〈暴食〉のアル   作:ゆうと00

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第64話

 この世界において、“魔術”というのは非常に重要なものである。様々な場面で魔術が活用されているこの社会では、いかに魔術を使いこなせるかによってその後の人生が左右されると言っても過言ではない。

 そんな魔術至上主義社会において、世界に5つしか存在しない王立魔術学院を卒業したともなればそれだけで引く手数多となるし、就職後の待遇も他の人とは段違いに良いものとなる。

 

 例えば戦闘科を卒業した者の主な就職先として挙げられる国防や警察の場合、その中でも優秀な成績を残した者は出世のスピードが段違いの“キャリア組”となる。クルスの後輩であるメリルも、他の者が最下の“巡査”から始まるところを2段飛ばしで“警部補”からスタートしたキャリア組だ。

 技術科の場合は何かしらの物を作る職人の方面へと進むことになるのだが、この社会では生活必需品製作から公共事業まで幅広く魔術が応用されているため、他の専攻と比べても特に需要が高く、故にイグリシア魔術学院では最も生徒数が多い。さらにその技術レベルによっては、たとえ平民出身でも下手な貴族よりも財を成すことが可能だ。事実、現在も残っている貴族の中には、職人時代の功績が認められて爵位を与えられた者も数こそ少ないが存在する。

 他にも研究科の場合は、公立の研究機関や企業の研究グループに就職することが多い。魔術に関する様々な理論を日夜研究し、それを実生活に応用させることを目的としたその仕事は、場合によっては人々の生活を大きく変えることにも繋がる。そしてそんな活動の中心的な存在というのが、魔術学院を優秀な成績で卒業した者達である。

 

 いずれにしても、魔術学院を卒業した者達が与える影響が大きいことは間違いない。

 ならばそんな生徒達を教育する教師達は、いったいどのようにしてその職に就いたのだろうか。

 

 最も多いのが、研究科を専攻していた生徒が卒業後に学院の教師を志す、というものだ。あるいはどこかの研究機関に所属していた者が第一線を退き、第2の人生として学院の教師を選ぶというのもある。

 しかし中には、そのような正規ルートを通らずに学院の教師になった者もいる。特にその傾向は戦闘科のような、理論よりも実戦を重視するような場合において強くなる。

 今回の期末テストでの演習を担当する教師・ザンガも、そんな教師の内の1人である。

 

 彼は元々、著名な“魔獣ハンター”だった。

 魔術と同じような攻撃手段を持つ動物などを“魔獣”と呼ぶのだが、その中には美味なるものとして人々の食料となっているものも存在する。ロンドの周辺では魔獣の数も少なく牛豚鶏の畜産が盛んなため、あまりそういった文化が根付いていないが、場所によってはそのような魔獣を日常的に食べていることも少なくない。

 そしてザンガはそんな魔獣を卸売りする商家の出身であり、その店で販売する魔獣を確保するために魔獣ハンターとなった。当然ながら命の危険が伴う職業であり、20年近くもその職業を続けられたことが彼の実力を如実に物語っている。

 そしてその実力が認められて学院長にスカウトされ、彼はイグリシア魔術学院へとやって来た。

 

「…………」

 

 彼は現在、学院の敷地内にある広場に立っていた。太陽の光を受けて青々と茂っている芝生には、1辺が大股で50歩ほどになる長さの正方形が赤い線で描かれている。

 そして赤い線で囲まれたエリアの外では、大勢の生徒達が待機していた。彼らは“表情に疲れを見せて座り込んでいる者”と“そわそわと落ち着かない者”の2タイプに分けることができ、後者のタイプは入念にストレッチをしたりそこら辺を走り回ったりと様々だ。

 さらにその集団の隣には、緑魔術を使って用意した椅子に座る別の教師の姿があった。白衣を身に纏った30代前半くらいの男性であり、そして彼の傍には気分悪そうに表情を歪ませて横になっている生徒が数人並んでいる。

 

「ぐあっ――!」

 

 と、そのとき、突如悲鳴があがり、その場にいる全員がそちらへと顔を向けた。

 1人の男子生徒が苦悶の表情を浮かべて空中に綺麗な弧を描き、そのまま芝生に描かれた赤い線を飛び越えて地面に体を強く打ち付けているところだった。そんな彼から少し離れた所にて、大きな赤いリボンが目を惹く女子生徒・ダイアが油断の無い表情で杖を構える姿が見受けられる。

