〈暴食〉のアル   作:ゆうと00

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第63話

 この学院の教室は後ろに出入口が2つあり、入口から教壇へ向けて階段状に低くなる造りとなっている。これはどの席からでも前の黒板がちゃんと見えるように、という生徒達への配慮によるものである。

 しかしこの教室の造り、実は教師にとっても非常に有り難いものとなっている。なぜなら生徒達がどこからでも黒板を見られるということは、黒板の正面に位置する教壇から全ての席が見渡せるということでもあるからだ。もしも生徒が授業中に寝ていようものなら、即座に見つけて制裁を加えることができる。

 そしてこの構造は普段の授業だけでなく、今日みたいなテストでも威力を発揮する。他人の答案用紙が見えないように広く間隔を取って生徒達を座らせるとなると、教室全体に生徒がばらけることになる。そんな状態であっても、教壇からではさほど顔を動かすことなく教室全体を見渡すことができる。もしもカンニングでもしようものなら、即座に見つけて制裁を加えることができる。

 

「…………」

 

 この時間の試験官であるシルバも、椅子に座って教壇から教室中を睨みつけるように見渡していた。ただでさえテスト中は独特の緊張感があるというのに、彼から放たれる無言のプレッシャーのせいで、現在教室はそれまでの時間とは比べ物にならないくらいにピリピリとした空気が張り詰めていた。

 誰も口を開くことはなく、教室内には答案用紙にペンを走らせる音だけが小さく響く。シルバはそれを耳にしながら、ゆっくりとした動きで首を回して教室中に視線を向けている。

 と、そのとき、

 

「…………」

 

 がたっ、と音をたててシルバが椅子から立ち上がった。すぐ傍にいた生徒がビクッ! と肩を震わせたが、シルバはそれを気にする様子も無く、ゆっくりとした足取りで教室の階段をゆっくりと昇っていく。ペンを走らせる音に加えて、階段を昇る乾いた足音が教室内に響き渡る。

 そして1人の人物の真横に差し掛かったところで、その足をピタリと止めた。

 

「…………」

 

 その人物とはアルであり、彼女は自分の腕を枕にして俯せになっていた。スースーとリズム良く呼吸音が聞こえてくることから、彼女が眠っていることは火を見るよりも明らかだった。

 シルバはこめかみに青筋を立てて口を引き結ぶが、アルを起こすことはしなかった。もしこれが普段の授業ならば怒鳴りつけてでも起こしたのだが、いびきを掻くなどして周りに迷惑を掛けない限り、テスト中に眠って困るのは本人だけだ。

 

「…………、チッ」

 

 シルバは小さく舌打ちをすると、踵を返して再び教壇へと戻っていった。

 そのまま眠りこけて散々な結果になると良い、と心の中で吐き捨てながら。

 しかし結局はこのクラスで一番の成績を残すのだろう、という想いを最後まで認めなかったのは、彼の中に残る最後のプライドか、それとも見苦しい悪足掻きか。

 それは、シルバ本人にすら分からないことだった。

 

 

 

 

「時間だ。答案を後ろから集めろ」

 

 シルバのその声を合図に、教室中のあちこちから一斉に声があがった。緊張から解放された安堵の声、もう少し時間をくれと嘆く声、さっさと答案を寄越せというからかいの声など、その内容は生徒によって様々だ。

 そんな中、教室の後ろの方にあるテーブルに着いていたバニラは、

 

「ふぅ……、今日のテストはこれで全部終わりっと……」

 

 おそらく教室中で一番多いであろう“緊張から解放された安堵の声”を漏らし、

 

「ふあぁ……、よく寝た……」

 

 バニラと席を2つ挟んで同じテーブルに着いていたアルは、おそらく教室中で唯一であろう“睡眠によって頭がスッキリした声”を漏らした。

 

「アルちゃん……。今日のテスト、結局全部途中から寝てたよね……? アルちゃんのことだから大丈夫だとは思うけど、ちゃんと見直しとかした?」

「大丈夫だって。ちゃんと3回は見直したから、ヘーキヘーキ」

 

 あっけらかんと言い放つアルに、バニラは他人事ながら心配そうな表情を浮かべた。真面目で小心者な彼女からしたら、たとえ自分がアルのように時間に余裕を残して回答を終えたとしても、怖くて居眠りなんかできやしないに違いない。

 

「そうだ、バニラ! せっかく今日のテストは全部終わったんだから、食堂に行ってまたボルノーからおやつ貰おうよ!」

「また? 私は別に良いけど……。アルちゃん、さっきお昼ご飯のときも『疲れた頭には甘い物が効くんだよー』とか言って、ケーキを何ホールも食べてなかった?」

「そのときのケーキは、午前中のテストの分だよ。午後もテストを受けたんだから、また補給しないと」

 

 あれだけ寝ていたのに頭が疲れてるのかな、とバニラは思ったが口にしなかった。

 

