていったのは、ショートボブの黒髪に大きな黒瞳、そして着ている服も上下共に黒といった、まさに“黒”という印象が真っ先に出てくるような出で立ちの少女・ヴィナだった。彼女の表情はまるでお面か何かのように無感情のまま固まっているが、こちらに近づいてくるアルに対して小さく首を横に振る程度の反応はあった。

 そして目を凝らしてようやく認識できるほどに小さく口を開けて、アルに尋ねた。

 

「お金は……?」

「お金? あっ、えっとね……、一応受け取ったは受け取ったんだけど、結局ヴェルクに全部あげちゃった」

「…………」

「ごめんねヴィナ、わたしのわがままで待たせたのに」

「…………」

 

 申し訳なさそうに眉を寄せて手を合わせるアルに、ヴィナは口こそ開かなかったものの、よく観察すれば分かる程度に小さく首を横に振った。

 それを見たアルは、ホッと胸を撫で下ろすように小さく息を吐いた。

 

「よし、それじゃ、早いところクルス達と合流しよう」

 

 アルの言葉を合図に、2人は仲良く肩を並べて人混みであふれた大通りを歩き始めた。道行く人はアルの季節外れな厚手の服に視線を向けはするものの、すぐに興味を無くしたように視線を外して擦れ違っていった。

 

「わたしが今住んでる魔術学院って、料理が凄く美味しいんだよ。何かそこで料理長をしてるボルノーって人、昔シャンパニエ国の観光宿場で料理長を務めてたんだって」

「…………」

「ここに住んでた頃とは違って衣食住の心配はしなくて良いし、魔術の授業は何だかんだ結構楽しいし、面白い友達もできたからね。だからヴィナも、きっと気に入ると思うよ」

「…………」

「大丈夫だって。今わたしを保護してくれてる人って割と優しいから、わたしが説得すればヴィナの1人や2人くらい、二つ返事で受け入れてくれると思うんだよね。もちろんそうなるように、わたしも頑張って説得するからさ」

「…………」

「それにヴィナほどの“実力”があったら、学院の方が放っておかないと思うよ。ヴィナなら間違いなく、特進クラスに入れると思うし」

「…………」

 

 その道中、アルが一方的に喋りまくっているのに対し、ヴィナは返事どころか相槌もしなければ視線を彼女に向けることすらしなかった。傍目にはアルが彼女に嫌われているようにも見える光景だが、通行人は誰1人として2人に目を向けていないし、周りの喧騒のせいでそもそも2人の会話は周りにほとんど届かない。

 それにアル本人は、ヴィナがまったく反応しないことを一切気にする様子が無かった。彼女の性格をよく熟知しているからとも取れるし、単純に久し振りに彼女と言葉を交わす(と表現して良いのか甚だ疑問だが)ことが嬉しいとも取れる。

 やがてアルのお喋りが一段落つき、ようやく彼女も静かになるかと思われた、そのとき、

 

「――あ、そうそう」

 

 ふいにアルが何かを思いだしたようにそう言って手を叩き、前を向いていたその視線をヴィナへと向けた。

 そして、こう話を切り出した。

 

 

「さっきわたしが“〈火刑人〉っぽい人”と戦ってたときに、ヴィナがあの人の炎を完璧に操ってたことだけどさ――」

 

 

「…………」

 

 今まで一切反応を見せなかったヴィナが、ここで初めてアルへと顔を向けた。

 それと同時にヴィナの頭の中には、先程アルが赤ずくめの侵入者と戦ったときの光景が浮かび上がった。ちなみにその光景はそこに居合わせた人間全員を俯瞰できる位置から見渡したものであり、近くにある建物の屋上から見下ろしたものに酷似していた。

 

「あれ、あんまり人前で見せない方が良いと思うよ」

「…………」

 

 アルの言葉に、ヴィナは彼女の目をじっと見つめるだけで一切反応が無かった。傍目には何を考えているのかまったく分からないが、アルにとってはその目から『なぜそこまで言い切れるのか』という想いを汲み取ることくらい容易なことだった。

 

「魔術の勉強をするようになってから初めて知ったんだけど、魔術師が自分の出した炎や雷で怪我しないのって、自分の魔力で生み出した炎や雷を自由に操れるからなんだよね。だけどそれとは逆に、どこかに燃え移った炎とか誰かが操ってる炎や雷とかは制御できない、って教科書に書いてあったんだよ」