 

「試合終了。勝者、ダイア」

 

 けっして大きくはないザンガの声だったが、しっかりそれを聞き取ったダイアは小さく息を吐いて杖を内ポケットにしまった。そのまま他の生徒達が待機している一角へと歩を進めていくが、その途中でチラリと別の方向に視線を向け、そしてすぐさま視線を前へと戻した。

 そうしてダイアがエリアの外に出ていくのと擦れ違うようにして、椅子に座って待機していた教師が負けた生徒の方へと駆けていった。生徒の体を軽く何ヶ所か触って具合を確かめるが、彼は強風で吹き飛ばされただけなので擦り傷以外に目立った負傷は無く、彼はすぐに悔しそうな表情で立ち上がるとダイアと同じように生徒達の所へ戻っていった。

 それを確認してから、ザンガは手元の紙に先程の対戦の結果を書き記した。

 

 現在この場所では、まさに期末テストの演習が行われている真っ最中だった。

 演習のテストは、学科のテストと比べて時間が掛かる。学科の場合は1日に何科目も続けて行われるが、演習の場合は1人に対してそれぞれ1日1回に留め、さらに次の試合までに数日の間隔を空けて行われるからである。これは戦い慣れていない生徒の体力を考慮すると同時に、その数日間で相手を倒す戦略を練るためだとされている。

 そして今日が(一部の生徒にとっては)待ちに待った第1試合の日。試験官であるザンガの監督の下、ここまで順調に試合が行われていった。救護担当である白魔術の教師も待機しているため、たとえ生徒達が大怪我を負ったとしてもすぐさま治療が施される。

 

「次の試合を行う。――レッダーとアル、両者前へ」

「おっしゃあ! 行け、レッダー!」

「あの生意気な乞食に、現実を分からせてやれ!」

 

 ザンガが呼び掛けた瞬間、生徒達の群れの一角にて大きな声があがった。レッダーの周りにいた生徒達が一斉に、激励を飛ばしたり彼の肩を叩いたり背中を押したりしていた。荒っぽい激励を受ける本人もスイッチが入っているのか、戦意に満ち溢れた鋭い目をしており、見るからにやる気満々といった感じである。

 一方、そんな彼らとは対照的に、

 

「んじゃ、行ってくるね」

「……うん。気を付けてね、アルちゃん」

 

 普段とまったく変わらぬ自然体のアルを、心配で仕方ないといった表情のバニラが静かに見送った。ちなみにバニラはつい先程の試合において、黄魔術を得意とする男子生徒・バズと戦い、見事なまでの惨敗を期したばかりだった。

 普通クラスの生徒達にとって注目の的であろうアルの登場によって、生徒達は今日一番の盛り上がりを見せていた。そのほとんどが彼女の対戦相手であるレッダーを応援しているもので、懸命にアルを応援しようとしているバニラの声は無残にも掻き消されていた。

 2人はそんな歓声を背中にエリアの中央までやって来ると、大股で20歩くらいの間隔を空けて向かい合わせになった。

 そして2人を挟んだちょうど中間地点にて、ザンガが2人に呼び掛けた。

 

「改めてルールを確認する。勝利条件は相手を戦闘不能にするか、相手をエリアの外に出すか、あるいは相手が降参を申し出て審判である私がそれを認めたら、の3つだ。私が試合開始の合図を出すまでその場から動かず、呪文の詠唱もするな。合図の前に何かしているのを見つけ次第、即座に失格とするから注意しろ。もし試合中にそれ以上の続行が危険だと私が判断した場合、即座に試合を中止する。――何か質問はあるか?」

 

 シンプルなそのルール説明はここまでにも散々聞かされたものであり、細かいことに関する質問も既に出尽くしている。もはや儀礼的なものになっているその質問に対し、アルもレッダーも小さく首を横に振るのみだった。

 ザンガもそれは織込み済みであり、彼は2人から視線を外さずに後ろ歩きでその場から離れていき、やがてエリアの外へと出た。

 

「――それでは、試合開始!」

 