「ごめん、私は遠慮するよ……。自分の部屋に戻って、明日のテストの勉強をしたいんだ」

「そっかぁ、じゃあ仕方ないか」

 

 若干寂しそうに眉を下げるアルに、バニラは申し訳ない気持ちになりながら頭を下げた。

 それじゃ私は部屋に戻るから、とバニラが席を立とうとしたそのとき、

 

「そうだ、忘れていた。期末試験の演習でのグループ分けが決まった。掲示板に貼り出しているから、各自確認するように」

 

 生徒から集めた答案用紙の束を揃えていたシルバがそう言うと、教室中のあちこちから一斉に声があがった。それは先程までとは違って明らかに熱の籠もった、言うなれば『待ってました』と表現できるようなものだった。

 そしてシルバのその言葉により、立ち上がりかけていたバニラの体がピタリと止まった。

 

「あぁ、そういえばそんなのもあったね。――バニラも一緒に見に行く?」

「……うん、一緒に行こうか」

 

 アルの提案に、バニラは若干震えた声でそう答えた。

 

 

 *         *         *

 

 

 食堂の傍にある掲示板には、普段から様々な情報の書かれた紙が貼りつけられている。どこそこの授業が休講になったとか、授業内容が変更になったとか、そういった情報は一括してここに集約され、生徒達は朝食のときにそれを見てその日の行動に変更が無いか確認するのである。

 アルとバニラがそこに着いたとき、既に集まっていた生徒達で人垣が出来ていた。おそらく普通クラスと特進クラスのグループ分けが記載されているであろう2枚の紙の前で、多数の生徒達が押し合いへし合いしながら一喜一憂している。

 そんな光景を見て、また後で見に行こうとバニラがアルに提案しようとした、そのとき、

 

「あっ、アルにバニラさん」

 

 ちょうどここにやって来たであろうルークがこちらに気づき、軽く手を挙げながら2人へと近づいてきた。その隣にはヴィナの姿もあり、アルに視線を向けた瞬間に無表情のまま彼女の傍へと歩み寄っていった。

 

「ルーク達も組み合わせを見に来たの?」

「まぁね。アル達も今から?」

「そーそー。まぁ見たところで、誰が誰だか分かんないんだけどね!」

「あははっ、アルらしい」

 

 仲睦まじく話しているルークとアル(2人にとっては普通に話してるだけなのだが)を少し離れた場所で眺めていたバニラは、周りの生徒達がいつの間にか2人を遠巻きに眺めていることに気がついた。そしてその中にいる大多数の女子生徒が、アルに対して敵意を顕わにしていることに気がついた。

 

 ――やっぱりルークくんって人気なんだなぁ……。

 

 バニラがそんなことを考えていると、2人はおもむろに2枚の紙が貼られた掲示板へと近づいていった。それまで掲示板の押し合いへし合いしていた生徒達が、学院でトップクラスに有名人であるルークの存在に気づくと、誰からともなくその場を離れて進路を譲った。

 程なくして生徒達が壁となった即席の道が出来上がっていくその光景を、バニラは半ば感心するような様子で眺めていた。

 と、まるで他人事のようにその光景を眺めていたバニラだが、

 

「バニラ! 前が空いたから来なよ!」

 

 アルが大きく手を振り大声でバニラを呼び掛け、それによって周りの生徒達が一斉に彼女の方を向いたことで、むりやり当事者の立場に引っ張り込まれてしまった。

 

 ――ちょっ……! アルちゃん、そんな大声で呼び掛けないで!

 

 バニラは今すぐにでもここから逃げ出したい衝動に駆られるが、実際に逃げたとしても既に注目されてしまっているこの状況ではほとんど意味が無い。なので彼女は覚悟を決めて、先程出来上がったばかりの道を早足で歩いてアルの傍までやって来た。

 

「どれどれ、わたしはどこにいるのかなぁ?」

 

 鼻歌交じりでそう呟くアルに倣って、バニラもその紙へと目を通す。

 そして、

 

「――――えっ」

 

 バニラは、思わず言葉を失った。

 

 

 

【第3班】

 クレイ

 レッダー

 バズ

 ダイア

 バニラ

 アル

 

 

 

「あっ、バニラと同じ班だ」

「えっ、本当? ――あっ、本当だ」

 

 バニラが絶句している間に、アルがあっけらかんとした表情でそう言って、ルークが横からそれを覗き込んで軽い驚きの表情を浮かべた。

 

「んで、ルークはどうだったの?」

「僕? 願いが通じたのか知らないけど、ヴィナさんと同じグループに入ったよ」

「おぉ、良かったじゃん。おめでとう」

「…………」

 

 しかしアル達にとっては特に気にする話題でもなかったのか、即座に自分達のことへと話題が移っていった。

 だが当の本人であるバニラにとっては、そんな簡単に流して良い問題ではなかった。

 