「…………」

「でもヴィナはさっきの戦闘で、凄い威力だった爆弾の炎まで完璧に操ってたでしょ? 木造の空き家で()()()()()()()()()ときだって、全然周りに引火とかしないでそれだけ燃やしてみせたし。今までは何となくヴィナの魔術を見てただけだけど、そういうのを知ってから見るとヴィナのやってることってかなり特殊なことらしいんだよ」

「…………」

「だからヴィナ、人前ではあんまりそういうことはしない方が良いと思うよ。

 

 

 ――もしかしたらそれがきっかけで、ヴィナが“本物”だってバレるかもしれないし」

 

 

「…………」

 

 ヴィナは何も答えず、フイッと視線を前に戻すだけだった。しかしよく観察すれば分かる程度に小さく首を縦に振ったことから、アルの提案には賛同したと思われる。

 それを確認したアルは、ヴィナと同じように視線を前に向けた。大勢の人々がこちらに向かって歩いていき、そして2人の脇を擦れ違って後ろへと去っていく。

 しばらくの間その光景をぼんやりと眺めていたアルだったが、ふいにフッと笑みを漏らした。

 

「まぁ、それがバレるよりも前に、わたしが学院を追われることになるかもしれないけどね。……ねぇヴィナ、もしそういう事態になったときはわたしだけ逃げるから、ヴィナはそのまま――」

 

 アルの言葉を遮るように、ヴィナは自分の手を彼女のそれに重ねた。

 一瞬だけハッとした表情になったアルは、すぐに嬉しそうに笑ってその手を握り返した。

 

「……ありがとうヴィナ、()()()()()よろしくね」

「…………」

 

 アルの言葉に、ヴィナはこくりと頷いて応えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その場所はスラム街の一画であり、赤煉瓦で造られた建物が軒を連ねるロンドでは珍しい木造の家が建ち並んでいた。それら全てが長年の風雨に晒されたせいでボロボロに朽ち果て、もはやスラム街の住人ですら住むのを躊躇うような有様である。

 なので普段はほとんど人の寄りつかない静かな場所なのだが、現在そこは大勢の人間がひっきりなしに出入りしているせいで非常に騒がしかった。しかもそこにいる人々は、黒いローブを身に纏って左胸に桜の花びらをかたどったバッジをつけている、つまり警察の人間ばかりだった。

 そんな場所に建つ木造の家の1つにて、ここにいる警察官を指揮する立場にある中年の男が、目の前に広がるその光景を見て大きな溜息を吐いた。長年この仕事をしているために様々な光景を見てきたにも拘わらず、その表情は不快感を隠せずにいる歪んだものになっていた。

 そしてやるせなさを吐き出すように、ぽつりと呟いた。

 

「まったく、ひどいことをする奴もいたもんだな……」

 

 男の目の前に転がっていたのは、成人と思われる3人の死体だった。

 しかもその死体のいずれもが、煤に塗れた白骨へと変わり果てていた。

 

「遺体の身元は?」

 

 男が部下である若い警察官に尋ねるが、彼の表情は苦虫を噛み潰したように芳しくない。

 

「……今のところ、まったく手掛かりはありません。見ての通り周辺には燃えカスのようなものすら無く、抵抗したような跡も見受けられませんから、おそらく被害者は全裸で意識を失った、もしくは既に殺された状態で焼かれたものと思われます。所持品や衣服は犯人が持ち去ったか、あるいは別の場所で燃やしてしまったか……」

「……ちっ」

 

 中年の警察官の舌打ちに、若い警察官の肩がビクンッ! と跳ねた。下手に部下を怖がらせるのは彼の本意ではないが、怒りとも悔しさともつかないこの感情を抑える(すべ)が彼には無かった。

 

「……犯人は、かなり赤魔術に長けた奴のようだな」

「はい。周りの状況から、被害者が焼かれたのはここで間違いありません。しかし周りは燃えやすい木造にも拘わらず、引火した様子はまったくありません。犯人が炎の扱いに相当長けた者であることは、まず間違いないでしょうね」

「……例の〈火刑人〉もどきが犯人か?」

「可能性はあるかと」

 

 若い警察官の言葉に、中年の警察官は再び大きな溜息を吐いて、再び呟いた。

 

「まさかこれ、モーズ警部補達じゃねぇよな……?」




第4章 終了

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