 ザンガの叫び声と共に、場の緊張感が一気にピークへと達する。

 そして、

 

「…………、えっ?」

 

 一瞬で跳ね上がったその緊張感は、誰かがあげた間抜けな声と共に一瞬で霧散した。

 レッダーが待機していた場所にまで移動していたアル。

 そして、鼻から血を噴き出しながら地面に仰向けに横たわるレッダー。

 生徒全員が2人を見守っていたため流れは全て観ていたのだが、それを頭の中ですんなりと理解できたのは審判であるザンガだけだった。

 

 ――まさか、ここまでとはな……。

 

 ザンガは思わず、フッと笑みを漏らした。

 展開としては、実にシンプルなものだ。

 試合開始の合図と共に、アルはレッダーに向かって走り出した。彼女の強靱な脚力によってほぼ間を置かずにトップスピードに跳ね上がり、レッダーがそれに気づいたときには既にその距離は半分にまで詰め寄られていた。

 焦ったレッダーは咄嗟に杖から炎を繰り出すが、魔力の練度が足りなかったのかその炎は彼女の頭ほどしかなく、しかも狙いも定まらなかったために彼女の頭上を掠めるだけに留まった。杖の角度からその結果を読んでいたアルはその足を止めることなく走り続け、炎と擦れ違った直後に軽く地面を蹴って跳び上がった。

 そしてアルが空中で脚を折って膝を突き出すと、その膝はレッダーの顔面に突き刺さった。鼻の軟骨を砕きながら尚も勢いを殺すことなく、彼の体はフワリと宙に浮いて後ろへ吹っ飛ばされていった。そのときの衝撃で脳を揺さぶられたことで、そのときには既に彼の意識は途切れている。

 そしてその結果、現在生徒達が目の当たりにしている光景と相成った。

 

「――勝者、アル」

「ちょ、ちょっと待ってください! ザンガ先生!」

 

 しかしザンガが皆に聞こえるように宣言した直後、1人の男子生徒が納得いかないといった感じで声をあげる。

 

「……どうした?」

「な、なんでアイツが勝ちなんですか! あんな不意打ちみたいな真似、許されるんですか!」

「逆に、なぜ許されないと思うんだ? 私がスタートの合図をしてから、彼女は動き出した。ルールは一切違反していない」

 

 毅然とした態度でそう言い放つザンガに、その生徒は悔しそうに歯噛みするもすぐさま口を開いた。

 

「で、ですが! アイツは魔術を使っていません! 魔術学院の期末テストを兼ねたこの演習において、魔術を使わずに勝ちを収めるなど――」

「あぁ、そうだ。彼女は一切魔術を使っていない。――だがルールでは、魔術の使用が必須であると設定されていない」

 

 ザンガの言葉に、生徒は「えっ?」と目を見開いた。

 その隙を突くように、ザンガが言葉を続ける。

 

「君達は数ヶ月もの間、彼女と授業を共にしてきた。彼女が魔術を使えず、その代わりに類稀なる身体能力を有していることも知っていたはずだ。ならばあのような手段を取ることも想定したうえで、如何に対処するかを考えておくべきだ」

「そ、そうは言っても! 僕達は魔術を発動させるまでに、ある程度時間が必要なんですよ! 試合開始前に準備することが許されない以上、試合開始直後はどうしても隙ができてしまう! そんなの不公平です!」

 

 生徒が声高に叫んだその主張に、ザンガは眉をピクリと動かした。

 ゆっくりとした動きでその生徒に向き直った彼の、ほぼ無表情ながら若干怒気が漏れ出ているその顔に、その生徒はビクンッ! と肩を跳ねさせて1歩後退した。

 

「“不公平”だと? 随分とおかしなことを言うな。魔術を発動していたのでは間に合わない場面など、実際の戦闘では頻繁に起こることだ。だから戦うことを仕事にしている者は皆、魔術以外の攻撃手段として剣術などにも力を入れている。どのような状況に置かれてもある程度の対応ができるように、だ。それに――」

 

 ザンガはそこで一旦言葉を区切ると、ほんの少しだけ目を細めて、その場にいる全員に聞こえるようにこう続けた。

 