「ちょ、ちょっと待って! わ、私、アルちゃんと戦わなきゃいけないの?」

「そうらしいね。頑張ってね、バニラさん」

 

 あっさりとそう言ってのけるルークに、バニラは思わず彼へと詰め寄った。

 

「な、なんでそんなに冷たいのっ!」

「いや、冷たいって言われても……。そもそもこれは演習だから命の危険は無いし、もしものときのために白魔術を使える先生が常にいるから――」

 

 これは駄目だ、と早々に見切りをつけたバニラは、すぐさまアルへと向き直った。

 

「ね、ねぇ、アルちゃん……。アルちゃんはさ……、もし私と戦うことになっても、本気で殴り掛かったりしないよね……?」

 

 両手を胸の前で握りしめて俯き加減にそう尋ねるバニラは、まるで神様か何かにお祈りでもしているかのようだった。実際、現在の彼女の心境からしたら、アルのことをそのように見ていたとしても不思議ではない。

 そしてアルはそんな彼女に対して、眩いばかりの満面の笑みを向けると、

 

「――一緒に頑張ろうね、バニラ!」

「…………アルちゃん、それってどういう意味――」

「おやおやぁ! これはこれはバニラさんではないですかぁ!」

 

 バニラがアルに発言の真意を問い質そうとしていたそのとき、わざとらしく大声をあげて1人の男子生徒がこの場にやって来た。

 短く切り揃えられた黒髪の少年を眺めて首をかしげるアルに、バニラが「同じクラスのレッダーくんだよ」と耳打ちして教えてあげた。

 

「いやいや、バニラさんには本当に感謝してるんだよ。何せ君と同じグループだということは、少なくとも勝ち星が1つ保証されているってことだからね」

「…………」

 

 嫌味ったらしくそんなことを言ってくるレッダーに対し、バニラは何も言い返すことができずに拳を握りしめるのみだった。悔しい気持ちも無くはないが、彼の言うことはもっともだと彼女自身が感じているからである。

 バニラから反応が返ってこないことを知ると、レッダーは次に彼女の隣にいるアルへと視線を向けた。

 

「やぁ、確か君はアルと言ったかな? 1月の演習では随分とご活躍だったそうだが、次の演習ではそうはいかないよ。この形式では、君の得意とする不意打ちや騙し討ちは通用しないからね。せいぜい、僕の魔術がきっかけで炎にトラウマを持つようなことにならないように祈りたまえ」

 

 まさしく“慇懃無礼”を絵に描いたような態度でそんなことを言ってくるレッダーに対し、アルは何も言い返すことをしなかった。というよりも彼がここに現れてからずっと、アルは彼の顔をじっと見つめ続けていた。

 

「……何だい、君? 僕に何か言いたいことでもあるのか?」

 

 レッダーが尋ねたそのとき、アルが唐突に掌をポンッと叩いた。

 

「あぁ、思い出した! どっかで見た顔だなって、ずっと思ってたんだよ! ――確か1月の演習のときに、わたしと一緒の門からスタートしてたでしょ!」

「えっ? えっと……」

 

 アルの言葉に対し、レッダーは急に言葉を濁して視線を逸らした。

 

「あれ? ってことは――」

 

 そしてそれを隣で聞いていたルークが、何かを思い出そうとしていた。

 確か1月の演習のとき、アルと同じ門からスタートしていた10人の生徒達は、彼女の手によって全員――

 

「とにかくっ! 演習のときは覚悟しておくんだなっ!」

 

 旗色が悪くなったことを悟ったのか、レッダーは最初の余裕な態度をどこかへと放り投げて、そそくさとその場から去っていった。

 

「覚悟しておけ、だってさ。どうするの、アル?」

「うーん、どうしよう?」

 

 そんな彼の後ろ姿を見送りながら、ルークとアルはそんな会話を交わしていた。その声も表情も、実に楽しそうである。

 そしてそんな2人とは対照的に、バニラは今にも倒れてしまいそうなほどに顔を真っ青にして思い悩む表情を浮かべていた。

 

「…………」

 

 そしてそんなバニラを、ヴィナが一切の感情を読み取れない無表情でじっと見つめていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 夕食もとっくに終わり、照明も消されてすっかり暗くなった食堂の前。

 廊下の明かりによってぼんやりと浮かび上がって見える掲示板の前に、1人の女子生徒が立っていた。長い金髪を大きな赤いリボンで後ろに縛るその少女は、取り憑かれたようにじっと1枚の紙を見つめている。

 その紙は今日の午後に貼り出されたばかりの、3年生戦闘科普通クラスにおける演習の期末試験でのグループ分けを記したものだった。

 

「……絶対に、こいつには勝たないと……」

 

 そこに書かれた1人の人物の名前に視線を固定させながら、彼女は自分に言い聞かせるようにぽつりとそう呟いた。

 そこには、“アル”と書かれていた。


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