「そもそも杖も武器も持たない丸腰を相手に負けること自体、魔術師として恥ずべきことだとは思わないのかね?」

「…………」

 

 ザンガの問い掛けに、その生徒は何も言い返せずにスゴスゴとその場に腰を下ろした。周りの生徒達も何やら言いたげな表情ではあったが、先程の彼のように声をあげるようなことはしない。

 そんな彼らの遣り取りを、当のアルはまるで他人事のように眺めていた。

 

「んで、結局わたしは勝ちってことで良いの?」

「ああ、そうだ。元の場所に戻りたまえ」

 

 ザンガが頷くのを見て、アルは元の場所――バニラの隣へと戻っていき腰を下ろした。

 

「おめでとう、アルちゃん」

「ありがと。とりあえず1勝だね」

 

 そんな風に小声で会話を交わすアルのことを、

 

「…………」

 

 ザンガが、そして彼女と同じグループになっている生徒が盗み見るように眺めていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 こうして普通クラスの演習が終了し、それから数時間後、まったく同じ場所にて今度は特進クラスの演習が行われていた。監督は先程と同じザンガであり、ルールも先程とまったく同じである。

 

「…………これは、また……」

 

 やっとのことでザンガが絞り出したその声は、まさしく“驚嘆”と“恐怖”が綯い交ぜになったものだった。目は大きく見開かれ、こめかみから冷や汗が1筋流れ落ちる。そしてそれは、エリアの外で先程までの試合を眺めていた生徒も同じだった。

 

 彼らの目の前に広がるのは、炎だった。

 まるで巨大な獣のようにゴウゴウと音をたてて蠢く炎が、真っ黒な煙を吐き出しながら、青々とした芝生を赤く染め上げていく。炎に呑み込まれた芝生は灰へと変わり、露出した土もその圧倒的な熱量によって蓄えていた水分を蒸発させていく。

 少しの間呆然とそれを眺めていたザンガだが、やがてハッと我に返って生徒達へと振り返った。

 

「水系統の魔術が得意な者は、消火活動に参加するんだ! それと手の空いている者は、青魔術の教師を呼んできてくれ! 早くしないと“手遅れ”になるぞ!」

 

 ザンガがそう呼び掛けると同時に、何人かの生徒達が一斉に立ち上がり、杖を構えながら炎へ向かって走り出していった。炎の傍では既に救護担当である白魔術の教師が消火活動を開始しており、その教師に倣って生徒達も巨大な炎の勢いを少しでも削ごうと立ち向かっていく。

 そんな騒ぎの中、水系統の魔術を使えないため助太刀することのできないザンガは、この炎を作り出した張本人である少女へと視線を向けた。

 

 その少女――ヴィナは、自身の試合相手であった生徒を巻き込んで燃え盛る炎を前に、一切の感情も表に出さずに眺めているのみだった。相手を殺してしまうかもしれないという事実に打ちのめされている訳でもなく、事実を受け入れられなくて現実逃避をしている訳でもなく、ただ目の前で起こっていることの顛末を見届けるように眺めていた。

 彼女のことについては、ザンガも事前に知っていた。入学試験で優秀な成績を収めたことも、何かと話題を振り撒くアルの知り合いだということも。だからこそ、彼女が他の生徒達と同じような価値観を持っているとは限らない、とある程度の予測はしていた。

 しかし、

 

 ――彼女、相手を攻撃するときに一切躊躇いが無かった……。命の掛かった殺し合いならともかく、殺す必要の無い演習で……。

 

 学院での演習はその内容上、相手に対して重大な怪我を負わせる可能性も存在する。迅速に対処するため命を落としたり重大な後遺症が残ることはまず無いが、仮にそうなったとしても怪我を負わせた生徒は一切責任を問われないことが、学院の規律によって定められている。

 なので今回の件に関しても、ヴィナに懲罰が与えられることはない。それに彼女は、演習のルールに則って試合を行ったまでである。

 

「…………」

 

 とはいえ、ザンガは彼女に対して警戒心を抱かざるを得なかった。そしてそれは、同じように試合を観ていた生徒達も同じである。

 

「…………」

 

 そんな中、杖を振って消火活動に勤しんでいたルークが、チラリとヴィナへ視線を向けた。

 その口元に、微笑みを携えながら。


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